オリジナルなものに惹かれる。きっと誰でもそうだと思いますが、何の真似でもない、安心してどこにでも持っていけるもの。
昔の日本製にもあったし、今の中国製品の多くにある、既に名のある商品のデザインだけコピーしているものは、価格が安いとか、日本人の使用を考慮したという良い点もあるのかもしれないけれど、コピー商品をお客様に提供して、そのお客様がどこかで恥をかくことがあるということをその商品を提供する会社は考えないといけない。
何らかの影響を受けるということを否定しているのではなく、もともとのその商品の発想自体がオリジナルから由来するものを見ると腹が立つ。
それは万年筆にも言えることで、どこかのメーカーをコピーする心が感じられるものは、なるべくなら扱いたくない。
それがいくら努力してオリジナルを超える性能を持ったものだったとして、そもそもの出発点が間違っているような気がします。
あまりにも独特なデザインで、服装の好みと合わなくなったけれど、ビルケンシュトックは今も好きな靴のメーカーのひとつで、その履き心地はきっとどんな革靴にも及ばないだろうと思うこともあります。
ずっと欲しいと思っていたけれど、家履きにビルケンシュトックは贅沢なのではないかと思っていたので、躊躇していたけれど、とうとう買ってしまって喜んで履いています。
アッパーは厚いフエルトでしっかりしていて、足裏が靴の出っ張りと凹みにパズルのように合ってフィットするのがいい。底のゴムは何度でも張替えができるし。
ビルケンシュトックは最初硬い履き心地だけど、数ヶ月経つとフットベッドが足に馴染んで沈んでくれるので、全くストレスを感じなくなります。
今も快適だけど、もっと自然な履き心地になってくるのは、万年筆に似ている。
そして、オリジナルを身に付けているという安心感と喜びがあり、それが何よりのものだと私には思えます。
スリッパに・・・、と思ったけれど、その気持への作用もモノの働きで、私たちモノの提供者は意識しないといけないと改めて思わせてくれるものでした。