元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

金沢旅行

2023-05-13 | 実生活


サンダーバードの車窓から見える白山。5月中旬の金沢市内からでも雪を頂いた山が見られました。

今回能登でとても大きな地震があり、金沢は被災地に近いということで申し訳ない気持ちを抱きながら行ってきました。
私たちがいる間にも地震があって、断続的に揺れていました。
被災された方の生活が一日でも早く日常を取り戻すことを願っています。

 

金沢は何年かに一度は訪れるお気に入りの街です。
大阪から特急で2時間半という距離もちょうどよく、旅に来た気分を大いに味わえます。
いろんなお店があるのに、都会すぎないところも気に入っています。ゆっくりしたいと思った時に訪ねたくなる街です。

外国人の観光客も多いし、修学旅行の学生もたくさんいて、街中が賑わっていました。皆さんが幸せそうにしているのを見ると嬉しくなります。

金沢の楽しみは街歩きだと思っています。
目星を付けた面白そうなお店やカフェを巡って、妻と散歩するように歩き回ってきました。

前に来たのは5年前の同じくらいの時期でした。
3回目になるので、あまり定番の観光地には行きませんでしたが、国立工芸館はぜひ行きたいと思い訪ねました。
私のような仕事をしている者にとって、良いモノを見るということは何よりの勉強になりますし、楽しいことなのです。

金沢に来た時に毎回訪ねるお店がいくつかあって、新竪町商店街の一番奥にある「benlly’s and Job」さんもそのうちのひとつです。
店主さんの美意識に合ったモノをいろいろと揃えた雑貨店で、それらが実用的で、適度にパリッとしていなくて、私の好みに合っていました。

今回訪れるとそのお店が様変わりしていました。
仕入れた雑貨中心の品揃えから、その店の工房で作られた革製品の店になっていました。
聞いてみると昨年春頃からその形態で営業を始めたそうで、ずっとこういうふうにしてみたかったとのことでした。

その話を聞いて小さな店を営むことについて少し考えました。
作り手さんが作った仕入商品は他所のお店にも並ぶ可能性があって、自分の店だけに置いているものではありません。
以前は仕入商品であっても、こだわりを持って置いていればそれなりに売れていました。
しかし、ある時から店での販売とネット販売の比率が逆転しました。
ネットではもともと当店にしかないものしか売れませんので、ネット販売の比率が上がるということは、よりオリジナルのものが求められるということになります。
当店も作家さんが作ったものではあるけれど、オリジナル仕様のものだったり、メーカー品だけどペン先調整を施すことで万年筆を買ってもらっていて、それらが売り上げの大半を占めています。
きっとこの傾向はさらに強くなっていき、地方の小さなお店は先鋭化していくのだと思います。

お店というのはある程度流行のものを追いかけないといけないこともあります。しかし、経験を積んで年齢を重ねるうちにこだわりが強くなって、流行を追うことがしんどくなってくるのではないかとも思います。
店をやっている者は世に問いたい自分の美意識と、実際に売れるモノとのバランスを取って店を成り立たせているところがあります。
流行と自分のやりたいことがどんどん離れていくことに危機感を持つこともあるかもしれません。

28年間雑貨屋さんとしてやってきて、業態を変えることはとても勇気のいることだと思うけれど、その気持ちはよく分かりました。
いろいろな想いがあったと思いますが、やりたいと思ったことを思い切って始めた店主さんの決断に賛同しました。
店の仕事が何年続こうとも、自分がいくつになろうとも夢を持ち続けて、守りながらも攻める心を忘れないようにしたいと思いました。

 


& in 横浜

2023-04-21 | 仕事について

590&Co.さんとの共同出張販売 &in横浜を終えて帰ってきました。

たくさんのお客様に来ていただけて、満ち足りた気分でいられることに本当に感謝しています。

今回の出張販売にあたって、素晴らしいモノを間に合わせて提供して下さった職人さんたちにも感謝しています。

職人さんたちは人間的にも素晴らしい人たちで、その仕事も心底良いと思えるモノを作ってくれる尊敬できる人たちで、それを扱えて、今回のように神戸から遠く離れた横浜でもご紹介できることを誇りに思いました。

