元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

流れ

2013-05-28 | 仕事について

何にでもあることだと思いますが、店には流れのようなものがあるとよく実感します。

何をしても客足が自分の店に向かず、そのうち売れるような気がしなくなる。そういう日が続くと売るという感覚を忘れそうになってくる。

お客様が店に向いてくれる流れ、何をしても面白いように物が売れるような状態の日もまた続くこともあります。

それらを天気とか、カレンダーの日取りに理由を見つけようとする人が多いけれど、その店に吹き込む風向きだと思っています。

そういう流れを店で仕事をするようになって今まで何度も感じてきましたし、この店をするようになって、より切実にそれを感じてきました。

その流れはツキという言葉に言い換えることができるけれど、そういう風に言うと自分の仕事が博打のように感じられてしまいます。

もちろんやるべきことをやって、撒くべき種を撒くからこそ流れに乗ることができるのは、言うまでもないけれど。

店に神棚を作ったり、入り口に盛り塩をしたりするのもそういったことを信じているからで、もちろん神頼みで仕事をしているわけではなく、そういうどうしようもない形勢というのはあるのだと経験的に知っているのです。

でもツキがある時も、なくて余計なことを考えず、手を動かした方はいい時も、笑顔と明るい気持ちだけは忘れてはいけないと、教訓として持っています。

 

ツキとは違う流れに時代の流れがあって、それは流行という表面的なものではない流れです。

少しずつ流れるようなものではなく、堰きとめられていた流れが一気にながれるように、ある日突然世の中の仕組みが変わってしまう。

そういった変化は言葉では言い表しにくく、肌で感じるもので、気付かずに変わっていることもあります。

敏感な人はもっとたくさんあると思いますが、私が感じた大きな流れは2回あって、誰もが感じたリーマンショックの時と2000年頃のある日(日付を覚えていません)。

2000年の変化は私の言葉では言い表すことができないものでしたが、肌で感じるものでした。

世の中が変わるとき、鋭敏に察知できるように肌感覚を磨いておかないと変わったことに気付かないという怖さがあります。

もちろん変わらない部分を持つことは大切だけど、誰にも抗うことができない変化というものはあるものだと思います。


書き残す

2013-05-26 | 実生活

昨晩のWRITING LAB.の会合はいつものメンバーに加え、久し振りに香道師の森脇直樹さんも同席してくれました。

昼間聞香会をして下さって、その日の夕食をともにするのがいつも楽しみです。

ラボメンバーとともに宅配してもらった最近お気に入りの焼肉丼を食べながらの雑談。

大学4年生の森脇さんは最近就職活動で忙しくされていて、スターバックスのアルバイトも週末のみにしているし、当店に来て下さることも聞香会とペン習字教室の月2回になっています。

会う回数は少なくなったけれど、私たちと森脇さんとの精神的な繋がりが強いままであるのは有り難いことだと思っています。

自分が大学生の時に、私たちのような大人と付き合うことなどなかったので、彼のことは本当にすごい、人間力のある人だと思っています。大学生と言えば、東京の医大生Mさんも同様にすごい人だと思います。

でも二人ともを私は息子のように感じられ、言葉にするとわざとらしくなるので気遣いの言葉をいつも掛けれずにいるのですが・・・。

森脇さんは当店でお渡ししているご案内、「雑記から」に毎回投稿して下さっていて、今回で23回目となります。

毎回あれだけの想いと情報のつまった雰囲気のある文章を書くのは大変だと思いますが、2年間も続けてくれていることに感謝しています。

森脇さんは雑記から原稿を全て満寿屋の原稿用紙に清書して、それを保管されています。

それをいつも持ち歩き、読み返して自分の書くものの内容がかぶらないように気をつけているとのことで、感心しました。

私は自分が過去に書いたものをなるべくなら読みたくないので、読み返すことはないので、手書きしたものをパソコンに清書するとそれを捨ててしまいます。

もうずっとそうやってきたので、今更どうすることもできませんが、なぜ人が書き記すかということを考えた時に人にメッセージを伝える手紙は例外とし、ほとんどの場合自分自身への教訓というか、覚書のためではないかと思っています。

