元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

大和座狂言事務所ガラ公演 12月10日(日)14時開演

2017-10-24 | 実生活

年末恒例となっている大阪能楽堂で開催される大和座狂言事務所のガラ公演が12月10日(日)に今年も開催されます。

毎年、狂言という枠に収まらない幅広い分野のアーティストを招いて共演していて、古典狂言の他に、今年も箏(こと)やファゴットと安東先生の能舞との共演のプログラムもあります。

イラストレーター西口司郎氏による公演チラシは、舞台での安東先生の姿をリアルにとらえて、空気感も含めて劇的に表現しています。

チラシの言葉、 伝統に、革新はあるか。 は安東先生が常に立ち向かってきたテーマだと思いました。

 

私も自分の仕事で革新に立ち向かうことができるだろうかと思う。

先人が100年以上前にほぼ今の形にした万年筆を商材として扱って、その歴史だけしか語らず、未来や変革について示すことができていないと思う。

何の変化も起こさないのはもっての外、時代に沿うだけではきっと万年筆はいつか時代の中に埋もれていくし、当店もその中に埋もれて、跡形もなくなってしまうのだと思います。

 

それではつまらないと、安東先生の気概に満ちた姿を見て、刺激を受けて、思い始めました。

私にも私なりの理想があって、それを実現するために孤軍奮闘でもいいから大立ち回りを演じたいと思うようになりました。


2017-10-22 | 実生活

梅雨でもこんなに続けて雨が降ることはなかったかもしれない。これほど雨が続くと憂鬱な気分になるし、洗濯をしている人は大変だと思います。

バス停まで15分ほど歩かなければいけないので、雨が降ったり、降りそうだったりすると、履ける靴が限られるのでつまらない。
雨降りの少し憂鬱な気分を晴れさせるためには、雨用の靴と雨具に凝ると楽しいのかもしれない思っています。

靴にこだわり出してから、天気に気を付けるようになりました。雨が降りそうな時は折り畳み傘を持って出るようにして、雨降りでも履いていい靴を履く。

靴の選択が私の限られた服の中でも組み合わせを決定するので、どの靴を履いて出るか、今日はどの靴を履いていいのかを知ることは朝の一大事です。

長年使った長い方の傘がダメになったので、新しいものを買いに行きました。

使っていて楽しいと思えるような、なるべく上質なものがほしい。

ブランド品は高くて買えないし、デザインや色遣いが特長的過ぎるものも好みではない。

何のマークもない、紺色の上質な傘が欲しかったですが、私の手が届く範囲の上質なものはほとんどがライセンス生産品で、どこかで聞いたことがあるブランドのライセンス生産品でした。

そういうものは小さいながらも自店の名前に誇りをもってやっている小店主が持ってはいけないような気がしました。

そんなふうに思っていると選択肢は少なくなったけれど、スタンダードなデザインで、上質だと思えるものを買うことができました。

雨の日が楽しくなるほどではないけれど、大切に使うことができるものがまたひとつ増えました。

 

 


品揃え

2017-10-15 | 仕事について

当店のような個人店の品揃えは、店の生命線だと言える店が示す世界観を補完するものだと思っています。

当店が良いと思うもの、世界観に合ったものをお客様に提案して、賛同をしてもらって買っていただく。

店の規模に応じて品揃えの選定基準は違ってきます。
当店の規模だと店 主導でお客様に賛同していただくということが選定の仕方の中心になってきますが、お客様が求めているものを汲み取るということも必要なことです。

規模の大きな店だと、選定よりも提案に重きを置くことになるのかと思います。仕入れた商品をどのようなお客様に、どのように提案するかが重要になってくる。

小さな店の場合は、何があるかということも大事だけど、どこにでも流通している製品の中で何を置いていないかというところに強いメッセージがあります。

当然のことながら、製品はたくさん作られていて、どこのお店でも手に入れることができます。

インターネットによって、情報が瞬く間に広範囲に伝わって行く昨今、自店だけにしかないもの、自店だけが気付いて知っているものなどは本当に稀です。

たいていの場合、どこででも手に入れることができる製品をそれぞれの店が、それぞれのやり方で料理してお客様に提案する。

あるお店は値段を安くする。あるお店はその力を使って先行販売する。おまけをつける店もあるかもしれません。それぞれ様々なやり方があって、それぞれの店が示す世界観を商品によって補完している。

当店は何ができるだろうと考えます。

あまり顧みられることのない、売れていない商品の中で良いと思うものを見出して、需要を作り出すということができたら、何よりの喜びで、理想的な形だと思っています。

でもたいていの場合は、製品の何が良いと思って扱い始めたかをお客様に知ってもらい、当店の想いをお客様が汲んでくれて買っていただいている。
それは製品を売っているのではなくて、買って下さっていると気付くと少し情けなくなるけれど、そういうお客様がおられるということを私は誇りに思っている。

 

最近、もちろん売れた方がいいけれど、売れなくても店にあるだけで自慢に思えるほどのものに恵まれています。

グイード・リスポーリのグリーティングカードは、私が万年筆はこうあって欲しいと思っていたことを表現しているようなカードだと思っています。
イタリアのグラフィックデザイナー グイード・リスポーリがデザインして、イタリアの紙を使い、イタリアの小さな工房で作られています。

精緻で、見ていて飽きないけれど、イタリア人の美的感覚と華やかさが表現されています。

このカードを見て私はアウロラやモンテグラッパ、ビスコンティの万年筆に通じるものがあると思いました。
写真などを挟んで贈ってもいいと思いますが、何かプレゼントと一緒にお渡しする場合、万年筆ならこのカードに見合うのではないかと思ったのでこのカードを扱い始めました。

このカードは少量生産ということもあるし、グイードのお友達から紹介いただいたという縁にも恵まれて、まだ日本で置いている店は当店だけです。

なかなか難しいし、良いものは他に目端の利く店がとっくに扱っているけれど、当店にしかないものも増やしていきたい。そして、店にあるだけで、売れなくてもいいと思うほどのものも探していきたいと思っています。

 


死後の世界?

