転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



モデムは全く回復しないのでテクニカル・サービスに電話したが
私が既に試したことを改めて指示された程度で全く進展せず、
これから数日かけて業者さんによる外部からの回線調査、
それでダメなら訪問修理だそうだ。
モデムのところで通信不能になっているので
私だけでなく主人のパソコンも当然ネットに接続できない。

ネットがないとニュースに触れる機会が激減し、
今朝、新型インフルエンザが関西で拡大していることを初めて知った。
まあ、とてもよく感染するからこそinfluenceなわけで
インフルエンザの一種なら当然の成り行きだろうと思うのだか、
それをテレビではまるで感染したら皆ばたばた死ぬかのような騒ぎ方だ。
ひとつわかったのは成田空港でマスクマスクと叫んでも
あまり効果がなかったということか。違うか(汗)。

こんな世の中では、罹った当人たちよりも、病院関係者のほうが
死にそうなのではないだろうか?対応の煩雑さのせいで。
感染するのは病気の性質上自然なことなのだから
数だけを追ってパニックになるのではなく
もし軽症患者が確認され続けているだけなのであれば
そろそろもっと現実的な対処を考えるべきなのではないだろうか。
《新型》ゆえに得体が知れないという恐怖感は私にも勿論あるが
事実上軽症患者に過ぎない人たちにばかり過剰対応していたのでは
そのせいで病院機能が麻痺してしまうと思う。
こういうとき交通事故や心筋梗塞など一刻を争う状態で
病院に運ばれる患者はいつも通りの手当てが受けられるのだろうか。
私は現時点ではむしろ病院現場の混乱と疲弊のほうがよほど心配だ。

毎年、季節性インフルエンザに関しては
予防接種の副作用やタミフルの危険性がどうのこうのばかり言って
季節性インフルエンザそのもので何千人死んでも見向きもしない人たちが
新型インフルエンザについては罹ったらオシマイみたいに
ヒステリックに騒いでいることに私は全く共感を覚えない。

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きょうの11時公演を観てきた。


(感想を書くつもりなのだが
昨夕からパソコンのモデムが具合悪く
今ネットに接続できないので
詳しいことは復旧してから…)

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昨年末から再開したピアノ、・・・と言っても、
毎日1時間弾くかどうかという程度なので、
全然たいした練習量ではないのだが、
それでも、これで半年近く続けてきたことになり、
指の状態も、多少はマシになって来たような気がしている。

ハノンとツェルニー30番をそれぞれ第一番からやり直し、
同時に、モーツァルトのソナタKV545をしつこくやっているのだが、
指が動くようになり、いくらかでも、したいことができるようになると、
モーツァルトだけは、達成感が得られるどころか、
かえって際限がなくなり、弾けなさ加減を痛感するばかりになった。

こんな、『ソナチネ』に載っている、小学生でも弾ける曲で、どうして、
と思われそうだが、このソナタの本質的な難しさは
大人になって再度弾いた人なら、きっとよくわかると思う。
プロの演奏家の多くが、このような曲を滅多にプログラムに入れないのは、
技術的に地味な初級者用のソナタだからではなく
とにかく「怖いから」ではないかと私は最近思うようになった。

かのポゴレリチだって、94年の来日のとき、当初の予定では、
クレメンティのソナチネふたつと、このモーツァルトのKV545を
プログラムの最初に載せていたのに、いざ演奏会の夜になったら、
「体調が悪いから」
と、これら初級曲を全部やめて、ほかの曲に入れ替えたのだ。
そのときの演奏会では、同じモーツァルトでも『幻想曲』や、
シューマンの『交響的練習曲』などを弾き、アンコールにも応えて、
ショパンの『スケルツォ』2番を弾いたのだから、彼にとっては、
名だたる技巧曲ならコンディション不良でもやりようがあるが、
KV545などの初級曲になると、よほどの条件が揃ったときしか弾けない、
ということだったのではないだろうか。

