元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

永遠に続くもの

2022-10-29 | 実生活

15年やっているといろんな状況が変わってきます。仕事上の関係も永遠のものなどないと思わされることもあって、今までできていたことができなくなることもあります。ここ最近何度かそういうことがありました。

個人企業の仕事は個々の生活の上に成り立っているので、生きているうちにその生活が変って、それが仕事の関係に影響を与えることもあるだろう。
それはその人の人生だから今まで通りの関係が続けられなくなっても、私がそれを責めることはできないし、責めても仕方ない。
15年間やってきたという事実も、それは今までの話であって、それがこれからも共にやって行くことの約束ではないのだ。

時間は流れて、私たちの状況も常に変化しているのだから関係性が変っても当然だと思うようになりました。
人と人との関係に永遠などないのだと、考えてみると当たり前のことだけど、ようやく自分の中で消化できるようになった。

15年間静かに自分たちにできることをやってきたけれど、取り巻く状況が変化してきました。
今までできていたことができなくなって、焦って少しでも元のパフォーマンスに戻そうとするけれど、すぐには戻らない。
15年かけて築いてきたものなのだから当然なのだろうけれど、焦らずにまた積み重ねていけばいいのだと最近では思うようになりました。

人と人との関係は様々な要因によってどうしても変わってしまうものだと思う。
今は外に目を向けて、また今まで以上の仕事ができるように積み上げて行けばいいのだ、今までしてきたように。

人との関係は変わるけれど、せめて自分は変わらないでいたいと思います。

変わらないで存在するためには、自分は何が楽しくて、自分が皆さんに何を伝えたかったのかを忘れなければ何とかやっていけるのではないかと思っています。

私は書くことが好きで、書くことが自分にとって良い作用がありましたので、自分と同じように書くことを楽しむ人を増やしたいと思いました。書くことが一番楽しくできるのは万年筆なので、万年筆を使う人を増やしたいと思いました
書くことが楽しくなるとモノを考えるようになって、本をたくさん読むようになります。
本をたくさん読むと自分の考えが固まってきて、自分のものになります。
考えが固まることで、自分の生き方が出来上がる。

私は人の生き方に興味があって、それを見せてくれる司馬遼太郎などを夢中になって読んだし、英雄でなくても身近な人の生き方にも興味があった。
それはきっと自分が楽しいと思う、書くことにつながっていたからだと、最近気付きました。
こうやってモノを考えて書くことは楽しくて、それを伝えたいといつも思っています。


骨太な生き方

2021-03-14 | 実生活

人の生き方に興味がある。
その人は、どんな仕事をして、どういう性格で、どんな暮らしをしているということよりも、その人がどういう信念を持って、どうありたいと思って生きてきたかという精神的なものに興味があります。

だから司馬遼太郎の小説に今夢中になって、暇さえあれば読んでいるのだろう。
司馬遼太郎は、まさにそれぞれの歴史上の人物が、どんな思想を持ってどんな生き方をしたかを書いた作家だったと思うので、それが私の好みにピタリと合った。

人の生き方に正解はないけれど、多くの人の共感を得る生き方と、そうでないものがきっとあるのだと思います。
どうせなら自分の生き方に、多くの人が共感してほしい。
自分の理想的な生き方は、自分の生涯が終わった時に、いい人生だったと思うことができるかどうかだと決めている。
その期に及んで、よかったと思うには、自分の信念を貫くということになるのかもしれません。
いくら経済的に安泰でも、誰かを騙したり、裏切ったりしていたら、最後にいい人生だったと思うことはできないのではないか。

万年筆は自分の生き方を表現することができるものだと思っています。だからそれを仕事に選んだというわけではなく、万年筆を仕事にするようになったから、人の生き方に興味を持つようになったのだと思います。

意外に思う人がいたり、実際の自分のイメージとはかけ離れていると思われるかもしれないけれど、私自身骨太に生きたいと思っています。

多少の困難があっても、変わらずに平然と生きていたい。精神的にも、肉体的にもタフでいたい。

最近はモンブラン149を気に入ってよく使っています。
キャップの権威的なホワイトスターにはどちらかと言うと反発は覚えるけれど、あの大きさからくるボディなどの肉厚さ、丈夫さに、自分もそうありたいと憧れるのです。


書く理由

2016-03-13 | 実生活

最近、来店して下さった方が「ブログ読んでいます」と言ってくれることが増えたような気がします。

たいてい私と同世代くらいの方のことが多く、この年代特有の人生観とか、感慨に共感していただけているのかもしれないと、有り難く思っています。

ある程度(10年くらい)ブログを書いてきて、飾らずにそのままの実感を書かないと続けることができないと思い始めてから、ブログを書くことが楽に、より楽しくなりました。

