元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

オリジナルインク

2016-05-31 | 仕事について

オリジナルインクは、一昨年末に急に売れ始めて、昨年春頃にはそれまで1か月あればできていたものが、3か月以上かかるようになりました。

情報交換しているうちに世の中で何が起こっているのか、少しずつわかってきましたが、得体がしれないと思うことがいくつかあったし、供給できる個数が足りないのでオリジナルインクのネット販売は止めました。

得体が知れないと思った要因は、多くの人に買っていただきたいと思い、個数制限を設けてネット販売していましたが、違う名義で同じ人がいくつも買っていることがクレジットカードの番号から分かりました。

いくつも要る人は転売したりするのだと予想できるし、そういった場合中国の方が多かったので、転売される方は中国の方が多いのだと思っていました。

しかし、私は誤解していたのかもしれない。

確かにオリジナルインクを買い集めているのは中国の方ですが、その元締めのような人物が何人かいて、その一部は日本人なのではないかと思い始めています。

そのモノが売れそうだと機転が利く日本人が中国の方を使ってモノを集めていると思っています。

オリジナルインクに限らず、他のものでもそういうことが起こっているのかもしれない。

私たち店の人間は、実際に買い集めているのが中国の人なので中国の人が来ると警戒してしまう。

転売人の代理で来ているか、自分で使ったり、コレクションする目的でわざわざ来られているのか見分けがつかないので、疑い深くなってしまって、良い応対ができなくなる。

その応対を受けた中国の方は、日本人に悪い印象を持ってしまうことになります。

ただ自分で買った商品を転売するだけなのに大げさだと思われるかもしれないけれど、私にはそれはあまりにも大きな影響のある悪いことに思えるし、手先になっている人にも祖国の人が誤解されるようなアルバイトをするなと言いたい。

私たち店の人間は転売人の代理人か、当店のインクが欲しくてわざわざ買いに来てくれた人の区別をつけられるようにしておかないといけない。

今まで、そんなことは今に始まったことではなく昔からあったし、同じお金を出して買ってくれたものをその後どうするかまで詮索するのは、潔くないと思っていたけれど、遠くから来てくれて、インクを買えたことを素直に喜んでくれる人たちを見ていると、やはり転売されると分かっていたら阻止しないといけないと思っています。

 

 

 

 


お習字

2016-05-29 | 実生活

週1回書道教室に通っています。お稽古は10時~11時半くらいで今は太筆のお習字をしている。

宿題では万年筆で書くペン習字の課題が出ていて、少し前から小筆の課題も出るようになっているし、最近では篆刻の勉強も勧められていて、1週間なかなか忙しく、暇さえあれば、暇がなくても筆を握っている。

下手なりに一生懸命書いていると時間はあっと言う間に経っていて、自分がこれほど書道に(私のレベルではお習字)打ち込めるとは思っていなかった。

当然道具にはこだわっていて、一緒に習いに行っている妻とともに理想を追い求めているのが筆です。

特に外れが多い小筆は、良いものに出会いたいと思っていて、それほど高級なものを買う度胸はなかなか持てないけれど、ちょっと高いボトルインクくらいの値段で買うことができるので出掛けて筆が売っていると何か見つけて買いたくなります。

理想の筆は、適度な硬さがあってコントロールしやすく、自分の運筆したい方向に追従してくるしなやかさもあって、毛先が常に整っているものだと今は思っています。

習い始めた時から使っている太筆が羊毛で、柔らかかったため、コントロールしやすいように半分くらいしかおろしていなかった。最初は凧糸で縛っていました。

最近特にそうだけど、先がきれいに揃わなくなって大変書きにくいと思っていて、根元までおろしていないからそうなることに思い当たりました。

確かに上の方までおろすようにすると毛先が揃い出して、急に書きやすくなりました。

それでも8割くらいしかおろせていませんでしたので、全部おろしたいと思って「やめとき」と言う妻の忠告も聞かず、お稽古中に墨を馴染ませながら筆を墨でギュウギュウと押していると「ボキッ」と柄が折れて、毛の部分が外れてしまいました。

その日のお稽古は折れた柄に毛先をねじ込んで筆圧をなるべくかけないように書いてしのぎました。なかなか想定外のことでしたが、筆には可哀想なことをしたと反省しています。

先日は通勤途中、篆刻のデザインについてメモ帳にあれやこれやと書きながら考えていて、目の前に止まったはずの電車に気づかなかった。しばらくしてそういえば電車まだかなと時計を見たら時間が経っていて、後から考えると目の前を通ったものがあったような気がするということがありました。

始めたばかりで、こうやってブログで言うのも恥ずかしいくらいのレベルだけど、楽しんで打ち込める趣味ができた。そしてそれは仕事にも無関係ではないものだと思っています。

 


