魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

アリアリ

2009年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

中国副主席の天皇会見問題。それぞれの立場の人々が言うことは、それぞれにもっともだ。このことで、中国が得をしたのか日本が得をしたのか、考えれば考えるほど、何とも言えなくなる。

基地問題にせよ、予算問題にせよ、何がなんだかサッパリわからん。
今われわれは、時代の渦中にあって揉まれている。だから、是非が見えない。
しかし、目を細めて、少し遠目に見れば、これこそが時代の転換の姿だと解る。それも、ホンのささやかな混乱に過ぎない。
まだ、動乱と言うほどのものではない。

時代の変わり目は、過去のルールと、新しいルールが並立し、どちらも正しく見える。軸足をどこに置くかで正しさは異なる。
過去のルールは解りやすいが、消えつつある。
新しいルールは理解できないが、徐々に従わざるを得なくなる。

こんな時代は、常識という言葉が意味を持たない。
「非常識だ、常識を疑う」と言う人の論理は、とりあえず無視して考えなければ、何も見えなくなる。

近年、「これもアリかな」という言葉が流行っている。
本当は、隠れた流行語大賞の一つだと思う。
全く概念になかった、非常識なものを受け入れざるを得ない時の、諦めと納得の言葉だ。それだけ新事態に遭遇することが多くなった。

古い帽子を脱がなければ、新しい概念は入ってこない。
「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする・・・」

維新は災害と同じだ。失ったものを嘆くのか可能性を探すのか、
終戦直後の日本人は不思議に明るかった。