ネタがない時でも、ブログ時間に用事がある時以外は書くようにしていて今回はネタがなくて無理やり書いているなと、読んで下さっている人にわかる時があるかもしれません。

私が何でブログを書いているのかをお客様と考えたことがあったけれど、万年筆で書くという生き方を世の中に示したいからだということに行き当たりました。

もしかしたら内容はどんなものでもよかったのかもしれないけれど、その時自分が一番興味を持っていること、考えていることを書くことが多いし、書いている方は楽しい。

書きながらいろんな人のことが頭によぎります。

お客様などよく話をする人たち、長く会っていない親戚などのことをよく思い出しながら書いているけれど、高校時代お付き合いして下さっていた人のことはよく思い出します。

子供のようなお付き合いで、付き合いとは言えない情けない若い時の短い恋愛だったけれど、読んでくれていたらいいなと思うことがあります。

相変わらず、面白くも何ともない人間だけど、それなりの自分の居場所を見つけて、恥ずかしくはない生き方をしていると思ってもらいたい。

若い頃のそういう人間関係で、自分が未熟だったために中途半端で終わってしまったものは、心残りになっていつまでも人生の借りのようにあり続けている。

そういうものを返す足しになるのかどうか分からないけれど、今自分がしていることをしっかりやって、それを返したいと思う側面も書くということと、生きる道程にはあるのかもしれません。

でも私が生きる万年筆の世界は世界の中でほんのわずかなスペースしか持っていない、まだまだマニアックな世界で、一般とは程遠いものなので、読んでもらえることはないと思うので、読んでもらえるように万年筆を一般的にする努力からしないといけないと思っています。


書く生き方

2015-10-27 | 実生活

私物のオリジナルペンレスト兼用万年筆ケースコンチネンタル 味が出てきました

 

手書きの魅力は?と聞かれて困ってしまうことがよくあります。

それだけ万年筆を使わない人との距離が知らないうちにできてしまったのだと実感してしまいますが、自分のとって万年筆で書くことが当たり前になっているし、手で書かなければノートや手帳は何で書くのかというふうに思ってしまいます。

その場合の魅力とはきっと手紙などのパソコン文字に対して肉筆の魅力ということなのかもしれないので、その時は少し大袈裟に思われるかもしれないけれど、生き方が表れるのではないかと答えます。

必要に迫られていないのに、仕事でも何でもないのに文字をノートや手帳に書いたりすることを、そういう習慣のない人から見ると信じられないことだと思います。

書く習慣のある人とそうでない人の違いは、万年筆を持っているという理由ではなく、もっと根源的な部分、書くという生き方をする素養があるかどうかではないかと思っています。

自分はたまたま書く生き方をする素養があって、書くことを一番楽しくできるものは万年筆だと直感的に感じて使うようになった。

万年筆の存在には、書く生き方をする人ならすぐに気付くと思います。

私の役割はその素養がある人と万年筆を引き合わせることなのではないかと考えるようになりました。
その役割を請け負うようになったのは、きっと今まで自分が経験してきたこと、環境などと関係があるのではないか。

勉強は全くしなかったし、やりたいことも、将来自分が何をしているかもイメージできない情けない高校生活を28年前に送っていたけれど、その時から自分は書くことが好きだということには気付いていました

