魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

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2010年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

No.919

鳩山総理退陣。話題のできたマスコミは喜んでいるが、たいていの人は驚いていないだろう。状況的に、予想通りだからだ。

しかし、これは状況から考えるべき事態ではないと思う。
「あれが、こうして、こうなった」のではなく、
「こうするつもりで、そうなった」と、言うことだろう。

鳩山総理の人格から考えると、おそらく、総理就任の時から、選択肢の一つとして、これ(辞任)を想定していただろう。
その上で、あわよくば、別の展開もあるかも知れないという「腹案」を持って、時間稼ぎをしてきた。それが、「運悪く」乗り換えの船が来なかったから、当初の「予定通りの札」を切った・・・
今となっては、やはり、そういうことではないかと思うが、だとすれば、不幸なのは国民だ。

「辺野古」を入れた日米共同文書発表の頃から、鳩山総理の表情が、俄然、明るくなったので、『やっぱりか』と思っていたら、小沢会談では親指まで立ててはしゃいでいた。

大局観のないマスコミは見当違いの反応をしていたが、要するに、やることが決まったから、ホットしたのだ。
それまでは、何とか、他の展開が「やって来ないか」気を揉んで待っていたが、もう来ないとなったら、気を揉む必要はない。

総理就任時、選挙中の発言はまずかったと自分も解っていたが、「間違いでした」といきなり言えば、嘘をついたことになる。
時間をかけて、努力した風な顔をすれば、中には納得してくれる人もいるかも知れないし、何よりも、「自分はいい人だ」の、プライドを守ることができる。

そこで、参院選までの時間稼ぎを予定して、ギリギリまで我慢して、何も手が無いから、切り札を切ったまでのこと。
本当なら、思いがけない選挙圧勝時点で、「嘘でした」と辞めたかったのではないかと思うが、立場上それはできない。「嘘でした」と言って、平気な顔で続けるほどの腹もない。それで、始めからこの結論を「腹案」にしていたということだろう。

確かに、始めから辞めるようなことはできないが、後々になって「勉強不足でした」の方がよほど酷いのだが、「嘘をついた」と白状するよりは良い、という「感覚」なのだろう。
現地に遅ればせで行き、「非難されることを承知でやって来ました」と言ったことも、「非を認めることができる」いい人と、自己弁護できると思っているのだろう。非を作った自分は忘れている。

謝れば許されるという「感覚」は、許してくれる「上位者」がいる場合に生まれる甘えであり、最上位者であるリーダーにはむかない。

ハトはカラスほど怖いやつではないが、意外に被害をまき散らす。
「小沢さんにも辞めてもらうように言った」と得意になっていたが、
案外、選挙だけしか考えていない、小沢カラスからの「花道」提案だったのかも知れない。
ヤブ睨みのミミズクにはそう見える。

ホー