魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

みぞうゆうとゆうと?

2009年01月06日 | 兄弟関係

麻生総理が未曾有を「みぞうゆう」と読んだことを馬鹿にしている人たちの、どれほどが未曾有の「事態」を理解しているだろうか。

先ず、説明されるまで、「未曾有」と言う言葉すら知らない人が相当いただろう。
次に、見たことがあっても読んだことがない人、つまり読み飛ばしていた人もいる。
まじめな人は、ちゃんと辞書を引いて意味と読み方を確かめ、もっとまじめな人は、書いてみただろう。

そうすると、麻生総理は少なくとも「まじめな人」ではない。
しかし、もちろん、見たことはあるだろう。
では、解らないから読み飛ばしていたのかというと、そうではない。読み方よりも文脈の意味に注目し、ほぼ正しく理解していただろう。
もし言葉も意味も知らなかったとしたら、下書き原稿を渡された時に尋ねるか調べるだろう。
しかし昔から知っていた言葉だから、全く引っかからなかった。
だから躊躇なく読み上げた。

いくら麻生総理が失言癖があり、不真面目な人であっても、原稿のある文章を、考えなしに読み上げるほどバカではないだろう。確認ぐらいはとっているはずだ。
その上で読み間違えたのは、言葉を知らなかったのではなく、むしろ、あまりにも確信していたから、と理解すべきだろう。
さらに、もし、この原稿を自ら書いたとするなら、この言葉が好きでさえあったのかも知れない。
学校で身につけた「整った」知識ではなく、とりあえず、「使える」知識を重視する。

これが長子だ。意味さえ解かれば細かいことはどうでもいい。
誰かを「見習って」物事をおぼえる習慣がない。
やはり長子の加山雄三が、十代に一人でヨットを造ってしまった話を自慢するが、その後の音楽もDTMも全部、我流でやったものだ。
ほかにも、様々な分野の長子がいるが、基本はみな我流だ。

この逆に、何でも年長者を見て覚える弟妹は中身より、とりあえず「形ができる」ことを重視する。
マンガなどでも、お兄ちゃんが喧嘩相手に「やれるものならやって見ろ」と啖呵を切っていると、横にいる弟が「やってみろ」と言う。
そんな一コマがよくある。漫画家の鋭い描写だ。

大人でも弟妹型は、よくわからない話になると、少しでも関連する単語を出して、茶々を入れたり、何とか参加しようとする人がいる。
長子型は大抵、黙って聞いているか、突然、持論を展開しはじめる。
話題の中身を確認し、自分の見解と照らし合わせているからだ。

学習も長子が独創型なのに対し、弟妹は調整型、活用型だから、丸暗記の活用が生きる受験には比較的強い。中には、勉強せずに山勘やカンニングで答えだけ活用しようとするタイプもいる。

総裁が「みぞうゆう」と読む未曾有の出来事を、鬼の首を取ったようにこき下ろす人達のどれほどの人が、この未曾有の「事態」を認識し、自分のこととして真剣に考えているだろうか。

ところで、余談だが
この「曾」の字、よく見ると頭を抱えて困っている人の顔に見えるからおもしろい。これ一文字で立派な顔文字だ。

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