元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

モノの移り変わり

2014-11-25 | モノについて

Y原さんのキャノン。今、昔の機械式のメカメカしたものに魅力を感じて、またあの頃にモノが戻ればいいと思うけれど、全ての物作りがもう戻れないところまできているように思います。

 

コンピューターがどんどん小さくなって、工業製品の、モノの姿は一変しました。

私たち以上の世代はその様子を見届けてきました。

いろんなものがそうですが、カメラはその影響を受けて、大きく変わったものの筆頭に挙げられるものだと思います。

機械式から電子式に、マニュアルからオートに変わっただけでも大きな変化だと思いますが、記録媒体がフィルムからデジタルに変わってしまって、そのモノ自体が違うもののようになっています。

カメラを販売するお店も、カメラ店から、電気屋さんに変わって、一時業界は危機を迎えていたように思いますが、カメラの持つ趣味性のようなものを訴求して、カメラ店もメーカーも盛り返してきているように、最近は思いますが。

カメラの起こったような激震が万年筆に起こったらどうなるのだろうと思っています。

万年筆はすでに60年代にボールペンが出てきて、万年筆にこだわった国産万年筆のあるメーカーは危機を迎えた経験があり、その時に万年筆は仕事での主役は降りているけれど、カメラのように趣味の需要に応えることができているのだろうかと思います。

万年筆は私も文字を書く実用の道具だと思っていますが、それはそれぞれの人の趣味を反映した実用の道具であり、根底にあるのは趣味性だと思っています。

その辺りを勘違いして、趣味性を忘れると生きる道がなくなってしまいます。

ただ書くことができる、気持ちよく書くことができるだけではダメで、面白みのようなものはいつも追及していないと万年筆は廃れてしまうと、思っています。

 

 


視線

2014-11-23 | 実生活

H田さんがカツミ堂さんで買って、そのまま見せにきてくれたライカ。

 

最近よく考えるのは、視線についてです。

言葉や態度は人に意思を伝えるもので、それらは直接的で伝わりやすいけれど、もっと密やかで、伝わるか伝わらないか分からないくらいのメッセージの送り方。

もしかしたら気付く人は少ないかもしれないし、誤って伝わるかもしれないけれど、思いやりを込めて使う視線だと、変なことにはならないだろうと思います。

長く販売員をしていたら、お客様への視線の使い方が何となく身についてきます。

例えば初めて来られたお客様だと、あまりジロジロ見られたらきっと落ち着かないと思っているので、直接は見ていないけれど、視界の端で気にして、何かお伺いした方がいいことがあった時にすぐに承れるように意識から離さないようにする。 

これはテクニックではなくて、きっと自分がお客になった時にこうしてもらいたいと思っているから、するようになったのかもしれません。

茶道のお稽古で先生を見ていると、ご挨拶の時はしっかりと相手を見ているけれど、お茶をいただく時ははっきりと視線を外している。これはゆっくりとお客様にお茶をいただいてもらいたいという思いやりの気持ちからの視線の動きで、大変勉強になっています。

コミュニケーションの取り方は人それぞれ一番合った自然なやり方があると思いますが、私はなるべく視線と会釈で相手に気持ちを伝えたいと思っています。

かっこつけて、スマしているわけではなく、自分ならこういうコミュニケーションに相手との心の通じ合いを感じるからです。

 

  


時間の流れ

2014-11-18 | 仕事について

ライティングラボの駒村氏が激しい腰痛のため、神戸に来ることができずにいます。

少し歩くと激しい痛みが伴い、痛みが出ていない時でも、いつ痛みが襲ってくるかと思うと山科を離れることができない。

入院して検査をした結果、あまり多くの人がなる症状ではない先天的なものであることが分り、今はリハビリのようなことをしていますが、根本的に治療するものではないので、会いに行きたいと思ったけれど、気分も塞ぎがちになっています。

駒村氏はかなり厳しい筋力トレーニングを自分に課していて、ストイックに肉体を鍛えていたけれど、40歳を過ぎて体が悲鳴を上げたのかもしれない。

長い付き合いの人は、自分より年上か、同世代の人ばかりなので、健康面の変化が皆に出てきている。

今まで誰よりも丈夫で、何があってもタフだった人が原因不明のジンマシンが出て、なかなか本調子に戻らなかったりして、ショックに感じたりしています。

でも40代というのはそういうことが起こり始める年齢なのだと実感している。

私も代謝が落ちてきていることを実感しているので、今までのようにご飯を3杯も食べていたらいけないのかもしれないと少し思ったりするし、夜眠くなる時間が早くなってきているので、睡眠時間帯も考えた方がいいのかもしれない。