森脇さんのように自分で書いたものを客観的な気持ちで読むことは、教訓になって、自分の考えをより良い方向に導くために大切なことだと思います。

書くことが好きで、自分なりに自分と向き合った結果日々変わっていく考えと、その時々の想いを書き散らかしてきた私だからこそ、ご自分で書いたものを読み返すことをお勧めします。

 


人生の借り

2013-05-21 | 実生活

人は若い時の借りを返そうとして、行動するものだと私は思っています。

若い時することができなかったことを実行するため、手に入れることができなかったものを手に入れるために躍起になっている自分がいて、それについて考えると、それはやはり若い頃の心残りなのだと気付くのです。

私の若かりし日々は、欲したにも関わらず、何も手に入れることができなかった。それらを手に入れるための行動もとっていなかったけれど。

40歳を過ぎたあたりから、今まで望みながらも手に入れることができなかったもの、成し得なかったことを消しこんでいきたいと思い、少しずつ消そうとしています。

でも若い頃に手に入れることができなかったものをいくら追い求めても、実は失われた日々は戻らないのかもしれなく、自分はその日々と生涯向かい合って、後悔とともに生きていき、それが人生のテーマになっているのかもしれません。

でもそういった借りは若かりし日の自分自身に対してだけでなく、自分に今まで関わってくれた人たちにもたくさん感じていて、今も身近にいる人には返すことができるけれど、もう返すことができないものもたくさんあります。

他人から見て、誰にも迷惑をかけない人畜無害に見える私でも、本当にたくさんの人に迷惑をかけて生きてきてしまいました。

その人たちのことを思い出すと、自分がしてしまったことをとても恥ずかしく、申し訳なく今も思います。

迷惑とまでいかなくてもお世話になった人もたくさんいて、そういう人たちはコンプレックスの塊で、ボンクラな私がその人のことを味方だと認識できるまで、その考えを理解できるまで待ってくれて、時には何度も話をしてくれた。

そういった良い先生に恵まれてきましたので、そのお返しは後輩たちに同じように接することで、返しているつもりになっています。

良い感情、優しい気持ちはなかなか伝わらないものなので、時間がかかってしまいますが、分ってもらえるまで待つことを教えられたので。

できなかったことは自分の人生のうちで何とかできるようにしたいと思いますし、良くしてくれたお返しは次の世代の人にしていきたいと思います。


5月18日(土)19日(日) イル・クアドリフォリオのイベント開催します

2013-05-18 | お店からのお知らせ

一緒に仕事をする人の成功をいつも心から願っています。

成功というのは、名誉や手にするお金でもあるかもしれないけれど、私の考えはいつまでも本人たちが望む限り、その仕事を続けることができる強さを手に入れることだと思っています。

少し有名になっても、それは仕事に何のプラスにもならないし、一瞬まとまったお金が入ってきても、それが継続しなければあぶく銭と同じ。

ただ、何年やっても強さを手に入れたという実感を得ることはないだろうけれど。

きっと松本さんは否定すると思うけれど、ル・ボナーさんにはその強さがあって、私たちはあんなふうになりたいと思っています。

当店に関わってくれる職人さんの中で、ご夫婦で革小物とオーダー靴工房をしているイル・クアドリフォリオの久内さんたちは一番若く、始めた年数少ない。

始めたばかりだからこそ、余計にスムーズなスタートダッシュを決めて欲しいと心から願っています。

私が願わなくても、お二人が一番願っているだろうけれど。

イル・クアドリフォリオのイベントを5月18日(土)19日(日)開催します。

イベント期間中だけの商品、新製品のお披露目などがあります。

お手持ちのイル・クアドリフォリオ製品のメンテナンスも行います。

ぜひご来店ください。


浜田恵子さん ジャズオルガンライブ(7月6日19時半~梅田ミスターケリーズ)

2013-05-17 | お店からのお知らせ

ミュージシャンというのは、自分の腕だけで生きる、厳しい世界にいる特別な人で、そこで長く活動してくるには音楽的な才能を生かす並々ならぬ努力をしてこられたのだと思います。

