元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

京都

2016-04-26 | 実生活

年に何度かは京都に行きます。

何年間かは年末年始を家族で京都で過ごすということをしていましたが、宿代が理不尽に高いような気がして止めました。

店に就職してからずっと、自分の仕事のヒントは京都にあるような気がして、京都を訪れては何か参考にできることはないかと思いながら歩いていました。

日本中で、これだけ世界中の人を惹きつける街は他にないと思いますし、庶民には理不尽に高いと思う宿代でも泊まりたいと思う人が後を絶たない理由が知りたいといつも思っていました。

豊富な観光資源がたくさんの人が訪れる理由だと思うけれど、この街に住む人たち、特に商売に携わる人たちの迷いのない態度は、使用人だったけれど商売に携わりながらもいつも迷っていた自分にはないもので、いつも気になっていました。

それだけ自分のしていることに自信がなかったのですが、自分の商売のヒントを得るため、自信を持ってできる商売のやり方を見つけるために、いつもシリアスな気分で京都の街を歩いていたような気がします。

前の休み、妻と写真を撮るために京都を訪れました。

京都の中で一番興味深いのは京都駅だと思っています。


たくさんの旅行者が電車を降りて、バスやタクシーでそれぞれの目的地に散って行くまさにターミナルで、世界中の人たちの幸せそうな笑顔を見ることができます。


岡崎から南禅寺、哲学の道という王道のルートを歩きました。

歩いていると暑くて、上着の存在が邪魔になって、もう季節は変わっているのだと実感します。


何かを学び取りたいという気持ちは今も変わらないけれど、暗い気分ではなくなっているし、写真を撮り始めるとそんなことも忘れてしまうけれど。


何のためにするのか

2016-04-24 | 実生活

何のために書いているのかということをいまだによく考えます。

考え込むのではなく、その都度電球が灯くように気付くことがあります。

以前、万年筆を使っていることを証明するため、書くことは楽しいということを訴求するためにブログを書いていると言ったけれど、それだけではなかった。


自分が若い時、人生の先輩たちは一体どういうことを考えて生きているのだろうと思っていました。

その人たちの考えを聞いて、参考にしたい、勉強したいと思っていました。

幸い私にはそういうことを話してくれる何人ものお客様方がいて、いろんなことを教えてもらって、何とかここに居ることができている。

その人たちの教えがなかったら、考え方の考えを知ることがなかったら、ボンクラな自分はきっと同じ場所で今も途方に暮れているか、何も知らずに幸せに暮らしていたのだと思います。

自分だけの考えではなかなか道は開けないので、何らかのヒントを探している人は若い人の中にはたくさんいて、私のようにラッキーな出会いに恵まれていない人もたくさんいるだろうと思っています。

私が書くことで、人生の先輩の考え方を聞く機会のない人が少しでも参考にできることがあればと思っています。

対象は若い頃の今よりさらにボンクラだった自分だった。

先輩の教えをそのまま鵜呑みにするのではなく、その考え方のみを大いに吸収するようにしたらいいと思います。

考え方を吸収して、行動を起こす時は自分の責任で動く。

そういえば私がこのブログや他のものを止めずに書き続けている一番の理由は、誰かにやらされたわけではなく、自分で始めたことだから何が何でもやらなければならないということで、もはや書く理由でも何でもなくなっているのだと気付きました。


お見舞い

2016-04-17 | 実生活

馬鹿でノロマで、困っている人、辛い想いをしている人に言葉をかけられない。

「大丈夫?」という自分の言葉が空々しく聞こえるのではないかと思うと、そして相手の辛さに対してその言葉があまりにも軽いと思うと何も言えなくなってしまいますので、自分の代わりに誰か他の人が声を掛けていることに、そして行動を起こしてくれていることに感謝しています。

九州には3回しか行ったことがないけれど、どれもとても楽しい思い出で、私には天国のような場所に思っていましたし、ぜひまた訪れたい場所でした。

中学校の修学旅行では島原から熊本までフェリーに乗って、熊本から阿蘇に行きました。

神戸とは全く違う大きな景色、いつ噴火してもおかしくないと思わせる煙のあがる火口に圧倒されました。

自分の立っている地面が大きく揺れるという、あの感覚を一度経験すると忘れることができないし、それは絶対に慣れることなどない。

あの恐怖の中、何日も外で過ごしている人の気持ちを考えると本当に何て言っていいのか言葉が見当たらない。

将来連鎖的に起こる大きな地震の心配を今はしてほしくないと思う。

今被災している人たちのこと、亡くなった人のことを想いたい。

 

 


オリジナルインク

2016-04-12 | モノについて

当店は創業時よりオリジナルインクを扱ってきました。

他店のように色数は多くないけれど、実用も伴っていながら、味わい深い、良い色が揃っていると自慢に思っている。

オリジナルインクの色、名前、ラベル、扱い方でその店のセンスや考え方がよく表れると以前から思っていましたが、去年、今年の状況はさらにそれぞれの店の方針が分かれたのではないかと思います。

日本中のオリジナルインクが爆買いされて品薄になるという、今まで考えられなかった状況のことです。

インク一瓶買ってもなかなか無くならないねというのが、お客様とのお約束のやり取りでしたが、それが嘘のようにまるで何かの塗料に使っているのかと思うほどインクが売れていく。全色各10個などという売れ方をして、個数制限を設けないと一日もたない。

買っていただけるのは本当に有り難いことだし、買っていただいたモノに対して、その後をその人がそれをどうしようがその人の勝手で、そこにとやかく言うのは私の流儀ではないけれど、そうやって色もちゃんと見ずにインクだけを大量に買って行く行為を私は美しいと思えない。