書くことが好きだったので万年筆には憧れていたけれど、まだ自分の使うものではないことも分かっていました。

卒業した高校は神戸市西区の町外れ(当時)にあって、勉強が得意な子が来る学校ではなかったと言うと同級生たちに申し訳ないけれど。

自分では学校教育の落伍者だと思っていて、高校時代のことはあまり振り返りたくないと思っていたけれど、それも今の自分の役割に関係あるのではないかと思い始めています。

同級生たちは難しい大学や大きな会社には行かなかったけれど、それぞれオリジナルの生き方を見つけて、目をキラキラさせてそれを実践している。

そんな彼らの活躍を見聞きすると、とても励みになりますし、誇りに思います。
自分も自分なりの道、役割を堂々と全うしたいと思います。

あれから28年も経って、今自分の店に来てくれる同級生たちからエネルギーをもらえることに、不思議な縁のようなものを感じて有り難く思っています。


怒りの感情

2015-09-13 | 実生活

青山繁晴氏の「ぼくらの祖国」を読みました。

青山さんも、この本もずっと気になっていて、読まないといけないと思っていましたが時間が過ぎて今になってしまいました。

でも青山さんがテレビ番組「スーパーニュースアンカー」で言っていたことは、日本国民として知っておかないといけないと思うことばかりでした。

こんなに真剣に祖国である日本のことを考えて、働いている人がいるのにと、後ろめたくなってしまい、背筋が伸びました。

祖国という言葉には、取り返さないといけないと思っている人、失ってしまい、離れた所からそこを想う人が口にする言葉のようなイメージがありましたが、この国土は立派な私たちの祖国であって、それが侵されることに私たちは怒らないといけないし、怒らない国家機関に対しても怒りを持たないといけない。

国家機関は国民に誇りを守るということはこういうことだと示さないといけないと思うけれど、それをしないのは、周辺の国々が日本をナメているように、国家機関が日本国民をナメていると思われても仕方ないと思うけれど。

国家機関でなくても、自分の誇りを踏みにじられるようなことがあったら怒らないといけないと思います。

踏みにじられて、そこに意思を示さなかったり、それを許すことは死んだも同然だと本気で思う。

自分の目先の利益や謝っている人に対して、自分が優位な立場にいるときに怒るのは、大人のすることではないと思うけれど、怒る時には怒らないといけない。そして、許さないといけない。

怒るべきかどうか、大人になるほどその判断は難しくなっているような気もします。

怒る前によく考えようとする習慣がついてしまって、怒ることの少なかった私に怒ることを教えてくれたのは伊集院静氏でした。

伊集院氏は言っていることは気持ちいいほどメチャクチャだけど、世の中の道理を教えてくれた作家で、怒るべきことも教えてくれました。

教えられないと怒れないとは、何とも情けないし、それは国土を侵されてもヘラヘラしている日本人らしいのかもしれないけれど、利害の対立する周りの国と良い関係を保つためにも、私たちが一人の大人として自立して仕事して、生活するためにも必要なことなのだと思っています。

 

 


アラスカに出会って

2015-05-03 | 実生活

 

今まで何となく西洋文明への憧れがありました。

向こうの歴史的なもの、街並み、発信されるカルチャーなどに憧れて、自分の生活や仕事の参考にしたりすることもありました。

それはアジアなど自分たちの文化よりも美しく、洗練された、進んだものであるような気がしていました。

テレビなどメディアなどでも西洋文明への憧れや賞賛するものは多く見られ、まるで私たちは欧米をお手本にしないといけないように述べられることもあります。

でもちょっと違う、西洋文明はよそ行きの文化なのではないか、そして我々は本来生き方にも反映される精神性の文化を持っているのではないかと考えさせられ、今世界の本流になっている西洋志向に流されてはいけないと思うようになったのは、アラスカを撮り続けた写真家星野道夫氏の本を読むようになったこともひとつのきっかけです。

力づくでヨーロッパ以外の地域を支配しようとした国々の文化に何で染まらないといけないのか、自分たちの精神を失ってしまったら、国土を占領されているのと同じではないかと思い始めました。

自分たちが生きていくために、自然の恩恵である獲物を獲る。
そして、自分たち人間も、獲物たちと同じ自然の一部で、征服するのではなく共生する。
そして、文明は未来永劫残すのではなく、使われなくなったら朽ち果て、やがて自然の一部になっていき、人間も動物たちと同じように、命が無くなればまた自然に帰っていくというエスキモーやアサバスカンインディアンの考え方を知り、共感します。

人間は、この自然の中で生きていくために活動しているに過ぎないのではないかと思います。
ヒグマが冬眠の前に栄養のあるものをなるべく食べて腹を満たそうとするのも、長い冬の前に人間が暖炉にくべる薪をたくさん集めて備えるのも同じ生きるためで、それは仕事をしてお金を得ている我々の仕事と、何ら違いがないような気がしてきました。

自然の中で生きる人たちは自分たちに恩恵を与える自然を大切にし、畏怖の念を持ち続けている。
日本人にもそういう感覚は残っていて、よく理解できると思います。

人を呼ぶためにきれいに整えられた観光に力を入れている国で、犯罪に合わないように余程気を付けないといけないのはおかしいと思う。
それよりも美しい自然の中で、分をわきまえて暮らす人たちがいる土地への憧れが強くなっています。


本分とは関係ない、垂水漁港の風景。

 


