一期一会 ~万年筆店店主のブログ~

哲学、想いを発信している、Pen and message.店主吉宗史博のブログです。

同級生のケーキ屋さん

2018-11-11 | 実生活

高校の同級生の葛城くんご夫妻が店に来てくれました。

お二人が伊川谷でベルグバーンというケーキ屋さんをしていることは、美容院をしている楫くんから聞いていたし、頑張っていることも知っていた。

当店のスタッフ森脇によるとベルグバーンは有名なお店で、森脇も何度か行ったことがあるという。
そんな名店を同級生がしていることが誇らしく、来てくれたことが嬉しくて書いています。

懐かしい先生や同級生の話などで盛り上がり、楽しい時間を過ごして、万年筆を買って帰ってくれました。別れ際にケーキ屋さんにも行かせてもらうと約束して。

翌日、定休日だったので、妻とベルグバーンに行ってみました。

店の場所は、何度も前を通り過ぎていたので知っていました。今まで立ち寄るきっかけがなかっただけでした。

店の裏にある駐車場に停めて、感じのいい店構えを見ました。
外からはケーキ屋さんだとは分からない、店内の様子が簡単に分からないところが、30数年ぶりに話したお二人らしく感じました。
これ見よがしに店内を見せたり、派手な看板や告知もない奥ゆかしさ、美意識に共感しました。

店内には、別世界があった。
「ええ仕事やな」と言ったのは、ケーキ屋さんは人を幸せにする素晴らしい仕事だということだけど、お二人の仕事も素晴らしいと思いました。

ちょうど妹がタイから帰っていたので、4人分のケーキを買って帰った。
また絶対来たい。ケーキを買うなら、ここに来ようと思いました。

お店もケーキも素晴らしいけれど、清潔感のあるお二人の感じが好きで、ケーキ屋さんという仕事にピッタリの人たちだった。

ベルグバーンは、母校伊川谷高校のすぐ近くにあって、通学していた時はまだ畑だったような気がする。
伊川谷高校は、その名前から分かるように神戸の西の端にある田舎の高校でした。
私たちは、少なくとも私は世間知らずで、何も分かっていない高校生だった。

同級生で大きな会社の重役になっているとか、いわゆるエリートはいないようだけれど、自営業で頑張っている人が何人もいます。
店に来てくれる高校の時の同級生は結構いて、齢をとったせいか高校の時よりもむしろこだわりなく楽しく話しています。

ここ数年で母校のことがとても誇らしく思えてきた。

自分の居場所があって、仕事や暮らしに真剣に向かって、楽しんでいる人は幸せだと思う。
卒業して32年も経って、50歳になっていい齢だけど、皆それぞれいい齢のとり方をしていると思った。

同級生に会って自分の仕事について考える。

私たちの仕事は、自分の楽しみを人に伝えて、共感してもらって他の人にも楽しんでもらう仕事だから、自分が楽しめばいい。それだけ。
長くやってきて、今だにそんなことを言っている。

 

 

 

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路面電車の旅

2018-10-13 | 実生活

チンチン電車が好きで、なるべく乗りたいと思ってしまう。ヨーロッパの街では多く走っていて、トラムとお洒落な言い方をするけれど、紛れもなくちんちん電車です。
でも日本では、本当に少なくなってしまった。

神戸にも私が生まれた頃までは走っていた。
電車は走っていないけれど、交差点や道路の感じが妙に思えるところが以前はあった。しかし、そこに路面電車が走っているところを思い浮かべるとしっくりくるような名残がありました。

路面を走るのは、ほんの一部分で、正確に言うと路面電車ではないけれど、京阪電車石山坂本線、京津線に先週の水曜日妻と乗って沿線をブラブラしてきました。

京都までは行っても、なかなか大津までは行かない。
子供が幼稚園か小学校低学年だった頃に、家族3人で来て以来になります。

それから20年も経ってしまった。
当時泊った琵琶湖に近いホテルも、遊んだゲームセンターもどこにあるか分からなくなっていたけれど、きっと大津の街はそれほどの変化もなくそこにあったのだと思います。

