元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

ピンクのシリーズ

2015-09-29 | お店からのお知らせ

万年筆で国内限定500本というかなり少ない限定本数のペリカンM600ピンクは、早くも完売してしまいました。(ホームページでは在庫があるようになっておりますが、全て売約済みです。申し訳ありません。)

ペリカンM600ピンクは、ペリカンが女性の万年筆ユーザーのために発売したものでした。

私も一昨年辺りから若い女性で万年筆に興味を持たれている方が増えてきたと実感していました。

当店に若い女性のお客様が来られることが多くなり、開業当初から中心となる顧客層がゆっくりと入れ替わっていくような感覚を受けていました。

当店で女性のお客様から人気があるのは、オリジナルインクとカンダミサコさんの革製品です。

特にカンダミサコさんの革製品を扱っているということが、当店の特長になっていて、女性のお客様を呼んでくれたと思っています。

商品を仕入れたり、オリジナル商品を製作してもらったりする時、まず自分が使いたいと思うものを考えるけれど、女性のお客様に喜んでもらえるものについて考えるのも楽しい作業で、皆様のお好みからズレていなければいいけれど。

 

ペリカンM600ピンクとともに、あるいは他の女性を意識したデザインのペンと一緒にお使いいただきたいと思って、2種類のペンシースをカンダミサコさんに作っていただきました。

外側がシュランケンカーフエッグシェル、内側がシュランケンカーフピンクの2本差しと、エッグシェルにピンクのステッチを施した1本用の2種類です。

シュランケンカーフは、柔らかいカーフを人工的に縮れさせていますので、多少の収縮性のある丈夫な革です。クロムなめしでエージングはしなけれど、傷もつきにくく大変使いやすい革。

2本差しの場合、革の特性からM800くらいの太さでも対応してくれますし、細めのペンでもホールドしてくれます。

仕事では万年筆だけ使うというわけにはいきませんので、ボールペンと万年筆を一緒に持つことができる2本差しはとても便利です。

フラップのないシンプルな構造で、2本のペンをスマートに持ち歩き、スマートに使うことができるペンシースだと思っています。

1本差しは内部のクリップを通す所がありますので、脱落しません。こちらもペリカンM800くらいまで楽にいれることができます。

カンダミサコさんの1本差しペンシースは、とても独創的なペンシースだと思っています。

革を丸めて、1回ミシンをかけるというシンプルな構造であるにも関わらず、出し入れがしやすく、ペンをしっかりと守ってくれて、その上柔らかくもコシのあるシュランケンカーフの風合いも表現していて、崩れることがない。

このペンシースが発売されてから6年経っていまだに売れ続けているのは、そういった理由があるからだと思います。

今回ペリカンM600ピンに着想を得て、ペンシースをカンダミサコさんに製作してもらいましたが、今後も何かのペンにインスピレーションを得た革製品を作っていきたいと思っています。

 


まだ間に合う工房楔のイベント

2015-09-27 | 仕事について

昨日(9月26日)11時の開店時間には、10人のお客様が並んで開店をお待ち下さっていて、とても嬉しく思いました。

しかし、個人店で融通を利かせようと思えばできるのに、公平性を保つために11時開店を厳守したことに、30分以上お待ち下さった方もおられて、申し訳ないことをしたと思いました。

昨日開店直後は、狭い店内は移動できないほどのお客様がおられましたが、欲しいものは意外と分散するようで、「目玉」たちはまだまだ残っていますので、初日に来られることができなかったと、諦めないでいただきたいと思います。

どこがアウトレットか分からない、職人のこだわりのアウトレットのコンプロット10も残っています。

 

革ケース付きのコンプロット3

白檀とスネークウッドのパトリオットボールペン

人気のブロッター。イベント期間中、楔オリジナル専用吸い取り紙サービス。

今回の目玉材ペルナンブーコも全アイテムございます。

 


工房楔イベント 9月26日(土)27日(日)

2015-09-22 | お店からのお知らせ

9月26日(土)27日(日)、年2回の恒例となっております工房楔のイベントを当店にて開催いたします。
ぜひご来店下さい。

毎回、工房楔イベントを楽しみに思って来て下さっている方も多くおられて、そういった皆様のおかげでこのイベントを続けることができました。大変有り難く思っています。

工房楔さんのことをご存知ない方のための少し説明させていただきます。

工房楔さんは木工家永田篤史さんの木工房です。

木工家というのは木にこだわって、木を素材にして作品を作っている作家さんで、永田さんは外見だけでは難しい良い素材を見抜く目とそれを仕上げる優れた腕とセンスを持った作家さんの一人です。

木工家にとって良い素材を見抜く目は生命線だと言えます。
木は同じ種類のものでも、その個体によって模様の出方、艶やかさが違っており、永田さんが扱うものはどこに持って行っても恥ずかしくないもので、永田さんの作品のファンの方はその素材を見る目を信じてくれています。