この仮説が正しいなら私がKV545を弾けないのは、当たり前なのだ。
私は、「体調不良のポゴレリチ」と比較させて頂くのも畏れ多い、
遙かに遠く及ばない、弾き手として赤ん坊にも等しい無力さなのだから。
指がまわれば、そのことで得意満面になって弾けるのは、
実年齢小学生くらいの学習者の特権だ。
彼らは、あらゆる面でシンプルなことしかまだ経験していないため、
どのように弾きたいかといっても、思いつくことに限りがあり、
その御陰で、この曲の深みにはまることも少ないのだと思う。

先生からは、
「これは追求するとキリがないので、ある程度で割り切って次に進む」
ことを提案された。そして、
「三楽章まで通したら、次はベートーヴェンのソナタをひとつやって、
そのあと、もう一度、モーツァルトに戻って来るといいと思う。
そのときには、今やっていることがもっとわかるようになる」
とも言われた。

次にやるベートーヴェンとして、先生からのご提案は、
ピアノ・ソナタ第5番ハ短調作品10-1。うゎお♪
私はゲルバーのCDでこの曲に心酔したことがあるので、
頭の中にある音の理想が高過ぎていけない面もあると思うが、
しかし、第5番は全くやったことがないので、とても嬉しい。

モーツァルトはかなり自分を抑制して弾かなければならなかったが、
その点、ベートーヴェンの5番なら、発散しても大丈夫そうだ。
「このあと、暑い夏に弾くには、イイですよ(^_^;」
と先生も仰っていた。そういえば、以前、清志郎も、
『できるとわかっていることをやってみても仕方がない。
できるかどうかわからないことに挑戦したい』
という意味のことを、自転車レースに関して言っていた。
ああ、だんだん醍醐味が出てきたもんだ。

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清志郎さんの遺作、6・17に発売決定(デイリースポーツ)
『2日にがん性リンパ管症のため、58歳で亡くなったロック歌手、忌野清志郎さんの遺作「Oh!Radio」が6月17日にシングルリリースされることが14日、分かった。清志郎さんが大阪のFM802の春季キャンペーン用に作詞作曲したもの。自身で歌ったデモテープが残っており、これをCD化する。』『2005年12月の「仕草」以来、13作目となるソロ名義でのシングルは、作詞作曲だけでなく、ギター、ベース、ドラム、ハープまでをも担当した渾身の作品。ファン葬で4万3000人が涙したロック界の“GOD”のラストソングだけに、大きな注目を呼びそうだ。』

清志郎が、FM802の春のキャンペーン・ソングを書く、
という話は、今年の春先、清志郎の療養中に既に聞いていて、
実際にラジオで流れるようになると、「とてもイイ!」という感想が
ネットにも出てきていたので、是非、私も聴きたいと思っていた。
ただ、放送になったのは、Radio Soul 20全員で歌いつぐもので
(阿部真央・新里英之・岸田繁・スガシカオ・仲宗根泉・
BONNIE PINK・山森大輔・和田唱)、
当初は、清志郎の歌うバージョンは公開されていなかった。
それが、このたび清志郎本人によるデモテープの音源から
CD化され、発売されることになったのだ。

Oh!Radio / Radio Soul 20(YouTube)

清志郎は、詞や曲が書けて、歌えるというだけでなく、
あらゆる楽器がひとりで出来る人でもあった。
自作の曲に限らず、2004年秋に出た『YOSUI TRIBUTE』でも、
『少年時代』を清志郎自ら編曲し全ての楽器を自分で演奏している
忌野清志郎/少年時代(井上陽水のカヴァー)(YouTube))。
今回の『Oh!Radio』はデモテープとして録音されたために、
はからずも清志郎による手作りそのものの制作になったのだが、
そのことがかえって、ファンにとっては、
清志郎の「遺作」としての価値を高めることになったような気がする。

私の記憶では、最初の療養生活から武道館復活までの間には、
確か、清志郎は全く新しい曲を書かなかったと言っていたと思う。
それが、再発治療のためにライブ活動を再度休止してからは、
間寛平ちゃんの応援ソング『RUN寛平RUN』『走れ何処までも』や、
この『Oh!Radio』などを作詞作曲し、こうして録音もしていたのだ。
その間の心境の変化があったかなかったか、詳しい事情は、
私程度のファンの立場では知りようもないことだが、
何であれ、亡くなる直前の時期まで清志郎の声が記録されていたことを、
私は、とても嬉しく、有り難いことだったと思っている。

