元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

2016-03-29 | 実生活

私が茶道とか、書道など、道のつくものに惹かれるのは、その背景にある生き方や美意識の教えがあるからです。

書道を習い始めたのは、ペン習字教室講師の堀谷先生の影響があったり、文字をきれいに書けるようになりたいという目的があったからですが、万年筆屋として書くことにこだわる生き方を提案しながら、書くことにこだわる道を説く書道をしていないことに後ろめたく思っていたからです。

書道をしていないことで、今まで肩身の狭い思いをしていましたが、やっと万年筆屋として堂々と名乗れる態勢に入ってきたと思っています。

道というのは、ただその行為を上手くできるだけではダメで、その行為に相応しい人格も形成しておかないと、その道を修めているとは言えません。

もしかしたら、道とつくものの多くが日本人の興味を引かなくなったのは生き方、身の処し方を習えなくなってきて、習い事になってしまったからなのかもしれないと思うことがあります。私の偏見だけど。

それぞれの道を通して生き方を学び、生きる上での道理や作法も学ぶ。

そういうことは家庭や学校ではなかなか難しいのかもしれません。

正しい、正しくないかではなく、その道に照らし合わせて恥ずかしいか、恥ずかしくないか、感心されるか軽蔑されるかのような、法律や慣習では判断できないような判断基準を知ることができるのが、道なのではないかと思います。

47歳にもなっていまだにそんなことを学ばなければいけないのは、とても頼りないことだけど、間違ったことをしていないからええやろと厚顔無恥に言うような人間にはなりたくないし、お客様方に感覚的に嫌だと思われたら、次は来ていただけないというのが店なので、道を知ることはとても大切なことだと思うのです。


工房楔春のイベントギャラリー

2016-03-27 | 仕事について

本日(3月27日)18時まで工房楔春のイベントを開催しております。

イベントに出ている作品をほんのわずか掲載いたします。
ぜひご覧下さい。

 

チタン金具の工房楔オリジナルクローズドエンド。一番手前はローズウッドこぶ杢

 

ハカランダ(ブラジリアンローズウッド)の面白い柄があります

 

楢のパトリオットボールペン。チークやブライヤーなどキレイときたないの間の私好みの材

 

ジェットストリーム4+1用のグリップも出来上がりました

 

ダイナミックな花梨紅白

 

コンプロットも多数ございます

 

黒柿のコンプロット10

 

もちろん他にもまだまだネタはあります。
ぜひご来店下さい。


書く文字

2016-03-22 | 実生活

きれいな文字を書きたいと強く思うようになった。

そういうことは小学生の頃から思っていたけれど、字を上手く書けたことはありませんでした。

万年筆を使うようになって、少しはマシになったと本人としては思っていたけれど、ほんの少しマシになったに過ぎなかった。

文字も個性で、その人らしく書いていればいいと言われることもあるかもしれませんが、それが許される人は限られた人なのではないかとやっと分かってきました。

今まで自分らしさと思ってのびのびと書いてきた文字が、ものすごく嫌になって、なるべく癖をなくしたいと思うようになってきました。

毎月第1金曜日に堀谷龍玄先生が開講して下さるペン習字教室は、それを習う機会だと思っています。

なるべく先生のお手本に忠実に、似せるように書く。ペン習字を習う人は自分らしい文字なんて言ってはいけない。

堀谷先生のペン習字教室のおかげで、私の文字は変わってきたと思うけれど、昨夏突然書道がしたくなって、妻と書道教室に通っています。

教室では太筆のお習字をしていて、宿題でペン習字と小筆をしなければならなくて、ついていくのがやっとだけど、夕食後テレビも見ずに楽しく書いています。

妻は先生が褒めるほどの優等生だけど、私は教室のお荷物にならないように自分なりに努力していて、やはり癖とからしさというのは、形を習得する上で邪魔以外の何物でもないと実感しています。

私は癖のない、きれいな文字を書きたいと思っているけれど、それはお客様にも書いて欲しいと言っているのではなく、それぞれご自分らしい文字を書いて欲しいと思っています。

万年筆店という業種、販売員という職種のたしなみとして、きれいな文字を書かなければならないと思っています。

 


仕事を続けるエネルギー

2016-03-20 | 仕事について

Mに入ってもらってから、いかに地味なことの繰り返しである店の仕事を続けてもらうかということを考えている。

そんな子じゃないと分かっているけれど、外から見たら優雅な仕事に見えたかもしれないけれど、入ってみると結構地味で、しんどい作業の繰り返しだということに嫌気がさしていないだろうかなどと、心配したりします。

