元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

コラージュ

2014-02-28 | 実生活

昨日第1回の「コラージュで手帳を彩る」を開催しました。

お客様の奥谷さんが日を分けて、少しずつ持ち込んで下さったメンディングテープ、シール、包装紙、スタンプなど、たくさんの素材を使って作品を作りました。

みんな作品を見せ合ったり、とても楽しそうに作品を作られていました。

男性のT橋さんの意外な女子力の高さに驚いたりして、その場に居合わせた人が参加していました。

私は時間がなくポストカードを作っただけでしたが、旅で訪れて、心に残っている街のひとつプラハをテーマに作ってみました。

絵心がなかったり、技術のない私も心の中にあることを手軽に、でも奥深く表現することができるのが、コラージュだと思いました。

素材は本当に、膨大にあって、表現の手段には困りません。

各自、のり、ハサミ、手帳、ポストカードなどをご持参ください。

そして、どういうコト、モノを表現したいかをイメージしておくととても楽しくなると思います。

コラージュは本当に、アートだと思いました。

一人の時にはなかなか時間を取ることができないかもしれないけれど、こうやって月1回その時間が、当店に来るとあるということだったら、何となく継続しやすいのではないでしょうか。

「コラージュで手帳を彩る」は来月も最終木曜日 3月27日(木)14時~16時まで開催します。

 


販売職

2014-02-25 | 仕事について

まだ店を始める前のことですが、物を売る仕事に疑問を持ったことがありました。

お客様からお金をいただいて、物を買ってもらうということが、何か限界のあることのような気がして、物を売る以外の仕事で何か自分にできる仕事はないかと考えたことがあります。

自分のしている仕事なのに、知識や能力で報酬を得る仕事などと比べると、物を売る仕事が卑しいものに思ったのかもしれません。

でも考えてみるとどんな仕事も、物でなくても何かを売ってお金を頂いているようなところがあって、どの職種でも大して変わらないのではないかと思うようになりました。

私たちの仕事はお金を出して下さる方が直接見えるというだけの違いなのかもしれない。そのお客様が目の前にいるからとてもシンプルで、物を売る仕事の良いところはそんなところにあるのかもしれません。

そしてやったらやっただけの成果があるとこも健全な感じがします。

物を売る仕事というのは、誰でもなれる職業だけど、それを続けていく、生き残っていくのは実は大変で、経験や年功などの関係のない弱肉強食の世界だと思っている。

齢をとっても走り続けないと、すぐに後から来た人が追い抜いて行く。追い抜かれるだけならまだいいけれど、食われてしまうこともある。

でも短期間で大きな売上を上げるだけではだめで、いかに長期に渡り売上と利益のバランスをとって継続していくかということが心掛けないといけない、ゴールのないマラソンのようなもの。

売上と利益、生活と仕事、顧客満足度と店の都合などなどいろんなところにバランスを取らなければならないところがあるけれど、それが仕事あるいは、生き方と言えるものなのかもしれないと思っています。

 

何か複雑な仕組みがあるようなものではないので、そういうところも自分に合っているような気がする。

仕組みの中に組み込まれていないということは、保護されていないということにもなるけれど、それだけ自由で自分の好きなようにできると思える。

先ほど物を売る以外の仕事を探したと言ったけれど、自分に他にできそうな仕事はなく、きっと万年筆と出会っていなくても何か物を売る仕事をしていたと思います。


適性

2014-02-23 | 仕事について

息子は早くから学校の先生になりたいという夢を持って、自分の将来をイメージして、大学の教職課程や塾の講師のアルバイトをしています。

元教師の父は大変だからあまりおすすめしないと言うけれど、早くから自分のやりたいことを見つけて、それに向かって行動している想いは成就してほしいと思う。

私の商売と違っていろいろ複雑な問題があって、ただ好きというだけでできるものではないかもしれないけれど、その道を積極的に自分で選んで進むということが、その後のがんばりにつながるのかもしれない。

今は塾のバイトが楽しいようで、自腹で参考書などを買って研究し、小テストを作ったりして、暇があれば塾の仕事をしている。

今自分の前にある仕事に情熱を傾けて、のめり込んで、そればかりになる不器用なところは自分自身を見るようで、要領の良い生き方とはとても言えないけれど、若い時に損得関係なく何かにのめり込んで一生懸命になることが、後々生きてくる大切な経験であることは間違いありません。

やりたいことがあって、それに関係するアルバイトを提案してくれた当店のお客様がいて、それに情熱を持って向かうことができている息子はとても恵まれていて、幸せだと思う。

