小学生の頃、コカコーラが仕掛けたヨーヨーブームがありました。
コーラたスプライト、ファンタなどのブランド(?)名が入ったヨーヨーを皆が持っていて、私も母にねだって黄緑色のスプライト柄のものを買ってもらいました。
犬の散歩やブランコなどの技をものにしようと外でも、家の中でも、学校でも皆で練習していたけれど、一番上手い子ほど上手くはなりませんでした。
その子はコカコーラ柄の一番高価な、大きくて重いヨーヨーを使っていて、それを使えばもっと上手くなるのだと思い込んでいました。
あと駄菓子屋さんでヨーヨーの紐も売っていて、どこの店の紐が良いとかといった本当かどうか分からない情報交換も行われていて、皆それがテクニックの修得に必要なものとして、道具にはかなりこだわっていました。
皆が持っているから、自分も欲しいと思ったり、そのものを手に入れたら何かが変わると思うのは子供だけかと思ったらそうではなくて、大人になっても変わらない、あるいはひどくなっていることを最近自分で気付いて可笑しく思いました。
電車に乗るとほとんどの人が携帯を見ているし、知っている人の多くがスマートフォンに替えています。
フェイスブックもスマートフォンならいちいちパソコンを立ち上げなくても、すぐに見ることができて、写真を撮って書き込みやすい。
スマートフォンが欲しい、これがあれば仕事がもっと良くなると思い込んでいましたが、冷静に考えるとせっかくのささやかな楽しみである行き帰りの読書の時間がなくなってしまう。
あれは自分が使うべきものではないとその想いを断ち切ることができました。
でも靴は違っていて、次から次と欲しい物ができてしまう。
WRITING LAB.の仲間達、駒村氏もH兄もいろんなものに凝っていて、その全てについていくつもりはないけれど、靴だけは私の心をとらえて、二人と話したり、二人の履いているオールデンを見ていると、自分もコードバンの靴が無性に欲しくなって、自分の仕事にはどうしてもその靴が必要だと思いさえしている。
それはヨーヨーを欲しがった子供の頃の気持ちと一緒で、説得しないといけない相手が母親から妻に代わったというだけでした。
でも、