そう思わせるほど、大津の京阪電車沿線には古い町並みが残っている。

京阪電車京津線、石山坂本線乗り放題切符というものがあって、電車にただひたすら乗るというのが、今回の旅の目的でしたが、瀬田の唐橋と三井寺だけは訪れて写真を撮りまくってきました。

大津の京阪電車は嵐電や京福電車と同じような幅の狭い車両のワンマンカーでした。2,3両の連結になっているけれど、駅舎も含めてミニチュアの電車のようでかわいらしく、乗っているだけで楽しい遊園地の乗り物のように思えました。
でも、朝と夕方には通学の生徒たちでいっぱいになる、ちゃんとした地元の人の足でした。

いつも高速道路や新幹線で通過するだけの小さな大津の街ですが、降りて歩いてみると他所の観光地化している街にはない、生活の匂いもする昔ながらの街並みが多く、昭和の風情を感じました。

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重い齢

2018-10-07 | 実生活

数日前に誕生日を迎え、とうとう50歳になってしまった。

もう齢はとりたくないと思ったけれど、母の齢を健康のまま追い抜くことができたことは幸運なことだと思い直しました。

でも、49歳を無事終えることができたことは正直ホッとしている。別に長生きしなくてもいいと思っているけれど、まだ死ぬわけにはいかない。

今年の誕生日は、例えば45歳が46歳になるのとは違う、重みのようなものを感じている。

とっくに大人だけど、何の言い訳もできない齢になってしまったような感覚になっています。

皆それぞれの地位を築いて、人生を軌道に乗せて、余裕を持ってそれを周っているのに、私はいまだに必死で道を進もうと努力しないといけない。

そういう生き方を選んでいるのは自分だし、それに後悔はないけれど、いまだに生きるために余裕のない毎日を送っている。

きっと自分はこうやって生きて行って、ゆっくりすることなく生涯を終えていくのだろうと思うと、あまりにも自分らしくて可笑しく思います。

若い頃、大人になったら誰もが自分の居場所を社会の中に確保して、それを脅かされることなく生きていくのだと思っていた。

だから早く自分も大人になりたいと思っていたし、若い頃の将来への漠然とした不安は大人になるとなくなるのだと思っていました。

しかし、自分がその齢になってみると、若い頃思っていたイメージとはかなり違っていて、大人であっても道に迷うこともあるし、将来に不安になることもある。

でも大人になると生き方が軌道に乗る代わりに、夢などは持たないと思っていたけれど、やりたいことや夢は変わらずに次々と現れてくることも今感じている。

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東京

2018-08-07 | 実生活

夏季休業中は、横浜に宿をとって、東京、横浜をブラブラしていました。

3連泊して、あまり過密なスケジュールは組まないのがウチの休みのパターンで、無理をしないというのが合言葉になっている。

そちらの方に行ったのは、横浜に行った息子に晩飯でも食べさせてやろうと思ったからでしたが、久し振りに東京を見ておきたいと思ったからでした。

前に東京に遊びで来たのは6年前で、当時はインバウンドはそれほど目立った動きではなかったように思いますが、2年後にオリンピックを控えた東京はどう違っているのか、それを見て自分はどう感じるのかを知りたかった。

私たちのような神戸から出掛けて行った者にとって、銀座・日本橋というのはとても華やかな場所に見えます。

広い歩道にはたくさんの人が行き交い、ブランドショップをはじめ、きれいで立派な店が軒を連ねている。道行く車も高級外車が目につく。

何度も来ていますが、来るたびに全く新しい街になっていて、キョロキョロと周りを見てしまいます。

いろんなところで大規模な工事が行われていて、皆が2年後を目指している。

何年も前から日本はインバウンドの波に飲まれていたけれど、その最後の大波がオリンピックで、オリンピックが終わったらどうするのかというのは皆が思うことだと思います。

きっとそれは誰にも分からないのではないか。でも目の前にあるチャンスをモノにしないと将来がないことは分かっている。

インバウンドの大波によって、たくさんの人が日本を訪れてくれて、日本が世界の観光地、リゾート地として定着してほしいというのが皆の狙いで、地方は東京とはまた違うリゾートの形を見せなくてはならないのではないかと思っています。

