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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

集中できる環境を整える

2009-02-10 | 万年筆
有り難くも原稿の依頼を受け、大まかな構想を期日ぎりぎりにメールで送り、本文を書く段階になって、断片的に書きたいことは浮かびますが、なかなかまとまらないという思いをしました。
原因は集中できていないことだと分かっていますので、何とか集中できる環境を作りたいと思いました。
夜、一人の時間はありますが、頭の活動が冴えていません。
朝、何にも邪魔されずに文章を書く時間を持ちたいと思いました。
一番集中できる場所はどこかと考え、思い付いたのはデュオ神戸の中のカフェ。陶芸家の浅野庄司さんと何度も打ち合わせをした場所でした。
人の出入りも多く、少し賑やかですが、必ず席が空いていて、知り合いに合う確率が低いと思いました。
あるイラストレーターさんが、文章などを書くときは知り合いのいない、馴染みのない喫茶店などで書くと言っていましたが、その気持ちはすごく分かります。
喧騒の中でも、他人しか周りにいなければ一人になることができます。
それまで断片的に書いたものをまとめながら、ひとつのまとまった文章にしていく。
仕事は思った以上にはかどり、今までかけた時間は何だったのかと思いました。
本当に集中することができましたが、ここまでしないと集中することができない自分に少しがっかりしましたが、何となくコツをつかみました。
まだ何度かしなければいけません。

週末には文房具が欲しくなる

2009-01-29 | 万年筆
仕事が好きな人や道具にこだわる人はそうだと思いますが、週末、特に日曜日の夕方、翌日からの仕事をより楽しく、円滑にするために文房具を揃えたくなる人が多いと思います。
このメモ帳を使うともっと仕事がはかどるとか、このノートだとインスピレーションが刺激されるとか、それぞれだと思いますが、文房具屋さんや文房具コーナーをウロウロして、何か使えそうなものを物色することが私もあって、それはとても楽しいと思っています。
それとまた違うパターンで、本を読みながら書き込みを入れるための細字のペンが欲しいというように用途が決まっていて、その道具を使うアイデアを早く試したい場合。
その物を手に入れるまでは居ても立って居られなくなります。
他にその用途に代わるものがあるにも関わらず、それが欲しいと思って忙しいのにそれだけを買いに街に出たりしてしまいます。
それは万年筆に対する欲求と同じで、手帳用に使うことができる細字の万年筆が欲しいと思うと、居ても立っても居られなくなります。
用途を決めて新しい万年筆を購入しようとするなどと言うと、理性的な感じがしますが、実は用途を無理やりこじつけているだけで、ボディがきれいだからと万年筆を買う人と、あまり変わらないかもしれません。

日日是好日(にちにちこれこうじつ)森下典子著(新潮文庫)

2009-01-18 | 万年筆
お茶のお稽古に行き出して季節が一巡りと少ししました。
相変わらずお手前は上手くなりませんが、お茶のお手前の全てがお客様をおもてなしするためという目的達成に徹底的に向かっていると言えます。
型通りのお手前も何かイレギュラーが起こって何か咄嗟の判断が必要な時でも、その判断の基準はどの方法がお客様のためになるか、ということだと解釈していて、お茶のお稽古は販売を仕事とするものにとっての他にはない心の有り方の勉強になると思っていました。
しかし、この本をお客様のMさんに薦められて読んで、それだけではないということを知りました。
道具、掛け軸、お花など全てにおいて季節感を出すように努力するのは、忘れかけている自然の営みを心と体で感じて楽しむことですし、指輪や時計など身に着けているアクセサリーを全て外さなければならないのはお道具に傷を付けないためではありますが、お茶室には外界の虚栄心や気忙しさなどを持ち込まず、日常から自分自身を解放することなのだということも思いました。
それは茶道の精神的なルーツになっている禅の思想が関係しているのかもしれません。
日常生活や集団行動の中では人はどうしても競ったり、比べてしまったりしてしまいますが、上下、優劣はなく、それらは単なる違いであり、自分らしく堂々としていればいいというのがお茶だということを知りました。
そのような悟りの境地に達するのに作者も20数年かかったそうですが、私もあと20年はかかるようですが、幸運にもお茶を習う機会を得たお稽古にさらに身が入りそうな気がします。
お茶をしていない方でも、この本に書かれている考え方を日々の生活に取り入れることによって、より張合いのある時間を過ごすことができると思いました。

