魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

舟歌

2009年12月13日 | 新鎖国論

太平洋でもクロマグロ保護措置が決まった。全面禁止になる前の対抗予防策として日本が提案したらしい。

魚は好きで、マグロも好きだが、明日から無くなっても何も困らない。
味にこだわりもなければ、贅沢にも縁がない。

四方海に囲まれた日本。これとこだわらなければ、魚は何なりととれる。
また、逆に、日本人は今ほど魚が食べられていたわけでもない。
沿海で捕れる魚しかなかったわけだから、鯛の「尾頭付き」と言えば大変なご馳走だったし、農村では川魚が中心で、ドジョウなども喜んで食べていた。

沿岸漁業が発達してからも、山間部では干物しか食べられず、今のように、当たり前に生魚を食べるようになったのは、保存技術が発達した戦後のことだ。

テクノロジーというものは、何でもそうだが、
出来ることと、して良いこと」は違う。
イチゴを冬食べても嬉しくない。

産革パラダイムは、地球のあらゆる資源を片っ端から変質させ、地球環境を変えて来たわけだが、漁業も例外ではない。

漁法、保存、輸送手段の発達で、金にまかせて世界中から奪い合う。
成金の中国人が魚の味を覚えたのだから、今までのように日本人の食べたいものを世界中から集めることは出来なくなる。

例え漁獲制限をしても、欲望原理の産革パラダイムは、破滅するまで止まらないだろう。
捕鯨禁止だろうが、マグロ漁規制だろうが、
アンバランスな欲望と人間の偽善(これも欲望だ)によって、どんな制御をしようと、結局は転がるところに転がって行くのだろう。

人間がいる限り生態系は破綻する。これがおそらく、人類の使命なのだろう。
後は、人間の意志と関係のない自然の自己回復を待つしかない。

もし、これを止めようと思えば、産革パラダイムの転換しかなく、
反グローバル化の地産地消、グローカル、新鎖国主義しかない。

♪さかなはあぶったイカでいい・・・