オリンピックというチャンスをモノにできるところとできないところが出てくる。
東京も地方も、街も企業も他所とは違うどんなリゾートを示すことができるかがテーマで、当店のような一見世の中の流れと無関係に思えるところでも、無視しては続いていくことができない課題なのではないかと思っています。

東京でいろんな店を見て回って、いくら東京にあったとしても感覚が古くなってしまった店は衰退してしまうのではないかと思い始めました。

逆にフレッシュな感覚を保ち続けることができる店は、どこにあってもやっていくことができるのかもしれません。

私はどの店も、街ごと真っ直ぐインバウンドに向いていて、皆が同じことをしているのを見ると危険だと思う方なので、インバウンド、オリンピックというどうしようもない波に対して、自分たちだけの向き合い方を見つけないといけないと思いました。

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仕事が始まった時

2018-07-22 | 実生活


今日の垂水区


就職したばかりの自分の若い頃の話をするのは辛い。

その頃の自分の仕事のことをできれば思い出したくないので、あまり考えないようにしているけれど、自分の仕事の成り立ちについて振り返る機会があった時に思い出したことがありました。

自分のこれまでの人生は、本当に幸運によって成り立っていたと改めて思いました。

 

今から思うと無茶だったと思うけれど、就職して2年ほどで結婚しました。

子供にもすぐ恵まれました。

今の自分が聞いたら激怒するけれど、仕事に就くこと自体が諦めのような気持ちでしたので、毎日面白くない気持ちで会社に行っていました。

家に帰るのが楽しみでした。

本屋さんもないような朝霧という小さな駅で、たまに駅前のコンビニで立ち読みをすることが楽しみのひとつという、ささやかというか、何とも言えない生活をしていました。

もちろん仕事に行けば、与えられた仕事を一生懸命こなしていたけれど、それ以上ではなかった。
自分は何をしなければいけないか見えていない、今だとリストラの対象になるような社員でした。

ある時、同い年の気の合うお客様ができました。

その方は万年筆コレクターで、毎週限定万年筆を買いに来られましたが、来られるたびに担当ではない私が応対していました。

齢は同じでしたが、その人は中古車の輸出に目をつけて会社を興して稼いでいて、私の数歩先どころか、全く違う人生を歩まれている人でした。

私が何の商品知識もないので、万年筆のことをいろいろ教えてくれました。

教えてもらって、そのお客様の影響で万年筆を使い始めました。

そして、万年筆は切り口を変えると仕事として成り立つのではないかと思い始めました。

万年筆を手にした時、そして万年筆の仕事のアイデアが浮かんだ時から私の仕事人生が変わったという、ターニングポイントについてふと思い出しました。

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母校での講義

2018-07-05 | 実生活

毎日店に行って、店の仕事はしていましたが、それ以外のことが何もできていませんでした。

それは母校神戸学院大学の取り組みである、産学連携講座の講師をすることになっていて、その準備に忙しかったからでした。

講義の内容は、自分の仕事について話すというものでした。

話す内容、原稿はずっと前にできていましたが、今考えると当たり障りのないつまらないものでした。

講義2週間前に思いついたアイデアがあって、準備し直そうと思ってからは、ひとつひとつのことを考え抜いたので、時間がいくらあっても足りず、それからが忙しかったけれど、やり直してよかったと思います。

はじめのままだと、素人が90分延々と話し続けて生徒の方を全員眠らせてしまうことになっていたかもしれない。

お陰で寝る人もなく(私からは分からなかった?)、私語をする人も一人もおらず、終了15分前に話終わって、質疑応答に入るという、何となくカッコはついたものになりました。

