元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

聞香会の夜

2009-02-22 | 仕事について
そこに集まった9人の大人たちを前に、堂々と自分の信じる道、香道について話ができる高校生がいて、知らなかったことに興味を持って楽しめる大人たちがいた、この店での光景に、世の中から店の運営を任されている私はただ感動していました。
この夜のことは、上質な沈香の香りとともに、いつまでも心に残るワンシーンだと思っています。
店には優しい空気とお香の香りがあり、理解しようとする真剣さがありました。
前回来店された時と同じように、羽織袴で登場したMさんの道具類、様々な香木など初めて見るものばかりでした。
沈香を焚いた香炉を皆に回し、Mさんは一人ずつの反応を確かめていました。
鼻が慣れていない私たちは、それらを聞き分けることがなかなかできませんでしたが、でもMさんが伝えようとした沈香の香り、香道の空気は十分に感じることができたと思っていますし、楽しい時間を過ごすことができました。
Mさんと集まってくださった皆様に心から感謝しています。

緊急のご連絡

2009-02-19 | 仕事について

急に決まったことで恐縮ですが、明日の延長営業の夜(2月20日17時頃から閉店まで)に「聞き香会」を開催します。
2月6日のペン語りhttp://www.p-n-m.net/column/column20.htmlに登場したMさんのご希望で、この店に来られるお客様方にお香の楽しさを知ってもらいたいということで開催することになりました。
決して堅苦しいものにはなりませんので、お気軽にご来店ください。
よろしくお願いいたします。


利休にたずねよ

2009-02-17 | 仕事について
本屋さんでタイトルに利休と書いてある本を見つけると必ず買ってしまいます。
この本もそんな1冊でした。
お手前や道具の描写が詳しく、今までの利休をテーマにした小説にはなかった,
利休を侘茶へ導いた理由についての大胆な設定もあって楽しむことができました。
厚い単行本だったので、毎日少しずつ大切に読みました。
お客様をもてなすためという目的の達成のために全ての行為が向いている茶道や、自分が見出した美しさ、精神性を数々の道具で形にした千利休は、店で働く者にとってその物の考え方が大変参考になると思っていました。
自分が見出した境地に姿形を与えるというのは、悟りの境地を表現した禅芸術ですでにされていたと思いますし、枯山水の庭などもそのひとつだと解釈しています。芸術そのものがそういうものかもしれませんが、千利休のすごいところは単一の表現手段だけではなく、空間、道具、作法などすべてを整えたところにあると思っています。
自分自身で作品を作らず(一部の茶杓、花入れは自作したようですが)その美意識を意匠にし、超一流の職人に作らせることで、頭の中にある美や精神に形を与えるという利休の仕事は現在にも通用する考え方で、企業の理念、目標などを顧客や取引先に分かりやすい形で表したのブランディングにも当てはまります。
各企業のブランディングを感じて、顧客たちは好みや考え方によって選択すると考えれば、商品を売り買いする前のとても大切な、自分と合う相手かどうかという判断をする目安にするのが、ロゴ、パッケージ、内装などのデザインなどの表面をまとったブランディングです。
逆にイメージを訴える側は、それら全てに経営理念などの考え方、美意識を込めて、言い方は悪いですが全ての辻褄を合わせることが、情報を訴えられる側への配慮であり、顧客を裏切らないということにつながります。
400年以上前の人がそのような考え方で茶の湯を行っていて、その考え方がいまだに参考になるということは、人というのは精神的な本質的な部分ではそれほど変わらないということが分かります。
分からない将来のことを考えるよりも、ヒントは鋭い感覚を持っていた先人たちが教えてくれるのかもしれません。

無駄に歩く休日

2009-02-14 | 万年筆
時間の制約が必ずある日常の暮らしの中で、それはある程度の偶然がないと得られることがないのかもしれません。
たまたま駐車場の場所を間違えて(後でそれはひどい間違いであることが分かりました)、長い距離を歩くことになってしまって、特別な時間を得られたのはとても幸運でした。
石庭を見たことがないという、妻と息子を竜安寺に連れて行くために車で京都まで来て、妙心寺の南の端の駐車場に車を駐めました。
歩き出してすぐに分かりましたが、天気も良かったので引き返さずにそのまま歩いて、竜安寺まで行くことにしました。
とても広い妙心寺の境内は、たくさんの塔頭があり、それぞれが立派な塀を構えていて、それは小さな町並みのようになっていました。
時代劇のロケができるような、日本建築だけの趣のある参道をその風景を楽しみながら歩きました。
勝手に成長した息子は比較的文化的な渋いものに理解があり、この古い日本建築の間をさ迷う散歩を楽しんでいました。
妙心寺を抜けた、竜安寺前の小さな商店街も昭和の風情が残っていました。
その中のうどん屋さんに帰りに入りました。
テーブルが4つしかない、とても小さな古い作りの店ですが、腰板に竹が貼ってあり、なかなか趣のある店でした。
メニューの横に新聞の小さな切抜きがあって、作家井上靖さんが学生の頃から、結婚したばかりの頃までこの店によく来ていて、最近(平成2年)懐かしさから訪れたと書かれていました。
井上靖さんが懐かしがるのもよく分かる、時間の流れから取り残されたような、とても侘しい風情がありました。
祝日の昼間だというのに、お客は私たち3人だけでしたが、静かに落ち着いた、近所のレストランでは味わうことのできない、タイムスリップした時間を過ごしました。