こんな、『トランジスタ・ラジオ』への圧巻のオマージュのような、
しかも細部まで自作自演の音源が、最後に残ったのかと思うと、
清志郎が、出発にあたり、自分できちんと決着をつけて行った、
みたいな、そんな印象すら、ある。

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調律  


年に一度の、ピアノの調律の日だった。
この調律師さんには、私が小学生の頃からお世話になっていて、
実家のピアノもずっと見て頂いている。
もう三十年以上のお付き合いというわけで、
私は、初めて出会った頃の調律師さんの御年齢を
気がつけばとっくに超えてしまっていた。いやはや。

終わってお茶を飲みながらお話をしていて、
実家の、年代物のアプライトをいずれは我が家のほうに引き取らねば、
と私が言ったら、調律師さんが、
「でも、あれは、楽器はいいけど、黒だからねぇ・・・」
と、あまり賛成できないような口調で仰った。
それで伺ってみて初めてわかったのだが、
「家庭に置く縦型ピアノは木目に限る!とボクは思っている」
というのが、調律師さんの、一貫したご意見だった。
彼は、昔から、日本の、特にアプライトに関して、
常に黒が商品の主体になっていることに疑問を感じ、
黒と木目が、同じ値段で提供できるようになればいいのに、
と思い続けて来られたのだそうだ。

確かに、日本では多分、ピアノを持っている家庭のほとんどは、
黒いアプライトを最初に選び、購入しているのではないかと思う。
同じサイズ・機能なら、木目より黒のほうが安いし、
何より「黒が普通」という刷り込みが日本人の間にあるからだ。
だが、部屋の中に、黒光りする大きな物体がある、
というのは、実はかなり、違和感の元になる。
箪笥ほどの大きさがあるうえに、黒い質感がほかの家具とは違い過ぎ、
アプライト・ピアノがひとつあるだけで、とても邪魔というか、
インテリアの雰囲気を壊すことが多いと思う。
また、古びて塗装がハゲると、黒いピアノはみすぼらしくなりがちだ。

その点、家具や建具との調和は木目のほうが断然優れているし、
木目であれば、傷跡があっても、使い込んだ木製品ならではの味わいが出る。
ピアノなんて、多くの人にとっては一生に一度の買い物だろうから、
それならなおさら、判で押したように黒を選ぶべきではないのではないか、
と、私自身、大人になってからは、思うようになっていた。
それで、官舎暮らしで一番小さい型番にしか手が出せなくても、
私が自分の虎の子で買った今のピアノは、木目を選んだのだ。

ちなみに、グランドピアノに関しては、
私の趣味は、「黒・鏡面仕上げ」がデフォルト、という感じだ。
海外でも、演奏会で使用される規模のグランドは「黒」である筈だ。
ちなみに以前写真で見た、ポゴレリチの自宅ピアノも、確か黒だった。
グランドほどの大きさがあれば、これ自体が部屋の主役になるから、
あのどっしりと重厚な質感にも意味があると思う。

勿論グランドであっても、自宅の居間に置くなら「木目」、
という発想もアリだとは思っている。
先日もネットオークションで小型のグランドで木目のが出ていて、
それはいかにも家具に調和する、温かい雰囲気があり、
ころころっと十億円入ったら買うのになぁと見とれたものだった。

一方、私が昔から今に至るも、どうしても許せないのは、
白やピンクなど明るい色の塗装のグランドピアノだとか
アクリル樹脂でできたクリスタル・ピアノの類だ。
そんな軽薄なものは、いくらファッショナブルで高価か知らないが、
私には、楽器とは認め難い。
超高級な、置物か玩具のようにしか見えない。
昔70年代に流行った、ニューリカちゃん@タカラの、
「白い白い家具シリーズ」の感覚そのままではないかと思う。

