魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

8888

2009年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム

「8888」ナンバーの車を見かけた。
ナンバーを選べるようになってから、買った年の西暦をナンバーにしている人が多いようだが、「777」とか「1」などもある。
自分のラッキーナンバーとか、いろいろ思い入れがあるのだろう。

「8888」は、おそらく、「八」の末広がりで縁起が良いから選んだのではないかと思うが、せっかくだが、あまり意味のないことだと思う。

「八」が末広がりというのは、どう考えてもおかしい。
「八」はどう見ても末細りだ。にもかかわらず、8を無理に吉にこじつけるのは、本当は、日本古来の「8」好み、神聖数からだろう。

八百万、大八島・・・など、8は和語の無限大を表す数だから、漢字が伝わって八の字を見た時、上下逆にもかかわらず、広がっていること、あるいは開いていることに着目して、目出度い「末広がり」となったのではあるまいか。

原始的な文化では、数えられる数の上限があるそうで、
「1,2,3・・・あとはイッパイ」と、表現したそうだ。
太古の日本人の最大値は、8だったのかも知れない。

数字に対する思い入れは、音が同じだからと、「4=死」や「9=苦」を嫌う人もいるが、「44」は「良し」とも読める。
「8888」の人が、音や見た目でこだわったのだとすれば、お疲れ様と言うしかない。
「8888」を見ると申し訳ないが「パッパラパー」と読んでしまう。

でも、「8」を「∞」と見れば、確かに古語の八の無限大に通じるから、やっぱり目出度いのかも知れない。
しかし、これを「メビウスの輪」と見れば、「出口無し」とも見て取れる。

なお、占いの場合、それが本当かどうかは別として、
数字の意味は、見た目や響きから決められたものではなく、天文の数理や、数の持つ性質から定義されている・・・ようだ。

P.S.思い出したのだが、中国では「8=八」は「パー=発」と同じ発音の縁起の良い数だったがそれと関係があるのだろうか???