あの頃の自分はどうしているのか

2009-01-17 | 万年筆
大黒摩季のある曲を聴くと懐かしく思い出す風景があります。
小さな軽自動車の後部座席のチャイルドシートに息子を座らせ、家族3人でどこかへ出かける時に必ず通る、朝霧の団地から朝霧病院へ下る坂道。
暖かい桜が満開の季節の風景です。
その頃行きたい所もなく、車で行ける近所のサティやイトーヨーカドー、イズミヤに毎週出かけて行き、ブラブラして帰ってきました。
わりと若いうちに結婚した私は、早くに子供を授かり、毎日家に帰って家族と過ごすことだけが生き甲斐で、特に仕事に熱意を持っていたわけでもなく、それを憂鬱に思うことはあっても、深く考えることもなく、自分が将来どんな仕事をしたいかなどというイメージや夢は持っていませんでした。
もし私が何も気付かず、あの頃のままだったら、今頃どうしているだろうと思いますし、幸せに暮らしているだろうかと思います。
今の私は生き方も、考え方も何もかも変わってこうしていますが、あの頃のことが懐かしくないわけでもなく、でも戻りたいわけでもなく思い出します。

延長営業で最後まで残って下さったお客様4人と話していて、思い出しました。

厄除け

2009-01-14 | 万年筆
交通量が非常に多い、171号線を反れると急に道幅が狭くなり、閑静な住宅街の中を通ることになります。
細い道を走っていると、ちょうど講義の終わった時間なのか、たくさんの女子大生が駅の方向に向かって歩いていました。
下校時間になった小学生たちも大勢歩いていて、静かな住宅街は一番賑やかな時間を迎えていることが分かりました。
そんな住宅街の中に、門戸厄神はありました。
かなりたくさんの車を収容できそうな駐車場(といっても30台から40台)はほぼ満車で、たくさんの人たちが訪れていると思いました。
車を停めて、住宅地の中の細い参道を歩いていきました。
厄除け祭が近いためか仮設テントの屋台までありました。
参道の両脇の家では甘酒や饅頭を売っていました。
行き交う人も適度で、平日のこの場所にしては人通りは多いほうなのかもしれないと思いました。
参道の坂道を上がっていくと丘の中腹に門戸厄神がありました。
子じんまりとしたお寺でしたが、何となく居心地の良い感じの場所で、気持ちが落ち着きました。
今回門戸厄神を訪れたのは、本厄に突入してしまったので、厄除けに来たのでした。
中学生の時、父の厄除けで家族で来たのを思い出しました。
今関西で最も話題のショッピングセンター西宮ガーデンズの帰りに来ましたが、この門戸厄神の雰囲気とそこから見える家々がたくさん建っている西宮の街を見た方が心が晴れたような気がしました。
小さなお寺や神社、その周辺の街にある侘びた風情がとても好きです。

友の退職

2008-12-18 | 万年筆
7,8年の付き合いになる友人が、万年筆の業界を12月19日で去ることになりました。
イタリア人の彼が現れた時、正直扱いに困りましたが、すぐに慣れて、売場のディスプレイや商品の発注などについてかなり煩く言われた時に口論に近い会話をしたのを今でもよく覚えています。
それから付き合いが長くなるにつれて、理解し合えるようになり、彼の考え方、意見を聞くようになりました。
私たち日本人よりも日本人らしく、繊細な心遣いができる人で、彼から勉強させてもらったことはたくさんありました。
彼は日本の万年筆の業界のことを真剣に心配していて、後継者不足を嘆いていましたし、商品が売れている東京よりも、地方の万年筆専門店へのサポートに力を入れていました。
ほとんどの万年筆ブランドの営業マンが東京の有力文具店にのみ力を入れて、その時の売上げ確保に努めているのに対し、かれの営業活動はその成果が表れるのに時間がかかるかもしれませんが、彼が扱っているブランドの浸透と、業界全体の活性化にとても意義のあるやり方だったと理解していました。
万年筆の知識も豊富で、よく分からないことがあれば彼の携帯電話に電話して教えてもらったりしました。
私が店を開店させたばかりの頃、遠目で見ているメーカーの方々が多かったようですが、彼はプライベートの時間を使って、相談に乗ってくれたり、サポートしてくれたりして、今の当店の活気も彼に依るところが大きいと思っています。
私以上に不器用で、純粋な人間だった彼は上司の人よりも、現場の販売員との交流を大切にしていて、とても慕われていましたので、全国の売場に親しい友人がいて、業界の横のつながりにも貢献してきたように思います。
同い年で、もっと日本の万年筆を良くしていくという想いで、それぞれに信じてきたことを貫いてきた同士が一人、業界を去ることになり、とても寂しい、やり切れない思いを抱いています。