でも多くの若い人は自分が何に向いているか、何がしたいのか分らずにいることも、自分がそうだったからよく分ります。

友達や仲間といる時は忘れているけれど、一人になった時ふと気付く将来に対しての不安のようなもの。

自分と向かい合って、自分の本音を聞きながら悩むこともきっと後々役に立つ経験で、無駄なことではないことを今の自分なら知っているけれど。

自分のやりたいことが見つかって、それを目標にすることも素晴らしいことだけど、たまたま就いた仕事がやっていくうちに楽しくなって、気付いたらそれが天職になっていたということも大いにあるから、もし就職活動をしている人がいたら、あまり考えすぎずになんでもやってみたらと、無責任なアドバイスのような迷惑な言葉をかけるかもしれない。

自分の経験でしか言えないけれど、自分の適性に自分自身で気付くのはある程度人生の経験を積んでからでないと分らないと思うので、何が合っているかということを考えるのも、答えが出ないような気がします。

 


店の世界観

2014-02-18 | 仕事について

お店はきっとどこも何らかの世界観を持っていて、それを掘り下げ、表現したいと追究し続けるものなのだと思います。

その世界観は、店主の生き方や精神的なものが投影されていて、不器用な私たちのような人間はそれしか、表現するものを持ち合わせていないし、それができると思うからお店をしたいと思うのだと思っています。

なかなか上手くいかないけれど、世界観を表現することが終ることはないのだと思う。

自分が今まで生きてきて、考え続けてきてそうありたいと思った世界観のようなものを形にして、いつかお客様の前にそっと置けるようになりたいと思っています。

万年筆はただ気持ち良く文字を書く以上の何か、筆記具以上の何か精神的な思想のようなものを反映したものであって欲しい。

そう考えると重く感じるかもしれないけれど、何か重みのあるものにしようよというのが、当店の世界観なのかもしれません。

自分が求めている世界観をデザインで表してくれているのは、アウロラ88、ファーバーカステルクラシックコレクション、そして当店オリジナル万年筆Cigarで、それらに自分が求め続けてきた世界観が凝縮されていて、これらをもっと広げて、形にしたいと思い続けている。

ただのきれいなデザインとか、書き味が良いとかという表面的であったり、感覚的なサラッとしたものではない、人間のもっと奥底にある、その人を動かしている部分と共鳴するようなもの。

そんなものが本当にあるのかと言われるかもしれないけれど、いつもそういう万年筆を用意したいと思っています。

個人的にはコンパクトで胸ポケットにいつも差していて、いつも使っているようなものよりも、1本差しのペンケースに入れて持ち歩くような大太刀とも言えるようなもの。ペリカンM1000やオマスパラゴンのようなものが自分にとってのとっておきの万年筆だと言えて、そういう万年筆はちょっとやそっとのことでは出てこない、特別な時間に使いたいと思っている。

それは人ぞれぞれ違うものであっていいと思うし、そういうものだと思うけれど、そういう万年筆と出会える店でありたいと思っています。

 


雑誌の切り抜き

2014-02-16 | 実生活

週一回万年筆に関するコラムをインターネットに書き始めた2002年頃から、雑誌の気に入ったページを切り取ってファイリングしています。

何かアイデアが欲しい時、コラムのネタが欲しい時にに見返しています。

最近では様々な厚さがあるけれど、7,8冊のファイルが埋まるくらいの量になっていて、プロジェクトが始まる時に探しているテーマにそった内容のものを抜き出して、別のファイルにまとめることができるくらいにはなっていて、なかなk便利だし、楽しい作業です。

インターネット上にある画像を集める方が要領がいいのかもしれないけれど、上手くいかないし、気分が盛り上がらず、全く楽しくない。

やはり雑誌の記事をいろいろ脱線しながら探してまとめる方が自分には合っています。

企画書に書いた言葉だけだと、その世界観や空気のようなものがあまり上手く伝わらないので、イメージのファイルを見せ合うことが一番良いということを知るのに、長い時間かかりました。

それらの切り抜きは好きなページばかりなので、どれも見ていて楽しいし、ヒントに溢れている。

ただ好きでやっていることだけど、仕事の役に大いに立っているし、自分の好きなことの筋が通っていったように思います。

切り抜きの内容は、万年筆やステーショナリーなら何でもいいのではなく、それ以外の分野 建築、茶道、街に情報、ファッションなど多岐に渡っていて、自分がいいなあと思うモノを集めています。

店と言う閉ざされた狭い世界で仕事をしてきたので、外の世界で何が起こっているかを知ることはとても大切で、それを知っていて、流れをつかんでいることが販売員にとっての生命線だと言える。

私はとても恵まれていて、お客様のお話から外の世界のことを知ることができたし、他所の店舗の見学にもよく行かせてもらえた。

雑誌の切り抜きは、それらの情報の裏づけにもなったし、記憶するための見出しにもなっていて、その時の気分や自分の環境なども思い出され、どのページも写真のアルバムのように大切なものになっている。