良い素材を平滑に、持っていて気持ち良い形に削り出す腕の良さは多くの人が認めるところですし、素材によって粗めに仕上げて手触りを残したり、ツルツルにしたりと仕上げ度合いを変えるのは高度なセンスによるもので、永田さんのこういう仕事ぶりを熟達した人のものだと私は気に入っている。

万年筆店で木工家のイベントをするということに違和感を感じる人もおられるかもしれませんが、永田さん自身特にイタリアの万年筆を10数本所有し、愛用している万年筆理解者で、万年筆に絡む作品をたくさん製作しています。

木を私はずっと万年筆をはじめとするステーショナリーにとって理想の素材のひとつだと思っていましたので、工房楔さんの商品を扱うことはとても自然なことでした。

しかし永田さんと出会って、私が今まで理想の素材だと思って見てきた木は、それぞれ銘木の名前はついていたけれど、個体としては大して魅力のない平凡なものだったと知りましたが。

ひとつずつの作品それぞれに最も良いと思える部分を使うことができるのは、少量の製作だからだと思いますが、大量生産では使えない素材、取れない方法があることを工房楔に作品で私は知りました。


町を選ぶ

2015-09-20 | 実生活

私たちのように店をしたり、フリーランスで仕事をする者の身軽なところは、自分がしたいと思った場所で仕事ができるということです。

でも私は店を始めることで精一杯で、ここでやりたいと思うところは探しましたが、神戸ではなく、違う町で仕事をするという発想はありませんでした。

本当は、どこでも始めることができたのかもしれないけれど、自分は神戸で店をすると思い込んでいたところはあります。

金沢に旅行に行った時、本に出ていた活版印刷の名刺を作っているユートピアノhttp://www.utopiano-kanazawa.com/という工房を妻が見つけて興味を持ち、名刺を作ってもらいに立ち寄りました。

観光名所東山の東茶屋街の外れの古い建物を雑貨店などと共有して、その工房はありました。

壁に沿って並んだ古い活字棚と古い木の机、そして小さな手回しの印刷機のある素朴な工房の雰囲気にとても共感しました。

工房の主 松永紗耶加さんはもともと関西の人でした。

金沢に訪れた時にこの町が好きになり、金沢に住んで仕事を始めることにしたそうです。
何て身軽で自由な生き方なのだろうと思いました。

きっと自分にはこんな自由な生き方はできなかっただろう。

それでも1回訪れただけで、この町で生きたいと一人の女性に思わせた金沢の魅力は私にもよく分かりました。

でも私だったら、人通りとか、需要があるかとか、商圏がどうとか考え過ぎて、知らない町での商売になかなか踏み切れないかもしれない。

妻の名刺は、名前だけのものでしたが、書体や紙の大きさなど相談に乗ってくれて、その古い印刷所のような雰囲気にひたりながらの時間も楽しむことができました。

名刺を作ってもらいに行ったわけですが、そこに行くまでの時間そこに居る時間も思い出になって、自分もお客様にそんな時間を提供したいと思いました。

私たちが訪れた時はとても蒸し暑かったですが、今度は冬に訪ねてみたい。
ご本人に確かめたわけではないけれど、松永さんを虜にした金沢は何となく冬だったのではないかと勝手に思っています。


怒りの感情

2015-09-13 | 実生活

青山繁晴氏の「ぼくらの祖国」を読みました。

青山さんも、この本もずっと気になっていて、読まないといけないと思っていましたが時間が過ぎて今になってしまいました。

でも青山さんがテレビ番組「スーパーニュースアンカー」で言っていたことは、日本国民として知っておかないといけないと思うことばかりでした。

こんなに真剣に祖国である日本のことを考えて、働いている人がいるのにと、後ろめたくなってしまい、背筋が伸びました。

祖国という言葉には、取り返さないといけないと思っている人、失ってしまい、離れた所からそこを想う人が口にする言葉のようなイメージがありましたが、この国土は立派な私たちの祖国であって、それが侵されることに私たちは怒らないといけないし、怒らない国家機関に対しても怒りを持たないといけない。

国家機関は国民に誇りを守るということはこういうことだと示さないといけないと思うけれど、それをしないのは、周辺の国々が日本をナメているように、国家機関が日本国民をナメていると思われても仕方ないと思うけれど。

国家機関でなくても、自分の誇りを踏みにじられるようなことがあったら怒らないといけないと思います。

踏みにじられて、そこに意思を示さなかったり、それを許すことは死んだも同然だと本気で思う。

自分の目先の利益や謝っている人に対して、自分が優位な立場にいるときに怒るのは、大人のすることではないと思うけれど、怒る時には怒らないといけない。そして、許さないといけない。