仕事の質を上げる

2016-05-24 | 仕事について

前に進んだかと思えば、何か押しとどめたり、後ろに引き戻すことが起こったりして、この8年半の間の店の歩みは3歩進んで2歩下がってきたというのが実感です。

はじめ少しいらだつことももありましたが、そういうものだと思えば気にならなくなる。
何か後ろ向きの力が働いた時、そういうものだと思って今は淡々やっています。

商売は結局売り上げがいくら多くても、1円でもマイナスなら赤字で、売上が100円でも利益が出ていれば黒字で、赤字だと続けられなくなる。売上を大きくするよりも黒字にすることを常に考えたいと思っています。

 

よく全国何百店舗到達とか、年商何億円達成などと言って、感謝セールなどをしているチェーン店を見かけます。

すごいことだとは思うけれど、店が多くなれば多くなるほどありふれてくるし、不採算の店舗も出てくるのではないかと、大きなお世話だけど思っている。

規模を拡大して、売上を伸ばすことは男のロマン(男女はないかもしれないけれど)で、店舗数が増えると仕入れ額が増えて、安く仕入れることができ、お客様に還元できるということなのかもしれないけれど。

でも世の中にすでにたくさんある業種のお店が、日本一の店舗数を目指して増やすということを世の中のことを考えていないのではないかと、私は思う。

世間はそれで足りているのに、すでにあるお店を潰すために近くに新店舗を建てたりするのは、自社のことしか考えていない行為だと思います。

そういうことはいろんなところ、いろんな分野でされているけれど、規模が大きくなればなるほど、世の中のことを考えないといけないのではないか、それがリーダーなのではないかと思う。

チェーン店などは店数が多くなればなるほど特別感のようなものがなくなってしまうと思うけれど、こだわりのものを売っているお店、ブランドなどはどう思っているのだろう。

会社の規模を拡大するよりも、自店の質を高めたいと私は思う。

お店というのはいつも何かお客様に我慢させていて、その我慢がその店で買う喜びを超えると買ってもらえなくなってしまうものだと思っている。我慢がゼロならそれは素晴らしいことだけどあり得ない。

質を高めるというのは、我慢を少なくし、喜びを大きくすることだと思う。

小売業の業績を左右するのは、世の中の景気ではなくその店自身の問題が大きいと思っています。

質を高めるということは、今すぐの売上には貢献しないかもしれないけれど、長く続いていくための役に立つことです。

スタッフMの加入は、当店の質を高めるために必要なことだと思っている。

 

 


ペン先調整

2016-05-22 | 仕事について

ペン先調整はペンポイントを削ることであり、そのペンの寿命を縮めてしまうものだという意見を聞きました。
もちろんその誤解を解こうとその場でご説明しましたが、多くの人がそのように思っておられるのかもしれないと恐ろしくなりました。

確かに正しい知識のない人がペン先に取り組んだ場合、ペンポイントを削り過ぎて、万年筆の寿命を縮めてしまうことにつながると思います。

しかし、正しい知識と理性を持ってそのペンと使い手の相違、ペン自体の問題を見極めて施す調整は万年筆を良い状態にします。

ペン先調整には、標準調整とオーダー調整の2つの種類があると思っています。

標準調整はその万年筆をこれから使い込んで馴らしていくための調整で、より最適な状態にして使い込んでいくスタートラインに立たせるイメージです。

ペンポイントのズレをなくし、ペン先とペン芯の合わせを完璧にして、軽い筆圧で書いてもインクが出るように、書き出しもちゃんと出るようにします。

1,2年も使うとある日突然そのペンが劇的に書きやすくなるのを実感できます。細字のペンならもう少し早い段階で書き味の変化は訪れます。

オーダー調整は使う人の好みに合わせるというもので、インク出量の好み、筆記角度など使われる方の理想になるべく近づけるようにします。

当店でお買い上げいただいた万年筆全てにペン先調整はさせていただいておりますが、求められない限り、標準調整にとどめていますので、使い込んで馴らしていきたいという方もご安心下さい。

私も自分の万年筆はペン先のズレがなく、ペン先とペン芯の合わせが合っていれば、そのまま使うようにしていて、使い込んで馴らすようにしています。

その万年筆に対してどうすれば最小限の調整でとどめられるか見極めるのも、ペン先調整人の腕だと思っています。


値段によるモノの違い

2016-05-15 | 実生活

しばらく靴を買っていなかったので、そろそろ買いたくなってきた。

さすがに革靴なら何でも興味があって、一足でも多く欲しいという段階は過ぎ去って、本当に気に入ったものを7足揃えてローテーションで履きたいと思っている。

本当に気に入ったもの、今一番欲しいと思っているものを時間がかかってもいいから、靴資金を貯めて買いたい。
たくさんのものが欲しいわけではないので、時間がかかってもいい。