その行為を私が日本人だから美しくないと思うのかもしれない。

私は商売人である以上、インクも買ってもらいたし、万年筆も買ってもらいたいけれど、それらのモノを買ってもらいながら、どんな行為や心の持ち方が美しいかを示したいと思ってやってきました。

それは日本的な美しさであって、海外の違う文化を持つ人には通じないのかもしれないけれど、いくらたくさんの海外のお客様が来られてもそこを譲るつもりはない。

でも今のオリジナルインクの状況はただのブームであって、近い将来終わりが来ると思っています。お店はオリジナルインクを売上の柱にしたり、メインの商材にするのはとても危険だと思っています。


マニアック神戸

2016-04-10 | 実生活

少し前の3月末定休日、布引ハーブ園に妻と写真を撮りに行きました。

街の方からハーブ園に上がるロープウェイをいつも見ていて、いつかあれに乗ってみたいと思っていましたが、そのままになっていました。

あまり遠くに行く時間がなかったけれど、せっかく書道教室がお休みなのでどこかに行って写真を撮りたいと思って思い付いたのがハーブ園でした。

新神戸のクラウンプラザホテル(旧オーパ)の裏からロープウェイは出ていました。

帰りはハーブ園を歩いて降りてくるからと、行きだけのチケットを買ってロープウェイに乗り込みました。

とてもきれいで、新しいロープウェイは快適に、街の景色を楽しませてくれながら山頂に連れて行ってくれました。

神戸は街と山がとても迫っていて、山中にトレッキングコースのようなものがありますが、どれも古くからある道のようです。
ハーブ園もそんなトレッキングコースのひとつを開拓したような、山道を広げたようなレイアウトになっています。

 

ハーブが植わっているだけなのでは?思っていましたが、なかなか楽しく、名も知らぬ植物の写真をたくさん撮りながら歩くことができました。

当然観光で来ている人が多く、外国の方も多かったけれど、皆楽しそうな観光地の雰囲気を私たちも味わうことができました。

私は勝手にハーブ園は街の手前まで続いているものだと思っていましたが、中間地点あたりで公園は終わってしまいました。

そこからは普通のトレッキングコースを降りて行く。

 

妻はスニーカーでしたが、私はそんなつもりではなかったので、ラバーソールではあったけれど革靴を履いてきてしまった。

かなりハードな山道を下りながら、予期しなかったちょっとしたアドベンチャーを楽しみました。

すぐに布引貯水池に着きました。

道はそこから渓流沿いに下っていきますが、途中何人もの人とすれ違う。それも観光で来ているような、外国の方が目立ちました。

舗装されていない山道でしたが、ヒールの女性もけっこうおられ、街からすぐに上がってくることができる、神戸の街ならでは光景かと思いました。

初めて布引の滝を見ました。

山を下りると新神戸駅に出ました。

街からすぐに上がって行くことができるとても行きやすいところにあるけれど、皆さんはガイドブックなどを見て、ここに行こうと思ったのだろうか。

35年以上神戸で生きている神戸人のつもりでいるけれど、まだまだ知らない場所はあることを改めて知りました。


心の余裕

2016-04-03 | 実生活

中学校前の角の桜が満開です。

 

久し振りに小説を読んだ。

最近映画化されて、私も観に行きたいと思っている「エベレスト~神々の山嶺~」です。

大変ぶ厚く、何か得した気分がしたくらいとても長い小説で、本当に読み切れるか少し心配でしたが、厚い方が少しでも時間があると読もうとするのか、かえって短時間で読むことができました。

もちろんストーリーは書かないけれど、私はエベレストとか、アラスカとか、むき出しの自然ととても寒い所に興味があるようです。

それらは自分の日常からかけ離れた所だと思っているからかもしれません。

実際にこういった小説から得られる知識とかノウハウは皆無だと思うので、テレビを観るのとそう変わりはないけれど、観たい時に好きなものを観ることができるのがテレビと違うところです。

こういう仕事と関係のない本を読むことは、時間や心にゆとりがないと読むことができないけれど、自分の仕事は遊び心が大切だと思っているのでなるべく読んだ方がいいと思いました。

でもどんな仕事でも「おもろい」と思う心がないと上手くいかないと思うし、これを読みたいという好奇心を排除していくと、私はどんどん面白くない人間になっていってしまうと思い始めました。

小説を読みたいと思った時、靴を磨いていないことに気付きました。

履いた後にブラシ掛けはしていたのでひどいことにはなっていなかったけれど、休みの日もそんな時間はないと、少しの傷や革のカサつきも見て見ぬふりをしていました。

好きで買った靴を磨くのは、自分にとって最も楽しい時間のはずでしたが、それに時間を割く心の余裕がなく、それによって心が癒されていたことを忘れていました。

文章を書くことは好きで、いろんな締め切りに追われながらも楽しく書いているけれど、おもろいと思う気持ちを補充しないと書けなくなるような気がします。

自分が最も楽しいと思うことをせずにいることは「おもろい仕事」ができなくなる要因だと思いました。

仕事とプライベートの時間をはっきりと分けて、仕事と全く関係のない趣味で気持ちをリフレッシュしたり、リセットしたりするためにしているわけではないし、趣味のために仕事をしているわけではない。

いい仕事をするために本を読む、靴を磨くということをする心と時間の余裕がいるのではないかと思いました。

年が変わったのに、気分は昨年をひきずったままであることに気付いて、4月から新たに2016年を始めたいと思いました。