でも店の仕事というのはそんなもので、実は毎朝Mがしている掃除が最も大切な仕事で、それよりも先にするべきことなどないということを知ってもらって、そこにもやり甲斐を感じてもらいたい。

掃除ができているから、自信を持ってお客様をお迎えすることができるというのは、茶会の朝に茶室を履き清める亭主の心構えと同じだと思う。

私が会社で働いていた時、苦労させて妻に申し訳なかったけれど、給料の額を気にしたことがなかった。

自分で企画したコトや商品が実行できて、お客様の反応をすぐに知ることができることはとても面白く、失敗も多かったけれど、こんなに面白い仕事はないと思っていた。

まさにやり甲斐のある仕事で、金銭的な見返りを気にしたことはありませんでした。

よく労働時間と給料のワリが合わないと不平を言う人がいたけれど、販売というのは時間のかかる仕事で、他の時給で働く仕事とは同じように考えられないものだと早くに気づいていました。

始めるための能力や才能などはそれほど要求されないけれど、向いていないと続けられない仕事。

休みの日や家に帰ってもそれについて考え続けて、思いついたことを仕事時間に実行してみる仕事なので、オンオフの切り替えとか仕事とプライベートを切り離して気分転換したいと言う人には全く向かない仕事だと思います。

そういう割り切りができずに辞めていった人たちもたくさん見てきたけれど、それぞれの仕事の事情を理解せずに、自分の権利ばかり主張する人はどこに行っても長続きしないのではないかと思うこともあります。

そんなふうに言うと、根性論を社員に押し付ける創業社長の典型のようになってしまうけれど、私がMに見せることができるのはそういう仕事と、生き方で、自分ではそれが一番幸せな生き方だと思うからMに入ってもらった。

少し話が反れるけれど、その人の今までの人生で得た経験や趣味などが思わぬ形で発揮できたりするのが、小さな店での仕事だとも思っています。

残念ながら私はそういうものをあまり持ち合わせていなけれど、好きなことがあってのめり込んだもののある人は、それが必ず役に立つと思っています。

拘束時間は長いし、休みは少なくてそれが嫌な人も多いと思うけれど、店で働くということは本人次第でやり甲斐のある楽しいと思える仕事なのではないかと思っています。

 


親子の関係

2016-03-15 | 実生活

母は私が小さな頃から、勉強しなさい、そして先生と呼ばれる仕事に就きなさいと言っていた。

弁護士、医者、教師など、パイロットでもよかったようだけど。

自分の夢を子供に託していたのだと今なら思えるけれど、子供心には自分の虚栄心のために子供をブランド職業に就かせたいのだ、でも絶対にそうはならない、学校の勉強なんてしないと強情になっていた。

たまにテストで良い点をとったりして、母に褒められると嬉しかったけれど、勉強しなさいと言われるたびに私はそれから離れていきました。

そういうふうに言うと、自分の頭の足りなさを母のせいにしているようになるけれど、本を読むことは好きだったし、本を読んでいると勉強しなさいと言われないのでよく読んでいたことは今も役に立っているような気がします。

そういう経験があったからかどうか分からないけれど、息子には勉強しなさいと言ったことがない。

生まれつき息子は勉強が好きだったのかもしれないけれど、テスト勉強なども自分で計画を立てて、塾にも行かずにやる子供になっていた。子育てとは、親子とは不思議なものだと思います。

そんなふうなので息子が自分の店の後を継ぐというのは、全く考えられなくて、彼には彼の道があると思っている。

昨年末からスタッフMを後継者にするべく育てたいと思い、当店で働いてもらっている。

Mは当店で長い間聞香会をしてくれていて、若いのにそういうものを理解するすごい子だと言われたりしているけれど、若いのにすごいという言葉は、齢をとるごとに薄まっていく。

それに彼を育てる立場になると軽々しく褒められなくなってしまいました。

お客様方はもちろん彼に感心してすごいと言って下さっているけれど、今の自分に満足してほしくないし、そのまま固まってほしくないと思う私の立場では彼を誉めることは彼の仕事や人生の教訓の吸収力を弱めてしまうような気がして怖い。

息子には勉強しなさいと言ったことがないけれど、森脇には勉強しなさいと言っていて、彼が万年筆の仕事が嫌にならなければいいけれどと、少し心配しているけれど。

万年筆の仕事で生きていくのであれば、私の言葉は彼の今後の仕事のためになるとはっきり分かっているので、なるべく伝えながら、おだてずになるべく大きくなるように育てていきたいと思うのもまた、親心なのだと思う。