良い大人

2015-03-08 | 実生活

良い大人になりたいと思っています。

「いい大人」はただ齢を無駄に食っただけの、他人から皮肉っぽく言われる言い方だけど、若い人のお手本となるような良い大人を目指している。

元々、男の子が憧れるような、女性がどうしようもなく惹かれるような不良性は持ち合わせていないし、積極的に周りを引っ張っていくようなリーダー気質も持っていなく、若い頃から青二才ぽく見られて、なぜかそれは今も変わっていないけれど、私なりの良い大人の示し方があるはずだと思います。

先に生まれた人間として私にできることは、良い大人でいて、あんなふうになってもいいかもしれないと若い人に思ってもらえるような存在でいることしかないのかもしれない。

今までほとんどのお客様が年上の方で、その交流からいろんなことを直接的、間接的に教えてもらってきて、それは私の人生においてとても大切なものになってきたけれど、最近自分よりも年下のお客様が増えてきて逆の立場になりつつあることを思い知らされています。

もちろん年下の人から教わることも多く、教え、教えられることに年齢の上下は関係ないけれど、人生を46年間生きてきた私を、先を歩く人間のサンプルとして見る人もいると思うと、良い大人でいたいと思うのです

他にもそんなふうに思う近況がありました。

地元誌の神戸新聞やサンケイ新聞に当店が紹介されて、既知の私の顔は知っているけれど何をしているか知らなかったような人が私の仕事に興味を持ってくれたりして、店に来てくれるようになりました。

息子のバイト先の先輩のお父様が来られたり、息子の彼女のお母様が当店に行きたいと言ってくれたりして、息子の交友関係も仕事とは無関係ではなくなっている。

今更大慌てで良い大人になろうとしているようにも思われるかもしれないし、実際そうなのかもしれないけれど、若い人から見てああなりたいという大人になって、我が道を行く背中を見せ続けることが私の良い大人の示し方なのかもしれないと思っています。


借りを返す

2014-07-22 | 実生活

私の大人になってからの人生は、若き日の借りを少しずつ返すためにあるのだと思っています。

若い時の自分の不甲斐なさから感じた鬱屈した想いを抱いて過ごした無為な日々をもう二度と過ごしたくないと思って以後生きてきたように思います。

子供の頃からずっと野球をやってきて、高1の時にある反発心があって辞めた後、無為な時間を過ごしていました。

野球部を辞めた理由が、大人になってから会社を辞めた理由のひとつと何となく似ていて、何歳になっても人の本質は変わらないと思いました。

やることがなかった私を受け容れて、付き合ってくれたのが、先に野球部を辞めていたKくんともう一人のKくんでした。

3人で何かをしようというわけではなく、ただそれぞれ誰かの家に行って、漫画を読んだりして、夜に帰る。

学校の勉強もやる気が起きなくて、3人ともあまりしていなかったと思います。

あの時のことは自分の人生の暗部になっている思い出したくない日々だし、私が若い人に知ってもらいたいと何か話すのは、たいていこの時の自分をイメージしている。

2年、3年と上っていくうちに自然と付き合わなくなって、高校を卒業してからは消息を聞くこともなかった。


先日、高校の同窓会があって、その後30年振りに3人揃いました。

3人であれからどうしていたか言い合い、あの時の自分たちのカスさ加減を笑い飛ばしているうちに、思い出したくないと思っていた人生の暗部が水に流れたような、何となくずっと借りのように感じていた借りが返せたように思いました。

Kくんは前にも店に来てくれたけれど、美容師として自分の店でしっかりとした地位を築いてやっているし、もう一人のKくんは会社を興していくつものレストランを経営していて、二人ともそれぞれ個性というか、オーラのようなものを持っていた。

それぞれが自分のやりたいこと(私たちの場合はそれしかないこと)を見つけて、あれからただ前を見続けてきて、やっと振り返る機会を得たように思いました。

私の場合、二度とあんな無気力な自分でいたくないという想いから、アルバイトも仕事も前向きにやってくることができて今に至っているけれど、きっと二人のKくんも私とそう変わらない想いで、その後出会ったものに飛び乗ったのではないかと思っています。

3人で話せるとは思っていなかったし、正直話したいと思っていなかったけれど、それであの時のことが暗い記憶から、良い思い出になったことは不思議な気がして、私にはとても嬉しいことでした。

 

 

 

 


先生

2014-05-20 | 実生活

私には、とても恵まれていることだと思っていますが、先生と呼べる人が何人もいて、それぞれの先生から本では得られない、自分の実情に合った教えをもらっています。

それらの教えを守って実行することもあるし、胸にしまったままにしているものもありますが、自分の判断で自分のやり方に合っているか、そのやり方が好きかどうかで判断しています。