気分転換

2008-10-16 | 万年筆
日々の生活に不満やストレスがあるわけではありませんが、自分の中にある田舎への憧れを抑えることができず、暇を見つけては郊外へドライブに出掛けます。
特に理由もなく、その時の気分次第ですが、今日の目的地は北条と決めていました。
第2神明、加古川バイパスで加古川まで行き、そこから加古川の堤防を走ります。
堤防の上のガードレールのない道は、それほど道幅も広くないのでスピードを出すとスリルがありますが、加古川の大きな河川敷と川沿いの住宅地の雰囲気がとても好きです。
淀川沿いの街高槻で育ったので、加古川東岸の風景はとても懐かしい気分になります。
池尻橋を渡り、県道79号線を北上します。
途中権現ダムなどがあり、ドライブや遊びに来ている人や車を目にしますが、しばらく走ると車は非常に少なくなります。
点在している民家と畑、遠くに見える低い山々の播磨の田園風景を見ることができます。
ここに住む人たちはどんな仕事で生計を立て、休日はどんなふうに過ごしているのかなどと考えながら、車を流すのが好きで、これだけが楽しみで車に乗っていますので、洗う時間がなく車はいつもどろどろです。
小野市粟生から加西市北条町まで走る1両だけの北条鉄道の線路をまたぎ、左に曲がってしばらく走ると街が開け、北条の町に出ます。
町自体は非常に小さく、端から端まで車ですぐに行くことができますが、北条町駅の周辺に市街地が広がっています。
駅近くにはとても大きなイオンが建設中で、前の道はとてもきれいに、道幅も広く整備されていて、新しい北条のイメージ作りに努力されています。
このショッピングセンターが町の中心になり、集客の目玉になっていくのでしょうが、これで地元が活性化していくのかどうか分かりません。
イオンの近くに最近閉店してしまったジャスコがあり、それはあまり古い建物には見えませんでしたがゴーストタウンのようになっていました。
すぐに分かりませんでしたが、旧街道があり、古い商店が軒を連ねていましたが、ほとんどの店のシャッターが閉まっていました。
旧市街と呼んでいるようですが、この地域の復興も目論んでいるようで、10月18日からのイベントの告知がされていました。
生野銀山、和田山、日本海に抜ける街道の宿場町として栄えた北条でしたが、旧市街にはその雰囲気しか名残はありませんでした。
建設中の大規模なショッピングセンターと整備された道、ショッピングセンター新設により移転を余儀なくされた大規模なスーパーマーケット、そのスーパーマーケットの出店で閉店を余儀なくされた旧市街の商店。
北条にはすでに3段階目の商業形態の変化による波が押し寄せていました。
勝手に北条の町を憂いて、暗い気分で車を走らせ始めましたが、帰りはまた違う田舎道を走り、景色を楽しみながら帰ってきました。

恵まれている人とそうでない人と

2008-10-09 | 万年筆
朝から西宮市の夙川、苦楽園辺りの小奇麗な街を散歩して、ドライブしました。
商店のシャッターが軒並み閉まっていることはなく、こだわりの強い感じの店ばかりありました。
裕福そうな大きな家が多く、街並みは美しく、すれ違う人たちはそれぞれのライフスタイルを楽しんでいるようでしたし、外車もたくさん走っています。
阪神間は山の手と平地では、かなり雰囲気が違っています。
私のような庶民の家に生まれた者には縁のない世界で、憧れを抱くほど身の程知らずでもありません。
反対の立場にいる人間のひがみから、富の集中という言葉が頭の中でグルグルと回っていました。
1年で1万社以上の会社が倒産していることに危機感を感じ、残業代をカットされても長時間働かないといけない人がいることなどとは無縁な生活を送る人もいるということを感じながら、帰ってきました。