そういえば、姫川亜弓@『ガラスの仮面』も
ご自宅に白いグランドピアノをお持ちだった。
パパの姫川監督からのプレゼントだとかいうことだった。
亜弓さん本人がリカちゃん人形みたいな人だし、仕方がないとは思うが、
どうせお金をかけるなら、塗装に凝るより、
アンティークのグロトリアンあたりで、
象牙・黒檀鍵盤とかにすれば良かったのに。
ころころっと入った人に限って、変なことに使ってしまうものだなぁ。
まぁ価値観の相違ってことで・・・

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私は日頃から、記念日趣味が全くなく、
入籍記念日すら失念して主人に怒られるような人間なので、
本来、「母の日」になど全く注意を払っていなかった。

だが、先月のある日のこと、生協のお兄さんが、
「母の日・父の日」のカタログを持ってきて、
どれか買うてくれんかと懇願なさったので、
生協さんには日頃お世話になっていることではあるし、
ここは一丁、滅多にしない親孝行の真似事でもさせて貰うかと、
実家の母にちょっと奮発して花束を贈ることにし、
ついでに、私自身にも安いヤツだがユリとカーネーションを買った。
私を「母の日」の、贈られるほうの対象だと見なす人間は、
どうも、居ないようなので、自分でやることにしたのだ。

自分が生け花の素養が全くない、
ということを考えなかったのは無謀だったと、
花が自宅に届いてから後悔したが、仕方なかった。
去年、オブジェになるような花瓶が欲しいと思って買った、
ベージュ色の花器に、無理矢理に生けた。
そうしたら、なぜか下のほうのユリばかり突然に満開になり、
いっそう奇妙なバランスになった。
家族しか見ないのだし、色が綺麗だから、ま、いっか。

っていうか、家族は、花があることすら
いっこうに気づいていないようなのだが(汗)。


姑は元気だったなら、きっと喜んで花を生けてくれただろう、
と思うのだが、今はもう寝たきりで、手もほとんど動かせないので、
そういう楽しみは持てなくなった。
花どころか、胃瘻になってからはプリンを差し入れすることも出来ず、
今年の母の日は、ただ顔を見に行っただけだった。
でも、姑は私を見て、にっこりと笑ってくれた。
不自由の多くなった姑が、今も変わらずにできる、
他者への働きかけが、この「笑いかけること」なのだ。

一方、実家の母は、メールをくれて「お花をありがとう」のあと、
「花瓶が見当たらず、あちこち探してやっと見つけました。
『日頃、生け花をしよらんから、そういうことになるんじゃ』
と、あの世でおばあさんが言っているでしょう」
と書いていた。
母は、自分が80歳過ぎてもなお、姑の言葉が聞こえているらしい。
生前、どんだけウルサかったんだろうか(逃)。

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5月3日以来、清志郎のことを考えない日はなく、
本当にもう今、この世界のどこにも清志郎は居ないのか、
清志郎の居ない日が、どんどん過ぎて行ってしまう、
等々と、同じところを堂々巡りしそうになっていたのだが、
12日にNHK『SONGS 忌野清志郎ライブ完全版』を観たとき、ふと、
清志郎が「いつまで言ってんだっ」と言ってそうな気がした。

ええ、もう。
アイタタなファンだと、笑って下さい~。

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アクセス解析を見ると、このところ、検索ワードはほぼ全部、
忌野清志郎関係で、最も数多く閲覧されているのが「徹子の部屋」、
他、葬儀関連記事、「どんちゃん画報」「ヒトハタウサギ」などだ。
皆、清志郎の訃報以来、なんらかの情報や記録を探し求め、
あるいは思いを共有できるサイトがないかとネットサーフィンして、
こんな辺境・拙日記まで来て下さるようになったのではないかと思う。
感謝にたえないし、改めて清志郎の大きさを感じている。

一方、単語は一定しないが、「和央ようか」「ワイルドホーン」
「スカーレット・ピンパーネル」「紫苑ゆうバウホール」など、
宝塚関係で訪れて下さっている方も毎日少しずつあり、
さらに、「林央子のパンチラ」などという、
今それを気にしているのはうちの主人とアナタくらいですよ、
と言いたい検索ワードもあったりする。

