元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

人生の教訓

2013-09-29 | 仕事について

私はいつも青二才風で、良く言えば若く見えるということだけど、本当のところはいつまでも若者風の軽さしか持ち合わせていないということになります。

無駄に送った時間もあるし、逃したチャンスもあったかもしれないけれど、それでも45年間生きてきて知り得た、若い頃にはあまり感じることがなかった多少の教訓めいたことはいくつかあります。

それらは30代まではほとんど考えたことがなかったことだけど、40歳を過ぎてから急にいろいろ思い至ることがありました。

40代というのはそういう年代なのかもしれません。

若い頃とくに重要に感じていなかったことが、齢をとってから実は重要だったと思うようになるのは、子供の頃から馴染まされている若いころのわずかな格差が齢を負うごとに大きく隔たっていくのを目のあたりにしたり、経験したりするからです。

若い時は、その反骨心から、無謀にもそういうことを軽視しがちですが、格差というのは残念ながら存在して、それに不満を思っても仕方なく、それが嫌ならその格差が存在する仕組みから飛び出してしまうほかありません。

そこから飛び出すのは何歳でもその人のタイミングだと思いますが、若い頃からイメージしていた方がチャンスを逃さないと思います。

生き方というのは、当然ながら正解がないものだけど、小学校、中学校、高校、大学で当然のように語られる正解とされている生き方には既に格差が存在している。

私も実は気付くのに時間がかかったし、若い頃は気にしていなかったけれど、その正解と言われる生き方の流れに乗って、与えられた序列を甘んじて受け入れたまま生きていくのは、あまりにも腹立たしい。

それは自分の息子にも伝えたいし、若い人皆に伝えたい、45歳直前のおじさんからの教訓です。


長い遊び

2013-09-26 | 仕事について

どんなに真剣味のあるシーンや難しい局面でも、ユーモアや笑顔を忘れないように、そういった時こそリラックスして、対面した方が物事が上手くいくという経験をしたことがある人も多いと思います。

そういった姿勢、精神状態でいる方が、深刻に受け止めるよりもある程度リラックスして、体や頭のパフォーマンスが上るのかもしれません。

それは不真面目とは違うのだけど、ユーモアが理解されず不真面目だと受け取る人がいる時はつまらなく思いますし、リラックスした状態と不真面目を履き違えて、真摯さを失っている人を見るとその微妙で大きな違いに上手く説明することができなくなるけれど。

いずれにしても、どんな仕事でも楽しむ気持ちを忘れずにいたいと思います。

自分がなぜ万年筆や手帳をはじめとするステーショナリーにいつも惹かれるのか考えてみると、多くの人が人生の大半の時間携わっている仕事をより楽しくするのに役立つものだからだと思います。

いつもの毎日において、滑らかで気持ちいいと思える万年筆の書き味があることを私はものすごく幸せなことだと思うし、今自分の生活の中からこれがなくなるなんて考えることができない。

万年筆やステーショナリーは、難しい仕事の時間中でも笑顔を取り戻すことに役に立つ、遊び心を思い出させてくれるものだと、仕事のパフォーマンスを上げてくれるものだと思うようになりました。

私は、自分の仕事を趣味や道楽のように言われると猛烈に腹が立つけれど、お客様にこれらを提案することは遊びなのではないかと思うようになりました。

自分が楽しい、良い、と思ったものを共感者を増やすために誘う。

それは子供の頃の遊びの誘いのような感覚。

遊びの定義は、よく分らないけれど、毎日の生活、服を選ぶこと、その日履く靴を選ぶこと、文章を書くこと、商品を企画すること、お客様に商品を勧めること、メールの返事を返すこと、自分のすること全てが遊びだと思うと、そしてそれは打ち込めば打ち込むほど楽しくなるものだと思うと、毎日は本当に楽しいと思います。

もちろん遊びで済まされないシリアスなこともあるけれど、でも私のような仕事をしている人間はそれを忘れてはいけないと思うし、それが許されるのではないかと勝手に思ったりします。


