私は日頃から、記念日趣味が全くなく、
入籍記念日すら失念して主人に怒られるような人間なので、
本来、「母の日」になど全く注意を払っていなかった。
だが、先月のある日のこと、生協のお兄さんが、
「母の日・父の日」のカタログを持ってきて、
どれか買うてくれんかと懇願なさったので、
生協さんには日頃お世話になっていることではあるし、
ここは一丁、滅多にしない親孝行の真似事でもさせて貰うかと、
実家の母にちょっと奮発して花束を贈ることにし、
ついでに、私自身にも安いヤツだがユリとカーネーションを買った。
私を「母の日」の、贈られるほうの対象だと見なす人間は、
どうも、居ないようなので、自分でやることにしたのだ。
自分が生け花の素養が全くない、
ということを考えなかったのは無謀だったと、
花が自宅に届いてから後悔したが、仕方なかった。
去年、オブジェになるような花瓶が欲しいと思って買った、
ベージュ色の花器に、無理矢理に生けた。
そうしたら、なぜか下のほうのユリばかり突然に満開になり、
いっそう奇妙なバランスになった。
家族しか見ないのだし、色が綺麗だから、ま、いっか。
っていうか、家族は、花があることすら
いっこうに気づいていないようなのだが(汗)。
姑は元気だったなら、きっと喜んで花を生けてくれただろう、
と思うのだが、今はもう寝たきりで、手もほとんど動かせないので、
そういう楽しみは持てなくなった。
花どころか、胃瘻になってからはプリンを差し入れすることも出来ず、
今年の母の日は、ただ顔を見に行っただけだった。
でも、姑は私を見て、にっこりと笑ってくれた。
不自由の多くなった姑が、今も変わらずにできる、
他者への働きかけが、この「笑いかけること」なのだ。
一方、実家の母は、メールをくれて「お花をありがとう」のあと、
「花瓶が見当たらず、あちこち探してやっと見つけました。
『日頃、生け花をしよらんから、そういうことになるんじゃ』
と、あの世でおばあさんが言っているでしょう」
と書いていた。
母は、自分が80歳過ぎてもなお、姑の言葉が聞こえているらしい。
生前、どんだけウルサかったんだろうか(逃)。
Trackback ( 0 )
|