転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午後に長野着。
川中島古戦場を見学。

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「川中島」頼山陽

鞭聲粛々夜過河
 べんせいしゅくしゅく よるかわをわたり
暁見千兵擁大牙
 あかつきにみる せんぺいのたいがをようするを
遺恨十年磨一剣
 いこんなり じゅうねんいっけんをみがき
流星光底逸長蛇
 りゅうせいこうてい ちょうだをいっすとは


川中島の戦いは幾度もあったので、
この詩の前半(奇襲のため、夜、静かに馬で川を渡った話)と、
後半(長蛇を逸し残念の極みであったと述べた話)は、
実は、それぞれ別の戦いのエピソードである、
……という話を聞いたことがあるのだが、
私の記憶は、正しいだろうか?

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清志郎のステージ衣装が何着も展示されているコーナーがあったのだが
こんなに細い小柄な人だったんだと
目の当たりにして改めて驚き、胸が詰まった。
ライブの清志郎は数え切れないほど観たし、
運良く至近距離だったことも何度かあったのに
ステージでの清志郎はいつも大きくて鮮烈だった。
凄いパワーの燃焼だったのだと今更ながら知った。

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パルコ東館のタワレコで忌野清志郎トリビュートを見て
パルコ西館のギャラリーで清志郎の個展を見て。

本当にもう清志郎は居ないんだろうか。
こんなにいっぱい、強烈に、
いつもの清志郎を感じることが出来るのに。


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お天気の良い休日で、名古屋城は大変な人混みだった。
勘三郎の平成中村座も大盛況だ(残念ながら私は観ないが)。

金鯱のことを英語でゴールデン・ドルフィンというのだと
場内の案内板を見て今更知った。
イルカとシャチの区別は無かったのか…。
そういえば英語ではアザラシとオットセイの区別も無かったな。

このあと熱田神宮に参拝して、私は昼食後自由行動の予定。
もちろん、パルコギャラリーで開催中の清志郎の個展を見に行く。

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きょうから、ツアコンころもん企画による名古屋~長野旅行。
夕方広島を発って、夜8時に名古屋に到着した。
夕食は、きしめん。

昔から私は旅の友には英字新聞を買うのだが
(国内旅行だというのに)
大抵は見出しを眺めただけで終わり
翌朝にはただの新聞紙になり果てる。
ちなみに今夜読んだのは
《捨て犬マリちゃんを飼ってくれる人いませんか》
の広告の文章のみ(殴)。
それだけで脳が疲れたので
明日に備えてもう寝ようという気分になった。

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マエストロ・ポゴレリチは10月2日、ギリシアのテサロニケで
現地オーケストラとの共演でラフマニノフの2番を弾くというのだが、
それを報道する新聞記事に、なかなか面白い表現があった
(教えて下さった某氏、ありがとうございました)。

機械翻訳が間違っていなければというのが前提だが、
冒頭、ポゴレリチを神話になぞらえて
『the Dionysus of the Piano』(ピアノ界のディオニソス)
と言っているのだ。
アメリカでは「カルト」、台湾では「激越88鍵」、日本では「崩壊寸前」、
等々、ポゴレリチを表現する枕詞はこれまでも各種あったが、
何より先に神話が出て来るとは、さすがはギリシア、ご当地ネタだ。

ディオニソスは、豊穣と葡萄酒と演劇の神だ。
神話では、狂気におかされ各地を放浪し、正気を取り戻したあと
人々の支持を集め、熱狂的な信者たちを従える神となるが、
彼の心を常に捉えていたものは、冥界の母。
死んだ母親を取り戻して神性を分かち合い、
ともに天へ上ることで、彼はようやく救われるという・・・

81年の西側デビュー当時、その目覚ましい演奏・華やかな容姿から、
若きポゴレリチのことを、確かアメリカのどこかの新聞が、
「鍵盤上のアポロン」と書いていたのを私は覚えているのだが、
あれから三十年近く経って、なんと彼はディオニソスになった。
アポロンとディオニソスをひとつの「対照」と考えたのは、
ニーチェだったっけ?