振り返る

2013-09-17 | 仕事について

毎年9月になると過去のこと、特に自分の仕事について思い出すことが多い。

それは創業した月を迎えて、あれは何年前で、これは何年目で、というように自店のホームページや自分のブログを見て思い返すことが多いからなのだと思います。

誰でも以前の自分を振り返って、嫌だなと思うことがあると思います。

私も一応は少しずつ考え方などは成長していて、以前の自分を思い出して嫌だと思うことがよくあります。

何か失敗をしたとかということはあまり嫌だと思わないけれど、自分の考えの至らなさ、思慮のなさを思い出すのは辛いと思うほど嫌なことです。

知識がなかったというものでしたら、それは若さとして許されるものなのかもしれませんが、甘えた考えを持っていた自分を思い出すのは腹が立ち、きっとその時は覇気のない情けない顔をしていたのだと思います。

仕事で悪い結果が出たとしても、その原因を自分の中に見つけようとしないと何の方策も得られないと思うけれど、人のせいにしたり、世の中や悪天候のせいにしたりすることも、私の甘い考えからくるもののように思います。

自分の人生や仕事は自分で行動して、自分で道を切り拓いていかなければならないのに、誰かが何とかしてくれると考える。

誰もが、たとえどんなに偉い政治家でも自分のことで精一杯だと思うと、頼ることはできない。

上司が自分を引き上げてくれると考えるのも甘えで、自分の力で地位を獲得していくように考える。

助けてくれる人は誰もいないということを心得て、生きてこなかったことが私の場合一番嫌だと思うことです。

さすがに今は甘い考えを持たないように努めているので、甘い考えの思考の中をグルグル回ることはなくなったけれど。

でも油断すると甘えた考えの自分が出てくることがあって、それは一番自分の中で直したいところでもあります。

仕事の結果よりも、収入が多い少ないよりも、甘えずに生きているかということを私は心掛けて生きていきたい。

 


店を訪ねる

2013-09-15 | 実生活

いろんな雑貨や文具のお店を訪ねるのが好きで、休みで出掛けるとどこかのお店に行っています。

それは私たち夫婦唯一共通の趣味とも言える。

大きなお店は無休のところが多いですが、小さなお店は水曜日が定休日のところが多く、当店の定休日も水曜日なので、なかなか訪ねることができないお店もあります。

当店の水曜日が定休日なのはあまり深い意味はなくて、私たちが若い頃から神戸の小売店の定休日は水曜日だと決まっていたから、という理由になります。

神戸の街自体の定休日が水曜日だというのは、古くからの神戸人が持っているイメージだと言える。

それから20年以上経っているけれど、その名残はあって水曜定休のお店がほとんどです。

話を戻すと水曜定休のお店を訪ねようと思ったら夏休みや年末年始の休みに行かないと、いつまでも行くことができずにいます。

三田市にある「バーンシェルフ」さんは以前より訪ねてみたいお店のひとつでしたが、休みが合わず訪問が、先日の夏休みになってしまいました。

個人でされているような小さなお店を訪ねていつも思うのは、それぞれのお店の店主さんたちのセンスの良さと、才能の豊かさで、皆自分の腕(頭)ひとつで理想の空間を作って、それを継続させている。

継続させるというレベルは超えて、それぞれの世界観を追究して、ひとつずつ積み上げるように確立させていることにすごいなあと思うし、そういうお店が日本中にたくさんあって、まだまだ自分の知らないことがあるのだと思います。

そんな中で自分は店の隅々まで気持ちを行き届かせて、世界観を確立できているというとまだまだで、センスという点でも遅れをとっていると思い知るのです。

でもお店を訪ねた時は無邪気にお客として楽しんでいるし、それぞれのお店の良いところは自分も取り入れたいと、単純に思います。

「バーンシェルフ」さんもそんなお店のひとつでした。

三田市の町はずれの田園地帯にあって、まず立地に強いこだわりを感じます。

お店をするのに立地は関係ないと強気(?)に思うけれど、こんな辺鄙な場所でお店をする勇気を私は持ち合わせていない。

周りには何もなく、駐車場に車をとめてお店に歩いていくわずかな距離でも田舎を感じることができるし、日常から離れることができる場所にあると思え、来てよかったとお店に入る前に思います。

品揃えなどもここでしか手に入れることができないと思われるものがたくさんあって楽しむことができました。

結局1時間半も滞在していましたが、まだまだ居ようと思えば居られる良いお店でした。

お客様とお店の方のお話が耳に入り、かなり遠方から来られている方もおられました。

 

