元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

神戸の夜

2011-01-29 | 仕事について

時計ライターのNさんが取材で関西に来られる帰りに神戸に寄られるということで、ル・ボナーの松本さんとともにハンター坂のあくつに集合しました。

集合時間まで、少し余裕がありましたので、20分くらいの距離をゆっくり歩いて行くことにしました。
当店のある元町駅西口は、三宮に隣接する東口と違い、夜になると人通りも少ないし、ネオンもほとんどありませんので、早い時間でも真夜中のようになります。
ハンター坂までの山手幹線沿いも同じような感じで、通りを少し入ったところに小さなレストランがあるのを見つけると、よくここでやってるなあと感心したりします。

あくつも同じで、ハンター坂から少し入ったビルの地下のとても狭いスペースで営業されていますが、味の良さやちょっとした気配りに魅せられた人たちがいつも店をいっぱいにしていて、神戸の名店と言われる存在になっています。
こういった小さなお店のがんばりは、景気が悪くほとんどの企業の業績が悪くなっている中で、とても勇気付けられることで、自分も自分の道で力強く前に進もうと改めて気持ちを引き締めたりします。

Nさんとは1年振りくらいの再会です。
懐かしいというよりも、久し振りでも最初から自然体で接することができる雰囲気が私たちの周りにはあって、最初から静かなお店の中で爆笑しながら、ライカのレンズ、パイロット、プラチナ、アウロラの万年筆、オレオールの時計など物談義をしました。

ただ、いろんな物について話し合う。
こんなに楽しい話ができるのも家の6畳間が4部屋物に占領されているというNさんと松本さんの豊富な物の知識と人柄があってこそで、この場にいられることがとても幸せに思えます。

世界中、日本中を旅しながらお仕事されているNさんのお話を聞いていると本当にすごいと思いますし、自分が狭い世界しか見ずに仕事をしていることを改めて認識します。


プラチナプラチナ

2011-01-28 | 仕事について

最近、ずっと憧れていたプラチナ・プラチナの万年筆を手に入れました。

私には、そのような万年筆がいくつかあって、それを少しずつ手に入れていきたいと思っていますが、そういったものにはほとんど人との思い出が重なっています。

プラチナプラチナに思い入れができたのは、10数年前、万年筆クリニックに来られていたプラチナ万年筆のペン先調整士故渡辺貞夫さんがいつも傍らにプラチナプラチナの万年筆を置いていたからでした。
かなり年季の入った銀軸のその万年筆には極太のペン先が付いていました。

渡辺さんはいつも今では作られていないそのプラチナプラチナのボディがいかに大変な作業と大掛かりな機械で作られていたかを懐かしそうに話されていて、そのお話を毎年横で聞いていました。

万年筆の仕事を始めたばかりの私にとってそのようなお話、そのような場は、勉強になることばかりで、渡辺さんがお客様に話される内容も必死で聞いていました。
渡辺さんは、ご自分のお仕事を本当に楽しんでおられて、それは趣味なのではと思わせるほどでしたが、そんな姿も、医者嫌いでほとんど病院に行かなかったというエピソードも、江戸っ子弁も、とても懐かしく感じられ、繊細な味わいとは無縁な豪快なゴリゴリとした書き味のこの万年筆を見ると豪快に生きた渡辺貞夫というペン先調整職人の生き様を感じずにはいられません。

渡辺さんからも、本当にたくさんのことを教えてもらい、今万年筆の店をすることができているのも渡辺さんのお陰でもあります。
私にとってプラチナ・プラチナを手に入れて愛用するということは渡辺さんを偲ぶということでもあります。


年賀状展の解説

2011-01-25 | 仕事について

毎月第3金曜日に開催しております、FridayWorkshop“万年筆で描こう″の講師をして下さっている神谷利男先生のブログで年賀状展に出品してくださいました皆様の作品を解説して下さっています。http://blogs.yahoo.co.jp/kamitanidesign/10757157.html
ぜひご覧下さい。

神谷利男先生は毎日ご自身で描かれた絵を載せたブログを更新されていて、その次々と溢れ出てくるバイタリティとイマジネーションには感服しています。
私も、神谷先生を見習って少しでも多くブログを更新していかなければと、神谷先生のブログをみながらいつも思っています。