革靴だったら何にでも興味があった時は、安くて良いものがあるのではないかと思って、いろいろ本を見たりしていました。

でもある程度分かってくると安くて良いものなどないということが分かってきます。

靴の場合は値段によって製法も違ってくるので、それが外観にも履き心地にも影響を及ぼします。

モノには値段による違いというものが厳然と存在していて、高くなればまた違う世界を見せてくれるものだと思っています。

自分が買える範囲のものばかり集めていても見える世界は変わらない。靴について語りたければ、血のにじむような努力をしてお金を貯めて上の世界を知らなければならない。

血のにじむようなというのは、言い過ぎだけど一瞬の欲に流されずに目標としたものが買えるまで私はカスミを食って生きていたいと思っている。

服が代表的だけど、昔では考えられないくらい安い値段でモノが買えるようになりました。安いものは努力なしにたくさん買うことができ、揃えることができる。

しかし、それで買えるのモノは同じ用途で同じ形だけど何か違う。

でもそれを助長したのは皮肉にも真逆の立場にあるブランドたちではないかと思っている。

イメージを吊り上げることでモノの価値よりも高い値段をつけることと、あらゆるコストダウンをして考えられないくらい安い値段でモノを作ることは、厳然と存在していた値段によるモノの違いを狂わせたという意味では同じだと思っている。


価格破壊の反動は来ていると思っていて、安い値段で売られている、ものすごくたくさん同じものが存在するモノや、品質の割にものすごく高いモノはかなり苦戦しているような気がします。

価格と品質のバランスを無視しては商売は続けられない。今はきっと安い値段でも隣の人と服はカブってほしくないし、イメージを上げることは値段を上げるツールではなく維持するツールなのだと思います。

靴が欲しいと思っている話から、かなり脱線してしまったけれど。

 


垂水

2016-05-10 | 実生活

神戸市西部の垂水というところに住んでいます。

神戸に住んで、学校を出て、ずっと仕事をしてきたので神戸人だと言っているけれど、垂水の町の雰囲気は神戸とは違っている。

駅の南にすぐ漁港があって、淡路島が目の前に見える。

昔、塩谷からこちら(西)は播磨の国だったそうですが、そんな土地の雰囲気は簡単には拭い去ることはできず、住所が神戸になったところで昔からの西国の雰囲気は変わっていないのではないかと思います。

山がかなり迫っていた所だったので、町は谷沿いに山側へと拡大していき、山も切り拓かれました。JR垂水駅の乗降客は神戸市内では三ノ宮、神戸に次いで多いけれど、多くの人は切り拓かれた新興住宅街(と言っても20年以上は経っている)からバスで来ていると思われます。

私も毎朝垂水駅まで山陽バスに乗って出てきて、山陽バスに乗って帰ります。

20年くらい前までは私が乗る路線バスには、降りたい停留所を伝える降車ボタンがついていなかった。

今ではとても良い道になったけれど、以前商大筋は山道をそのまま舗装したような勾配がきつく、細く曲がりくねった道でした。

本来バスが通るような道ではなかったと思うけれど、山陽バスは走っていた。

その時のバスは今では考えられないけれど、車掌さんが乗っていて目視など運転の補助とお客のお世話をしていて、降りたい停留所の名前を車掌さんが言ったら、車掌さんに「降ります」と宣言してドアを開けてもらっていました。

中学、高校生くらいの頃、それが妙に照れ臭くて嫌だったけれど、今思うと何でもないことなのに。

バスに乗っていて、昔の山陽バスを映したポスターが目に入った。今年が創業80年記念とのことで、その写真ほど昔ではないけれど、そのポスターを見ていて昔のことを懐かしく思い出しました。


休暇

2016-05-08 | 実生活

連休最終日の夜の電車は人も少なく、休暇でなかった私でも寂しい気分になります。
それは連休というお祭りの終わりの雰囲気が漂っているからなのかもしれないと思ったりします。

ゴールデンウィークが終わろうとしている。今年は間に平日があって、連休感が少なかったという人もいるのではないかと思います。

でも長い人で10連休にもなり、それは月の3分の1にも及びます。

学校を卒業してからそこまで長い休みがあったことがなく、休みの少ない仕事人生を送ってきました。店で働いている以上仕方ないことで、店が多く休めばそれだけチャンスが減りますので、店が多く開いている限り店員の休みも少ないに決まっている。