昼食を摂るために初めて訪れた三田の駅前も、周辺の商店街はやはりしんどそうでしたが、駅自体は人通りもあり、近いけれど遠くに来たような気分になることができて楽しかった。

夏休み中、唯一晴れた日、私は三田の町を楽しんでいたのでした。

 


伊勢日記 2

2013-09-10 | 実生活

私が今まで訪れた地方の観光地と同じように、伊勢神宮の周りの地域は商業が非常に厳しい状態であることが、商店街、ショッピングビルの壊滅振りから分りました。

伊勢市内に店舗を構えているところは、ほとんどが病院と予備校、金融業くらいで、コンビニエンスストアさえも稀でした。

伊勢に入ってから、息子は高い建物を見ていないと言うし、私は書店と文具店を1軒も見ませんでした。

駅前にあるはずのスーパーマーケットさえも見当たらない。

多くの人の生活の足が電車ではなく、車になっているから、駅前が寂れているのだと思いますし、買い物や飲食の機会が週末に集中していることも、そこから伺えます。

国内旅行の仕方も変わってきていることも一因で、海外旅行が一般化して、国内旅行の需要が減った上に、その土地に泊まってゆっくりその周辺も遊びまわるようなことをしなくなったのではないかと思います。

外宮の最寄り駅である、伊勢市駅周辺をかなりの距離歩いてみました。

線路の東側は住宅街で空き家なく家が建っていましたが、外宮側の商業地域の荒廃振りは凄まじく、通常営業はほとんどなく、営業している店も何とか継続しているという様子が伝わってきます。

一番人通りが多いと思われる、外宮参道にあるお店も長く改装がされておらず、苦しい営業を続けているようでした。

ただ、光明が見えたのは、2,3軒若い人が店を始めたばかりと思われる、新しい感覚のお店があったことでした。

駒村さんのお店River Mailがある山科四宮商店街もそういう動きがあるというし、全国の商店街が復活していけたらいいなと思います。

でも昨夏訪れた倉敷、数年前の倉吉も伊勢と同じような状況で、地方での商業の難しさを大いに感じました。

東京オリンピックが決まったので、神戸にいても楽しんで、その恩恵を受けるようにしていかないといけないと思っていますが、この大イベントでさらに首都圏に全てのものが集中しないように、地方にも人が訪れてくれるようにできればと思っています。


伊勢日記 1

2013-09-08 | 実生活

9月初めから5日間夏休みをとっていました。

前夜から降り始めた雨は結局1週間降り続けて、ほとんど雨降りの夏休みを過ごしました。

休みの前半は伊勢神宮へ行きました。

工房楔の永田さんはよく行っているし、イル・クアドリフォリオの久内さんも初夏に訪れていて、何となく私も気になっていた場所でした。

日本の古代の神話、伊勢神宮を考察した新書、ロマン溢れる仮説小説などを読み、今回の旅行において自分の伊勢への想いを盛り上げる準備だけは充分にできました。

頭の中は伊勢神宮のこと、天照大神、豊受大神、猿田彦命などの神話に登場する神々のことでいっぱいで、難波から快適で寝るのももったいないくらいの伊勢志摩ライナーに乗りました。

車では何度か行ったことがあるけれど、近鉄電車で伊勢を訪ねるのは初めてでした。

大阪、奈良を過ぎると山間部に入っていく、そしてまた少しずつ開けていく景色を、ひとつずつの駅名を確認しながらずっと見ていました。

どうしても近鉄電車の路線図が欲しくて、下車した伊勢市駅で路線図をもらうことができましたが、いくら見ていても飽きない。

伊勢神宮は外宮からお参りするのが常識だと言われたので、外宮のある伊勢市駅前に宿をとっていました。

旅に出ると、少しでもたくんの場所を周ろうとして、スケージュールがタイトになり家族からいつもヒンシュクをかっていましたが、今回はゆったりとした旅になるようにしていました。

雨降りでそんなバタバタと動き回るわけにもいかなかったことも、幸いしていました。

外宮をお参りして、さすがに時間がありましたので外宮の参道、伊勢市駅の周辺を歩いてみました。

しかし、伊勢市駅周辺の寂びれ具合は甚だしく、ショックを受けて、いろいろ考えさせられました。(つづく)