元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

世界の動き、身の回りの動き

2016-06-28 | 仕事について

イギリスの国民投票の結果に、世界経済はこれからどうなっていくのだろうと世界中が危惧しているのというニュースを見ると、それが自分の生活にどういう影響を与えるのか分からないけれど、漠然とした不安を抱きます。

景気は悪いよりも良い方がいいに決まっていて、そういう時代は憂鬱な雰囲気が流れている。

80年代を思い返すと世の中が気楽で、明るい雰囲気で、それは中学生、高校生でも感じることができました。

景気が良くても実際的な恩恵はないけれど、雰囲気は皆感じている。

しかし、私たちのような小さな店の場合、株価や為替などの動きと業績が連動することはなくて、ほとんどが自店の問題だということを繰り返し思います。

もしかしたら天気さえも関係ないのかもしれません。

自店の問題というのは、雨が降っていて、行くのが面倒な日でもその店に行く価値があると思ってもらえるかどうかということで、行く価値というのはその店でないとだめだと思ってもらえることだと解釈しています。

店を始めて9年近く経ちます。

今まで世界経済の状態は良かったり、悪かったりで、最悪と言われたリーマンショックも東日本大震災もあったけれど、売上を左右したのはやはり当店にネタがあったかどうかだし、商売に勝ち負けがあるとすれば他所のお店よりも売上が良いか悪いかではなく、赤字か黒字か、そして永続していけるかどうかということが勝敗だと思っている。

でも実直に仕事を黙々とこなしているだけではダメで、何か行ってみたいと思える小さな感動がないと、少しずつ客足は遠のき、やがて誰も来てくれなくなるだろうと思いますし、店主の健康状態、精神状態が店の業績を左右するのだと思います。

なるべく穏やかな気持ちで、元気でいたいと思っているけれど、小さな感動がいつも用意できているとは思えない。でも毎日、人とモノ、人と人との何か美しいシーンがこの店で見られ、それを演出する場であり続けたい。

それが実体経済で、金融の世界とは価値観が少し違うような気がする。

世界経済と自分の仕事は連動しているとは思わないけれど、自分が今生きている時代に世界で何が起こっているのかということを知りたいとは強く思っています。


日常の風景

2016-06-26 | 実生活

毎日の通勤途上の風景や近所の何でもない道を撮って写真にできる人が本当に写真の上手い人だと思います。

私も毎日見ている何でもない風景を写真にしたいと思って、はじめの頃カメラを提げて通勤していたけれど、そういう写真は撮れなかった。

写真を撮るためにどこかに出掛けて行かないとシャッターを押すことができないのは未熟だからだけど、いつかそういう写真を撮りたいと思っています。

「珈琲挽き」(小沼丹著)という随筆集を読みました。

このブログなど、自分で書いているものは随筆と呼べる代物ではないけれど、良い随筆を読むことは勉強になるし、随筆を読むこと自体が好きだからなるべく読みたいと思っています。

タイトルに惹かれて読み始めたけれど、「珈琲挽き」は80数篇収められている中のひとつで、全編コーヒーの話というわけではありません

毎日の作者の家の庭での四季の移ろい、学校時代の先生の思い出など、誰にでもある話を静かで少しユーモラスな文体で、短い随筆にまとめられていて、読んでいて気付いたら2篇、3篇と読み進んでいる。

非日常的な貴重な体験をエッセイにまとめたものはよくあって、すごいなとは思いますが、著者と一緒にその風景を味わうような感覚を持つことはできません。

誰もすごいなという体験を書くよりも、本当に普通の、誰にでもある日常を読みやすく面白く書くことの方が難しいのではないかと思います。

私もこのブログで、何でもない日常をおもしろく書くことができるようになれたらといつも思っているけれど、まだまだ修行が足りないようです。


峠越えの入り口

2016-06-21 | 実生活

ブルーの小さな車がウチの車。2人で乗るには十分で大変気に入っている。

 

 

現代になっても、昔からのその土地の雰囲気というのは変わらないのではないかとよく思います。

例えば、今はどちらも神戸市ですが、須磨一の谷から東は摂津の国、西は播磨の国というように昔は違う国でしたが、その名残は今も感じます。

須磨まではそれより東の京阪神の雰囲気がありますが、塩屋から西は岡山、広島などの山陽地方と共通するものを感じます。

昔の国割りが地形に沿った部分が大きかったからその名残を今も感じるのか分からないけれど、そういった昔の国、道の雰囲気はいたるところに残っています。

街道沿いにあって、峠越えの最後の宿場町だったようなところは独特の雰囲気を持っています。

神戸なら有馬街道の平野や三木街道の板宿、宝塚にもそんな雰囲気があります。

開けた平地が終わって、そこから山と山の間を通る寂し気な峠道に入っていく最後の宿場町。

先日美山町に行った時に通った川西市にもそんな雰囲気が感じられる場所がありました。

開けていた地形から少しずつ山が迫ってきて、谷川沿いの道になっていく。

車で走るとこれからどんなふうに風景が変わっていくのかとワクワクするけれど、昔の人はきっと決死の想いで、覚悟を持ってその道に入っていったのではないかと想像します。

交通網が発達して、人の住む場所がどんどん大きくなって、町が大きくなっていっても何か感じることができる土地の雰囲気。

それを感じることが旅の大きな楽しみだと思っています。

 