でも皆さんそういった感じを表に出さず、飄々としている。

苦労や厳しさを表に出さず、自分に向けている人を心から尊敬します。

当店を行きつけの店として紹介して下さったアルトサックスプレーヤーのIさんも浜田さんといつも同行してくださる、旦那さんの竹内さんも、そしてもちろん浜田恵子さんも。

ハモンドオルガン奏者浜田恵子さんは、とても華やかな雰囲気を持っている人で、浜田さんが来られると店の中が明るくなります。

感性も研ぎ澄まされている人だけど、とても温かく接してくれる浜田さんの人柄に知り合った人は皆惹かれると思います。

話題豊富で、エネルギーに満ち溢れた人。

浜田恵子さんの次回のライブの情報をご案内します。

7月6日(土) 19時半~ 大阪梅田 ミスターケリーズ です。

 

浜田さんのライブに行ってみたいと思いながらも、いつも週末に行われるために行くことができていません。でもぜひ一度訪ねてみたいと、思っています。

 


時代の流れ

2013-05-14 | 仕事について

ペン先調整で心掛けていることは、なるべく削らないで書きやすくするということです。

でも実は理想とするペンポイントの形があって、なるべくそれに近付けたいと思っています。

ペン先調整を依頼されて、それが実現できた時、そのお客様には言いませんが一人悦に入って、とても美しいと思います。

でもこれで出来ましたとお渡ししても、その人の書き方に癖があったりすると引っ掛かりを感じてしまったりして、微調整を求められます。

自分の25倍のルーペから見えた美しいペンポイントが醜くなっていくのを見るのはとても辛いですが、万年筆は美しいペンポイントに価値があるのではなく、書きやすさに価値があることも理解していますので、黙ってその方の理想の書き味に近付けようと調整を続けます。

頑固に自分のこだわりを主張して、それに合わせた使い方をお客様に要求するには、自分はまだ若造過ぎるし、自分のスタイルではない。

そしてそれはもしかしたら、21世紀的ではないのかもしれない。

お客様が書きにくいと思っておられる万年筆を持ち込まれて、それをなるべく書きやすくなるように調整することは日常的にしていて、中には珍しいものもあったりします。

先日セーラーのプロフィット長刀研ぎ万年筆が持ち込まれました。

長刀研ぎは昭和初期にされていたペン先の研ぎ方で、セーラーは当時を知る名工長原宣義氏を復職させて復活させたのが20年以上前のことでしたが、その時期の初期のものでした。

ペン先が反り上がっていて、字幅表記がない。ペン先の裏に引っ掻き傷のようにFと刻まれています。

長原さんが字幅が分るようにこうやって印をつけていたのを万年筆に関わり出したばかりの頃に教えてもらいました。

今では中細より太いペン先しかないけれど、初期の頃には細字がありましたがすぐにカタログから無くなってしまいました。

その万年筆はペン先が開きすぎていましたので、ペン先を寄りを適正にしてボディにセットしたら、すごく書きやすくなりました。

ペンポイントの研ぎは、長原さんらしい丸めすぎない、八角形のような断面を持った形。

これにやすりを入れることはできません。

その万年筆は、万年筆職人がこだわりを使い手に強烈に押し付けていた力強さが感じられました。

プラスチックのギャザー加工がされたボディのみだけだった長刀研ぎ万年筆は、その後竹軸をはじめとして様々なバリエーションを作られていきました。

その頃の万年筆クリニックで長原さんはその場のお客様とのノリで、車で言うと違法改造とも言える万年筆を生み出していて、それが万年筆クリニックの楽しみでした。

ただカタログに出ていないものがたくさん世に出てしまったり、他社のペンのペン先が反り上がってしまうのは、メーカーとしては都合が悪く、長原さんもあまり好き勝手にそういうことができなくなっていきました。

時代が変わったのだと、何となく実感しました。

そういった職人のこだわりやその場のノリで面白いものを作り出してしまうことは21世紀という時代には押さえつけられてしまうものだと、ルールの外にいる人を大目に見る無頼の時代は終わったのだと万年筆の世界から見ていた頃でした。