怒るべきかどうか、大人になるほどその判断は難しくなっているような気もします。

怒る前によく考えようとする習慣がついてしまって、怒ることの少なかった私に怒ることを教えてくれたのは伊集院静氏でした。

伊集院氏は言っていることは気持ちいいほどメチャクチャだけど、世の中の道理を教えてくれた作家で、怒るべきことも教えてくれました。

教えられないと怒れないとは、何とも情けないし、それは国土を侵されてもヘラヘラしている日本人らしいのかもしれないけれど、利害の対立する周りの国と良い関係を保つためにも、私たちが一人の大人として自立して仕事して、生活するためにも必要なことなのだと思っています。

 

 


愚直の時代

2015-09-08 | 仕事について

物事はとても早いスピードで移り変わっていく。私たちが若い頃もてはやした欧米系のファーストフードなどのお店の仕組みや考え方などをすごいな、よく考えられているなと思ったけれど、冷静になって日本人の感覚で考えると、今までムリして合わせていた、何か違うと思うようになりました。
私などは、実際にはないと思うけれど、何か裏がありそうでイヤだと思ってしまいます。

よく考えられた仕組みでも、多くの人が知って、一般化すると陳腐になってきて、それはただのこざかしさのように感じられる。

私達が若い頃、儲かる仕組みを考え出すことが仕事を作ることだと言われていて、私も本気でそれについて考えていましたが、いくら考えても上司が頷くようなアイデアを思いつきませんでした。

自分にできることや、したいことはあるけれど、儲かる仕組みと言われて何か抵抗がありましたし、私の考えが甘かったのかもしれないけれど、少しも楽しいことに思えなかった。

今、ブランディングや仕事を作り出すことを儲かる仕組みを作り出すことと言うと、かなり違和感があって、時代が変わったことを実感します。

仕事を続けるにおいて必要な利益を確保しようとするやり方さえも、こざかしさのようなものが見え隠れすると、お客様は引いてしまうようです。

私が儲かる仕組みについて考えることを上司から命じられていた時、売り上げアップや顧客の囲い込みの手法として、様々なものがあって、今もそのやり方をしているお店を日常的に目にします。

他所のお店について考えると、そういうことはよく見えるけれど、自分もきっとひと昔前の仕事の仕方をしているのだと思うけれど。

自分がこざかしいと思うようなことは、なるべくやりたくないと思っていて、変な計算や世間でよくある陳腐化されたやり方を取り入れるくらいなら、喜んで愚直でいようと思うようになりました。

最近、中国、韓国、台湾、シンガポールなど東アジアからのお客様がよく来られるようになりました。
最初はオリジナルインクを求めて来られていましたが、インクの色見本や壁に掛けてある文字、ペン先調整にも興味を持って下さっているようで、分かりやすい日本語で説明しています。

それはニュースでよく言われてる爆買いとは違う動きで、きっと日本中の表も裏もなく、愚直に作られているものに周辺の国々の人たちは興味を持ち出しておられるのだと思います。

感覚的には、我々日本人とそう違わない周辺の国々の人たち。きっと皆欧米系のやり方に何となくこざかしさを感じ始めているのだと、私は勝手に思っています。


旅への期待

2015-09-06 | 仕事について

年2回長期休暇をとっています。

お盆休みの時期を外した夏季と年末年始で、多くも、少なくもない人並みのものだと思っている。

夏休みは会社に勤めていた時から3,4日はとることができて、毎年ささやかながらも家族旅行に出掛けていました。

息子が小さかったこともあり、お金もなかったこともあって、車で無理せず行ける範囲のそれほど遠くないところに行くことが多かったけれど、それなりに旅の気分は味わえて、家族それぞれに思い出となっていると思います。

私が道をよく間違えるのと、スピードを出し過ぎることに妻が気付いて、最近では電車での旅行が多くなっている。

今夏は金沢に行きました。

我が家の旅の楽しみは観光というよりも、それぞれの街のお店を巡ることで、それが夫婦共通の楽しい旅の仕方だと分かってから、いろんな街のいろんなお店に行きました。

歴史や知名度の割にお店の少ない町だと思いましたが、金沢でもいくつかお店を訪ねてきました。

古い町に行くと、古くからある文具店などがあって、そんなお店で今では手に入れることができなくなったような筆記具などを買うことも楽しみのひとつだけど、そういうお店は大抵荒れていて、見ているだけで辛い。

自分も齢をとったら店がこんなになっていても、何もせずにいるのだろうかと思うのと、自分はこうはならないと強く思う。

荒れたお店には諦めたような独特の雰囲気があって、それも嫌で長居したくないと思い、今回も何も買わずに逃げるように店を後にしました。

こんなふうに、ステーショナリーハンティングを純粋に楽しめなくなったのはいつからだろうかと思います。


写真を撮るようになって、旅の楽しみは倍増したけれど、以前から旅の出ることで、一番期待していたのは、自分のボンクラな頭に何か刺激を受けて、自分に変化が訪れることでした。

旅の途中で見たことを書いているうちに、何か良いアイデアが浮かばないだろうかということをいつも期待しているけれど、そればかりはなかなか期待通りにはいきません。