ペリカン60
私の持っている万年筆にペリカン60というかなり古い万年筆があります。
最近の万年筆とは違い、細目でペン先も小さく侘しい印象の万年筆ですが、金張りが施されてなるべく豪華に見せようとしているところが、とてもいじらしく思います。
これは昨年6月のヨーロッパ旅行の時に、ベルリンの蚤の市で見つけたもので一目で気に入りました。
ベタベタのインク詰まりとペン先の状態は、微妙な感じかな?と思っていましたが、書いてみると前の持ち主(herbolと名入れあり)のやや右倒しの書き癖で書いてみるとなかなか書きやすく、書き味も気に入っています。
60年代に作られたものということですが、いまだに何の問題もなく使うことができるのが万年筆の素晴らしいところだと思いました。
インクがなくなった時のブルーのインク窓がとても美しいペンです。


ボトルインクを描く

2011-01-22 | 仕事について

昨日の万年筆画教室のテーマで、ボトルインクを描きましたが、絵を描くつもりでボトルインクを見てみるとなかなか複雑な形であることが分かりました。
私の瓶の形も中身も好きなインクのひとつにパーカーがありますが、シンプルに見えるパーカーのボトルさえも非常に難しく、その形の特長である肩幅が狭く、頭が大きい感じがなかなか上手く描けませんでした。
先生はガラスの硬質な感じと透明感がインクボトルを描く時のポイントだとおっしゃっていましたが、私はそんな段階まで到達出来ておらず、鉛筆での下描きでさえおぼつかない状態でした。
でもいつも使っているインクボトルをよく見てみると、作り手のこだわりがすごく感じ取れて楽しいと思いました。
インクボトルはインクが少なくなっても吸入しやすく、倒れない安定感のある形が必要な条件としてありますが、それを押さえた上で作り手それぞれの実用性、デザイン性の美学を盛り込んでいる味わい深いプロダクツであることに気付きました。


震災

2011-01-17 | 仕事について

今震災が起こったら・・・。
きっと店の中の家具は倒れて使い物にならなくなりますし、商品は売り物にならなくなるものが多く出て、そして何よりも電車が動いていないのでお客様が来店することができない。その前に万年筆を売っている場合じゃない。
当時は会社に勤めていましたので、交通機関がマヒして会社に行くことができない日が続いても、有り難いことにお給料をいただくことができましたが、今の状況で震災に遭うと大変なことになってしまいます。
そうやって考えると、あの地震がどれだけ多くの方の人生を変えてしまったのか想像できます。
多くの方が亡くなりましたが、夢を葬られた方はきっともっといるのだと思いました。

須磨までしか電車なく、三宮まで歩いて会社に通いましたが、鷹取辺りの状況は悲惨で戦争の後のようでした。
焼け跡の中を歩いていると涙が出てきました。
人間の作ったものの儚さを痛切に感じました。

震災後数日経った土埃舞う三宮の店頭に1日中立っていましたが、道行く人たちは買物ではなく移動していました。
電車が走っていないし、市内の道は大混乱で神戸市内を車で横切るのに丸1日かかる状況でした。
大きなリュックサックを背負って黙って歩く人並みは暮せなくなった被災地から脱出するために、多くが東を目指して歩いていきます。
そんな人たちにガムテープやマスクを売りながら埃だらけになりながら立っていました。
仕事の内容とか、物欲とか頭からなくなり、将来のことなど考えられず、ただ生きるために時間が過ぎて状況が良くなるために毎日を過ごしていました。
でも日々の生活が不便だと思う程度の私たちなど、あの時の神戸では恵まれていた方でした。

できればしなくてもいい体験で、あの地震が残したものは不幸しかありませんが、あの日々のことだけは、間の記憶がおぼろげになってもはっきりと憶えています。

震災で亡くなられた6434人の方々のご冥福をお祈りいたします。


神戸の街

2011-01-15 | 仕事について

昨晩はペン習字の堀谷龍玄先生とインド料理店プージャへ行きました。
よく行く三宮のショナルパはインド臭も薄めの馴染みやすい感じの店ですが、プージャはそれと正反対のインド度数の高い店です。
でもカレーは本当に美味しいので、ぜひ皆様も行ってみてください。
ポートタワー通りのお仏壇の浜屋の少しだけ南です。

