転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



前回の結果が不本意で、リベンジを果たさんと、
きょうは再度、果敢にもTOEICに挑んできたのだが、
どうもこうも、返り討ちにあっただけというか、
前回よりデキは悪かったのではないかと(汗)。

しかし私の場合、この、試験を受けるという行為そのものが、
何にも勝る勉強になる、ということを実感した。
だって、我が家の居間でやっていたら、120分間もぶっ続けで、
一切の邪魔が入らない状態で英語だけに専心するなど、
全く望めないことだからだ。

日常、家では用事が入ったり家族が出入りしたりして、
細かな中断が際限なくあるし、
また私自身、一時間も勉強したら、すぐダルくなって来て、
とてもじゃないが、リスニングからリーディングまで続けて、
200問を解答するなどという忍耐力が、普段は続かないと思う。
その点、「試験」という特殊な空間は、
そうした雑音も甘えも一切を、否応なしに遮断してくれるので、
今の私にとって、得難い時間なのだ。

ときに、TOEICのアンケートには今回も苦笑させて貰った。
『職業・経歴について。最も近いものをマークして下さい』
→「無職
『日常生活の上で英語を使用する割合はどのくらいですか?』
→「なし
『英語運用能力が低いことが、意思疎通をはかる際の
障害になる頻度はどのくらいですか?』
→「ほとんどない」、

・・・無職で英語なんて全然使わない生活をしているのだから、
英語で意思疎通をはかる必要も皆無で、
結果、英語が通じなくて困るという状況自体、起こり得ないのだ。
別に英語が流暢で何の不自由もない、のではなく。

それで、なんでTOEICを受けに来ているのかという・・・(汗)。
一応、「自己啓発」にチェックを入れときましたけど。



<付:10月5日>結果: L445 R450 Total 895

満足ではないが、現時点では、こんなものかもしれない。

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娘はきょうから中高生向けの絵画教室に通うことになった。
とりあえず、美大・芸大受験科ではなく、
趣味の範囲で絵がうまくなりたいという中高生を、
週一回、指導して頂けるコースにした。
本当に絵が好きで、自分の進路として真剣に考えるなら、
高校以降に受験科に移ればいい、
と申し込みときの受付で助言されたので、
あとは本人次第ということだろう。

当面は、A中の文化祭に美術部展示として出品する絵を
この絵画教室のほうでも指導して頂きたいというのが娘の希望だ。
最初は、水彩でも油彩でも色鉛筆でも、なんでも、
本人の描きたい道具や材料を持参すれば良い、
ということだったので、娘はきょう、
デッサンしたいと思ったブツとスケッチブックを持って行った。

娘が、今、描こうとしているのは、
ぶたの蚊やり

なぜ。

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社会保険事務所から、手続き書類が郵送されて来た。

『代理の方がお越しになるときは、本人が署名捺印した「依頼状」と
代理の方自身を証明するもの(免許証等)をご用意下さい』
と書類の末尾のほうに注意書きがあったのだが、
「依頼状」なるものは同封されておらず、
書式についての説明もそれ以上全く書かれていなかった。

それで私はまた電話した。
適当にこっちの常識の範囲内で「依頼状」を作成して行ったら、
きっとこういう役所は、
「依頼状、コレじゃダメなんですよ~」
と手続きを拒否し、平気でヒトに無駄足を踏ませるからだ。

果たして、電話をしたら、書面では説明されていなかったことが
よくわかった。
社会保険事務所の言う「依頼状」とは、便箋などの手近な紙に、
・「○○○○(姑の名)の年金請求手続き依頼状」
・主人の住所氏名生年月日、自筆署名捺印
・私の住所氏名生年月日
という項目が書かれていないといけないのだそうだ。

穴埋め式の書式を社会保険庁で作るか、
せめて手続き案内の書面に「依頼状」としての必要項目を明記する、
くらいのことは、して頂けないものだろうかと思った。
よもや、当日、窓口には電話のときと違う人が出てきて、
「依頼状、死亡者の生年月日が入ってないからダメなんですよ~」
などと言い出すのではあるまいな、と私は今から疑心暗鬼だ。
そしてそういうときって、私が加筆しようとしても、必ず、
「代理人さんじゃなくて、ご本人様の直筆じゃないと」
と来るんだぞ?