 


27年間の報告

2013-05-12 | 仕事について

高校の同級生が来てくれました。

他の子から私が店をしていることを聞いて、ちょうどご自分の息子さんの20歳のお誕生日に万年筆を贈りたいと思っておられたので、大阪からわざわざ来てくれたのでした。

1年生と3年生の時同じクラスだったけれど、ほとんど接点がなく、話す機会があまりありませんでしたが、27年経ってこうやってお会いすると話題は尽きず、色々な話をしました。

私は高校にいる間に自分がやりたいことを見つけることができなかった。

やりたいどころか、自分は何が好きなのかも分らなかった。何の取り得もないただ休まずに学校に行く高校生でした。

週末はよく三宮に出て、お店を見たりして一人でブラブラしていました。

伊川谷という神戸の西の端にある高校に通う高校生にとって三宮は都会に思えました。

それでも毎週そこに出掛けて行ったのは、三宮で何かが見つかると思っていたからでした。

野球部を途中で辞めて、それまで頭の中のほぼ全てを支配していたものがなくなって、何をしていいのか分らなかったし、じゃあ勉強しようということにもなりませんでした。

街で何かが見つかると思って歩き回る癖は20代まで続きましたが、自分のやりたいことを見つけることができた幸運な子はきっとこんな時間の無駄使いはしなかったと思います。

来てくれた子もやりたいことが見つかったのは大人になってからで、今やりたかったことを仕事にすることができている。

旦那さんと3人のお子さんと暮していて、家事との両立は大変だと思うけれど、充実した毎日を送っている人に見えました。

高校時代の同級生との再会は若いころの自分を思い出して嫌な面もあるけれど、27年間に自分が作ってしまった空白が埋まっていくような気がします。

人生とは過去に作った借りを精算しようとする側面もあると思っていますので、これもひとつの精算の想いなのかもしれません。


神戸の街

2013-05-07 | 実生活

ハーバーランドの一部が大々的に改装して、かなりの集客をしていると聞いて休みの日、妻と出掛けてきました。

まだお店ができる前のパン食べ放題のスパゲティ屋さん(今も健在です)しかなかった22年前、百貨店が入り、大規模にテナントが入った20年前、震災の影響やその他の事情で廃れ始めた時など、この街の変化をずっと見てきました。

多くの思い出のある場所なので、賑わって街が復活するのはとても嬉しい。

今の活気がいつまでも続いて欲しいと思います。

ハーバーランドの端、中突堤の向かい側から神戸の街を見ることができます。

周りに高い建物ができて、今やタワーでも何でもなくなってしまったポートタワー。

背景の山々。県警本部が近くに見えるので、当店もすごく近いことが分ります。

大阪は駅前が大規模に開発されて、またたくさんのお店ができて、阿倍野、難波、心斎橋と相まってつぶし合いの戦国時代の様相を呈しています。

ひとつひとつのショッピングセンターやエリアの旬はすぐに過去のものになっていく。

遊びに行く場所が増えるのは良いことだけど、結局同じお店があちこちにあるだけのような気もします。

お店もそこで売っているものも、短い期間でしか考えられていないような気がして、憂鬱な危機感を感じます。

神戸の街も大阪の影響を少なからず受けるだろうけれど、そんな勢いとは少し距離を置いて、神戸らしさ、長く続く街作りを目指して欲しいと思います。

私もそうありたいけれど、神戸の人はガツガツしない、世の中の流行に流されない自分らしさを持っている。自分のタイミングで行動するマイペースなところもある。

そんな神戸人らしい街作り、すぐに旬が去ってしまうのではなく、細く長く付き合うことができる渋いお店が多く存在する街でいて欲しいと、広くない、のどかな神戸の景色を見ながら思うのです。


