元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

播磨灘物語

2021-04-25 | 仕事について

播磨は気候も温かで、地形もなだらかな丘が連続していて、厳しいところがない、人が住むのにとても快適なところだと思っています。
そういう環境のせいか、戦国時代にも郡ごとに存在した小豪族がお互い姻戚関係を結びながら、微妙なバランスをとって平和を保っていました。
都に近いところにありながら、播磨の国がそうやって成り立っていました。

現代で言うと、他の土地は大資本による統合が進んでいるのに、播磨だけには小商店が多数存在して、それぞれが顧客のための仕事をして成り立っているということになるのかもしれません。

播磨灘物語(司馬遼太郎著)の主人公黒田勘兵衛の働きは、それらの小豪族の家老でありながら中央や時世に興味を持っていて、織田信長による天下統一を予感して、播磨の国に織田信長を招き入れて、小豪族たちを小田の傘下に入れたということになります。

当店も播磨の国の郡や町ごとに存在していた小豪族と同じようなものなのかもしれない。そして小田の傘下に入ることに抵抗していたと思います。
しかし、ただ古い慣習にしがみついているだけの存在なら、滅びても仕方ないのかもしれません。

戦国時代の小説を読んでいると、どうしてもそこに自分を当てはめて考えてしまいます。

それぞれの小さなお店や会社が大名までいかない小中の豪族で、大名が大資本のお店になります。
小豪族でも、その才覚で大名に下剋上していけるのは戦国時代と変わらない。

戦国時代も時代が進むと、グループ化が進み、集団のようなものができてきます。
そうすることで、より大きな力になることができるし、大きな資本から守られてるような気がする。

私は天邪鬼な方で、大きなグループに属するよりも、なるべくなら孤立して生きていきたいと思ってしまいます。
集まりに属して、同志と言える人たちと知り合って話すのもいいですが、商売においては皆ライバルになりますので、利益を共有することは難しい、無理のあることなのかもしれないと思い始めました。

ライバルは同業者だけでなく、モノを売るお店全てだと思っています。
ゴルフショップ、釣り道具屋さんなどあらゆる趣味的な要素があるお店はライバルなので、当店の場合ル・ボナーさんや590&Coさんのような特別な繋がりがないと共存は難しいのかもしれません。

当店のような小さな店は、大きな流れの外にいると思っています。
何か業績に影響が出るとしたら、世の中で起きていることや経済ではなく、自分たち自身に依るところが大きいと思っています。
グループや集まりに属していても、それは同じなのではないか。
自分たちに良いネタがないとどんなに大きなグループに属していても、埋もれてしまうし、いいネタを生み出し続けることができるのであれば、孤立してもやっていけるのではないか。

私のような天邪鬼は、昔の戦国時代は生き残ることができないのかもしれません。


箱根の坂

2021-04-12 | 実生活

年が明けてからずっと本を読んでいるように思います。一人の時間があれば、わずかな時間でも本を開いていた。
今までは書店でブラブラと本のタイトルを眺めて、こういう本を読んだ方がいいだろうという選び方をしていて、そういう本は読んでいてもすぐに眠くなってしまった。
でも司馬遼太郎の書く様々な男の生き方を読んでいても、全く眠くならず、寝る前にも読むけれどむしろ目がさえる。

どの小説に書かれている人それぞれに魅力があるけれど、北条早雲は特に共感できた。
最初の戦国武将ということになっていて、その名前からも時代の風雲児のようにイメージしてしまうけれど、その真逆な人物像を読みました。

早雲の縁のある女性が嫁ぎ先の駿河今川家で、夫に戦死されて幼子を抱えて不安な状況にあることを知って、この母子を守るために保証された身分を捨てて、わずかな仲間とともに駿河に乗り込んでいく。
自分のキャリアのためではなく、旅の者といういつ去っても仕方ない気持ちで駿河の国、今川家を安定させて、諸説あるけれど50代で初めて自分の国を持って、領民や駿河の国を守るために領土を東に広げて、伊豆や相模を戦で勝ち取っていく。

戦をすれば滅法強かったし、領国は租税を安くして繁栄した。自分は誰のためにこの地位にあって、誰のために政治をしているのかということを理解していた。様々な自己の欲が渦巻く戦国の世において、そういう人は少なかったのではないかと思います。

大げさだと思われるかもしれないけれど、商売も戦国の世と変わらないのではないかと思います。そして会社というのはひとつの国なのかもしれない。

誰でもその気になれば店を持ったり会社を起こしたりできて、力のあるものが生き残り、存在価値をお客様に認められなければ滅びていく。
会社がダメになれば、自分たちの生活が立ち行かなくなり、生きていけなくなる。

司馬遼太郎の小説に様々なタイプの領主が出てきて、それぞれの生き方や思考が分析されています。
もちろん作者の創作の部分も大いにあるだろうけれど、実際の資料を参考にして書かれていると言われていて、近い人物像だったと思います。
それが事実かどうかというのは、私たちにとって大した問題ではないのかもしれなけれど。

戦国時代の国が会社なら、自分は領主と同じ立場になり、主人公に感情移入して読めるからこんなにも面白いと思うのかもしれません。