元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

2016年の始まり

2016-01-31 | 仕事について

昨年、遊びは終わったと思いました。

当店の新展開を画策して、スタッフMを迎え、気持ちが引き締まるとともに大きなプレッシャーを感じた時に、遊びは終わったと思ったわけですが、実際はそれまで遊んでいたわけでなく、自店のペースを保って着実に歩くように心がけてきたような感覚でした。

心中は臆病に自店ができることだけをして来ただけですが、安全、着実なペースを守って地盤固めしてきた8年間になったと思います。

しかし、今地盤がしっかりして、揺るぎないものになったから次の展開に移行しているわけではなく、思い切って次の手を打とうとしています。

きっと地盤が固まって、余裕が出来てから次のステップに移行しようとしても、一生次のステップに上がることはできないということに、やっと気付いたから次のステップに這い上がろうとしている感覚です。

昨年後半から頭の中を占めていた初出店となる蔦屋書店でのイベントも終わったので、やっと当店の2016年について語ることができる。

蔦屋書店でのイベントで、外に出るということがどういう感じなのか分かったのは収穫でしたし、ペン先調整は外に出ても世の中に受け容れられると確信していましたが、検証できていない状態でした。
しかし、多くの人が私にペン先調整を依頼して下さることが分かって確認することができました。

これからもイベントに参加したり、外に出るということをこれからもしていきたいと思っています。

当店と同じような店を何店舗も作りたいという欲はないけれど、自分がしている万年筆を多くの人に使ってもらえるようにするということをもっと力強くするには、外に出て行く必要があるのではないか、そして自店の存在も多くの人に知ってもらう必要があるのではないかと思って行動しようとしている当店の2016年の始まりです。


イベント報告、雑感

2016-01-26 | 仕事について

イベントを手伝ってくれた東京の大学生M手木さんが、近くで見ていて、イベントの前日や直前の私は落ち着きなく、浮足立っているように見えたと言っていました。

22歳の若者に精神状態を見透かされていたことが恥ずかしく、他の皆が不安に思ったらいけないと思い、平常心を装っているつもりでしたが上手くいっていなかったようです。

確かにイベントが始まるまで、いろんな不安がよぎりナーバスになっていました。

開場前に70人のお客様が並ばれたと後で聞きましたが、11時のオープンとともにたくさんのお客様が会場に入って来られて、20数社の出店者が一気に波の飲み込まれる様は圧巻で、東京の街のパワーを感じる、きっといつまでも忘れられない光景になると思いました。

今回、商品としては革製品を中心に用意していましたが、万年筆も40本ほど持ち込んでいて、万年筆の調整販売もさせていただき、求めて下さるならお持ちの万年筆のペン先調整も有料で承るようにしていましたが、万年筆購入、ペン先調整依頼の多さに驚き、とても有り難く思いました。

日頃店でしていることをなるべく会場でも再現したい、今自分たちにできることは何でもするという姿勢が、東京での当店の告知になると考えていて、そのひとつがペン先調整でした。

重量があり、持ち運びにかなり気を使うペン先調整機を持ち込むために車で東京入りしました。

家具など、他の荷物もかなり多く、荷物の多さだけではイベントに参加した中でも1,2を争うものだったので、3時間で行ける道程を行きは8時間半、帰りは10時間かけて往復しました。大半の道程を運転してくれた父や、スタッフKとMには大変な想いをさせてしまいましたが。

周波数50hz地域で回すと回転が20%ほど落ちてしまうペン先調整機を神戸と同じ回転数で東京でも使えるようにするために、大径のプーリーを3日で作ってくれた守口の機械製作会社さんやショップカードなど印刷物を大急ぎで仕上げてくれた大和出版印刷さん、イベントの目玉となる革製品を大量に作ってくれたカンダミサコさんなど、多くの人の協力があって、今回人並みにイベント出店することができて、成果を残すことができました。

イベント2日間とも、絶えずお客様が来て下さり、ペン先調整、試筆に関しては待ちのお客様が常にいるような状態でしたので、当店としては相当に忙しくなります。
進級試験が終わったからと、金曜日の準備や東京内でのナビゲーション、そして裏方として、時には販売接客をしてくれたM手木さんにはものすごく感謝していて、彼がいなければきっと回っていなくて、3人で途方にくれていたと思います。

スタッフMも始めての終日の接客で、相当に疲れたと思いますがきっと私が何か口頭で教えるより、とても良い、得難い勉強ができたと思います。

イベントが始まる前も、イベント中も常に心掛けていたのは、当店らしくということでした。お借りしているこの場所でいかに当店らしくあるかということを考えていましたが、それをすることができたのも、当店のことを理解して下さっているお客様方が当店を訪れて下さって、励ましてくれたからだと感謝しています。

帰りは、片付けを済まして夜を徹して帰り、翌日店を開けるという無謀なスケジュールでしたが、また機会があれば同じことをしてしまうかもしれないと思っています。


イベント参加の理由

2016-01-19 | 仕事について

当店は今まで頑なに自店での営業にこだわり、大きな枠に参加することもありませんでした。

それは、外に出て行くことによって当店に来て下さるお客様に迷惑をかけたくないと思っていたからでした。
大きな集まりに参加しないことも、その中に埋もれたくないというわがままからでした。

しかし昨今の業界の状況、時流などを見ていて、その方針も変わってきて、自店だけでなく、業界全体で万年筆を売れるようにしたい、そうしていかないと万年筆を使う人が増えないし、万年筆のマーケットが小さくなっていってしまうと思い始めました。