 


丹波路

2016-06-19 | 実生活

書道教室が休みの休日、妻を助手席に乗せて、園部の生身天満宮へ息子の教員採用試験の合格祈願に行き、足を伸ばして美山町に行きました。

美山町のかやぶき屋根の集落を何かの写真で見たことがあって、行ってみたいと思っていました。

地図で見ると非常に遠いように思えましたが、新しいトンネルがいくつもできていて、思ったより早く、川西から1時間半、家から2時間半ほどで着きました。あの山深さなら、兵庫県内の道なら、これの1.5倍くらいはかかったかもしれません。

かやぶき集落は、由良川沿いを走る府道を曲がると突然姿を現し、まるで映画のセットのようでそこにあるのが不思議な感じがしましたが、それだけ現代の建物と違っているということなのだと思います。

離れて見ると、この田舎の中であっても現代の風景から浮いた存在に見えましたが、集落内を歩くと日本人のDNAに書き込まれている情報からか、懐かしい心の中にある原風景に思えます。

集落内を写真を撮りながら歩きました。
それはのんびりした気分になれる、とても楽しい時間で、写真を撮り歩くことが、自分は本当に好きなのだと思います。上手くはならないけれど、レンズやカメラのおかげできれいに撮れたとか、あのレンズがあればもっと良く撮れるのにと言っていられるレベルに居るのが一番楽しい取り組み方なのだと思います。

私だけ写真を撮るのだと何となく、落ち着いて撮れないけれど、妻も自分なりの写真を撮って楽しんでくれているので、気兼ねなく遊んでいられる。

自分の日常から遠く離れたこういった風景の中を車を走らせていると、いつも心がざわつくような、悲しみに近い感情になります。

こういうところで生計を立てて暮らしている人達がいるということに、ここでの暮らしについて思いを馳せたりして、こういう田舎に住む人の我慢強さ、粘り強さのようなものに胸を打たれます。

たまに廃屋があったり、つぶれてしまったレストランが荒れるに任せて放置されているのを見ると、ここで自分の仕事について夢を見て、それが破れてしまった人の想いについて考えます。

はじめはお客さんが来てくれたかもしれないけれど、客足が遠のいていく店の中で店主はどのような気持ちでいたのだろうか。
小さい店にとって景気は関係ないと思っているけれど、不景気はこういう所から蝕んでいくのだと思います。

私はきっと何を見ても、自分の都合で日常と重ね合わせて想像してしまい、自分の肩に乗っている責任の重さをいつも感じているのだと思います。

でも、日常の見慣れた風景の中にいるよりも、日頃全く目にすることのない景色を見て、こういうことを考える時間が私には必要で、この時間があるから自分の仕事についていろいろ考えることができるし、これが私なりのリフレッシュの仕方なのだと分かっています。

ほとんど下道ですが、気持ち良く走ることができる道がずっと続いていて、久し振りにドライブもすることができました。

 


仕事の経験

2016-06-14 | 仕事について

( Iさんからお借りしたエルパスイーターレンズで撮影しています


販売という仕事において、経験はあまり大きな意味を持たないものだと思っています。

私は25年くらいの仕事の経験があって、変に売れ筋を知っているので自分が持っている知識や経験に固執してしまいそうになります。

それはマイナスにしかならなくて、このまま続けると何も変わらない、古臭い店になってしまうという危機感はいつも抱いていて、自分の頭を柔らかくして、新しい考え方や、若者の意見をいつでも取り入れることができる心づもりでなるべくいたいと思っている。

販売において経験が役に立つのは、お客様とのやり取りや自分のモチベーションの保ち方など精神的な部分に限っていて、その他の部分においては時代は変わっていくので、経験はあまり意味を持ちません。

仕事を始めてすぐの子が情熱があれば活躍することができるのが、販売の仕事の特長だと思います。

過去の成功体験に固執してしまうのが販売の仕事において一番やってはいけないことだと分かっているので、なるべくそうならないようにしたいと思うけれど、大した成功体験もないので、その心配はないのかもしれない。