サービス業の人はともかく、皆様はいつもより長く休まれたのではないかと思います。

皆さんの休日をいつも想像しています。

お子さんを連れて帰省される方、海外旅行に行かれた方など、皆さまがそれぞれの連休を満喫されたことと思います。

子供の頃、いろんなところに行った思い出がたくさんあるのは、父に休みがあったからだと今さらながらに思いました。

それでも当時普段の休みが日曜日だけというのが一般的だったので、普通の週末はきっとコンパクトに過ごしていたと思うけれど。

今の私は当時の父と同じ週1日の休みと夏と年末の長期休暇になっていて家族には不自由させているのかもしれない。

通常の休みが1日だけだと用事で終わってしまうし、3分の1日は書道で埋まっている。

でもそうしないと生きていけない仕事なのでどうすることもできないし、私自身は慣れてしまった。

 

最近ではそういう考えは少なくなったと思うし、当時も相当時代遅れだと思って見ていたけれど、休日出勤して仕事をすることが美徳のように思われていた。

上司や同僚たちが休日に出てきて仕事している姿を見て、周りの私たちも何となく心がザワついていたし、その姿を見て褒める上司もいた。本人たちは誇らしげに見えました。

休みは良い仕事をするためにあると思っていたし、特に店のように休みの時にお客様が来て下さる場所での仕事の場合、休みを他所で過ごさないと気付かないことがたくさんあると思うので、堂々と休んで、思い切り遊ぶべきだと思っていた。

休みは良い仕事をするためにあるという考え方自体がもしかしてズレているのかもしれないけれど、休みの中に仕事のヒントやお客様との雑談のネタがたくさんあって、自分を作っていると思っていて、休みが明けるたびに自分が変われているような気がしていました。


古いレンズ~味という曖昧な価値観~

2016-05-03 | 実生活

堀谷先生のペン習字教室のお仲間のSさんから、古いニコンのレンズを3本もいただいた。

最近お宅を建て替えられて、大量の段ボールがいつまでも開封できずに困っているSさんに、S糖さんがいらないレンズがあれば下さいと上手くねだった。私はそのおこぼれをいただいてしまった。

お礼も済まさないうちに早速ソニーα7にニコンのレンズを使えるようにするマウントアダプターを買いに行きました。

いつも使っているソニーのレンズよりも柔らかい、おおらかな感じの映りは古いレンズならではのものなのかもしれないと思っています。

ただ精度とか数値だけではない、味という曖昧なものが許される価値観が好きで、万年筆もそうだと思っている。

スペックだけではない、いろんな味わいがあり、使い手の好みがあるから私は万年筆とその世界に惹かれたのだと思います。

味わいというのはとても伝えにくく、誰もが同じように感じ取るものではないので、メーカーはスペックを追求してしまうのかもしれません。

他社が燃費に特化しているのなら、自社は燃費も努力するけれど違う魅力のある車を作るという発想があれば、いろんな悲劇は起こらなかったように思います。

話が反れてしまったけれど、万年筆はモノにはスペックで示すことができないいろんな味わいがあって、いろんな好みがあって、いろんな仕事の方法があるということを教えてくれるモノだと思っています。

 


物欲

2016-05-01 | 実生活


最近H田さんが買われた1Dと比べると自分のカメラがおもちゃのように思われる。物欲はこういう方向からも刺激される。しかし1Dは自分にはすご過ぎるけれど。

 

最も自分らしいものを厳選して、たくさん持たずにそのひとつをとことん使いこなすような、モノの少ない生活をしたいと思っていました。

自分にはこれがあるから大丈夫と、余計なモノを欲しないような生活が実際にも、精神的にも、片付いている理想的な美しい姿として憧れています。

しかし、実際の自分は写真を撮りに行く前と後には、必ず新しいレンズが欲しくなる。

今持っている24mm~70㎜のズームレンズで十分で、何の不満もないどころか使いこなしきれていないけれど、もっと寄れるレンズが欲しかったり、F1.2とか明るいレンズや通しで解放F2.8のズームレンズも使ってみたい。

靴は常に何らのものが欲しい。靴の良いものを知ると、もっと良いものが履きたくなって後戻りできなくなります。

自分の服装の中で他はあまりこだわりなく、気に入ったシャツなどは7着あって1週間同じ物を着れるようにしているほど、同じカッコでいたいけれど、靴だけはその時の気分でいろいろ選びたい。

鞄は季節が変わるたびに欲しくなる。そして万年筆は自分にとって一番重要な道具で、黒金の万年筆は何本でも欲しいけれど、もしかしたらこれは自分の仕事においての必要経費かもしれない。

それらをいちいち公表しないだけで、常に何か欲しいと思う気持ちが自分を動かしているのかとさえ思います。

でも物欲、何かを欲しいと思う気持ちは毎日を楽しくしてくれると思う。

それらを手に入れたらもっと楽しいし、欲しいと思ったら諦めずに手に入れたい。

必要最低限のモノだけ持って、余計なものを一切欲しない生活は美しいかもしれないけれど、きっと私には楽しくないだろうと思う。

私たちは欲しいと思う気持ちで生きている。