魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

東洋の現実感(2)

2009年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

文化を取り入れることと、文化に順応することは全く違う。
文化に順応するには柔軟性が必要だ。
現代の中国は遊牧文化の影響も大きく、略奪性も秘めている。

騎士道のヨーロッパがモンゴルに負けたのは、重装備で固めた融通の利かない武器と戦い方に対し、軽装備で素早く柔軟な展開をするネットワーク軍団に、ついて行けなかったからだ。

前回で欧米人と言ったのは、もちろん時代的には欧州人のことで、牧畜民ではあるが、農業を主体とする定住民だから、遊牧民の柔軟性とは次元が違う。

だいたい、欧米や日本のように、戦いに騎士道とか武士道という「型」を持ち出すことは既に観念的だ。
遊牧民的な戦いは、負かした相手は逆らった家畜と同じだから、八つ裂きにしてしまわなければ示しがつかない。戦争は殺し合い以上でも以下でもなく、「武士の情け」など始めから概念に無い。

日本の軍隊も、戦渦の中で残虐なこともしただろうが、秘宝館のような日本軍の残虐ジオラマを作るのは、彼ら自身の潜在的な残虐意識の投影だろう。

遊牧と農耕が生み出した、パクリ中国には精神も型もない、ひたすら現実的で現金な実利のために、自我や自省(名や体)より、メンツや義理という「関係」によって生じる自分の「立場」の方にこだわるようになった。立場関係は利害に直結するからだ。
「商」は自分一人では成り立たない。

神や仏と生きる
日本が欧米化しやすかったのは、中国文化圏にありながら、閉鎖的な島国で、取引相手も侵略者もいなかったので、箱入り娘の人の良さが身に付いたからだ。世間知らずは明るく内省的であり、キリスト教的な罪の意識は暗く内省的だ。
キリスト教的に言えば、日本人は楽園のアダムとイブであり、西欧人は失楽園後のアダムとイブで、ヘビの中で暮らしたことがなかった。

神と自分との世界で暮らしている者にとって、異文化は従う相手ではなく、取り入れるものでしかない。
神と自分との世界とは、自分の世界のことだから、技術や知識は自分が咀嚼して取り入れる。
リンゴに合わせて自分の口を大きくするのではなく、口に入る大きさに刻んで食べる。それが、欧米と日本に通じる、オリジナルへのこだわりだ。

日本人が英風名を名乗らないのは、プライドや自我ではなく、そうして取り入っても、上手に実利を挙げる自信もなければ方法も知らないからであって、便宜的に名乗る必要を感じないからだ。

一方で、近頃、欧風な呼び名に漢字を当てはめることが流行っているのは、「文化を取り入れる」ことで、教会の結婚式同様、実利的な目的のためではない。

ややこしい話だが、掘り下げればもっとややこしい。文化は複雑だ。