もっと時間の経過を感じるのは、親について考えた時で、親の介護をしている人も何人もいることを聞いて、頭の下がる想いをしているけれど、他人事でないと思えます。

幸い71歳の父は、さすがに白髪は増えてきたけれど、足腰も達者で、ジムや英会話に通ったりしているので、いつまでも元気でいて欲しいと思うけれど。

時間はどうしても流れていて、自分たちの状況は常に変わっていて、本当は気付いているけれど、それから目を反らしているだけなのだと思います。

本当に、いつまでも続く時間があればいいと思うけれど、どんな時間にも終わりはある。

自分たちはずっと続けていくつもりでも、体が追いつかなくなることもあるのかもしれないと、改めて認識するようになりました。

 


万年筆への興味

2014-11-16 | 万年筆

書くことは自分の仕事の一部だと思っている。

ブログやホームページに載せる原稿はいつも手で書いているし、仕事の覚書、段取りなども手帳に書いている、

そうやって考えると書かない仕事は自分にはなく、書くことにおいても自分はプロフェッショナルと言っていいのではないかと最近変な自信を持ってきました。

書くことが仕事の一部なので、それで使う道具である万年筆には商品としてと同じくらい、道具として興味があります。

商品として万年筆を見る時と、自分の道具として見る時とはやはりその見方は違っていて、商品として見る時は自分の経験と今のお客様の動向などを照らし合わせてそれが売れるものであるかどうか考えるし、どうしたものがもとめられているのかも把握したいと思っています。

店の場合、お客様に直接お話を伺うことができるので、その気になればその感覚を研ぎ澄ましておくことはできるので、それはいつも磨いていたい。

売れるものは大好きだけど、生意気なことを言うようだけど、いくら売れると言われたり、売れると思っても気に入らなければ扱わないことも結構あります。

それはやはり、店という守るべきものがあって、それに相応しくないということもあるし、これはウチのお客様には使ってほしくないというものは扱わないようにしています。

道具として使う側の万年筆の興味としては、どの万年筆が自分の仕事をもっと良くしてくれるかということに尽きる。

自分の仕事を良くしてくれるのは、万年筆ではなく自分自身の心掛けしかないことは言われなくても分っているけれど、その心掛けを支えてくれるようなもの、仕事をより楽しませてくれるものを道具に我々は求めている。

最近、自分の仕事をより楽しくしてくれる万年筆を紹介すると(何度かご紹介しているかもしれないけれど)、当店オリジナルの万年筆用ボディこしらえにパイロットカスタム742のフォルカンというペン先をつけたもの。

万年筆をあまり使わない人ほど、柔らかいペン先に幻想を抱いていることが多いですが、フォルカンは見事にそれを打ち破ってくれます。

筆圧が低い私でも慌てると線が割れたり、書き出しが出ないことがあるくらい。

でもそれを使いこなすのに喜びを見出しています。

紙に当たるか当たらないかくらいの軽い筆圧で手帳に小さな文字を書き、手紙などには強弱をつけて太い線と細い線を織り交ぜる。

太い筆で細かくも、大きくも書くような感覚で、このフォルカンに黒インクを入れて書を気取っている。

実際は色々な万年筆を使い分けているけれど、フォルカンだけを様々な用途に使い分けることができたら玄人っぽくて素敵だと思っている。

 


手帳の遊び

2014-11-11 | 実生活

スケジュールやToDoは正方形のオリジナルダイアリーを使っていますが、それ以外のこと、アイデアの蓄積、日記などの内省、勉強したこと、読書など個人的なことや仕事の記録、例えば打ち合わせの内容についてはバイブルサイズのシステム手帳に書いていて、顧客名ごと、取引先ごとに分けるようになってから、記録が散逸しなくなりましたし、すぐに情報を見ることができる。