2017-10-08 | 実生活

10月4日の仲秋の名月はきれいでした。自宅の庭から。



少し前に誕生日を迎えて49歳になってしまった。

40歳を過ぎてから齢を取るスピードがどんどん早く感じられたような気がします。

今よく思うことは、自分では若い頃の気持ちと変わっていないけれど、人から見た時に49歳のいい齢した大人で、それなりの態度、生き様を求められるということです。

若い頃はその辺りのギャップはないけれど、齢を取るごとに気を付けないと世間が見る目と自己とのギャップが大きくなっていきます。そんなことを常に気を付けておかないといけないことは、情けないことだと思っています。

誕生日の日に、息子が49歳になった父から、母の齢を超えることができそうで安堵したかのようなメールがきた。

安心するのは、母と同い年である49歳が終わってからではないのかと思いましたが、いくら体質を受け継いでいるからといって、同じ齢で亡くなるとは限らない。

でもそういうことを心配してもおかしくない齢になっているのは確かで、当然齢をとるごとに死は近付いている。

もし自分が死んでしまったらどうなるのだろう。

世の中は何ごともなかったように流れていって、私は万年筆の歴史の中に埋もれていって、一部の人の記憶の片隅にだけ残るのだろう。

子供は神奈川で教師をすることが決まっているので、何も心配していないけれど、妻は私がいなくても生きていけるだろうか。

スタッフの二人は協力してやってくれると思っているけれど、店は続いていけるだろうか。

本当は何も変わらないかもしれないし、私がいなくても何事もなかったように全ては動いていったらそんなに素晴らしいことはない。

しかし、そうするにはまだまだ準備不足で、ずっと先かもしれないし、明日かもしれないので、考えておかなければならないとことだと思っている。


10年

2017-10-01 | 実生活


グイード・リスポーリのグリーティングカード、アウロラの限定品ミネラーレと江田明裕のガラスペン


10年という月日は本当に早いと思っている。ただ何もせずボーッとしていたわけではないけれど、それでも時間の流れはあっと言う間に感じられて、私はまだ同じ所にいる。

10年経っても同じ所にいることは幸せで恵まれたことなのかもしれないけれど、10年経っても何も変わらずにいることは、まるで成長していないようで、自分の能力のなさを物語っているようで少し恥ずかしくもあります。

知人、友人で同じ立場にいる人の中には、次々と自分のステージを変えて、活躍の場を移して人生の目標に近付いている人もいる。

ただ、人と同じようにしようとしたり、世間の風潮に流されて自分の道を見誤ることは、仕事を傾けかねない一番危険なことだということは、この10年で学習できたような気がします。

仕事の方策を立てる時に一番考えないといけないことは、世の中で何が流行しているかではなく、何が自分らしくあって、どうしたいかだということだと、今のところは思っている。そういう考えも、また変わるかもしれないけれど。

当店の仕事と時代について自分なりに分析してみました。

私もその一人ですが、世の中にはもともと書くことが好きな人がいます。書くことが苦でも何でもなく、楽しいことなので、とにかく何か書いていたい。

万年筆を愛用している人、万年筆に惹かれる人というのは、そういう方がほとんどだと思います。当店のお客様方もそのような方が多く、年齢、性別は関係ない。

そういう人はいつの時代にも変わらずにおられて、いなくなることはありません。

書くことが好きな人が存在して、そういう人達が万年筆に惹かれるというのは、時代が流れても変わらない事実で、万年筆が今では使われなくなった忘れ去られそうになっているものという、世間一般のイメージとは異なります。

この書くことが好きだという変わらない人の心のようなものは、私がいつも探していたもののひとつだと思っている。

一方、こういう仕事でも変化していくことがあります。

それは情報発信のやり方です。
テクノロジーは常に移り変わっていて、私たちの生活環境の表面だけはその影響を受けて変化していますので、それに合った方法で情報発信をしないと、トンチンカンな方法にいつまでもこだわっていても成果が上がらないし、方法にこだわるのは本質から外れている。

私が仕事で情報発信をし始めた時、既にインターネットが普及していましたのでホームページやブログがその手段で、今もその方法が中心です。

しかし、一般的にはTwitter、Facebook、インスタグラムなどのSNSが主流になっているので、それらを上手に活用しないといけないのかもしれませんが、何となく気が進まない。もう少し今のやり方を続けたいと思っている。

時代の流れはますます早くなっていて、SNSでさえすぐに飽きられて、廃れてしまうような気がするし、自分に合っていないような気がする。

10年があっという間なのだから、人の人生は本当に短いと思う。30年で、40才の中年が70才になってしまうと思うと、私のようなスピードの遅さでは一生にできることは本当に少ない。

変わらないことを掴んで、いろんなものに惑わされずに、自分はどの方法を選択するかを見極めていかないといけないと思っている。