集中できる環境を整える

2009-02-10 | 万年筆
有り難くも原稿の依頼を受け、大まかな構想を期日ぎりぎりにメールで送り、本文を書く段階になって、断片的に書きたいことは浮かびますが、なかなかまとまらないという思いをしました。
原因は集中できていないことだと分かっていますので、何とか集中できる環境を作りたいと思いました。
夜、一人の時間はありますが、頭の活動が冴えていません。
朝、何にも邪魔されずに文章を書く時間を持ちたいと思いました。
一番集中できる場所はどこかと考え、思い付いたのはデュオ神戸の中のカフェ。陶芸家の浅野庄司さんと何度も打ち合わせをした場所でした。
人の出入りも多く、少し賑やかですが、必ず席が空いていて、知り合いに合う確率が低いと思いました。
あるイラストレーターさんが、文章などを書くときは知り合いのいない、馴染みのない喫茶店などで書くと言っていましたが、その気持ちはすごく分かります。
喧騒の中でも、他人しか周りにいなければ一人になることができます。
それまで断片的に書いたものをまとめながら、ひとつのまとまった文章にしていく。
仕事は思った以上にはかどり、今までかけた時間は何だったのかと思いました。
本当に集中することができましたが、ここまでしないと集中することができない自分に少しがっかりしましたが、何となくコツをつかみました。
まだ何度かしなければいけません。

2月の予定

2009-02-09 | 仕事について
2月11日(水曜日)建国記念日は、祝日ですが水曜日ということでお休みさせていただきます。申し訳ありません。
子供と同じ休みなので、初詣で行けなかった北野天満宮と石庭の龍安寺に行ってみようと思っています。

今月の延長営業日(21時まで営業)は2月20日(金曜日)です。よろしくお願いいたします。

業界を憂う

2009-02-03 | 仕事について
万年筆の業界もご多聞にもれず、売上げが低迷しているそうです。
電器、自動車、外食産業などの苦戦を聞くとそれも仕方ないと思ってしまいますが、万年筆の業界の苦戦を不景気のためだと片付けるのは少し違うと思っています。
世の中の消費者の購買行動を見たり、聞いたりしていると、家で過ごすためのものには変わらずお金を使っていますし、お金や物よりも自分の内面を豊かにするものへ人々の興味が向いていることを考えると、万年筆にとって今の状況は逆風どころか追い風なのではないかとさえ思えます。
家での時間、あるいは一人の時間を楽しくしてくれる物、自分の精神性を表現することのできる道具が万年筆だとすると、今苦戦している産業が提供しているものと万年筆とは対極にあるもので、需要は増えていると思われます。
そんな整った状況の中で、筆記具の業界が苦戦しているのは業界内の問題が大きいのではないかと思っています。
昭和初期あるいはそれ以前に確立された古い販売の仕方はお客様にもっと快適で楽しい一時をすごしてもらいたいという工夫に欠けていて、物さえ買っていただけたらいいとする考え方が表れています。
作り手は、筆記具以上の書くことが楽しくなるものを作っているという誇りに欠けるような検品の甘さを感じるものを出荷してしまうこともあります。
両者とももっとクオリティの高いものをお客様に提供しなければ、万年筆の業界に未来はありません。
現在の万年筆の業界の負のスパイラルに落ち込んでいて、「売上げが悪い」「理念のないただの物売りに走る」「お客様が離れる」ということを繰り返しています。
あるお客様が私に警告してくださっていますが、万年筆というものをただの道具として、ただの文房具に属する物として提供し続ければ、この業界は必ずなくなってしまい、数十年後には万年筆という筆記具があったと過去のものとして扱われるようになってしまうという意見に同感です。
今の万年筆の業界に足りないもの。
それは今万年筆を買ってくれている人以外にももっと多くの人に万年筆を所有してもらおうとする新しい価値の提供です。
そうするには物作りの考え方から、販売の方法、プロモーションなど全てを考え直さないといけないでしょうが、万年筆にはそうする価値があると思っています。
そんな価値があることを作り手、売り手が認識して、それぞれの仕事を反省して、変えていかなければならないと、自分自身を含めて業界が取り組んでいかなければならないと考えています。