書く理由

2016-03-13 | 実生活

最近、来店して下さった方が「ブログ読んでいます」と言ってくれることが増えたような気がします。

たいてい私と同世代くらいの方のことが多く、この年代特有の人生観とか、感慨に共感していただけているのかもしれないと、有り難く思っています。

ある程度(10年くらい)ブログを書いてきて、飾らずにそのままの実感を書かないと続けることができないと思い始めてから、ブログを書くことが楽に、より楽しくなりました。

ネタがない時でも、ブログ時間に用事がある時以外は書くようにしていて今回はネタがなくて無理やり書いているなと、読んで下さっている人にわかる時があるかもしれません。

私が何でブログを書いているのかをお客様と考えたことがあったけれど、万年筆で書くという生き方を世の中に示したいからだということに行き当たりました。

もしかしたら内容はどんなものでもよかったのかもしれないけれど、その時自分が一番興味を持っていること、考えていることを書くことが多いし、書いている方は楽しい。

書きながらいろんな人のことが頭によぎります。

お客様などよく話をする人たち、長く会っていない親戚などのことをよく思い出しながら書いているけれど、高校時代お付き合いして下さっていた人のことはよく思い出します。

子供のようなお付き合いで、付き合いとは言えない情けない若い時の短い恋愛だったけれど、読んでくれていたらいいなと思うことがあります。

相変わらず、面白くも何ともない人間だけど、それなりの自分の居場所を見つけて、恥ずかしくはない生き方をしていると思ってもらいたい。

若い頃のそういう人間関係で、自分が未熟だったために中途半端で終わってしまったものは、心残りになっていつまでも人生の借りのようにあり続けている。

そういうものを返す足しになるのかどうか分からないけれど、今自分がしていることをしっかりやって、それを返したいと思う側面も書くということと、生きる道程にはあるのかもしれません。

でも私が生きる万年筆の世界は世界の中でほんのわずかなスペースしか持っていない、まだまだマニアックな世界で、一般とは程遠いものなので、読んでもらえることはないと思うので、読んでもらえるように万年筆を一般的にする努力からしないといけないと思っています。


工房楔春のイベント 3月26日(土)27日(日)

2016-03-08 | 仕事について

恒例の工房楔のイベントを3月26日(土)27日(日)に開催いたします。

木工家永田篤史さんは毎回このイベントに新作を持ち込んでくれるので、多くの方が楽しみにされているイベントです。ぜひご来店下さい。

皆さまにとって工房楔の木製品とは何だろうと考えます。

私にとってはいろんなことを教えてくれる教材のようなものなのかもしれないとよく思います。

永田さんを通して銘木を知って、そこからモノ作りについて思うことがよくあります。

永田さんと知り合う前は、木という素材は全てひとくくりで、使い込むと艶が出たり、手触りに独特感触があるということだけのものでした。

工房楔の木製品を知る前に見ていた木の製品は、大量生産向けの材料と技法で作られたものだったことに気付きませんでした。

木は希少な材料になるほど取れるサイズは限られていきますので、たくさん作らなければいけない製品、たくさん作ることで価格を抑えている製品では希少な材料を使うことができません。いわゆる銘木を大量生産で使うことは無理があります。

銘木という希少な材料の中でも工房楔はさらに限られた部分である杢の部分を使うことが多く、こうなると工房楔のように1点ずつに配慮したモノ作りでないと絶対に作ることができません。

加工する技法についても同じことが言えます。

腕の良い一人の職人だけが手掛けるのと、不特定多数の技量にバラつきのある職人さんたちに平均的に仕事をしてもらう加工法とでは違って当然です。

全体に配慮して作られたモノと1点ずつ完全な形に配慮して作るかという違いが双方にあって、同じ木製品と言っても全てが違うと言えます。

工房楔の永田さんが銘木の杢の部分にこだわるのは、杢に惹かれたからということもありますが、弛まぬ努力によって磨いた腕と経験で養ってきた良い材料を見抜く目という武器によって、大量生産の安い木製品と渡り合う戦略として杢にこだわっている部分もあるのではないかと思うことがあります。

それは考え過ぎなのかもしれないけれど、ひとつの木製品からいろんなことを教えられ、考えさせてくれる。

工房楔の木製品から、人は様々なものを感じ取っているのだと思います。