そういった教えを受けた時に自分のフィルターを通して、取り入れるか入れないかを判断することは大切で、言われたことを盲信して実行すると、その主体は自分ではなくなってしまって、未消化のままサマにならないことをしてしまうという、いろいろおかしなことになります。

自分の流儀に変換することがとても大切で、それがその教えを生かすことなのだと分ったのは本当に最近のことで、分るのに時間がかかったことは恥ずかしいことだけど。

ル・ボナーの松本さんは私にとって全ての始まりで、本当にいろんなことを教えてもらっている。

直接言葉で、こうした方がいいよと言われることは少なくなったけれど、松本さんの仕事振りを直接あるいはブログなどから垣間見たりして、大いに参考にさせていただいていて、いかにして個人商店である我々が自分たちの仕事を継続させるかを勉強させてもらっています。

大和座狂言事務所の安東先生からは、自分らしく生きていく上での、自分がブレずに仕事していく上での精神を教えられています。

安東先生は、こうしなさいとは絶対に言われないけれど、著書や大和座通信、お手紙そして舞台での姿からそのメッセージは力強いエネルギーによって伝えられています。

電話でいろいろ教えてくださる関東に住んでおられる先生は、きっと誰もこの人のようになりたいと思うような成功者で、とてもキレのある思考の人。

世界中で起こっていることで私が知っていることは全てこの先生から教えてもらったことだと言える。

お茶の先生からも、とても共感することできる茶道的心構え、態度を勉強させてもらって、自分が本能的に良いとするものの裏付けをすることができていることは、大きな後ろ盾があるようで心強く感じます。

みなすごい人だと思うし、その人たちのように自分もなりたいと思う、目標とも言える先生たちと直接話すことができることにいつも感謝しています。

 

先生ではないけれど・・・、でも違う意味で元先生だけど、父によく電話するようになりました。

帰宅途中、バス停から家まで少し歩くので、その時に週数回のかけています。

隣に住んでいて、休みの日の夜に顔を出してはいるけれど、電話もした方がいいと思って、今年の初めからかけるようになった。

男同士の親子というのはそれほど話すこともなく、だから今までも話すこともなく来てしまった。

共通の話題は、私の大学生の息子のことか、タイにいる妹のことばかりだけど、近況や仕事のことも含めてなるべく話すようにしています。

なぜ父に電話するのか自分でもよく分からないけれど、年をとるごとにこういうことが大切に思えてきました。


さ迷う特権

2014-04-27 | 実生活

今年は休みがあまりつながっていないですが、ゴールデンウィークがとてもいい天気で始まり、私もいつもと違うようなワクワクする気分になっています。

祭日とか、週末がプライベートでは関係ない生活になって20年以上になります。

それは私にとってもう当たり前のことになっていて、ゴールデンウィークはお客様が遠方から来て下さることが多く、後半はヒマなことが多いという仕事の上で考慮するべき期間です。

何度も書いているけれど、仕事をするようになる前のゴールデンウィークに思い出はあって、最も思い出深いものは、大学1年生の時の一人で京都を巡る旅でした。

ゴールデンウィークの大学が休みの間、毎日京都に通い、有名なお寺や名所をほとんど周った。

大学生になったばかりの空想の世界に生きる文学的なものが好きな青年には、どの場所も空想を刺激されるところで、その旅を包んでいた明るい空気を今も懐かしく思い出します。

自分はどこにでも好きなところに行くことができるという感覚を実感しました。

今から考えるとその時にも、仕事のようなやりたいことは当時の私にも漠然とあったけれど、それをするためにはどういったキャリアが必要かとか、どういう努力をしないとけないかとか、あまりにも無知でありすぎました。

自分の夢を語ることが恥ずかしいと思っていた、そしてその夢を語る大人が近くにいなかったということが、当時の自分の夢を実現するために欠落していた部分だったと分りますが。

若者というのは無知で、身の程知らずで、自分がやるべきことがあるような気がしていて、それを大人が誘導してあげないといけないと思います。

でもいろいさ迷うことができるのは20代までの特権で、どこかのタイミングで、自分にあるものをわきまえて、それで生きていく覚悟をしなければならない。

それが20代までで、だから私たちは30歳目前で、このままでいいのかと焦りにも似た気持になったのだと思います。

そういうことというのは、当たり前ですが30歳になったことがないと分りませんが、大人が若者に話して、教えといてあげることなのかもしれません。

ある一人の若者のさ迷いの話を人伝えに聞いて、考えさせられました。