~原稿用紙を粋に使いたい~ 5月10日(金) 万年筆で美しい文字を書こう6開催

2013-05-05 | お店からのお知らせ

狂言師の安東先生からいただいたお手紙は満寿屋の原稿用紙の升目を飛ばして、黒インクを筆文字のように流したものでしたためられてきます。

私はずっと自分もこういうふうに書きたいと憧れてきました。

何度かやってみようとしましたが、なかなか上手く、格好良く書くことができない。

文字の大きさ、バランスなどいろいろ考えてみるけれど、私の場合升目に文字を入れていく方がまだましでした。

何かコツがあるのかもしれませんが、こういうものは慣れだと思っています。

でも安東先生によく同行される大和座狂言事務所のK女史も言っていましたが、私たちの年齢でこれをやってしまうと何か生意気に思われるのではないかということも考えます。

私の場合、手紙を書くことのほとんどがお客様へのお礼のお手紙で、原稿用紙の升目飛ばしを私がするとそんなつもりはなくても、礼を欠いたものになるのではないかという恐れを抱きます。

でもいつか原稿用紙の升目を飛ばして手紙を書きたい。

これは万年筆の使い方で、最も粋なことのひとつなのではないかと思っています。

次回、5月10日(金)19時~21時のペン習字教室“万年筆で美しい文字を書こう6”では、堀谷先生がそんな私の意向を汲んでくださって、原稿用紙をきれいに書くという課題に取り組みます。

とても楽しいそうだと思いませんか?皆様ぜひご参加ください。


離見の見

2013-05-03 | 仕事について

一日中座って何か作業(ほとんどペン先調整ですが)をしていて、ふと気付くと肩こりがひどいことがあります。

そういう時はたいてい背中が曲がって、姿勢が崩れていることが多い。

腰を伸ばすことを意識して、背筋を伸ばしていないと姿勢が悪くなり、それは肩こりの原因になるだけでなく、見た目もあまり美しくない。

いつも意識していればいいですが、ついつい忘れてしまいます。

でも姿勢を意識することは大切なことだといつも思っていました。

先日狂言師の安東伸元先生が来店され、ご同行の奥様やK女史も交えていろんなお話をさせていただきました。

そんな話の中で先生の舞台での姿や所作の美しさについての話になりました。

それらについて、何かコツのようなポイントがあるのではないか、先生はどんなふうにそれを保っておられるかお聞きしました。

安東先生は世阿弥の言葉「離見の見」だとおっしゃいました。

いつも客席から自分で自分の姿を意識するようにすることが、姿を美しく保つことに役立つということでした。

次元は違うけれど、私も店で人から見られていることをなるべく意識して、誰も見ていなくても自分が見ているという意識を持たなければいけないと思いました。

以前、この仕事を始めたばかりの時、どのようにルーペを覗いてペン先を見るとかっこいいか、万年筆にインクを吸入する所作はどうすればエレガントに見えるか考えていましたので、先生の離見の見のお話は自分が以前考えていたことと当てはまりました。

でも以前は強く意識していて、万年筆に関わる所作がかっこいいものだと思ってもらいたいと考えていたのに、最近はそれらが無意識になっていて、そういうことを考えることを忘れていました。

きっと姿勢が崩れて、細部がいい加減になっていたと思いますので、先生に世阿弥の言葉を教えていただけて文字通り背筋を伸ばしたいと思いました。

安東先生は私たちが話している時、いつも黙って聞いてくれて、最後に適切なアドバイスをしてくれる。

たくさんの本が売られていて、私も答えを探していくつもの本を読んできました。

でもそれには自分たちがどのように考え、何に対して怒ればいいかが書かれていない。それは彼らの担当ではないのかもしれないけれど。

私は安東先生の言葉や考え方が自分たちが読みたかった、知りたかったことだと思っています。

そういうことを先生は恐れずに書いている。

どのように世の中で起こっていることを捉え、どのように考えるべきか、理不尽なことに怒りを持って闘うことを教えてくれている。

私が78歳になった時、安東先生のように世の中に呆れながらも、怒りを持って、若い人たちにお手本を示すことのできる人間になれているだろうか、少しでも先生に近付くことができているだろうか。

安東先生の本をもっと多くの人に読んでもらいたいと思っています。