そもそも、手続き書類の標題が、
『未支給【年金・保険給付】請求書
となっているのも、私には決して愉快ではない。
私たちは、この手続きにより、何ひとつ請求しない。
我が家がしようとしている手続きは、
姑の死亡後に振り込まれた年金を返還しようというものだから、
請求どころか、こちらからお金を支払おうと申し出ているのだ。

もう、いちいち手間暇かかって、こんなややこしいんやったら、
わざわざ返金しようなんてのは、やめて、
このままもろときますわ~、と言いたい心境だ。

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区役所関係は、社会保険事務所みたいに変ではなかった。
四年前の舅のときと異なる点は、
保険の種類が「国民健康保険」でなく、
「後期高齢者医療保険」になったことくらいだった。

佐伯区役所 健康長寿課
各種保険証の返却と火葬代の返却申請
(持参するもの)
・後期高齢者医療被保険者証
・介護保険被保険者証
・介護保険負担限度額認定証
・火葬許可証
・喪主(我が家の場合は主人)の印鑑
・喪主名義の預金通帳
・手続きに来るのが喪主本人でなくとも委任状等は不要
・年金が国民年金だけであった場合は、ここで同時に手続き可。

同上 保健福祉課
身体障害者手帳・重度障害者医療費受給者証の返却
(持参するもの)
・上記手帳と受給者証
・手続きに来る人(私)の印鑑
・委任状等は不要


・・・つついたらややこしくなるので敢えて訊かなかったのだが、
私の遙かな記憶では、重度障害者医療の手続きは、
そもそもの最初、受給者証交付申請のときは、
県庁まで出かけたような気がする(汗)。
いや、違うか?あれは特定疾患医療給付のほうか。
だとすると、特定医療費受給者証みたいなのは、どこ行った?
今手元にないものは、もう何がどこに入っているか、
全然わからないのだが??

それと、舅のときは、なんだか姑の所得証明書を貰いに、
佐伯区役所の課税課に出入りした記憶があるのだが、
あれって、なんのためだったっけ(爆)。
あれは確か委任状が要る話だったような気がする。

上記二点は、要確認だ(大汗)。

(後日記:「所得証明は、お舅さんの遺族年金移行の手続き書類だろう」
と、先日、某氏から教えて貰った。そうだった!ありがとうございました!)


ゆうちょ
今回は、佐伯区の舅宅界隈でなく、今の我々の自宅近所の
元・某郵便局で手続きをすることにした。
ゆうちょに限らず、金融機関は支店ごとに全然言うことが違うので
(そんなことはない・手続きは同じですと、どの支店でも仰るだろうが、
経験上、行く先々で違う書類を要求されることがわかっているので)、
私はもう、手続きに行く窓口は一本化することに決めたのだ。
同じ支店・同じ窓口の、できれば同じ人に、
最初から最後まで担当して頂くのが、最も問題がない。

行ったら、最初に『貯金照会書 兼 回答書』を出すようにと言われた。
姑名義の預貯金が全部で何種類・何円あったかを
まず貯金事務センターに問い合わせて、調べるというわけだ。
某銀行などこんなものはオンラインで一発でわかるのに、
ゆうちょ銀行は民営化されても全然進歩していないようだった。

必要書類は、
・貯金照会書 兼 回答書
・主人から私への、委任状
・姑の名前が消されている住民票(「除票を含む」)
・主人の戸籍謄本
・私の身分証明書

これらを提出して、二週間で、貯金センターから回答が郵便局に来て、
郵便局から電話があったら、私がそれを確認に行く、ということらしい。
実際に通帳名義の書き換えなどには、また別の手続きがあり、
今度は、姑の除籍謄本など、また新たに書類が必要になる。

ともあれ、例のごとく「(直系である)ご主人様直筆で」と来た。
勿論、ゆうちょ銀行指定の書式による「委任状」も同様だ。
主人が書かない限り、この手続きは開始できない(--#)。