自営業の店主のささやかな贅沢は仕事相手を選べることで、お客様方には申し訳ないけれど嫌ならやめればいいと思っています。

でも作り出すモノが良いと思えて、その人間性が尊敬できると思ったら、お互い良くなれるように頑張ればいい。

自分が心から応援したいと思う人のモノを販売できて、それに共感して下さるお客様に買っていただけること以上の幸せが商店主にあるだろうかと思います。

バゲラさんの革製品は量産品ではない、全て手縫いでひとつずつ作られていて、とても高価ですが、高田さんご夫妻のモノ作りへの姿勢、考え方にも共感できるし、良いと思うことが自分と近く、話していて楽しい人たちなので、たくさんの人に見てもらいたかった。

綴り屋さんのペンはそのセンスの良さに感動しました。

フォルム、ラインに緊張感があり、凛とした姿をしています。

まだ長く語り合ったことはないけれど、綴り屋の鈴木さんは天才的にセンスが良いのか、万年筆を何万本と見てきて目が鍛えられているのかどちらかなのだと思っています。

自分の手で綴り屋さんの万年筆を多くの人に知ってもらって、世に送り出したいと思っています。

鈴木さんは横浜の会場にも来て下さって、今回の目玉になっていたアーチザンコレクションブライヤーが完売していたことを喜んでくれました。

凄いものを作り出すのにとても謙虚な人で、そういうところも尊敬できます。

590&Co.の谷本さんとは長い付き合いの気心知れた、お互い自然体でいられる友人ですが、その感性や仕事振りを尊敬しています。

心から良くなってほしいと応援できる谷本さんと仕事の旅に出られることは、楽しく、勉強になっていて、今回もかけがえのない時間を過ごすことができたと思っています。

体力的にはかなりハードですがもう次に気持ちが向いています。

 


名古屋行き

2023-03-20 | 実生活

 

ペン先調整の機械は同じような仕事をする人が少ないこともあって、既製品はなく、使っている人それぞれがオリジナルの仕様のものをそれぞれ違う人に作ってもらっています。

私が使っている機械は名古屋の機械製作会社さんが作って下さったもので、ペンランドカフェさんのところにあるものの兄弟機とも言えるものです。

2015年頃、新たに調整機を作りたいと思っていたところに、ペンランドカフェさんがオリジナル仕様のペン先調整機を作られたと聞いて、当時ペンランドカフェさんの社長だった高木さんに調整機を作ってくれる会社を紹介してほしいとお願いしました。

ライバル店とも言える当店からの申し出に関わらず高木社長は快く応じて下さって、ペンランドカフェさんで機械製作会社の尾崎さんに会わせて下さいました。
高木社長にお願いした私も厚かましいような気がしますが、何かそういうことも受け容れてくれるような人間の大きさを高木社長に感じていて、何のためらいもなくお願いしていました。

名古屋を訪ねた私を高木社長は歓迎してくれて、大須の街を案内してくれたり、奥様も同席して下さってお昼をごちそうになりました。

間もなく機械が出来上がってきて、それから7年間本当に酷使してきました。
砥石やアタッチメントを換えていろいろなものを試したり、一番良い使い勝手を模索しながら使ってきて、これが最も使いやすいやり方だと決まったのは、使い始めて数年経っていました。愛用を超えて、自分の一部になったと言うと、大袈裟かもしれないけれど、自分の仕事のシンボルのような存在になっています。

大切にしているわりにただ酷使するだけで、KURE5-56も吹いていないと言うと笑われましたがそれくらい私は機械音痴で機械の面倒を見て下さる方の存在は本当に有難い。
メンテナンス、オーバーホールに数時間かかるということで、尾頭橋駅から電車に乗って名古屋駅周辺をブラブラしている妻と合流しました。

名古屋駅は多くの人が行き交っていて、大阪駅よりも人が多いのではないかと思いました。
大阪駅周辺と違って、全ての鉄道が名古屋駅に集中しているからかもしれませんが、コロナ禍から街が立ち直っている様子を見ると明るい気分になります。

少しブラブラした後、お客様に教えていただいた鈴波という味噌漬けの魚を焼いて出してくれる店で夕飯にしました。
きっと地元では有名なお店で、早めに行ったにも関わらずすぐに満席になっていました。
たしかにびっくりするくらい美味しくて、二人大満足で店を出ました。