でも、準備中もう二度とこんな話は受けないと思っていたのに、終わると次はもっと上手くできるかもしれないと思い始めるのは、バカだからなのかもしれない。

今回の準備で、自分が27年前に大学を卒業してから今までを振り返って、どうして自分が今ここにいるのか、当店がなぜ10年以上やってくることができたのかを分析する時間になりました。

店を始めて、もちろん長く続けたいと思って、そのつもりでやってきたけれど、そんなことはどのお店もそのつもりでやっている。

どこが良くて、どこが他と違っていたのか考え抜くことは今までできていなかった。

もちろん運がよかったのだと思うけれど、それだけで片付けることのできるものでもない。

就職した時、自分はこのまま家と会社の往復を淡々としながら、たまにコンビニで雑誌を立ち読みすることが楽しみの生涯を送るのだと諦めていました。

そんな自分がどうして今万年筆店をしているのか、当店がどうしてまだ立っているのかを講義を聴きに来てくれた大学生の人たちに話すためには答えを見つけなければいけませんでした。

無意識ではそう思っていたいたけれど、ちゃんと言葉として答えを見つけることができたことは本当に大きな収穫だったと思います。

母校に恩返しできるのならと引き受けた講義でしたが、実はこの時間は自分のためにあったことに気付きました。

 

講義を終えた時に、仕事を抜けてわざわざ来て下さっていた同窓会長にそのことを話したら、それもこの取り組みの狙いで、この講義をすることで自分の半生や仕事を振り返って、考えてもらうことで、今後の仕事の役に立ててもらいたいという狙いもあるとのこと。

勉強していたのは学生さんだけでなく、自分でもあったのだと、心から感謝しながら27年振りに訪れて、様変わりして、どこに何があるのか分からなくなっている母校をを後にしました。

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ムリしない

2018-06-17 | 実生活

冬と夏とでは、服装の好みが変わる。

冬にはそれは絶対にないと思っているものでも、夏に見ると良いような気がすることがあります。

 

最近では、夏の自分の好みをさすがに覚えているので、冬でも夏の自分の好みについてイメージできるようになりました。

毎年、夏になると「こんな革靴履いてられへん」と思っていました。

革靴は今も好きで履いているけれど、夏には暑く見えるし、実際に暑い。

今年の夏の靴はどうしようかと、まだ寒い時から思い始めていました。

靴がそれなりのものだったら、服装がいい加減でも何となく全体を引き締める効果があったけれど、変なものを履くと軽く見えてしまうかもしれない。

だんだん厚さに対して、我慢弱くなってきたことを実感している。

少しでも涼しく、快適にしていたいと思うようになって、スニーカーを買ってみました。

毎日履くわけではないけれど、週2,3日は履いていたい。

スニーカーを履くなら、なぜか白のレザースニーカーと決めていて、定番のものでも充分に良いと思っていたけれど、自分は49歳の男だということを思い出したのと、あまり人とカブりたくないと思ったので、ビルケンシュトックアランという靴にしました。

さすがビルケンシュトック。インソールは足をしっかりと支えて気持ち良いし、アッパーは柔らかくて包み込むような優しい感触で楽なことこの上ない。

齢をとって服装などの好みが変わってきたことを実感する。

まだまだ違和感があって先になるけれど、今は顔の周りに集中していて染めている白髪を染めないようにしていきたいと思っています。

齢をとるとだんだん無理しないことが良いように思えてきました。

 

 

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システム手帳の使い方

2018-06-10 | 実生活

手帳を好きで書いているという人がある程度おられて、その人たちは確かに几帳面で、ちゃんとした性格の人たちなのかもしれないけれど、実は手帳を書くことに喜びを感じている。
身近な人なら、ブログ 「筆文葉のある生活」 で当店オリジナルリフィル筆文葉の使いこなしの提案をしてくれている金治智子さんがそういう人だ。