別に自店の業績に余裕が出てきて、他店のお節介をしたくなったというわけではなく、余裕はないけれど大きく考えることができるようにはなってきていて、全体で万年筆を使う人が増えないと自分も困るし、何よりも万年筆という生活や人生を良くすることもできるモノが消えてしまうことは日本や世界において大きな損失になるという危機感からそういう考えに至りました。

業界で万年筆を売れるようにするには、他店でも万年筆を1本でも多く売れるようにしないといけない。そのための役に立つことができるのではないかと思い始めました。

これまでこだわっていた自店での営業、当店のテリトリーを守ることの次の段階に自分の仕事を進めることに考え方を変えました。

そうするには自分だけでなく、ペン先調整ができる人を育てないといけない。

もともと後継者はいずれ何とかしないといけない問題だと思っていましたので、ずっとその姿を見てきてこの人ならできるのではないかと思っていたのが、昨年当店に参加してくれた森脇直樹でした。

ペン先調整はテクニックなどよりも、お客様の要求を受け容れ、曖昧な問いからひとつの答えを提示するもので、何か包容力のようなものがないとなかなか務まらない仕事だと思っていますが、それが彼には備わっているような気がしました。

彼を育てながら、自分が外に出て行って仕事するというやり方の型を作りたいと思いました。

そう思っている最中に、代官山蔦屋書店でのイベントのお誘いを受けました。

当初、出店は無理だけど私が出向いて調整販売という販売のお手伝いならできますとお答えしていましたが、今回はそういう会ではないということでした。

それでも代官山蔦屋書店というのにも魅力を感じていたし、外に出て仕事をしてみるというのには違いはないと思い、お断りしていたのを翻して参加させていただくことにしました。

今後外に出て仕事するのは私だけとは限らない、皆経験を積んだ方が良いと思い、いつも当店に来て下さっているお客様方、当店を訪れてみようと思っておられたお客様には大変ご迷惑をおかけしますが、22日(金)23日(土)24日(日)の3日間、臨時休業にして全員でイベントに参加することのいたしました

 


鉄道風景

2016-01-17 | 実生活

子供の頃から鉄道のある風景が好きでした。

そこに車両があってもいいし、駅舎と人だけでもいい。鉄道にまつわる風景になぜか心動かされます。

子供の頃、母の実家の最寄り駅で貨車を引くC56を見たことがあって、今もよく覚えています。

そういった心に残る風景がいくつもあって、鉄道のある風景に心惹かれるのかもしれません。

年末年始、最近は奈良に行っていて、奈良の街と鉄道はあまり結びつかないけれど、県内は魅力的な鉄道風景を見ることができるところがたくさんありそうです。

手始めに、まさに電車に乗るためだけに伊賀上野まで行ってから、神戸に家族で帰ってきました。

妻もこういうことが好きだということが最近分かり気兼ねしませんが、息子は少し退屈だったかもしれません。

関西本線の加茂で、2両編成の気動車に乗り換え、車両のあまりの違いにこれから別世界に連れて行ってくれる趣がありました。

木津川沿いの谷に沿って走る風景は、期待通りの風景を見ることができましたが、所々開発の失敗の残骸のようなものがあり、自然の中に人間が成功を夢見てあがいた形跡を見るのは辛いものがあります。

まだ大学生の時、ほぼ同じルートを車で走ったことがありましたが、その時は開発の残骸など気にならなかったので、その頃はバブル経済真っ只中で上手くいっていたのかもしれません。

あれから時代は変わって、この辺りはきっとバブル以前の姿に戻っていったのだと思います。

さすがに町で、景色が開ける伊賀上野から伊賀鉄道に乗って、上野市で降りて、駆け足で上野城などを見てきました。

2両編成の気動車が1時間に1本しか走っていないところですが、正月休みが明ける前日だったので、駅までおじいさん、おばあさんが見送りに来て、リュックを背負った子供を連れた家族連れを何組も見ました。帰りの汽車は街に帰る人で賑わっていました。

奈良まで1時間、大阪まで1時間半。街までそれほど遠くないけれど、都会とあまりにも違う風景を見て帰ってきました。

 


調整機の音

2016-01-12 | 実生活

こういうものを設置しているお店は非常に少ないと思います。

既製で売っていない上に、なくてもペン先調整はできるし、あっても使いこなしに何年もかかるので、なかなか手が出しにくいと思います。

でも使いこなせるようになると手でするペン先調整とはレベルの違う仕上がりになります。

私も試行錯誤しながら、やっと使いこなせるようになってきました。今では私のペン先調整にはなくてはならないもの、自分の目であるルーペの次に大切な道具になっています。

私はこの調整機の音がうるさいと思っていて、1月23日(土)24日(日)に出店する代官山蔦屋書店でのイベントで、他の出店されている方やお客様方の迷惑になるのではないかと思っていました。

木工をされている方に聞いてみると、この機械は音がしていないと思うほど静かだと言うけれど、聞いた相手が悪かった。

何人かの方のアドバイスを受けて、金属同士が接している部分にゴムのブッシュをかませることにしました

機械を分解して、ゴム板を切ったものを挟んで、またネジを締めていく。

本当はこういうことはとても好きで、一日中でも機械とか道具をいじっていたいと思うけれど、営業時間が始まるまでに分解した機械を戻しておかないといけません。

それほどペン先調整の依頼は増えています。

実際機械を回してみると、格段に音が小さくなっている。これなら話ができないほどの音で迷惑をかけることもないかもしれないと一安心しています。

でも細字研ぎ出し加工したペンや、ヌルヌルと気持ちよく書けるようにしたペンをイベントに持って行きたいと思っていて、それらを用意しないといけないので、しないといけないことはいくらでもあります。

これからイベントまで、そのことだけを考えようと思っています。