工場に戻るとメンテナンスはできていました。尾崎さんにお礼を言って名古屋を後にしました。
気持ちの良い人たちばかりを知っているからだし、当店のお客様も名古屋の方が多く、名古屋にとても良い印象を持っています。
神戸から新幹線で1時間ほどで行ける距離なので、行こうと思えばすぐにでも行けるのに今まで名古屋に遊びに行くことがなかった。
いつかまたゆっくりとこの街を訪ねてみたいと思っています。


司馬遼太郎記念館

2023-02-04 | 実生活

休日を月2回週休2日にして、今まで行こうと思っていて行っていなかったところにも行ってみたいと思っています。
先日は東大阪市にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。

大阪や奈良には行くけれど東大阪には行くことはなかったので、初めて降りる駅で降りて、知らない街を歩くことができて、それほど遠くではないけれど小旅行を楽しんできました。

東野圭吾もそれなりに読んでいるけれど、司馬遼太郎は最もたくさんの作品を読んだ作家です。
時代小説ですが、藤沢周平のような繊細な心を描いたり、風景を細かく描写するのではなく、ザックリで大味なところが私の好みに合っているといつも思います。

これはきっと好みの問題なのだと思いますが、あまり繊細過ぎるものはどうしても合いません。私も大雑把な関西人なのだと思う。

東大阪はわりとコテコテの下町のイメージを持っていましたが、司馬遼太郎記念館は落ち着いた住宅街の中にありました。

元々司馬遼太郎の自宅で、記念館の横には自宅もそのまま残されていました。

1階の角にある書斎だけが外から見ることができるようになっています。司馬遼太郎が楽しくも苦しい仕事の大半をこの書斎でしていたのかと思うと、思い入れを持って見続けずにはいられない。しばらくその場に立ち続けて見ていました。
半ば寝そべるようにして椅子に座って楽な姿勢で執筆していたという椅子と机、本の詰まった本棚。

自宅の横に建てられた安藤建築の資料館に書斎に遺されていたモノが展示されていて、万年筆や文房具も見ることができます。

これは私の勝手な想像ですが、司馬遼太郎はあまりモノを置いておく人ではなかったのではないかと思います。
本になってしまえば、下書きや草稿ノートなども処分してしまったり、筆記具もこだわって愛用していたものはあまりなかったのではないか。

そんなこだわりのなさが小説からも、記念館の展示品からも伝わってきましたが、本当はどうか知りません。

駅の帰り道、何でもない大阪平野の中によくある町並みの中を歩きながら、生前司馬遼太郎は散歩に出かけて、この辺りも歩いたのではないかと想像しました。

真っ白い髪の司馬遼太郎はきっと目立ったと思います。
すれ違う人たちが「先生」と声を掛けたかどうか分からないけれど、町の人たちはすぐに彼に気付いただろう。

私たちが行ったのは本当に寒い日でしたが、記念館の中、庭中、近所中に菜の花がたくさん植えられて咲いていました。


休みの取り方

2023-01-17 | 実生活

今年から定休日の水曜日の他に第1、第3木曜日を休むことにしました。私が月2回週休2日になったというだけで店は水曜日以外開店しています。
私の留守中のペン先調整などは森脇が応対させていただきます。

個人事業主として、休みをとらずに仕事することは当然だと思っていました。でも、それではプライベートな用事が立ち行かないし、家族と出掛けることもできない生活になってしまうので、定休日の水曜日だけを休みにして15年やってきました。

でも休みが週1日だけだと、例えば歯医者や散髪に行ったり、車を洗ったりしたら、それに休みの時間の半分がとられてしまって後はどこにも出掛けられなくなります。1日だけの休みだと行ける範囲も限られているので、同じところばかりに出掛けることになる。