私も自分で手帳を書くのが好きだと思っていたけれど、金治さんと出会って自分の底の浅さを思い知りました。

でも手帳を書くことが好きな人というのは、自分の手帳を人に見せたがるところがあって、私も先日輸入交渉をしてくれているアジアンロードの岩田さんと筆記具問屋酒井の菅野さんにインド料理屋さんで自分のシステム手帳を見せびらかして、自分のシステム手帳の使い方について、求められてもいない説明をしていました。

システム手帳は使い方を説明しないとお客様がどうやって使ったらいいか分からないし、それをしないと使う人は増えないという指摘もいただいていましたので、私の手帳を例に、システム手帳の使い方の一例をインド料理屋さんでの勢いのままにご提案させていただきたいと思います。

システム手帳を使う人を増やすために、様々な使い方を提案をするという戦いを金治さん一人でやっていて申し訳ないと思っているけれど、彼女は手帳や書きものの才人だと思っていますので、これからも続けてもらいたい。

私はあまりたくさんの使い方のバリエーションは知らないけれど、長い年月かけてたどり着いた使い方で、きっとこういう使い方をこれからもしていくのだと思います。

 

1.インデックスの使い方

この10山のインデックスはかなり前に廃番になってしまい、現在手に入れることができません。私は旅先などで文房具屋さんに入っては探していましたが、最寄りの文房具屋さんの棚卸で出て来たのか、ある日突然ボロボロのパッケージのものが何冊も陳列されていて、買い占めました。10山でなくても5山をいくつも連ねて使うことも可能です。

 

持ち歩きしない、店に置いている手帳です。

インデックスの山に何か書いたり、ラベルを貼ったりすることが好きではないので、インデックスの始まる前のページに目次みたいなものをつけます。

まず目次を開いて、開きたいぺージの番号を確認してからそのページを開きます。よく開くページは覚えていますので、目次を見る必要がなくなってきます。

当店のような小さな店でもたくさんのお取引先様がおられるので、各人とのやり取りを同時進行で管理するのはこの形態しかないと始めました。それぞれのぺージに入ると、横罫や方眼リフィルに時系列にやり取りが記載されているのと、特記事項や決めたルールなどを水玉リフィルに記載しています。

2.分冊

お客様のお買い物ややり取りの履歴を書いたお客様台帳もバイブルサイズで統一しています。

たくさんのお客様の情報を管理し、そのお客様についてすぐに記入したいと思った時に、お名前の五十音順よりも、お住まいの地域別にした方がいいと思いました。

齢とともに、お顔は存じ上げているけれど、お名前が出てこないお客様が多くなってきました。でもどこにお住まいかということはなぜか覚えていますので、この分類にしています。
それに、「お名前は?」とお聞きするよりも、「どちらからでした?」とお聞きする方が自然な感じがしますので。

こうやって見ると、神戸市、兵庫県が圧倒的に多いですね。

開店からできていたらよかったですが、このやり方に気付いた2009年から始めています。

 

3.時系列のインデックスのローテーション

お客様ファイルに入る前の顧客台帳は1年間このファイルに保管されます。初めて来られたお客様が1年以内にもう一度来られることが多いからです。

1年経ったら、地域別のそれぞれのファイルに振り分けますので、6月の項目が一番前にきていて新しいお客様のページを書き込むようになっています。

 

4.厚いものと薄いものとの使い分け

持ち歩きで使っているのは、カンダミサコシステム手帳です。

ダイアリーと常に書き込むことが多い項目だけを入れて持ち歩いています。

システム手帳は情報の分類の仕方を自由に、自分に合ったやり方でできるところに最大の利点があり、楽しみでもあります。

ご自分の仕事や暮らしの中にある情報をどのように整理して分類するか、そしてそれをシステム手帳の中にどのように反映させるか考えることは、私は最も楽しい、夢中になれることです。

 

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花見

2018-04-08 | 実生活

天気に恵まれたこともあって、水曜日2週連続で妻と桜を見に行きました。

写真を撮って歩き回ることができたらそれでよかったけれど、陽の下でベンチに座ってゆっくりできる季節なんて、そう長くないと思うと貴重な時間をすごすことができたと思います。