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和央ようかが女優再開!TVドラマで初主演(スポニチ)
『元宝塚歌劇団宙組トップスターの和央ようか(41)がテレビドラマに初出演で主演する。番組は、TBSが今冬放送するスペシャルドラマ「中央流沙」。原作は松本清張氏のサスペンスで、汚職疑惑の中で夫が不審な死をとげる主婦役を演じる。』『今年1月、宝塚時代の転落事故で患った腰痛の悪化で主演舞台「SUPER MONKEY」を降板。約3カ月間静養し、体調を戻した。女優としての再スタートに、岡本プロデューサーも「相当な力が入っている」と話す。放送前には、PRのため同局のバラエティーやトーク番組にも出演予定。もちろん初体験となるが、和央も「ぜひやりたい」と前向きだ。共演はかたせ梨乃(52)、西岡徳馬(62)、高嶋政宏(43)ら。』

たかこ(和央ようか)さんが、『主婦』とは。
退団すると、実にいろんなことがあるもんだ(汗)。

かつて男役さんだった女優さんのことは、
私はどうも、外部で観てもなお「女優」というのに抵抗があって、
芝居の本筋とは関係ないところでドキドキさせられるのだが、
さて今回は、どういうドラマになるのだろうか。

なんだかやっぱり違和感に耐え難い思いになりそうな気がする(逃)。

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姑の年金証書が見当たらなくて、クローゼットの中まで探していたら、
まぁ、出るわ出るわ、バッグの底から、過去の遺物が。

大昔の、ヒースロー→成田の搭乗券(ユナイテッド航空)、
主人の、「ボディケア5分延長サービス券」(去年。期限切れ)、
婚約のとき主人が私にくれたルビーの指輪(寺尾聰ではない)、
松江赤十字病院の診察券(カードリーダーが死にそうな斑模様)、
そして、娘の、ヘソの緒(爆)。

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ついに、やる気に、なった。
「続・果てしない物語」。

とは言え、いきなり出向いたら百発百中、無駄足になる。
きょうはとにかく関係各所に電話をした。
どういう手続きが必要か、何を準備すれば良いか、
当日は何を持参すれば良いか。

あちこち訊ねた中で、いちばん意味のわからないのが
やっぱり社会保険事務所だった。
姑が亡くなったことで、年金の振り込みが停止されるわけだが、
それについては、次のようなものが、手続きに必要だとのことだった。

・姑の年金手帳・年金証書
・主人の戸籍抄本(母子関係の証明のため)
・主人の住民票
・姑の住民票(「○日死亡」がわかる「除票」を含むもの)
・主人名義の通帳
・みとめ印
・手続きに来るのが私(嫁)ならば、主人からの委任状

主人名義の通帳、というのが、まず激しく疑問だった。
姑の死亡以降に姑の口座に振り込まれた年金を返却するために
我々は手続きをしようとしているのだから、
主人名義の口座など最初から全く関係がない。
先方だってそれを前提に話をしているというのに、
「必要ないんですが、ご主人の通帳、持ってきて下さい」と言う。
なんだそれ。

更に。
舅のときには無かったものが今回は登場した。
『主人と姑の書類上の住所が別であったので、
 親子であり別居関係にあったことを、第三者が証明した書類』。
書式は社会保険庁の定めるもので、我が家に近日中に送付されて来るのだが、
この『第三者』とは、相続関係だけでなく、血縁関係も一切ない、
ハッキリ言えば「近所の人」「友人」などでなければダメなのだという。

実家と私の関係なら、姓が違うのだから、
別居では血縁関係が疑われるのもまだわかるが、
姑と主人の親子関係は各種書類から明白で、
そのうえ主人が数年前まで姑と同居だったことさえ証明できるのに、
なぜ、ここで第三者が?

舅宅は、かつて新興住宅地だった場所だが、
今や、近所はかなり顔ぶれが変わっており、
御近所もデイサービスに通う年代の方々だし、普段の付き合いも少ない。
だいたい、姑本人がもうここ7年以上、病気で外に出られず、
舅が亡くなったのだって4年前なのだ。
町内会長さんにお願いに行けば、証明を書いて下さるかもしれないが
(ちなみに町内会長さんもご高齢で、奥様の介護をなさっている)、
多分、署名や捺印をして頂くような内容だろうし、申し訳ない気がする。

私の実家関係も、舅のイトコ関係も、
姑本人から見れば本来他人なのに、全部「血縁」と見なされ不可、
ほかに、我が家の事情を本当によく知っていて下さったのは、
ケアマネさんや、ヘルパーさん、それに特養の方々なのだが、
「施設関係は、書いてくれないことが多いですよ~」
と社会保険事務所のヒトは言った。