・・・主人本人が来てるのかな(爆)。

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「お母様。オミヤゲです」
と今日、主人が職場から持って帰ってきてくれたのは
地元紙・中国新聞の夕刊だった。
夕刊の存在する地域は都会、というのが私の昔からの認識で、
それはともかく、どうして私が主人の「お母様」なのだろう、
というのも今は関係ないから、それもまたともかくとして、
何が載っていたかというと、『愛してま~す 忌野清志郎』。
中国新聞にまでこんな記事が載るなんて。

訃報以来、私は改めて、忌野清志郎の大きさを知り、
彼の遺したものの影響力が、今になってわかったりもして、
ファンとしてそれはとても嬉しくはあったのだが、
しかし、何かこう、連日の報道を読んだり聞いたりしていると、
『それは、清志郎の立ち位置とは違うのでは』
と、ぼんやり感じることも、ときどきあるようになった。

彼が時代を築いた先駆的英雄だったという主旨の称賛、
42000人の参列した葬儀は美空ひばりと同記録だなどという報道、
国民栄誉賞を授与したら良いのではないかという意見、
そういうのは、私の捉えていた清志郎とは、どこか相容れないものだ。
特に、国家的な権威づけや「お墨付き」など、
清志郎には一番似合わないと、私は思っている。

長い間、私たちだけのものだった清志郎が、
訃報以来、突然、大勢の人によって好きなようにされてしまった、
みたいな、・・・勘違いファンの我が儘なんだろうけど
たまに違和感を覚えるワタクシなのだった(逃)。
勿論、私の見た清志郎がすべてでないことはわかっているので、
私の希望なんか全然、この際問題ではないわけですが。

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清志郎がいなくなってから、私なりに、
とりとめもなく、いろいろなことを思うのだが。

人間は、事故や自殺によらない限りは、誰でも、
いつかどこかの段階で病を得て、それが原因で亡くなる。
誰かが病気で死ぬとき、その周囲にいる大半の人は、
一応、健康だったりまだ病識がなかったりして、
「気の毒な人が亡くなって行く。私は大丈夫」
という位置関係にいる。
が、結局、早いか遅いかの違いで、皆、同じことになるのだ。
今、誰かを失って泣いていても、いずれ間違いなく自分の番が来る。

「自分だけは癌にならないと思っていた」
「どうして私がこんな病気に。何も悪いことしてないのに」
などと言う人が、世の中には時々あるようなのだが、
私は全然、自分についてはそのように思ったことがない。
子供の頃から「丈夫」とは言い難く、だのに節制はしていないので、
癌だけでなく様々な悪性疾患にかかる可能性が充分あると思うし、
悪いことはヤマほどして来たから、もし何かの罰で病むものであれば、
私など、どうやっても逃れられないと思う。

それで私が以前から思っているのは、もし、自分が突然死でなく、
悪性疾患になったり重篤な状態に陥ってなお時間があったとしたら、
あまり「告知」などはして欲しくない、ということだ。
ウソでもいいから明るい情報だけを聞かされていたほうが、
私のような自己中で脆弱な人間にとっては幸せのような気がする。
病期にもよるが、私の希望は、「何が何でも完治を目指す」ことより
「自覚症状の緩和」「心の平安」「QOLの維持」などのほうだ。
どちみち、なおるものは、なおるし、なおらないものは、なおらない、
と、私は、がんセンターや大学病院で行き交った人々を見ていて思ったし、
また、私は元来、病気に限らず何であっても、
「何もかも知る」という態度を、必ずしも良いことだと思っていないのだ。

尤も、今時なので、治療にしても症状コントロールにしても、
それを受けたいのなら全く病名を知らないままでというのは
きっと許されないだろうから、告知は現実には仕方がないだろう。
ウソをつき続かなければならないのは、つらい、
という医師のエッセイも読んだことがあるので、
主治医がつらくないように、私は耐えて病名を聞かなくてはならないだろう。