唯一困るのは、以前からよく知っている人で、顔と名前が一致しない人がいることで、そういう方の数は40才を過ぎたあたりから急に増えたような気がします。

でもどこの方なのかはなぜかいつも覚えているので、もしかしたら名前別ではなくご住所別にした方が私の場合探しやすいのかもしれない。

綴じの手帳だとその情報は、日付順か自分でインデックスなどをつけた順番の1つのやり方でしか整理、検索することができなくてそれは二次元ということになります。

でもシステム手帳は、自分なりの整理の仕方ができるし、場合によっては整理の仕方を途中で変更できるのでそれは三次元的で、やはりデータの蓄積ということを考えるとシステムが便利だということになります。

私の場合、飽き性なので中身をそのままにしても表紙を代えることができるシステム手帳はなかなか実情に合ったものでもありますし。


書いていたり、内容の組み合わせについて考えていて一番楽しいのはやはり個人的な日記などを書くもので、これはオリジナルのコンチネンンタルシステム手帳を使っています。

表紙も内側も手触りがとても良いし、見ているだけで嬉しくなってくるのは自分の思った通りにベラゴの牛尾さんが作ってくれたからなのだと思います。

この手帳には4つの革の仕切りがあって、それぞれどういう内容を割り当てるかなどと考えるのは、私の場合趣味と言っていいくらい手帳のことばかり考えていられる。

でも今回は少しドレープ( http://blog.goo.ne.jp/tukino-shizuku0923 )的な企画だけど、中身ではなく、この手帳のペンホルダーに収めるペンについて、手帳とペンのコーディネートについて考えてみました。

ファーバーカステルクラシックコレクションはピッタリで、上下の出方もちょうどいい。

ペリカン1931ホワイトゴールド、少しペンが短いけれど、これくらいのペンを入れたい

パイロットシルバーン 手帳への記入という用途を考えても最適な組み合わせ。

 

ペリカンM101Nトータスシェルレッドもピッタリ収まります。

パイロットキャップレスマットブラック。手帳のように少し書いて、閉じて、また書くという用途に一番合っている万年筆。

 

もちろんどのペンを入れても使いやすければいいのだけど、使い勝手は少し目をつぶってでも見ているだけでもウットリするような組み合わせを選びたいと思っています。

 


全てはファッションに通じるのかもしれない

2014-11-09 | 仕事について

ペンもカメラも、それを持ちたいという心は、突き詰めれば全てファッションに通じるのではないかと言うと語弊があるかもしれないけれど、私はそう思っています。

ファッションと言っても、毎年の流行があって、それに則ったもの、やって来ては去っていく移ろいの激しいものではなく、自分はこのような好みや考え方をする者だという表明のようなものを指しています。

それはもしかしたら、表現欲に近いのかもしれない。

 

文章をブログなどを通じて公表しようとするのは自分の考えを、自分が読んでもらいたいとする多くの人に読んでもらいたいと思うからで、そこには自分と言う人間をもっと知ってもらいたいという想いがこもっている。

私の場合、ブログは店の告知という意味合いや、万年筆を使っているということをほのめかす意味合いもあったり、書きたいから書いているということもあるけれど。例えば湯舟に浸かりながらどんな文を書こうか考えたり、電車で立った状態で下書き担当のM450で書いたりするのが単純に好きだからということも大いにありますが。

 

服や靴、鞄などの持ちものに関して、こういうふうに見られたいという意図のようなものを持って、それらをコーディネートするけれど、カメラや万年筆もその一部だと思っています。

万年筆は自分の精神性を表すのにちょうどいいものです。書くためのものなので、仕事で持っていていてもおかしくない。

仕事では服装についていろいろ制約があるけれど、万年筆で奥ゆかしく自己を表現できる。

カメラは万年筆とおなじくらい有効なファッションアイテムだと言うと多くの人の反発を買いそうだけど、少なくとも私の場合はそうで、あまり大層な感じになりたくないからあまり大きくないカメラを持ちたいと思うし、そのカメラにどんなレンズを合わせたらカッコ良く見えるだろうかと、どんな写真が撮れるかということをあまり考えずに思ったりします。

でもその延長線上で、写真も思い通りのものが撮れたらもっといいことも分っています。

男性の服装とか、ファッションとかというと、女性にモテるためにするものだと思われたり、雑誌やテレビなどの媒体もそのように見せたりしているわけだけど、男の、特に40歳を超えておじさんと言われるようになった我々のファッションはそんな軽々しいものではなく、自分の背筋をシャンとさせるもの、まず自分のためのファッションであって、好きな服、思い通りのカッコで居ることで気合が入ったり、気分が良かったりするものだ。