夕方からは妻と息子に誘われて、テレビドラマガリレオの映画版、「容疑者Xの献身」を見に行きました。
かっこいい福山雅治が活躍するミーハーな映画だと、少し馬鹿にして観始めましたが、少し違っていました。
若い女の子のお客さんもたくさんいて、ガリレオのかっこよさを観に来た人には少し辛かったのではないかと思いました。
大学時代に天才と言われた高校の数学教師は、単調で不本意な生活の中で、隣に引っ越してきた感じの良い母子に暖かい気持ちを抱きます。
好きな数学の研究に没頭し、その頭脳に磨きを掛けながらも、それを発揮する場のない天才の閉塞感は始めから終わりまでスクリーンに重くのしかかり、この映画の雰囲気を支配します。
同じく天才と言われた主人公の湯川は大学に残り、地位も名誉も手に入れていて、片や底辺高校の数学教師として不遇にも埋もれている。
地図を開き、映画の舞台になった場所を見ると、そんな男の孤独がより一層強く感じられました。
映画を観た後で、あまりに重苦しい気持ちになりました。
それは内容が悪かったのではなく、ストーリーが重く、ゲスト的な堤真一の存在感があまりにも強かったからだと思います。
そして何よりも、単調で不本意な生活を送り、その能力と仕事が報われない人が大部分だという現実を思わずにはいられなかったからだと思います。

神戸の夜

2008-10-05 | 万年筆
時計ライターの名畑さんが大阪の取材の帰り神戸を訪れましたので、松本さんと3人で集まることになりました。
ちょうど定休日だったので、集合場所のル・ボナーさんに夕方から向かうことができました。
三宮や元町と違い、六甲アイランドの中心アイランドセンター駅周辺は街灯が少なく、真っ暗で、その暗さは何となく懐かしい感じがしましたが、夜になるとこんなに寂しくなる街で松本さんとハミさんは16年間も店を営んでこられたと思うと、それは本当にすごいことだと思いました。
六甲アイランドは神戸の中でも便利な場所ではありませんが、ル・ボナーさんにはそんな立地の悪さを超えて人が集まる様々な力があると思います。
私がお店に入った時、名畑さんはまだ来られていませんでしたので、しばらく3人で話をしていました。
こういう時の私たちの共通の話題は、ル・ボナーさんとPen and message.両方を訪れてくれる強者と言えるお客様方の話です。
最近は、それぞれのお客様方のすごいペンの話で盛り上がることが多いですが、私たちはそのすごい人たちに興味を持っていて、皆さんの人柄に惹かれています。
私たちが同業者ならここまで両方の店を行き来して下さるお客様はいないと思います。
鞄とペンという近くて違うものを、でも同じお客様をターゲットにしているところが、ル・ボナーさんと当店とのおもしろい関係です。
しばらく話していると、名畑さんが来られました。
15年以上続けてきた生活のままでしたら、私はこの人と知り合うことはなかっただろうと思います。
もちろん松本さんと知り合えたことで、そのお友達の名畑さんと知り合うことができたのですが、今までの人生にこういう人はいませんでした。
自分の店にずっといて、その狭い空間の中でお客様から商品を買っていただく私たちの活動(松本さんのそれは私と比べると遥かに広いですが)に対して、名畑さんは世界中を旅して、そこで見聞きしたことを本の記事にしていますので、いろんなことを経験されています。
名畑さんとお会いして話を聞くと、すごい話を何気なくされますので、あまりの住む世界の違いに圧倒されますが、その話術の巧みさもあって、そのお話は聞いていて本当におもしろいお話ばかりです。
夕食はいくつかの候補がありました。
洋食、おでん、中華、和食など、候補となる店を松本さんが選んでいて、名畑さんの希望で洋食になりました。
トアロードのコーチの店の南、ラミはカウンター席のみの洋食店ですが、3,000円でコースが食べられる格安の店で、何度か来たことのあるお気に入りの店です。
コの字型のカウンターの中央にいる皿洗いも兼ねた女性がお客様の応対をして、奥の狭い厨房で二人のシェフが料理をしています。
ラミは高架の南側で、この辺りは夜になるととても静かになりますが、高架の北側のバランザックの方へ行くと街は大騒ぎの様相を呈し、急に賑やかになります。
バランザックに私たちが行った時、他にお客様がいませんでした。
いつもは店の雰囲気に合わしてジャズをかけていますが、たまたま70年代のロックの話になり、4人とも好きだということで、マスターの太田さんがロックをかけてくれました。
私がどんな音楽よりも最も好きだと言える、オールマンブラザーズバンドがバランザックで聞くことができる思いませんでした。
デュアンオールマンの自由気儘なボトルネックギターが切り込んでくるようでした。長い間忘れていたサザンロックという言葉を思い出し、とても懐かしく聞きました。
フリー、ジャクソン・ブラウン、ジム・クローチなど70年代の名曲を聴き、その時のテクニックはそれほどでもないけれど、自分たちらしさを持った、魅力的でかっこいいミュージシャンたちについて話しました。
私はリアルタイムで聞いていたわけではありませんが、作り物の塊だった当時全盛のコンピューターミュージックを直感的に毛嫌いしていましたので、古いロックばかり聴いていました。
当時はこんなふうに年上の友達がいませんでしたので、自分の好きな音楽について語り合える機会がありませんでした。
それが20年以上経って訪れて、それぞれの思い出のつまった、懐かしい曲を聴きながら神戸の夜は更けていきました。