ディオニソスは人々に葡萄の栽培を教えた神でもあるが、
一説によると、彼の葡萄酒に酔って踊る崇拝者の集団が、
いつも彼の後ろには長々と続いていたそうだ。
ローマ神話上の名は「バッカスの巫女」と聞こえが良いのだが、
つまりこの崇拝者は女性ばかりで、
彼女らは「ディオニソスの狂信女たち」とも呼ばれており、
ハイになりクレイジーになった、傍迷惑な女たちの群れなのだった。

私も、彼の背後で、もうカルく四半世紀は踊り続けているのだな。
いやもうホントに、どなた様にも、ご迷惑だとはわかっているんですが。

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A中で、中3保護者対象の講演会があったので、出かけた。
こういう行事を気楽に黙殺したり、うっかり忘れたりする、
という選択肢は、残念ながら、PTA役員には無い。
我々の仕事は、朝9時から打ち合わせ、会場設営、受付をし、
最前列で講演を聞き、グループ討議の司会をすることだった(汗)。

今回のテーマは『思春期の性と生』。
A中高の実態と必ずしも一致はしないが、一般論としては、
「男女交際」(死語みたいな雰囲気の言葉だ)が
子供達の実際の関心事になり現実の体験になって来る割合は、
中3から高校に上がるくらいの時期が顕著に高くて、
その割合も実態も、私たちが中高生だった80年代とは、
かなり違っている、・・・ハッキリ言えば、驚くほど進んでいる、
と思うべきだ、というお話が、学校の養護教諭の先生からあった。

今は各種メディアを通じての情報が氾濫し、
子供達は早くから、それらにさらされ、昔とは意識が違ううえに、
以前は無かった、携帯電話・メールというツールを持っているので、
『行くところまで行ってしまう』のが、とてもお手軽なことになった。

私の愛する『新明解国語辞典』(昭和47年版)は、『性交』を
成熟した男女が時を置いて合体する本能的な行為
だと説明しているのだが、そう考えるならば、どうも、最近は、
新明解には認めて貰えない合体ばかりが、多数存在するようだ。
『未熟なお子様が時を移さず合体する気軽な行為』
のことは、何であると定義すれば良いのかしらん。

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と、それはともかく。
現実の娘らは、何をやっているかというと、
彼女らの異性への関心の大半は、目下、二次元世界にある。
きょうのグループ討議のときも、
あるお母さんが、散らかっている部屋を片付けようとして
娘さんの漫画を手に取ったら、ギョっとするほど過激で、
思わず読みふけってしまい、娘さんの本棚を開けて続きを探した(爆)、
というハナシがあった。

また、同人誌方面に行く子たちは、様々な作品をネタにした、
二次制作を、自分ですることにも読むことにも熱心で、
その世界が、やはり往々にして過激である、という指摘もあった。
私はこっち方面は全く驚かない。
私自身も経験済みだし、今、まさに目の前でも進行中だからだ。
何しろケロン人を使ってさえ、ナンボでも描けるものなのだ。
と私が言ったら、間髪入れず、
「設定さえあれば、ばいきんまんでもヤれると娘は言っています!」
と当意即妙なコメントで応えて下さった方があり、
御名前を伺ったら、娘の仲良しグループの子のお母様だった(爆爆)。

異性との交際に、あまりにも早くから目覚めて、
親に言えない経験ばかりしている娘になられては困るが、
かと言って、腐の道をまっしぐらに進んで、
あっちゅー間に別世界に行ったきりになられても困るよな、
とつくづく思ったことだった。

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午後、昨日の友人が東京に帰る前に、もう一度、
幟町教会の聖堂を見て写真を撮りたいと言ったので、
私も、友人を見送りがてら、一緒に見学しようと思って出かけた。

