元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

限定万年筆

2015-07-28 | 万年筆

私が就職したのは1992年でした。
その年モンブランの作家シリーズ限定品第1弾ヘミングウェイが発売されて、限定万年筆ブーム幕開けの年とされていますが、万年筆メーカーの限定品への売り上げ依存は年々高くなっています。

しかし、同じやり方も20年以上続けると通用しなくなりますので、そろそろ他の仕掛けも考えないといけないのではないかと思います。
でも、当店も力の限り限定品を仕入れたいと思うし、大切な商売のネタだと思っている。

限定品という、もう手に入れることができない、人の弱い部分を突くような商品は販売において今も有効で、いつでも買えると思う定番品に対して、今買わないと手に入れることができない限定品は購入の踏ん切りをつけるためにも、背中を押してくれるものだと思います。

限定品を乱発すればいいというわけではないけれど、それの存在によって、私たちはそのメーカーが活発に活動しているかどうか判断しています。

年2、3回定期的に限定品を発売して、そのペースを維持しているのはペリカンで、ペリカンの万年筆の業界に対する貢献度は高いと思います。

ペリカンの限定品は、万年筆好きな方のマニアックな気持ちをくすぐるようなアプローチの仕方があって、いつも感心させられます。

イタリアのメーカーオマスは、限定品をとにかく多く発売していて、それを見ていると止まると死んでしまうという強迫観念を持ち続けている小売店主の心境に近いものがあるのではないかと思い、親近感を持っています。
オマスの限定品は、以前あった廃番になったオマスのペンの復刻が多く、定番品の販売の邪魔にならないことはよく考えられていると思いますので、当店もオマスの限定品に付き合いたいと思っています。

逆に限定品のペースが遅く、お客様方がまだかまだかと言いだしてからゆっくりと出してくるのが、アウロラです。
しかし、アウロラの限定品はとてもサマになっていて、いつもアウロラらしさと見る人を唸らせる美意識に溢れている。

限定品はとても魅力がありますが、パーツ交換が必要な修理などは本国だけでしか行わないメーカーが多く、日数も半年に及んだりすることもあります。

安心して愛用できたり、それ1本だけを使うということでは定番品、人に自慢したり(万年筆には大切な要素です)、その年を偲ぶメモリアルなものということでは限定品という選択になるのかなと思っています。

万年筆のメーカーにとって、限定品の存在は売り上げ的に大きく、限定品がなくては売り上げが成り立たないところもあるのではないかと思います。

売り上げももちろん大事で、それを無視しては存続はあり得ないけれど、希望としては限定品はロマンのために作って欲しい。
お客様はそこに共感するのだと思います。

 


手間

2015-07-14 | 仕事について

モンブランが、筆記具の見積りを出した後にお客様がキャンセルされた場合、本国に出していたら8000円、国内で5000円の見積り手数料を申し受けるというのは、私は高いと思っていました。

高い修理キャンセルの見積り料の発生を防ぐために、店で見積り金額を出して、それ以上の金額がかかる場合はモンブランから連絡があり、その結果修理キャンセルしても、それに対しては見積り料金は発生していませんでした。

しかし、8月1日(水)からの適用で、その場合のキャンセルでも見積り料金が発生することに改定され、波紋を呼んでいます

他の会社の方針で、批判するつもりはありませんが、それは日本人の感覚に合っていないばかりか、私には時代にも合っていないような気がします。

 

店を始めて手に入れた考えの中で最も価値のあるもののひとつが、手間はお金がかからないというものでした。

別に根性論を唱えるわけではありません。経費をかけずに商品やサービスの価値を高めることができるものが手間で、私たちのような小さな店の戦闘力となるものが手間だと思っています。

その考えは今の時代にも合っていて、世の中はそのように流れていると思っています。

多くの人が同じものを望むのではなく、それぞれの人の実情に合ったもの提供する時代。お客様が商品や提供者に合わせるのではなく、提供者がお客様に合った商品や情報の提供をしていく時代にとっくになっていて、それを支えるのが手間です。

それぞれの国や人の実情を無視して、世界統一の方針を施行したり、何でも金銭に換算して価値を高めるというやり方は、デフレやリーマンショック後の高いものが売れにくい時代には競争力を失う、遅れたやり方に思えるけれど。

価値とは価格を上げて高めるものではなく、顧客の信頼を得て維持するものだと言うと、たくさんの人の共感を得るために言っていると思われるかもしれないけれど、きれいごとではなくそのように考えて仕事していかないと通用しない時代に入っていることを実感しています。

時代は、新しいものをどんどん買ってもらうというものではなく、今使っているものを満足して使っていただいた結果、また新しいものを買ってもらえるという風潮になっていて、高級品の物販において修理は重要なカギを握りますし、売れているお店は修理が多いことを私たちは経験的に知っている。

万年筆は、ただそのモノが好きで選ぶのではなく、それを売っている人、店、作っているメーカーの考え方に共感して選ぶのだと思うと、モンブランはとても不利なことを時代に逆行する「グローバルで統一したサービスの提供」のスローガンのもとに始めたと思っています。

 