「知る権利」じゃなくて「知らない権利」のほうはないものだろうか。
別に積極的にウソで全部を塗り固めて欲しいとは言わないが、せめて、
「私が訊ねないことは言わないで欲しい」という依頼はできないものか。
最悪でも私は「悪いほうの予後」とか「余命」に関する説明を
聞かされることだけは断固拒否したい。
時間が限られているなら是非しておきたいこと、
……というのは、今の私の場合あまり思いつかない。
家族や友人以外で、最後に是非会っておきたい人など居ないし、
死ぬ前に行っておきたいところ、というのもない。
私はこれまで既に、実に思い通りに暮らして来た人間だと改めて思う。
強いて言えば、残された時間が長くないなら、
大嫌いな「料理」という行為を、本日をもってやめる、
というのを周囲に認めて貰って清々したい、という希望ならあるが(爆)、
しかしそんなのは割とどうでも良いことだ。
もともと、家より、いつでも医師や看護師のいる病院で死にたいし、
周囲の状況や自分の症状から、だんだん自分で悟るようになる、
というほうが、私には良いような気がする。そうして、もし私が、
自分は、もう、なおることは難しいのだな、と感じ、
その問いを発したら、そのとき初めて答えてくれればいい。

以前、ホスピス医の書いた文章を読んだときに、
「ホスピスに来て疼痛から解放されると、苦痛が消えたことにより、
患者さんは病気がなおっているのではないか、と考えることがある。
だがそれは錯覚だと教えてあげなくてはならない」
という箇所があって、私は同意できないものを感じた。
『良くなっている』と本人が思うのなら、それでいいではないかと。
医学的には癌なり何なりへの治療をしていないのだから、
医師から見ればもうすぐ死ぬ患者だとしか思えないのだろうが、
本人がそう感じないのなら、それを尊重したほうが良いのではないか。
病気の経過なんて医師にだって100%はわからないのだし、
本当になおるかもしれないという可能性も否定はできないと思う。
「準備があるので、余命についてはできるだけ厳格な予想を聞きたい」
という患者側の強い要望がある場合は別だろうけれど。

昔、うちにいた猫たちのことを思い出してみると、
彼ら・彼女らは、死ぬとき大抵、目を覆うばかりの状態になった。
だから私は、死ぬというのは、甘くも美しくもない、
むしろひどい、凄惨なことだと思っている。
一緒にして申し訳ないが(爆)舅にしたって、
亡くなるときは、それまでのじーちゃんとは別の人になった。
祖父も祖母も病死だったが、決して簡単ではなかった。
ゆえに、私は自分の死に様に関しても、幻想は持っていない。

しかしまた、うちの猫たちが、
自分が死ぬなんて全く考えずに死んでいったことを思うと、
その点はとても羨ましい。
動物には病識がないから、体がつらい間は寝ていて、
飼い主が来たら嬉しいから顔を上げて、
いい匂いがしたら、よろよろと起き上がってみたりして、
最後まで、絶望などとは無縁だった。
猫たちの行動を見ていると、少なくとも私の目にはそのように映った。
どれほど苦痛が激しくても、あのように死ねたらどんなにいいだろう。

尤も、これらは全部「現時点での私は」という前提での話だ。
『余命まで含めて詳細な説明を聞いた上で、自分で治療法を選択し、
納得のいく闘病をするのが最善である』という考え方に反対はしないし、
自分だって、そういう考え方に変わる可能性はあると思っている。
人間は猫じゃないのだから、知識の限りを尽くして自分の病について知り、
最後は死ぬと自覚して死ぬべきである、と考える人はそれでいいと思う。
最終的に、本人が、これが一番良かったと思えることが大切なのだ。
また、死は凄惨だとさきほどは書いたけれども、
「美しい」「甘い」「簡単な」死に様というのも、
単に私が知らないだけで、世の中にはあるのかもしれないとも思う。


ときに、占い師の友人が言っていたが、
「死期を占う」ことは、占い師としてタブーなのだそうだ。
特に、自分で自分の死ぬ日を、占ってはならないと、
師匠から厳しく言われているということだった。
それで私は思ったのだが、
「自分がいつ死ぬかを知る」
というのは、人間にはもともと許されないことなのだ。
自分がいつ死ぬか、知らないからこそ今日を生きられるのだし、
自分の終末の日を明らかに知った上での人生が、
もしあるとしたら、それはもう「人生」とは言わないのだ。
生き物というのは本来、決して、自分の余命や死に様を
生きているうちに知ってはならないものなのだと私は思っている。

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