でも、大げさでなく、こうやって二人で桜を見ることができるのもあと何回あるのだろうと思う。

息子が独立したことで、そして私も今年五十になるということで、残り時間はそう長くないのではないかと思うようになりました。

総合運動公園は、ほっともっとスタジアムや陸上競技場、地下鉄の駅などを含む、須磨区の広大な自然公園で、家から5kmくらいのところにあります。

公園内を地下鉄や新幹線も通っているので、自然の木々と鉄道を合せた写真を撮る人も多い、撮影スポットでもあります。(新幹線は早すぎて無理だけど)

私たちが行った時、桜は見事な花吹雪だったけれど、菜の花が丘一面を黄色にしていました。

総合運動公園で思う存分写真を撮って、ゆっくりできたけれど、明石公園にも行ってみることにしました。

明石公園はJR明石駅北側すぐにある、明石城跡に作られた公園で敷地内に野球場、陸上競技場、テニスコート、バレーボールコート、図書館などの施設があります。

明石周辺で育った方なら、明石公園での思い出が何かあるのではないかと思います。私は学校の行事で中学でも高校でも来たことがあったし、図書館に勉強しに来たことも何回かありました。

自転車競技場横の駐車場が比較的駐車しやすく、車をとめて公園内を歩きました。

剛ノ池周辺はまさに桜満開で、私たちも息子が小さな時にお弁当を持って来たことがあったけれど、そういうお花見の人が池の周りを埋め尽くしていました。
大きな芝生広場もたくさんの人がゴザを敷いてお花見をしていました。

明石公園にこんなに人がいるのを今まで見たことがなかったけれど、行き交う人皆が幸せそうで、それを見ているのが嬉しい。私が観光地が好きなのも、そんな幸せそうな人たちを見たいためのような気がする。

日本には多くの外国人の方が訪れているし、日本人よりも外人の方が多いという話をよく聞きますが、私はそんな場所に行くと楽しそうに観光している外国の人たちの顔を見ることができて、楽しい気分になります。

いい休日を過ごせたと思いました。

 

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親子

2018-03-25 | 実生活


須磨区白川台

 

息子が横浜に行ってから、引き出しが少し開いていたり、水道の蛇口から水がポタポタと落ちていたり、スリッパが揃っていなかったりすることが多くなったと、妻に言われた。

私はわざとしているわけではないし、妻は絶対にそういうことはしないので、私の仕業だろうと思うけれど、今までできていたのに急にそういうことができなくなるはずもなく、不本意だと思いました。

それは息子が行ってから起こり出したということを考えると、今まで私が無意識に閉めていなかった引き出しや扉、揃えていなかったスリッパなどを息子が直していたのだと気付きました。

そういえば旅先の旅館で風呂に行った時、私はスリッパを脱いでそのまま浴場に入るけれど、息子は脱いだスリッパを振り返って揃えて入る。

浴場を出る時、私は無意識に揃えてあるスリッパを履いて出て来て、息子は黙って私がそのまま脱いだスリッパを履いて出てくる。

それを後から息子に指摘されて初めて気付いたということもあった。

親子というのは不思議なものだと思います。

親子だからといって絶対に似るわけでもないということを自分たちでも思うし、他の親子を見ても思います。

親子だからこそ真逆の性格になったりするのは、親を反面教師としているからなのかもしれない。

親が子に、こうなって欲しいと希望を託して圧力をかけるほど、子供はそこから逃れようとすることも自分の経験で知っている。ちゃんと期待に応える子供もいるのかもしれないけれど。

私の父は歴史の教師で、私も他はまるでダメだったけれど歴史だけは好きだった。

そして中学から歴史が好きだった息子も4月から歴史の教師として神奈川の高校で働き始める。

好きなことを仕事にするべきだという考えや行動は私と同じで、それも不思議な感じがします。

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