元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

訃報

2019-04-20 | 実生活

80年代のモンブラン146を愛用していた。
それがとても似合う人だった。

ペン習字教室には6年前から参加してくれていた。
19時の開始とともに先生の用意してくれていたお手本を皆黙々とお稽古し始める。
20時くらいになると、いつも手を止めて近くにいる誰かに話しかけていた。

それを合図に教室の雰囲気が変わって、リラックスした少し緩い感じに変わって、皆がおしゃべりを始める。
いつもペン習字教室の時間の流れの真ん中にいた。一番年上だったけれど、教室のムードメーカーのような存在だった。

1回は店に来てコーヒーを飲んで、私たちやその場に居合わせたお客様たちとおしゃべりして、夕方近くになると犬の散歩があるからと帰って行った。

元国語の先生でいろんなことを教えてもらったし、「吉宗くん」と呼ばれると、この歳でくん付けで呼んでくれる人なんていないので、学校時代に戻ったような気分になり嬉しかった。

先生時代に作ったプリントを一度見せてもらったことがあった。
まだコンピュータもなく、ワープロも珍しかった時代の手書きのプリントで、端正な揃った文字は活字よりも読みやすいと思った。
そのプリントを見ただけで、生徒想いの優しい先生だったことが分かった。

いろんなものを持ってきて、「これいらんか」と聞いてくれた。
使わなかったらかえって失礼だと思い、使わないものは素直にいりませんと断っていたけれど、そういう相手に変な気を遣わせない雰囲気を持っていた。

デジタルになってからカメラをやらなくなったと、古いニコンのレンズを何本かいただいた。
その中の28㎜F2.8は、ブログやペン語りの写真などでいつも使っている。そのレンズのおかげでボンヤリしていた写真が少しはシャキッとして、私にとって代え難いものになった。それをお伝えしたら少し嬉しそうにしてくれた。

肩が凝ったか、頭が痛いと言って途中で帰られた今月のペン習字教室の翌日突然倒れて、救急車で病院に運び込まれたけれど、そのまま亡くなってしまった。
前触れもなく、あまりにも潔い最後がその人らしい感じがしました。

学校を定年退職してからも皆の先生のような存在で、この店を優しく、温かく見守ってくれていた。
ありがとうございました。


肩たたき世代の心掛け

2019-04-14 | 実生活


ペリカンの蒔絵万年筆とんぼとSkyWindのポストカード。SkyWindさんはいつも私が見たい景色を見せてくれる。


気付いたら50歳になっていて、まだ若いと思っていた自分がこんな齢になっていることにいまだに戸惑っている。

自分が自分の齢に戸惑うのは、自分に齢をとる準備ができていなかったからなのではないかと思うけれど、とってしまったものはどうしようもない。自分の意識と実際の齢とのギャップを埋めないといけません。

世間からみると大人と言われる年齢を遥かに超えて、会社で言うと肩たたきが始まってもおかしくない年齢になっている。

お店など販売の仕事においては、経験というのはあまり役に立つものではなくて、それよりも新しい感性の方が大切だと私も思っているので、ある程度の年齢に達した人には辞めてもらいたいと会社の立場だと思うのかもしれません。会社という形態をとっている以上、本当は現場を退いた人を受け容れる勤務先がないといけないとは思うけれど。

給料が高いだけで、自分の経験や思い込みだけで仕事して、今の時代に自分をアップデートできていなければ、自分の店なので肩をたたく人はいないけれど、世間から肩たたきされてしまいます。

しかし、今の時勢は読みたいと思うけれど、同調はしたくないと思ったり、若い人たちよりも長くやってきたというつまらない誇りのようなものはあるので、この齢なりの存在価値を示したいとも思っています。

それを支える心の持ち方は、私の場合は若い人のお手本になりたいという想いです。

やるべきことをちゃんとやって、礼節のある心のこもった応対をするという当たり前の基本的なことを謙虚にちゃんとして、仕事のスタンダードを示すことは業種が違っても伝わると思います。

お客様方から教えられることばかりで、実は全くちゃんとできていないけれど、そうありたいと思う気持ちが今の自分の心の大きな部分を占めています。


言葉

2019-04-02 | 仕事について

元町駅西口から坂を上がると桜の木があり、この手前を左に曲がると当店があります。
桜の木は真っ黒な老木に見える。いつも早めに咲き始めます。今まさに満開です。

 

言葉にすると本当に何でもない当たり前のことですが、私が若い頃に最初に得た考えで重要だったのは、仕事を前向きにすると楽しくなるということでした。仕事を楽しめるようになると上手くいくことが多いということもありました。

楽しみながら自分が一番楽しいと思える方法でやった仕事は、今も身に付いていて、39歳11か月で始めたこの店の仕事の助けになっています。

どうすれば前向きに仕事ができるかというと、自分を暗示にかけることだというふうに私は思っています。

当時は、自分で自分を暗示にかけているということに気付いていなかったけれど。

どういうことかと言うと、自分のやらないといけない仕事があった時に自分がなぜその仕事をしないといけないのか、屁理屈をつけてでも自分を納得させることです。

論理的にその仕事をする理由の筋道が通っているとそれは力になります。

自分が向いている仕事や天職なんて誰もはじめから分かりません。

しかし、自分を暗示にかけて自分にはこの仕事が向いているし、この道でしか生きていくことができないと暗示にかけることができたら、それは天職になるのではないかと思います。

時には自分でかけた暗示が解けてしまいそうになるかもしれないけれど、暗示から解けない方法は目を他所に反らさず、自分の仕事に向き合い続けることだと思います。楽しみながら。

 

私たちは日本語という共通の言語で話していて、日常的な会話は通じています。

しかし、単語ひとつひとつの意味は通じていても、その言葉の本当に意味することが通じているのか疑問に思うことがあります。

50年生きてきて、自分なりにいい考えだったと思った、自分の人生の奥義のようなものを伝えようと思った時に、それがちゃんと伝わっているのか分からないことがあります。

そういうとっておきの大切な考えほど、その人の中でよく練られているので、言葉の選択が独特で、同じことを言うにしても使う言葉、選ぶ単語は人それぞれなのかもしれません。

結局、早くその人の人生を良くしてもらいたいと話しても、その話にピンとこないこともあるかもしれません。
ずっと後になってこういうことが言いたかったのかと、その言われた人自身が自分で気付くことの方が多いのかもしれません。

私が仕事において一番大切なことに気付いたのは30歳の時で、それは自分で気付いて次の朝から人生が変わっていたけれど、もっと以前に誰かが話してくれたことだったのかもしれません。