魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

導く人

2010年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

No.925

菅総理は昭和21年生まれ。団塊世代は22年から。一見同じように見える戦後生まれで、たった一年違いだが、大きな違いがある。

団塊世代は、古い世代を尊重しない。
新しいことに飛びつき、勝手気ままに自己主張する。上に対しても自己主張するが、下に対しても言いたいことを言う。
しかし、秩序意識がないから、下を従わせる気もない。団塊が好き勝手に言うと、下の世代は、従わせようの圧力だと思うが、団塊は「文句があるなら自分も言えばいいじゃないか」と思っている。
ところが、実際には職場の上下関係があったりしたので、反論できず、「団塊は自分のことを棚に上げて勝手なことを言う連中」となってしまった。

一方、団塊の上の世代。父親が戦争に行っていたので、これを「母子家庭世代」または「最後の秩序世代」と呼べばいいだろうか。
昭和10年代生まれだが、その最後尾が昭和21年だ。
団塊世代は、基本的に「長子世代」だが、昭和21年までは基本的に「弟妹世代」だ。
もちろん個々には、例外はあるが、世代気質としてはそうなる。

団塊とくらべ、昭和21年は目上を尊重し、目下の扱いも上手い。
反戦運動や学園紛争も、団塊がやったような印象が強いが、実は、リーダーは、この世代だ。
ロックの口火を切ったのもこの世代であり、団塊は、その「新しいもの」に飛びつき、自分たちのものとして、熱中したに過ぎない。

「最後の秩序世代」から生まれた異端を、団塊世代が承認したとも言える。60年代の若者の反抗が、始めは比較的まとまっていたにもかかわらず、三派四分五裂して行ったのは、団塊の長子世代が、各々、自論を展開したからだ。ロックもまたしかり。

新提案に、躊躇なく飛びつき、各々、自己流に開花させる団塊は、企業にとって、何でも買ってくれる都合の良い消費者でもあった。

長子タイプの団塊は、認め合うことに価値を感じるから、主張はするが、人を指導することを好まない。リーダーシップがない。
これに対し、「最後の秩序世代」は上に従い、下を指導し、率いるものだと思っている。

そういう意味で、菅総理はリーダーの世代の人であり、同時に、団塊以後の世代にも理解を持てる、希少な生まれ年となる。
九星も九紫で、人を教え導く星だ。
クリントン、ブッシュも同い年で、ヒラリーは22年。

自動車人間では、菅総理はエンジンs
体裁の良い言葉より、「実行あるのみ」と考える人だから、形式や言い方にこだわって、モタモタするのが嫌いだ。一方で、先のことを聞かれると、「やってみなければ解らない」的な、答えをする。

エンジンと言えば、森総理も麻生総理もエンジンで、言葉尻がマスコミの標的になり、バカ総理のように仕立てられてしまったが、ボディーの鳩山総理と違い、やることはやっていた。

菅総理にも言葉の不安がつきまとうが、自分の失敗で苦労してきているから、そう簡単にはへたらないだろうが、何しろ土星の時だ。
一方、古い頭の人は、選挙管理内閣だと思っているが、デジャブ思考では、大きく時代に取り残されることになるだろう。大転換の時だ。