「もし、『第三者』が見つからないときは、どうなりますか?」
と試しに訊ねてみたらば、そういうときは死亡届だけの手続きになり、
姑生存中の6月分の年金まで返納対象になるのだという。
理由は、6月分の年金の振り込みが7月で、
7月には姑は生存していなかったことが死亡届から明らかになるので、
・・・という話なのだが、わかったような、わからないような。

四年前にも、随分と社会保険事務所のせいで迷走させられ
数ある役所の中でも一番多くの枚数の書類を要求され、
シヌほど名前と住所を繰り返し書かされ、
戸籍謄本も死亡診断書もあるのに、「除票を含む」の住民票がないから
死亡届けになっていないとハネられ、
・・・私は本当に、社会保険事務所にだけは、良い思い出がない。
民主党はこういうところを改善してくれるんですよね!???

舅宅界隈で、どなたか『第三者』になって書いて下さる方がないか、
考えてみるしかないが、このご時世、何かの『保証人』みたいで、
印象が悪いのではないかと心配だ。
つくづく意味のわからない手続きだと思った。

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・転夫ころもん
10日ほど前、ワインを飲み過ぎた翌日に胃が痛くなり、
その胃痛は半日でなおって、以来、痛まないというのだが、
本人によると「まだ、もひとつ、調子よぅない」とのことだ。
例によって毎食ご飯おかわりして大食するし、
見た目にはどこが悪いのかわからないのだが、
本人によると、ゲップが出るし胃の働きが悪い気がするそうだ。
そういえば、最近、ビールをほとんど飲んでいない様子だ。
医者には行かないというのだが、だったらアイスとかジュースとか、
冷たいモノを飲食するのを、控えたらどうなのだろうか(--#)。

・転娘みーちゃん
夏休み明けテストが、どつぼだった。
そもそもA中に入ってこのかた、どの科目であれ、
まず平均点以上を取ることが、本人には至難のワザであるワケだが、
さらに最近は、平均点からの乖離が恐ろしいほどの科目が複数あり、
最悪、学校から「高校部に行かせません」と言われたら、どぼじよう、
と、私はどんどん不安になってきた。
今更、このテイタラクで入れる高校なんか、無いぞ(泣)。
私の日常のストレスの9割は、家族や自分の健康問題だが、
残りの1割を占めているのは、絶対に「娘の学業成績」だ。

・転妻よしこ(本人)
姑がいなくなって以来、私は張り合いがなくなった。
大きな心配ごとが、今は無くなったのだから、
少し落ち着いたことは間違いないのだが、なんだか虚しいのだ。
「では、再び、虚しくないようにしてあげましょう!」
と天の神様に言われたら、本当に本当に困るので、
今みたいな具合に、虚しいのがヨイのではありますが・・・。
ともあれ、これから文化祭行事で忙殺されるに決まっているので、
自分勝手に虚しさに浸っていられるのは、今のうちだろうとは思う。
つまり、「虚しい=自由時間がある」ということなので。

・(オマケ)実家の母
選挙で自民党が大敗して以来、保守派の母は怒り狂っている。
人生最後に見た選挙が民主党の圧勝だなんて我慢ならず、
自民党のナサケ無さにも憤懣やるかたない思いだそうだ。
私がまたぞろ不破哲三の本なんか読んだのを知ったら憤死するかな
(その昔、母は、私がロシア語をやっていただけで
「縁談にさしつかえる!」と怒った
ヒトだから)。
まあ、とりあえず、その執念で命を繋いどいて下さい、
と私は密かに願っている(逃)。じき参院選があることだし。

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第二外国語講座はいずれも半年が1クールなので、
スペイン語とフランス語は今月が前期の最終月だ。
スペイン語はスタート随時だから、今月から開始することも可能で、
そういう意味では私だって依然として脱落はしていないのだが、
もともとの基礎力がなさ過ぎる段階から始めたものだから、
スペイン語力の底上げにはなっていない。
楽しい話題でスペインの日常生活に関する雑学的知識が増えたことや、
ちょっとお洒落な言い回しなどをいくつか覚えることが出来たのは
収穫だったと思っているが、そろそろガチガチの文法をしたくなった。