ポートタワー通りは、比較的寂しげな西元町の中では割とお店も多く、賑わっている部類に入るかもしれませんが、通りを歩きながら、交差する元町商店街を見ながら、神戸の街の衰退を感じずにはいられません。
神戸に30年住んでいますが、社会人2年目で震災に遭い、本当に景気が良かった神戸で仕事をした経験がほとんどありません。
学生の時などたまに三宮に出ると、電車は混んでいるし、道は渋滞している、飲食店は人が並んでいて、いつもたくさんの人が街にいた記憶がありましたが、働き出して人の数がどんどん少なくなっていることを肌で感じます。
20年前までの姿、神戸港を抱える貿易都市、海へ山へ拡大する市街地神戸は、経済的には今では普通の地方都市だと思っています。

でも、そんな神戸から離れず、生涯仕事をする場所としているのはこの街の人やこの街を良いと思ってくれる人が好きだからです。
行動や心の働きがスマートでさりげない神戸人で自分自身もありたいと思っていますが、そんな人たちがばかりが(神戸の人だけでなく)来てくださる今のこの店を思うと、神戸以外で店を始めることなど考えられないと改めて思います。
神谷先生の万年筆画教室、堀谷先生のペン習字教室に参加されている方々はとても熱心で、それらをご自分の日々の生活の中の楽しみとして取り入れていることを知ると、素晴らしき人たちに恵まれている当店の状況に感謝せざるをえませんし、神戸の街の活況を願わずにはいられません。


戎参り

2011-01-13 | 仕事について

個人事業を始めてから1月の行事として戎神社参りが加わりました。
今年は、毎年行っていた兵庫の柳原戎神社ではなく西宮神社へ行きました。
柳原戎には苦い思い出があって、お参りの帰りに寄ったコンビニで店員さんに絡むチンピラらしき人に注意したことが発端になり、乱闘寸前の大騒ぎとなりました。
コンビニ店主が店の中にかくまってくれて、裏口から逃げるということで最悪の事態は避けられましたが、それ以来妻はあまり柳原戎行きは楽しくなさそうな雰囲気でしたので、西宮神社にお参りを代えたのは良かったのかもしれません。
私にはおもしろいエピソードとして記憶にありますが、女性はこのようないさかいはあまり好まれないですね。
西宮神社は、毎年行われる福男レースがテレビで放映されるので有名で、福男を目指す人たちが駆ける境内は行ったことのない人でも見たことのある場所でそういう点でも歩いていて楽しい場所でした。
戎祭りが前日まででしたので、たくさんのトラックやバンが境内に入って、屋台を片付けていて祭りの後の寂しさはありましたが、まだまだお参りに来ている人たちがいました。
戎神社では、何事もなく無事に年を終わることができた感謝と、今年も無事に仕事をやり通すことができるようにという願いを込めて訪れますが、個人事業や経営者の方が戎神社には欠かさずお参りに来る気持ちがすごくよく分かります。
経営者の方は、保険にやたら入りたがる人が多いと聞きました。
節税効果もあるのかもしれませんが、どうしてももしもの時のことを考えて、何か備えることで少しでも安心したいということが本音のようです。
でも本当は経営者でもなくても心の底から安心して、何の不安もなく生活している人などはいないのかもしれません。
でも同じ結果になるのなら気持ちを大きく持って、勇気を持って朗らかに生きていきたいと思いました。


恒例の大晦日を過ごす京都

2011-01-01 | 仕事について

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

皆様それぞれの年末年始のお休みをお過ごしのことと思います。
私は大晦日の昨日、わが家の年末年始恒例の京都での年越しのため電車に乗っていました。
JRから見える三宮センタープラザの大きなデジタル温度計は0度を表示していましたが、神戸は非常に寒くても、京都は意外と暖かかった昨年の記憶がありましたので、京都はマシだと、何となく思っていました。
阪急電車に乗って、高槻市を過ぎた辺りから雪がちらつき出し、京都市内に入ると一面に積もり始めてきました。
京都に来ると必ず行く、一乗寺の恵文社へ向かうバスの中(河原町から恵文社の横まで行ってくれる)から、降り続く神戸で見ることのない雪を楽しみました。
結局雪は1日中降り続き、阪急嵐山の駅から普通なら10分もかからない旅館までの道のりが20分以上かかるという、行動もかなり制限されてしまいましたが、雪は今回の旅を思い出深いものにしてくれる役に立つだろうことは分かりました。
京都は、雪は毎年降りますが、ここまで積もることはないとのことで、京都としても珍しいことだったのです。
嵐山で泊まった後、北野天満宮に初詣に行き、すぐに神戸に帰ってきましたが、神戸では感じることのない冬らしさを京都で感じて帰ってきました。
今年もまた始まりました。