そうしたら、教会でご奉仕をなさっていた信者の方が、
聖堂内を案内しましょうかと声をかけて下さったので、
御言葉に甘えて見せて頂くことになった。
私は四年前にも一度、内部に入らせて貰ったことがあったが、
友人は勿論初めてだった。

大聖堂、小聖堂、地下聖堂などのほか、
パイプオルガンの演奏席や、洗礼室など、
設計に様々な工夫が凝らされていることを、
改めて説明を受けながら見学させて頂くことが出来た。
平和の鐘は、日常はタイマーがセットされていて、
定時に機械で鳴らされているが、
結婚式やミサのときは手動だそうだ。

鐘には、カトリックの聖油が塗られているということだった。
この油は、病気の人の額につけて、痛みが和らぐようにと
祈るときに使うものなのだそうだが、
この鐘に塗られていることにより、鐘の音が届くとき、
その聖油もまた市内の隅々に届けられ、
痛みに悩む人を癒やし、その力となるようにとの、
祈りが込められているとのことだった。

私が初めてこの聖堂に来たのは高校生のときだったが、
あれから月日が流れて、今、毎朝毎夕、
この鐘の音が聞こえる場所で暮らすようになったとは、
実に不思議な縁だと思った。
そして、信者の方が私たちを見つけて声をかけて下さり、
ご奉仕中にも関わらず親身に案内して下さったのには
本当に頭が下がった。
こちらは信者どころか、完全に行きずりの者に過ぎなかったのに、
実に温かく、丁寧な、心のこもった説明をして下さり、
貴重な時間を私たちのために使って下さった。
心よりお礼を申し上げます。

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東京から来た友人に誘われて、
村野藤吾研究会のシンポジウムを聴きに、
午後からカトリック幟町教会に出かけた。

世界平和記念聖堂のそこかしこに、
村野藤吾の思いが託されていたことを学ばせて貰うと同時に、
この聖堂や平和の鐘が市民の間でよく知られ、
多くの人から、綺麗な教会だと、ごく自然に愛されている現状は、
本当に素晴らしいと改めて感じた。

建築物というのは、傑出した才能との出会いと
幾多の人々の尽力があって完成するわけだが、
一旦、建築が実現したあかつきには、
今度は補修と維持が大きな課題となるのだということも
今回の講演でよくわかった。
そうした努力が無ければ、建築物の寿命は案外と短いものなのだ。
ひとつの建物が、長年変わらずに同じ場所にあるというのは、
実は奇跡のように見事なことなのだと思った。

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夕方から、その友人と、マツダ・スタジアムに行った。
広島カープ×中日ドラゴンズ。
カープは、先日来の巨人戦で勝てなかったことで、
もうクライマックス・シリーズに行く夢はほぼ途絶えた、
という気分だったが、それでも9月のこの時期になっても、
最後まで目の離せない展開で、今年のカープはエライと思った。

しかし、3点先制されたあと、3ランで3-3に追いついて、
一度は場内のカープファン全員、泣きそうなほど喜んだのに、
それから意味のない盗塁を繰り返し、挙げ句の永川劇場で逆転され
(永川投手の30セーブという記録は球団史上に残るものだと思うが、
逆転2ランだの3ランだのを、大事な一番に限って浴びるのだ)、
最後はどうも変な展開で終わってしまった試合だった。

今夜は『ピースナイター2009』というイベントのある日で
原爆ドームと同じ高さ25メートル付近の客席の人たちが、
予め緑のTシャツを着用してピースラインを描くようになっていて、
5回裏終了後には、平和をテーマにしたジョン・レノンの曲などが流れ、
我々皆で緑色のポスターを掲げて、スタンドを緑色一色にした。
私の頭の中は、清志郎の歌う日本語版『イマジン』が
流れていた(苦笑)。