もっと行きたいところもあるし、水曜日定休日のお店で行ってみたいところもあります。本も読みたいし、書き物もしたいと思い、第1、第3の木曜日も休むことにしました。

今までも絶対に休んでくれるなと誰かに言われていたわけではなく、自己満足で1日だけの休みで通してきただけなのでこれでいいのだ。

それにいつまでも私が店の中央に居座っていては森脇の出る幕がない。彼にチャンスを与えるためにも私が不在の日をもっと作りたいとも思いました。

大変恵まれた幸せなことで、病気にも罹らず、気持ちが切れることなく今までやってくることができました。丈夫な体と単純な頭に生んでくれた親に感謝しています。定年のない仕事で、生涯現役でいないといけないので、これからも長く歩き続ける役にも立てたいとも思っています。

私がいなくても店が普通に回る。もしくはもっと良くなっていくことが理想です。
私にご用事のある方は、第1、第3木曜日を外していただきたいと思います。


連休

2022-12-04 | 実生活

いくら好きでやっている仕事でも、連休を取らずにいると、何か行き詰っているようなマンネリ化しているような感覚になっていましたし、気持ちも疲れ始めて、弱くなっていたような気がしました。
少し仕事から離れる必要のあった、いいタイミングだったと思います。

昨年は1カ月早かったけれど、同じ頃に連休をしていました。
連休真ん中に店に泥棒が入って大騒ぎになりましたが、あれから1年経った。
あの日から店の防犯を強固なものにして、休みの日でも少し安心していられるようになりました。

休みのうち3日間は鎌倉に行っていました。
横浜の高校で歴史の教師をしている息子と合流して、定番の鶴岡八幡宮の他に鎌倉幕府が最初に開かれた大倉幕府跡や源頼朝の墓などを巡り、歴史について考えながら歩きました。

5日の休み中4日は15000歩以上歩くことができて、普段運動ができていないので嬉しかった。
若い時は、自分の歩く歩数なんて考えもしなかったけれど、今は結構気になります。

観光地の中のお土産物屋さんを見るだけでも勉強になることはたくさんあって、自分の仕事についていろいろ考えることもできましたので、仕事においても有意義な連休でした。

息子がどんなところで新婚生活を送っているのか、前から気になっていましたので、最終日新幹線に乗る前に妻と二人で仲町台まで行ってみました。
駅を降りてせせらぎ公園を通って、息子とお嫁さんが通勤していると思われる道を歩いてみました。
観光では絶対に来ないようなところですが、知らない街を歩くのは楽しい。
近所の住宅街でも行ったことのない所を歩くのは何か発見があったり、自宅の近くにいることを忘れてしまいそうになって面白い。今回は近くにいるような感覚になりました。

きっと日本中に似たような住宅街があるのだろう。同じころにできた街はどこも似ているのかもしれません。
しかし、さすがに横浜で、住宅街でも垂水に比べると人通りが多かった。

息子たちが住む家を見て引き返してきましたが、こういうところに住んでいるのかと見ることができて満足して帰ってきました。
実際に見たので、これからは明確なイメージを持って、息子たちの暮らしについて想うことができる。それだけでもとても有意義だったと思います。
元気で、前向きに生きてくれていたらと、いつもどうしても気にしてしまうし、夫婦の会話は息子のことが多くなります。きっとこれが親心で、
子供がいくつになっても、そのように思うのだと思います。


永遠に続くもの

2022-10-29 | 実生活

15年やっているといろんな状況が変わってきます。仕事上の関係も永遠のものなどないと思わされることもあって、今までできていたことができなくなることもあります。ここ最近何度かそういうことがありました。

個人企業の仕事は個々の生活の上に成り立っているので、生きているうちにその生活が変って、それが仕事の関係に影響を与えることもあるだろう。
それはその人の人生だから今まで通りの関係が続けられなくなっても、私がそれを責めることはできないし、責めても仕方ない。
15年間やってきたという事実も、それは今までの話であって、それがこれからも共にやって行くことの約束ではないのだ。

時間は流れて、私たちの状況も常に変化しているのだから関係性が変っても当然だと思うようになりました。
人と人との関係に永遠などないのだと、考えてみると当たり前のことだけど、ようやく自分の中で消化できるようになった。

15年間静かに自分たちにできることをやってきたけれど、取り巻く状況が変化してきました。
今までできていたことができなくなって、焦って少しでも元のパフォーマンスに戻そうとするけれど、すぐには戻らない。
15年かけて築いてきたものなのだから当然なのだろうけれど、焦らずにまた積み重ねていけばいいのだと最近では思うようになりました。