生き方を定めた時に選んだデニム

2015-07-12 | 実生活

仕事に履くようになって、リーバイス501にはまっている。ビンテージなどもあって、かなり深遠な世界だから軽々しくはまっていると言えないけれど。

でも革靴との相性も良く、いろいろな組み合わせを楽しんでいきたいと思っています。

今まで仕事へデニムを履いていくことはありませんでした。

店は私にとって他所行きの場所で、デニムは他所行きのものではないと考えていたからです。

それでもカジュアルなチノパンに夏はポロシャツなので大したことはなかったけれど、私としては一線を引いていた。

ベージュ色のチノパンに調整中にインクがつくことがよくあって、それは取れないし、履き込んで味を出すという類いのものでもないので、くたびれてきたら捨てなければならなくて不満を持っていました。

そういうことを一気に解決してくれるのがデニムだと分かっていましたが、冒頭の理由でためらっていました。

なぜデニムを解禁したかというと、自分の仕事の中心をペン先調整だと考えるようになったからです。

それは当店の表面上は変わっていないけれど、大きな変化だと思っています。

私は今まで書き手でありたいと思っていました。

実情に抗って書き手であり続けたいと思って、書き続けることで万年筆を伝える人間としての信頼を得ようとしてきました。

それは自分がなりたいと思っていたひとつの姿であって、実状とは違っていることも分かっていたけれど、自分の仕事の仕方は自分で決めることができる立場にあるのでなりたい姿を追い求めてきました。

しかし、この店の特長は万年筆を書きやすく調整することで、私に求められていることはそれなのだと分かっていて、自分がなりたい姿とはギャップがあったけれど、残り時間の少なさも実感してやっと折り合いをつけたというか、腹をくくったという心境でした。

既製の万年筆のペン先を調整しているだけで自分を職人と言うつもりもなく、私に何か肩書をつけるとしたらペン先調整人というのがフィーリングとして合っていると思い、これからはもちろん書くことは止めないけれど、ペン先調整人として生きていこうと思っています。

そういった目立たない、でも大きな変化にデニムは合っていると思っていて、気に入って履いているのです。

501も年代によって様々な形があることをお店で教えてもらいました。

私は程よいオーソドックなものが好きで、1947年モデル1954年モデルがそんな存在だということで、立て続けに買ってしまいました。

もっとたくさん欲しいし、人に自慢できるビンテージの良いものも欲しいけれど、さすがにデニムに20万くらいの金額を出すことはできない。

今は安いデニムもたくさん売られているけれど、履いている気分が違うと思うし、ロマンがあると思うのでリーバイスにこだわっている。

生き方を定めた時に選んだものだったということで、そういったこともハマり具合に拍車をかけているような気がします。


大人の空間

2015-07-07 | 実生活

日曜日夜11時15分からの「夜タモリ」というテレビ番組を気に入って観ています。

東京湯島にあると設定されている、日本中のどこにでもあるようなカウンターだけの小さなバー「ホワイトレインボー」を舞台に、レギュラーである常連さんとゲストが大人の会話を繰り広げ、合間にタモリ氏の世界観によるコントのようなものが挟まれるという番組です。

コントもばかばかしくて、とても面白くて、好きだけど、バーのカウンターで交わされる何でもない会話ややり取りが肩の力を抜いた大人のもので、その雰囲気が心地よく感じられる。

テレビで観ている人もその場に居合わせて、会話を聞いているような気分になるのではないかと思います。

当店は万年筆や他の商品を購入したり、ペン先の調整を依頼したりする店で、そのお客様を最優先にしているけれど、一方でこのホワイトレインボーのような場であってほしいと思っています。

お客様同士が居合わせることになるテーブルがあって、いつもそこに居るようなよく見掛ける常連さんのようなお客様がいる。

そういった店の感じというのは、そうなりたいと思っても、お客様が作り出すものなのでなかなかなれるものではないし、時間は流れ、人の気持ちや状況は変わっていくので、また形が変わるのかもしれないけれど、今はホワイトレインボーのような雰囲気を当店は持っていると思っています。

さすがに店の中で皆で楽器を弾いたり、歌を歌ったりすることはないけれど、楽しい大人のおしゃべりと大人らしい距離をとった思いやりは存在していると思う。

私はほとんどおしゃべりには加わらないけれど、そういったお客様同士のお話を嬉しく聞いています。


ロマン

2015-07-05 | 実生活

ペン習字教室のムードメーカー、元国語教師のSさんから、杉浦日向子のマンガ「百物語」を借りて読んでいる。

夜、電車やバスの中で読んでいますが、日本の怪談は怖いという感覚とは違う、しっとりとした味わい深いものだと思っています。

私には見えないけれど、幽霊とか、化けモノとか、科学では説明のつかない、人知ではないものも、こういったものもあるかもしれないと信じる心は私も持っていたいと思っているし、そういうものがあると考える方がロマンがある。

人間の魂は肉体に宿っていて、肉体が滅びるとスイッチを切ったように魂もなくなってしまうというのは、何となくつまらない考え方だと思ってしまいます。

 

私はいつもこの店の仕事において、ロマンを最も大切にしたいと思ってきました。

ロマンはお金ではない、夢とか希望のようなものだと思うけれど、私は「その方がおもろい」というものがロマンだと定義付けています。

判断基準はどちらがおもろいかと言うと、ものすごくいい加減に思われるかもしれないけれど、当店のような小さな店は数値や理論で説明のつかないロマンで成り立っていると思っているので、どちらがおもろいかという判断基準がそれほど変なものではないと思っている。

おそらく当店がロマンを感じてもらえなくなったら終わってしまって、私は生活できなくなってしまう。

生活という言葉とロマンは裏腹にあることのように思うけれど、背負っている妻と子を養えなくなったらどうしようという恐怖と戦いながら、私はロマンを追い求めている。