ペン先調整は逆に経験を積めば積むほど上手くなっていく。

真剣にやればいつも新しい発見があるし、昨日できなかったことが今日できたりする。

今の私のペン先調整のやり方、考え方は、先生につかず、自分で切り拓いてきた道なので、余計に時間がかかっているのかもしれないけれど、自分が数年かけて得たことをスタッフMには短期間で伝えることができると思っていて、きっと彼はすぐに一人前になるだろう。

ペン先調整の技術は、正しい考え方を持って経験を積めばやればやるほど上手くなる。

でも勘違いしたまま職歴を伸ばすと人に迷惑をかけるものだと思っているので、彼にも正しい考え方を伝えたいと思っています。

モノを書くことにおいては経験よりも、センスに拠るところが大きいと思っている。

経験を積めば慣れてきて、スピードは速くなるけれど。

だから私はなかなか上手くならないけれど、自分のレベルでは上手さよりも心だと、読む人に甘えている。

誰もが仕事良くしたいと思っている。経験を積めば自動的に良くなっていってくれればいいけれど、結局のところ良くなる考え方があるような気がします。

それがどんな考え方なのかは謙虚な心と情熱としか今の自分には言うことができず、明確なものを示すことができない。


人との出会い

2016-06-12 | 仕事について

人と人との出会いは、出会おうと思ってもなかなか出会えるものではなく、ある日突然、でも何らかの必然や過程があってあるのだと、今までの経験で思います。

ある日突然その人が私の前に現れて力を貸してくれたり、相談に乗ってくれたりする。

社会人になってから今まで本当にたくさんの人の世話になってきたと思っています。

その人たちを誰一人忘れてはいないと思うし、今でもことあるごとに思い出して感謝しているけれど、多くの人とは疎遠になってしまった。

ライフサイクルが変わったとか、いろんな理由があるけれど、自分の至らなさが自分を見込んでくれた彼らを遠ざけてしまったのではないかと思っています

何となく面白そうなヤツだと思ったけれど、大したことなかったと思われて、皆離れてしまったのかもしれないと思うと自分の力不足を申し訳なく思うし、期待に応えられる人間になりたいと思う。

しかし、はじめに私が上手いこと言ったわけではなく、相手が勝手に買いかぶっただけだとも思っている。

関係が長く続いている人とは無理することなく自然に関係が続いている。

人との出会いにおいてあの人と組めば金儲けできそうだとか、安泰だとか頼るような気持ちや、お金が絡むと長続きしないような気がするし、上手くいかないような気がします。やはりお互いの人柄から一緒にいたいと思って、お互い様の関係でないと長く続かない。

何か交流会のようなものに出掛けて行ってビジネスチャンスをつかむということを貪欲にすればいいのかもしれないけれど、知らないところに行って、自分の話を聞きたいかどうか分からない知らない人に自分のことをいろいろ話すような不躾なことはしたくないと思ってしまう。

だから店は成長もせず、ずっと変わらないのかもしれないけれど、店を良くしたいという気持ちはいつも持っているので、自分なりのやり方でやっていきたい。

今自分と交流を持ってくれている人たちに、伝わりにくいけれどいつも感謝している。


書き続ける話

2016-06-05 | 実生活

たまに居合わせた数人のお客様方を巻き込んで面白い話になって、議論することがあり、これが店での仕事の醍醐味だと思っています。

昨日はどうしたら継続して手帳に書くことができるのかという話をしました。

手帳やノートにモノを書くことが日常的な行為で、お風呂に入ったり、顔を洗ったりすることと同じようなものになっている私にとって、書かない日はきっとないと思うけれど、世の中には書こうと思わないと継続して手帳を書き続けられない人もいて、その人たちは手帳を書いている人が一体何を書いているのか不思議だと言う。

若い頃は手帳を書かなくても仕事としては同じで、何か書くことが楽しくて、手帳を書くことが自分の趣味だからと思っていましたが、最近は仕事と手帳を書くということは切り離せないものになっていて、自分が書いた手帳を元に仕事をしているようなところがあります。

学校の頃はあまりしなかったけれど、翌日の予習をしておくと次の日物事が円滑に運び、漏れや忘れが少なくなります。

もちろんその方がいいに決まっているけれど、想定外にお客様が多く来られてできなかった作業は明日に持ち越すというToDoの管理と何時に何があった、取引先と何を決めたというドキュメントを私は手帳に書いている。

私は手帳に一切感情を書かないけれど、そういうことも日記風に書いている人もいて、それぞれなのだと思います。

忙しい店、職場などはお客様が販売員を動かしてくれて、その流れで動いていれば仕事したことになるけれど、受動的に動くだけではなく、1日1つでも自分主体で動くことを作るために役に立つのが手帳だと思います。

そしてそれがはじめはわずかかもしれないけれど、長い年月を経ると他の人と大きな差になっているのかもしれないと思います。