 


親の期待

2014-02-11 | 実生活

ノートを前にして何を書こうか逡巡している時、万年筆の場合、キャップを開けたままだとペン先が乾きかけてしまい、書き始めにインクが出ないことがよくありますので、その場合はボールペンやペンシルを使う方がいいのだと思います。

万年筆で書く場合、頭の中で何を書こうか考えて、内容を煮詰まって、気持ちが盛り上がってから一気に書くということになります。

バスを待っていたり、歩いている時に書く内容について考える段階で万年筆で書くという行為が始まっているのだと考えると、万年筆で書くことは、考えるという楽しい行為をもたらしてくれるものだと、当たり前のことかもしれませんが、思い当たったりします。

それが楽しくて私はずっと万年筆を使っているし、ホームページやブログにいつも何か書いたものを公表して、仕事の一部としている。

自分で設定した締め切りに追われる生活だけど、書くことや書くことについて考える作業を仕事にすることができていることは恵まれているし、少なからずそれを読んでくださる方がおられることはとても有り難いことだと思っています。

自分が唯一好きなのかもしれないと、若い頃に思った書くことを、こんな形で続けることになるとは思ってみなかったけれど。

母は私に祖父の跡を継いで医者になって欲しいと思っていたけれど、私はそんな言葉にいつも反発していた。その前に成績がとてもついていけなかったけれど。

母が勉強しなさいと言えば言うほど、私は鉛筆を手に取らなくなった。

母を喜ばせたいと子供心に思うこともあったけれど、やはり長続きしない、重度の勉強嫌いだった。

でも本を読むことは好きで読んでいて、それを母も喜んでくれたので、自分の好きなことと、母が喜んでくれることが一致して嬉しかった。

母の期待を裏切り続けて、高校の頃には自分の息子の在りのままを受け容れるしかないと諦めさせてしまったことに、今では申し訳なかったと思っている。

子供がいるとどうしても自分の夢のようなものを託してしまって、いろいろ期待するのが親心なのかもしれない。

でも私は自分の息子に対して自分の夢のようなものを押し付けるようなことはしたくないと、反発心をいつも持っていた子供の時の気持ちを思い出して思う。

私は自分の夢を自分で叶えようとすることで精一杯で、息子にそれを託す余裕がないのかもしれないけれど、息子の人生は自分のそれとはまた違うものなので、いくら親でもそれを押し付けることはできない。

息子も、そして私が大切に思っている同じくらいの齢の若い子たちにも、時間がかかってもいいから、自分の人生を自分で見つけて、楽しみながら、苦労して、自分の力で精一杯生きて欲しいと思います。

 


神戸の雪

2014-02-09 | 実生活

垂水も商大筋を上って高速を越えると気温が下がるのが分るけれど、昨日も雨の元町と違い、1日中雪が降っていたらしい。

今朝も屋根や車に積もった雪は溶けず、同じ神戸でも温度差、気候差があることを改めて感じました。

子供の頃垂水も神戸市内なのに、同級生達や親達も三宮や元町に行く時、三宮に行くとは言わず「神戸に行く」と言っていて、自ら垂水が神戸市内であることを否定しているようなことを言っていたことを思い出しました。

それにしても神戸でこれだけの雪が降るのは本当に珍しい。

狭い陸地が六甲山と大阪湾に挟まれているせいか、神戸の冬は他の近隣の都市よりも温暖で過ごしやすい。

夏も京都、大阪ほど暑くならないので、自由に住む場所を選ぶことができる人がもしいたとしたらお勧めしたいです。

雪の少ない神戸なので、たまに大雪(?)が降ると記憶に残っている。

だいたい3から5年おきに積もるくらいに雪が降る年があります。

雪国の人から笑われるくらいに積雪量だけど、昨日は道路に雪が積もってしまったので、垂水区内全域を網羅する山陽バスが運転見合わせとなり、雪を踏みしめて45分かけて駅まで歩きました。

これも2014年の雪の記憶として残るのだろうか。

大学生の時に、何か好きなことを見つけたいと思って2月の北海道を全域列車で旅したことがありました。

雪もすごかったけれど、風が出るととても強く、ブリザードが激しく、流氷を見に行った紋別の町中で危うく遭難しそうになったことは、強烈な思い出としてとてもよく覚えている。

冬に雨が降ると雪にならない神戸の天気が、中途半端に感じてつまらないけれど、そんな街にたまに雪が積もると、坂道が登れずに立ち往生している車も多く、街中混乱をきたしていたので、雪が似合わない土地なのだろうと思い知りました。

 