フランス語は、凄い勢いで初級文法を網羅して半年が終わろうとしている。
永遠の初級者である私には、しんどいがタメになる講座だった。
今朝の、deの使い方各種も、物凄く復習になった。
勉強になった、という意味では最近でも出色の講座だったと思う。

一方、英語は4月当初、聴けるときだけ聴ければ、と、
かなり安楽な気持ちで始めたのだが、
先週、「ラジオ英会話」を再放送も含めて全部聴いて、
ニブい私でも、同じ放送を三度聴けば、随分と英語が自由になる、
ということを発見した。

三度とは、午後3時45分からの本放送と、同日夜9時45分からの再放送、
それに日曜日夕方に一週間分をまとめて75分間やる再々放送、のことだ。
さらに毎週金曜は復習の回で、ここでも一週間分のスキットを聴くので、
これを数えるなら、同じ素材を一週間の間に四回ずつ学習したことになり、
さすがにここまでやると、最後には定着度が今までと全然違った。
語学上達の秘訣は「クドいほど・ウンザリ来るほどの繰り返し」にある、
と以前から体験的に知ってはいたのだが、久々に体感できた。

しかし毎週これだけ丁寧にやるのは、現実にはなかなか難しいし、
日がな一日、家にいてラジオだけを聴いているわけには行かないから、
今回のようなことを継続するのは、今の私には無理だろう。
これから運良く長生きし、ご隠居さんになることができたとして、
ラジオを聴く忍耐力がまだ残っていたならば、
そのときこそ、私の英語は、今より上達するだろうと思った。

************

英会話、ミス気にせずに=正確さ優先から転換-高校の新指導要領で
(時事通信)などど、文科省は言っているようなのだが・・・。
『ミス気にせずに』と言えば表現としては綺麗だが、
要するに『この際デタラメ英語で構わないのでとにかく口に出して』
ということではないのだろうか。
英語を学び始めた中学生ならともかく、高校という高等教育の場で、
そこまで要求水準を下げて大丈夫なのだろうか。
しかも日本人教師が教えるのか?

度胸試しだけが目的だというのなら、それでも良いが、
最低限、英会話として格好になった英語を覚えたいのなら、
英語のネイティブの講師について貰って、生徒の言った英語を、
「そういうときは、このように言う」
と、その場でスパっと通じる英語に直して貰う必要があると思う。
英語として、発想の段階から根本的におかしい英語を
口に出すだけで「英語喋った」と生徒は満足し、
それを指導するのも英会話にコンプレックスのある日本人、
となっては、かえって困ることになるのではないだろうか。

(『パパはなんでも知っている』と言おうとして、
『Papa knows everything』と言ったら、アメリカ人が即座に、
『Papa knows best』と直してくれて、目が覚めた、
みたいなエピソードを書いていらしたのは、松本道弘氏だったか?)

日本でだけ暮らしていると、英語的なロジックに触れる機会が少ないし、
単なる「慣れ」で解決できない問題がたくさんあるので、
間違った英語をやみくもに口に出し、出しっぱなしにすることに、
さほど学習としての意義があるとは、私は感じないのだが・・・。

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『マルクスは生きている』 (平凡社新書 461)不破哲三 (著)
・・・の話を書こうと思ったのだが、休みの日は家族が出入りして、
パソコンもしょっちゅう取られるので、まとまった時間が無かった。
読後感などは、また機会があれば、そのうちに。

何にせよ、私は不破哲三の怜悧さに、相変わらず強く惹かれた。
こういう、わかりやすい文章というのは、
高度に発達した複眼的な思考力がないと書けないものだと思った。

この本を手にしたことで、ちょっといろいろと連想するところがあり、
その内容はとても自己中心的なものなので、説明不可能なのだが、
その連想の決着として私は今夜、
『青春の墓標』(奥浩平)のことを、四半世紀ぶりに思い出した。
この人は1960年代の、学生運動活動家で、現在45歳の私といえど、
同じ時代感覚を共有することはできないほど、昔の人なのだが、
この人の残した日記体の文章が実に興味深いものだったのだ。

こちらは、他に対して明晰に何かを語るというのではなく、
自分の日々の思いや随想的な事柄を、自由に綴っている面が強く、
その、裸になったような文章が、若かった私には強烈だった。
今あれを読んだらどんな気分になるだろうかと、今夜ふと思った。

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