人と人との関係は様々な要因によってどうしても変わってしまうものだと思う。
今は外に目を向けて、また今まで以上の仕事ができるように積み上げて行けばいいのだ、今までしてきたように。

人との関係は変わるけれど、せめて自分は変わらないでいたいと思います。

変わらないで存在するためには、自分は何が楽しくて、自分が皆さんに何を伝えたかったのかを忘れなければ何とかやっていけるのではないかと思っています。

私は書くことが好きで、書くことが自分にとって良い作用がありましたので、自分と同じように書くことを楽しむ人を増やしたいと思いました。書くことが一番楽しくできるのは万年筆なので、万年筆を使う人を増やしたいと思いました
書くことが楽しくなるとモノを考えるようになって、本をたくさん読むようになります。
本をたくさん読むと自分の考えが固まってきて、自分のものになります。
考えが固まることで、自分の生き方が出来上がる。

私は人の生き方に興味があって、それを見せてくれる司馬遼太郎などを夢中になって読んだし、英雄でなくても身近な人の生き方にも興味があった。
それはきっと自分が楽しいと思う、書くことにつながっていたからだと、最近気付きました。
こうやってモノを考えて書くことは楽しくて、それを伝えたいといつも思っています。


先生の椅子

2022-10-10 | 実生活

私がいつも座っている椅子は、2年前に狂言師の安東伸元先生が形見分けにと下さったもので、形見分けなど早すぎるけれど先生が愛用されていたものとのことで有難くいただきました。
イギリスのアンティークで無垢の木を使った重厚なもので、実用本位のデザインです。

安東先生が10月2日に亡くなられました。
「これでお終わりにします」と宣言された翌日に逝かれた。最期まで自分でコントロールして、潔く逝ってしまった。どこまでも立派な人でした。

普段ボンヤリと暮らしている私も先生が頑張っていると思うと少しはシャキッとすることができて、私には精神的な柱のような人でした。
物静かで言葉数は多い方ではなかったけれど、その言葉ひとつひとつが教えられることばかりでした。尊大なところが全くないのに存在感のある人で、本物というのは先生のような人のことを言うのだと思います。
本物は自分を大きく見せようとしないし、いつも他者への優しさを持っている人だと安東先生を見て知りました。
それを知ると、声の大きな虚勢を張る人は本物ではないのだと分かりました。

何度も公演を観させていただいているけれど狂言のことはあまりよく分からないし、先生の舞台での技術的なことは分からないけれど、圧倒的な存在感の凄みは私にも分かった。

安東先生とは当店が2周年くらいの時に、暮らしの手帖を見て奥様と来て下さったのが始まりでした。

それから公演を観に行かせていただいたり、毎年忘年会の末席に参加させていただいたりして、先生の姿を目に焼き付けて帰ってきました。先生を生き方のお手本にして、先生のように生きたいと思いました。
とても遠く及びませんが安東先生と出会ったことで少しはマシな人間になれたとは思っていて、もし出会っていなかったらどうしようもない人間のままだった。

安東先生は能楽の家に生まれて、そこにいれば能楽師として国から護られた安泰な生活を送れるはずでしたが、国家権力に護られた床の間の飾り物のような古典伝統芸能のあり方が信条に合わず、独自の狂言団体を立ち上げました。
国から保護されない在野での活動は生きるために自分で稼がなければならなかったけれど、それが先生の性に合っていたのだと思います。

私も天邪鬼な性格で損得よりも自分の信条を優先してしまうところがありますので、先生の行動や気持ちがすごくよく分かります。

先生の買い被りすぎですが、万年筆店という儲けにならなそうな、誰も選ばなそうな仕事をしている私とご自分の姿を重ね合わせて、いつも私に目を掛けてくれたのだと思います。
大したこともできないのにきれいな理想ばかりを追いかけている私をきっと心配してくれていて、出来の悪い息子のように思っていてくれたのかもしれません。

先生に心配を掛けていたのなら本当に申し訳なかったけれど、先生がご自身の集まりに私を引っ張り出してくれたおかげで、店に居るだけではできないようないろんな経験をすることができました。本当に感謝しています。