齢の心境

2014-02-04 | 実生活

70歳の父が最近たくさんある写真、アルバムの整理をしているという。

私たち家族ができてから、カメラ好きの父が撮った写真の一部はアルバムに収められているけれど、収納されていないものが多く、それは大変な作業だと思います。

最近父は手帳に、保険のこととか、土地のこととかの覚書のようなものを書いている。

「いつ死んでもおまえたちが困らないようにしようと思って」というのがその理由で、「死ぬ準備をして、長生きしてください」というのがやっとでした。

母は若くして亡くなったけれど、何となく父のそれはイメージできないし、言葉にするのも憚られるので、自分が死ぬことを意識して、片付け始めていることを聞いて、何と言っていいのか分らなかった。

でも70歳まで生きるとそういうことも考えるのかもしれないと思うと、父も齢をとったのだと思うし、それは自分も齢をとったと認めざるを得ない。

孔子が言った十有五にして学に志す心境はスルーしてしまったけれど、四十にして惑わずの心境は自分の状況に置き換えて実感することができました。

それまで自分の仕事においてジレンマに思えていた様々なことが、自分の中でスッと溶けたような感じがした。

今なら若い時の自分に上手く説明することができるような気がします。

若いときにあれこれ考えていたことが嘘のように解決したのは、40歳くらいになってからで、それまで答えを探し続けていたのは何だったのかと思います。

三十にして立てなかったけれど、20代から30代になる時に、このままでいいのかという想いがとても強くなりました。

10代の時の漠然とした将来の不安とは違う、このままズルズルと行きたくない、何かを変えないといけないという焦りのような心境が30になる時にあって、もしかしたら共感してくれる30前の人がたくさんいるかもしれません。

五十にして天命を知るということになっていて、一生懸命に生きている人には天命が下されるという。

私には天命が下っているものだと思っていたけれど、まだ何かあるのか、楽しみにしている。

それが天罰でなければいいけれど。

2500年以上も前に中国に生まれた人の齢を追うごとの心境を割と皆が形は違っても同じように感じるのは、人間のDNAにこのような心境がプログラムされているのかもしれません。

でも分らなかったこと、実感できなかったことが分っていくのは何か楽しいような気がします。

 


街の空気

2014-02-02 | 実生活

ここ数年で、大阪駅周辺の風景はガラリと変わりました。

大阪、特に梅田周辺はたくさんの新しいお店ができて、とても楽しいのでよく訪れます。

ウチがよく行くようになったくらいだから、きっと多くの人が大阪を訪れていると思います。

子供の頃、両親に連れられて大阪に行くことがよくありました。

阪急百貨店や阪神百貨店、キディランド、三番街など家族連れで行くようなところは決まっていたけれど、日曜日の過ごし方の王道パターンのひとつに大阪が組み込まれていました。

両親がウインドーショッピングをしている間、阪急のおもちゃ売場やキディランドで遊んでいるのがとても楽しかった。

高槻の駅前に西武百貨店や松坂屋ができて、近場で済むことが多くなって、大阪に出ることは少なくなったことも覚えています。

その頃、割と都会のようなところがあちこちにでき始めました。

それぞれのベッドタウンの駅前がそれなりの街のようになっていったけれど、上手くいかなかったその反動か、今はまた集中し始めているのかもしれません。

大阪に華やかなお店などが集中していることを踏まえて、三宮、元町の神戸の街は独自のあり方を持ち続けて欲しいと思ったりします。

大阪のようにならなくてもよくて、この街のキャパシティに合った、地道な成長をして欲しい。

壊したくない空気のようなものが、神戸にはあると思っています。


先日久し振りにル・ボナーさんを訪れるために六甲アイランドに行きました。

六甲アイランドは一時ファッション都市を目指して商業施設や映画館などがあり、遊びに行く街様相を見せていたけれど、今は夜になると家路に急ぐ人たちが目立つ、住む街になっている。

でも何か六甲アイランドの街の空気のようなものが感じられます。

ル・ボナーさんは街開きの時からある、数少ないお店のひとつだけど、明らかに六甲アイランドの街の空気を作っている役に立っている。

夜になると真っ暗になるけれど、ル・ボナーに明かりが灯っていて、何かホッとさせる彩のようなものをコンクリートの街に与えていると思いました。

当店も周りは事務所が入っているビルばかりで、夜は三宮と時差があるのかと思うくらい暗くなるけれど、野中の一軒家のようにホッとさせる存在になって、この街の空気の役に立ちたいと思う。

大阪のような街に行くと、自分の店が懐かしく思うし、そこでのお客様や仲間たちとの交流の時間が愛おしく思える。

華やかで、大きな街ではないけれど、元町に棲んで、この街で生きていることに誇りのようなものを感じます。