帰宅したら、主人がカープのテイタラクに怒っていて、
「ほんな、イベントにウツツを抜かしよるから負けるんよ!」
とピースナイターにヤツ当たりをしていた。

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炎のデビル・ハンドを持つ暗黒大将軍(=私)の家には、
せっちゃんのほかに
、もうひとつ、鉢が同居している。
元来、植物全般に関心のない私には、こいつの名前がわからない。
だからとりあえず「HACHI(鉢)」と呼んでいる。
夏に、知人が、些細なことに対して「お礼」として下さったものだ。
その御親切や、温かいお気持ちには深く感謝しているのだが、
HACHIは、なんと。アオムシをたくさんペットにして飼っていた。

到着したその日に、ベランダに置いたら、
ぽろりと体長3センチ程度のアオムシが落下して、くるんと丸まり、
「なんだこれ」
と私は拾って、外の公園に捨てに行ったのだが、
ほどなく、HACHIには、同じ種類のアオムシが、
たくさんついていたことを知った。

そもそもは、毎朝、水をやるたびに、
緑の葉がどんどん虫食い状態になっていることで、
不審に思い、ある日、近視の眼鏡を外して(老眼なので)
とくと葉の間を覗いてみたら、まあ、おるわおるわ。
教育テレビで見たニャッキみたいなものが、
何匹も、うごうごと葉の下にくっついていたのだった。

最初に6~7匹、捕獲して、ビニール袋に入れて捨てに行き
(公園で元気に育つのだぞ。どんな蛾になりやがるか知らんが)、
以来、しばらくは葉に穴が空かなくなって満足していたのだが、
一昨日よく見たら、またあちこち、葉が欠けていた。
それで今度は老眼鏡をかけて、ためつすがめつ、
葉っぱの一枚一枚を観察して、また8匹ほど駆除した。

私は一応、殺生はしないことを原則に、生きたまま捕獲するのだが、
今回は一匹だけ、うっかりサツガイしてしまった
(ちなみに『デトロイト・メタル・シティ』第8巻 2009/9/29発売予定)。
難しいところにいるヤツを騙してこっちに呼ぼうと画策している最中に、
いきなり、隣の犬が、ベランダに出てきて柵ごしにわんわん吠えたので、
さしもの私もキョーガクのあまり手元が狂ったのだ。
「突然、んな大声出すな!イてもうたやないか!」
と犬に苦情を言ったら、むこうはむこうで、私を睨んで、
がるるるる・・・、とまだ言っていた
(動物は、みんな、暗黒大将軍が嫌いです)。

死んだアオムシには、なんまんだぶと唱えて、
亡骸をねんごろにゴミ袋に入れ、
さてこれでHACHIも健やかになったろうかと思っていたら、
今朝やっぱり、何枚もの葉が食べられていた。
これがまた、いつも思うことなのだが、
一枚一枚、きちんと食べ終わってから次に行くなら良いのに、
どれもこれも食べかけのまま、新しい葉に移っているものだから、
見苦しくて仕方がないのだった。
こんなところで「三角食べ」なんか、せんでよろしい。

私はそろそろ、アオムシではなく、HACHIそのものを捨てに行きたい、
という誘惑にかられているのだが、
それではせっかく下さったかたにあまりにも申し訳がない。
葉っぱが、日々、みすぼらしく欠けていくことと、
アオムシたちが、ちっこいフンを次々と量産しやがることとで、
私は不愉快でならないのだが、はてさて一体、どうすれば良いのだろう。
殺生をしたくない、という今のポリシーで行くならば、
もうすべてを諦めて、いっそ、このまま、
共存するというのが最善ではないまでも次善なのか?

ちなみに、うちのポインセっちゃんも、
いつも、ベランダでHACHIと並んで日光浴しているのだが、
アオちゃんズのうちの誰かが、あるとき一度だけ、
せっちゃんに取り憑いたことがあった。
だが、せっちゃんの葉っぱは、半枚、かじられただけで終わった。

食うに耐えない、マズさだったのだろう。

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