もちろんその延長線上で、女性に良く思われたら、それに越したことはないけれど・・・。


木にも夢中

2014-11-04 | 仕事について

木のものが好きで、材質の違い、杢の違いを見分けて楽しむ人になりたいと私も思っていました。

それは何か、一部ではあるけれど大人の教養のように思えるようになっています。

工房楔のものはいくつか持っていて、使っていえるけれど、「こしらえ」の万年筆に今は夢中になっている。

銀色のペン先のパイロットカスタムヘリテイジ912、金色のペン先のパイロットカスタム742の首軸から先のユニットごとつけることができる木軸ボディで、これは当店と工房楔の共同企画のオリジナル商品になります。

工房楔の永田さんが扱う素材はいろいろあって、そのどれもが審美眼によって選ばれた銘木揃いだけど、日本の木に憧れた時期で桑で作ってもらいました。

堅くて軽い木で、道具の柄などによく使われる素材で、桑でこしらえを作ってもらうことで、万年筆に道具感を出したかった。

日本の木の多くがそうであるように、模様や色合いに劇的なところはないけれど、静かで強い生命感を感じさせるところが和木の特長かと思っています。

変化の少ない桑ですが、見所はあって、木目が消えている硬くツルツルした部分の手触りは何とも言えない気持ちよさがあり、飽きずにいつまでも触っていたい感触です。

桑のこしらえは2本あって、1本にはSFのペン先をつけたダイアリーやノートを書く用。

少し柔らかいけれど、通常の使い方ができるある程度コシのある書き味のペン先で、軽いエボナイトのこしらえにはこれくらい柔らかくても、けっして使いにくくない。

もう1本にはフォルカンのペン先がついています。

ペン先左右に切り込みを入れてしなりやすくして、ペン先が硬くなる要素である刻印も必要最小限に留めている。

フォルカンはその見た目から、今まであまり惹かれることのなかったペン先ですが、使ってみると本当に楽しいと思いました。

筆圧を軽く制御できないと使えないという、ある程度慣れが要求されるペン先ですが、細字の中に強弱がはっきりと出てくれる。

さすがに手帳書きにはクドい印象ですが、手紙や日記によく使っています。

これからも当店は木を楽しむことを訴え続けていくだろう。その中で永田さんが届けてくれた桑のこしらえは、それを自分の楽しみの一部として取り組ませてくれる要素になっていて、とても感謝しています。


カメラ散歩

2014-11-02 | 仕事について

7年もここに居るのに山手幹線から北へはほとんど行ったことがなくて、ずっと行ってみたいと思っていた方向に散歩することができました。

目的地があるわけでもないし、何があるのかも知らないので、ただあてもなく歩くことは一人でないとできないことなのかもしれない。

でもそういうことはちょっとした冒険のように感じて、何歳になってもワクワクする。

県庁の間を通って、相楽園も通り過ぎて、神戸小学校の少年野球を見ながら緩い坂を登って行きました。

山本通り、再度筋、この辺りは閑静な住宅街で、当店の周辺よりもさらに静かな雰囲気。

諏訪山公園に登っていく歩道はいくつかあって、車道から徒歩で入っていくことができます。

神戸の街が一望できる諏訪山の一部を公園にしたもので、人気がない山道をひたすら登って行きました。

こういうどこに行くか分らない道を、この先をイメージしながら行くのは楽しい。たいていイメージは外れているけれど、それで方向音痴だと言われるけれど、あまり気にしない。

カメラを下げているのに、写真を撮ることを忘れてどんどん山を登って行くと小高い山の中腹に公園が開けました。

もっと上まで行けそうでしたが、店の開店時間に間に合うように戻らないといけないので引き返しましたが、小高い中腹からも山と海に隣接した神戸の街を見ることができました。

高層ビルもまばらで、狭いのにゆったりとした神戸の景色。

雨上がりなど、空気が澄んでいる時は対岸の大阪の方まで見渡すことができる。

店は自分の部屋で、ずっとここに居てもいいと思うくらい好きな場所だけど、たまにたとえ数十分だとしても、こうして出掛けると気分も変わる。

私の場合、遠くに行く必要はなくて、日常の少し先にある行ったことのない道を歩いているだけで結構楽しめるのだと思いました。