仕事の一部

2008-09-23 | 万年筆
店をオープンさせてしばらくたった時、ル・ボナーの松本さんたちとKOKUBUへ行き、こんな世界があったことに驚きました。
今まで仕事仲間と食事に行くときは居酒屋以外考えられませんでしたし、バランザックのようなバーに行くこともあり得ませんでした。
もちろん私は無理せずして、KOKUBUへ行っているわけではなく、相当な勇気が必要ですが、こういう所に日常的に来ている人もいるということさえも知りませんでした。昨年は松本さんのおごりでしたが、今年はこの1年間お客様方が当店で使ってくださった本当にありがたいお金でKOKUBUに来ました。
お客様方のお金で来たからには、それをご報告しなければいけませんし、そう考えると私や松本さんがおいしいものを食べて、それをブログに書いて読んでいただくことはもしかしたら、それは仕事の一部なのかもしれません。
KOKUBUのカウターに座ったのは9ヶ月ぶりですが、マスターもお母さんも店も変わっていなくて、時間の経過を忘れてしまいそうでした。
前回来た時は古山さんが同席した他のお客様に自分の万年筆を書かせていたのがとても可笑しかったのを思い出します。
前回の経験から、500gは余裕で食べることができてしまうと思っていたので、差し入れにいただいたとても美味しい豆大福を谷本さんと食べてから出かけることにしました。
完全な空腹状態よりも、お腹に何か入っている方が心に余裕を持って肉のケーキと言われた極上肉を味わうことができると思いましたし、私以上に食べそうな谷本さんへの親切心でもありました。
全員何の迷いもなく200gを注文し、野菜の焼き物(それも大変美味しいですが)で焦らされながら、目の前の鉄板で他のお客様の肉が焼かれるのを見ていました。
見た目にもバランスの良い美しい霜降りの肉が焼かれるのを見るのは、その味への期待感がブンブンと煽られます。
神戸で最も良い肉が入るというKOKUBUには余計な演出や凝った内装など要らないと思いました。
この期待感と匂い、そして肉の味だけに、私たちが余所行きで食べるランチの10倍の値段をたくさんのお客様方は払うのです。
当店を出る前に、ル・ボナーの無料コンサルタントFさんと肉を食べながら白いご飯を何杯も食べる幸せについて語り合っていて、KOKUBUでも肉が出た瞬間に白いご飯を注文すると宣言していましたが、マスターと肉と白いご飯の無敵のハーモニーについて語り合っただけで、ご飯物はラストのガーリックライスまで待つしかありませんでした。
肉の甘みと肉汁お豊かな、とても美味しい肉を食べ終わった後、なぜか私たちはそれぞれが贔屓にする王将の話になりました。
ここで語るまでもなく、王将はチェーン店でありながら、各店で味も定食の内容も違い、それも魅力だと思っています。
御影の王将、垂水の王将など、それぞれが美味しいと思っている王将が結構あることを知りました。
ちなみに私のお勧めは、大学生の頃から行っていた地元元町の王将です。
いつもの夜の最終章、バランザックへ行きました。
バランザックは一人で考えごとなどをするのにも良いお店で、黙っていれば放っておいてくれる店だと思いますが、私は数人で行って、この静かな大人の空間でおしゃべりばかりしています。
店を出るときに肉について語り合ったFさんご夫妻と合流しました。
Fさんは市内某大手大企業でマーケティグのお仕事をされていて、そのお話は私たちの心を掴み、松本論を展開してくださり、自分の仕事のことも考えながら、バランザックの時間を大いに楽しみました。
行くたびに薄く入れてくださいというアルコールの量が少しずつ増えているように感じるのは気になりますが、全くノンアルコールしか飲まなかった私がアルコール入りをお願いするほど、バランザックはお酒が好きになれる場所だと思いました。
今回は松本さんも強めのお酒を飲んで、いつもよりもグルグル回られているようでしたし、永田さんの婚約者のKさんもおられたので、早めの撤収することになりましたが、神戸の夜は充分に更けていました。