いつもの行き来の中で「ありがとうございました」というのはお別れの言葉のような響きがあります。死期を悟った先生が春に会いに来てくれた時も、手を握って目を見ることしかできず、何も言えなかった。

ご家族やお弟子さんたちとお骨上げまでさせてもらってお送りした時にやっと「ありがとうございました」と言えました。
安東伸元先生のご冥福をお祈りいたします。


15周年の夜に

2022-09-24 | 実生活

この店を始めて15年が経った。この店が出来た時、きっと皆いつまで続くだろうと心配してくれたのではないかと思います。
私はすぐにダメになるとは思っていなかったけれど、皆がそう思って見ていることは分かりました。

何が何でも店を続けて見返していやるとは思わなかったけれど、世の中の仕組みや常識のようなものを一切無視して店を始めて、皆を心配させていることは恥ずかしく思った。

でも今になって思うとそういう仕事の常識やセオリーのようなものに捉われて、自分の行動を制限することに何の意味もなかった。そういうものは年月が経って時代が変ったら消えてなくなっていた。

何の後ろ盾もなく、何にも守られず、とても無防備な状態で始めた店でしたが、自由ではありました。
仕事のやり方、方針などいろんなことを教えてくれる人は何人かいましたが、そういう意見を参考にしながら、自分で決めてきたので、変なストレスはなかったし、結果が悪くても人のせいにすることはなかった。

自分の意志で自分たちにできることを無理をせず地道にやってきましたので、15年続いてくることができたのだと思います。
良くも悪くも規模も数も変わらずに15年前のままの体制でやっています。

店は店主の姿、生き様を映すとよく言われますが、本当にその通りで、この店は私の等身大の姿を反映している。
この店を見れば私の能力や限界がよく分かり、お恥ずかしい限りです。

これから私が成長すれば店も成長するだろう。私が退化すれば店も悪くなっていく。
まだまだこの仕事でいきていかないといけないし、期待して下さるお客様もおられるので、面白いと思ってもらえることをやっていきたいと思っています。


京都手書道具市(9/9~11)

2022-08-28 | 仕事について

都手書道具市が9/9(金)~11(日)開催され、当店も参加します。

条件が合えば関西でのイベントにはなるべく参加したいと思っています。

地元を盛り上げたいというローカリズムの心を私も持ち合わせているし、宿泊費をかけずにイベントに参加できることが採算を考えるととても有難い。


イベント中もなるべく店も営業したいと思っています。
9日当日車で荷物を運び込んで準備をして、京都を出れば16時から神戸でも営業できると目論んでいます。
イベントには日本中のいろんなお店が参加していて、お店の人たちと言葉を交わすのも楽しいし、たくさんのお客様が来られるので、本当に楽しい夢のような時間ですが、私は店番をしています。

神戸、京都の往復をレンタカーですることになり、それが少々不安ですが何とかなるだろう。
これくらい無理してでも関西のイベントに参加したいと思うのは、当店をもっと多くの人に知ってもらいたいと思うからです。

この近所ではわりと皆さん当店のことを知ってくれていると思いますが、元町を出ると当店のことを知っている方は少なく、まだまだ無名だということを思い知ることがあって、がっかりします。
気付いたら、文房具好き、万年筆好きの方が入れ替わっていて、新しくこの世界に足を踏み入れた方には知られていないと実感しています。
イベントは新しい文房具、万年筆を好きになった方に知ってもらうことができる貴重な機会でもありますので、また一からのつもりで知ってもらえるようにしていきたい。

今回の手書道具市で販売したいと言ったら、aunの江田明裕さんがガラスペンを間に合わせて作ってくれましたし、他の職人さんたちも協力してくれました。

このイベントは昨年から始まった新しいイベントで、いいものにしていきたいという主催者の熱意がここでも感じられて、私たちもその役に立ちたいと思います。

昨年は8月上旬の開催で、京都ということと、歴史ある建物ということもあって、ものすごく暑くて、汗を流しながら仕事をしていました。
それも語り草のようになっていて、今では笑い話ですが、今年は9月の開催で、少しは涼しくなっていると思います。

入場券が必要で、前売り制になっています。
皆様ぜひ、京都にも、そして神戸にも来て下さい。