元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

原点

2010-12-30 | 仕事について

今年も無事に年を越すことができそうなことに安堵していますが、振り返ってみると今年はいろいろなことがあった長く感じられる年だったと思っています。
信じた道をまっしぐらに進んでいると、時間は短く感じられますが、長く感じられたということはいろいろ迷いがあったということで、個人事業主としてはあまり良い状態ではなかったのかもしれません。
個人の店でこそ許される、好きなことをするということは簡単なことのようですが意外と難しく、好きなことをしようと思ってもこの方が売れるなどの職業としての経験が邪魔をして、なかなか純真無垢になりにくいことがあります。
趣味の文具箱Vol.18に書かせていただいた渋い文房具という概念は、いつも頭の中にあって、本当に好きだと言えるもので、いつもこういうものだけを扱いたいと考えています。
渋いという誉め言葉は日本独特のものですし、渋いと判断する基準も人それぞれです。
渋いと判断されるには誰にでも分かる良さ、ポピュラーな人気のあるものではなく、本当に物の良さが分かる人だけがその真価を評価できるような良さを持っているということになります。
主にその実用性において独特の味わいがあるということが渋いの条件になりますが、姿形ももちろん大切な条件で、奇抜なデザインは渋いものではないのかもしれません。
オーソドックスなデザインを踏襲しながらもその物らしさがあるというところが渋い姿形の条件かもしれませんが、こういった渋い文房具を追求していきたいと思っています。
私は書き味や文字をきれいに書けるところに惹かれて万年筆を使い始めました。
選ぶ字幅によって、書ける文字の表情が違ったり、メーカーによって書き味が様々で、それを楽しむことができるところが万年筆の魅力だと感じていました。
来年はその魅力を引き出すことにもっと努力していきたいと思っています。


相次ぐ店仕舞い

2010-12-19 | 仕事について

よく行く近所の焼肉店泰平に、ワークショップの後神谷さんと行きました。
二人でお腹いっぱい食べた後、帰りに店の男性が年内で閉店ことになったと言いました。
当店の近くにあり、高級でなく、下町風でもない店で、私などが自然体で行くことができる店として気に入っていましたので、非常に残念に思いました。
今まで営業していた店が閉店しないといけないということには様々な事情があります。
お客様が入らず営業不振だったり、店主の体調が良くなかったりなどなど、続けられなくなる理由はいくらでもあると思いますが、店主がその店の閉店を決めた心中はとても辛かっただろと察します。
何かの片手間で店を開店して、続けられるほど甘いものではなく、店主はその店の営業に全力を傾けてきたと思いますし、オープン時や営業しながらも夢を抱いたり、売上に一喜一憂した日々だと思います。
もしかしたら、営業赤字や開店時の負債を残したままの閉店かもしれないと思うと、その後の生活の目途も立っていないかもしれません。
そうやってひとつ店の閉店から様々なことを考えるのは、その店の店主の立場を自分に置き換えるからで、今まではここまで沈鬱に考えることはありませんでした。
もし自分が何らかの理由で店をたたまなければいけなくなった時、私は前向きに次の展開に進んで行くことができるのだろうかと思ったりします。
そんな恐怖を日々持ち続けていますが、続いても潰れてもどうせやるなら自分がやっていて楽しいことをしようと思います。
それは当店に関わって下さっている皆さん一緒で、生活をしていかなければいけないという追いかけられているような部分と、自分が好きでしているという追いかけている部分とが微妙に混ざり合って、ただの道楽ではないその仕事に私たちが魅力を感じるのかもしれません。


語り合う夜

2010-12-13 | 仕事について

先日の定休日、千里中央A&Hホールで行われた大和座狂言事務所の公演に行きました。
10月に行われた前回は、自分の基調講演で頭がいっぱいでしたが、今回はリラックスして見てくることができました。
狂言の舞台がメインですが、チェロ、ピアノ、ソプラノの唱歌、童謡の演奏もあり、バラエティに富んだ親しみやすい内容でした。
狂言も日本の伝統芸能という視点で見ると難しく思うかもしれませんが、例えば今回の演目の「昆布売り」は偉そうに振る舞う大名を昆布売りの商人が懲らしめるというもので、民衆の階級制度に対する反骨精神による笑いだと見るとおもしろく観ることができますし、権力を笑い飛ばしてしまう当時の民衆パワーを感じることもできます。
狂言の舞台で常に演じられるのは、長いものに巻かれない、たくましく生きる日本人の姿だと思いました。

公演終了後、また安東先生のご自宅兼お稽古場にお邪魔して、安東先生ご夫妻や大和座狂言事務所の皆さんと夕食をいただきながらいろんな話をしました。
住む街も違い、仕事も違う私たちですが、自分がこれで生きていくと決めた道で、生活の保障もなく生きていくのは同じですので、そういった生き方や日本の文化、日本の将来、日本人について語り合いました。
こういった時間を安東先生は、芸の肥やしになると若い人に言っておられましたが、それは私たちにとっても同じことで、芸は持っていませんが、このお稽古場で語り合うことで、いろんなことを考えたり、教えられたりします。
安東先生は、今の様々な不条理に怒りを持ち続けている人で、そういったことを諦めずに声を上げ続けることを私たちもしていかないといけないと思いました。
安東先生のそういった姿勢は、狂言の起こりと重なり、安東先生の生き方そのものだと思っています。
会社など組織を同じくしない関係だからこその、常に考えているわけではないけれど、いつも頭の中にある我が国への憂いのようなものを語り合うことのできる、望んでも手に入れることのできない、大変有り難い関係を大和座狂言事務所の人たちと持っています。


人の気持ちが出入りする店

2010-12-05 | 仕事について

狂言師の安東先生が12月8日の公演前というお忙しい中来店して下さりました。
いつもそのお話の中で教えられることが多いですが、私たちのような個人事業(安東先生が主催される大和座狂言事務所も)は、その活動を継続させたいという気持ちを持ったお客様方のおかげで成り立っているという話で共感しました。
当店のような店はまさにそうで、品揃えや利便性など、目で見えたり、数字で計ることができるものは大きなお店の方が圧倒的に優れています。
それでも当店のような店にお客様方が来て下さるのは、この店の活動を助けてあげたいというお客様方のお気持ちによるところが大きいと思っています。
店という場所は、特にたくさんの人が出入りしないと空気が淀んでしまいますので、この店にたくさんの人が出入りするようにしたいという、そしてこの店で他の店でしていないことをさせてあげたいということで神谷利男先生と堀谷龍玄先生はフライデーワークショップの講師をして下さっていて、それはやはり当店の継続を手助けしたいというお気持ちから引き受けて下さっていると思います。
この店を助けたい、そして万年筆を使う人を増やしたいという気持ちはお客様方に伝わって、万年筆で絵を描いたり、文字を書く心構えが変わってきた人たちがいて、自分たちの時間であるワークショップを楽しいものにしたいという気持ちを持って下さっています。
ただ教えてもらうだけでなく、積極的に参加しょうという大人の勉強する姿勢を皆さん持っておられて、それがワークショップをさらに楽しいものにしています。
神戸といういわば地方都市にある店ですので、当店に来たり、ワークショップに参加したりしたくてもなかなか来ることができないけれどいつか行ってみたいと思って下さっている方々のお気持ちも届くこともあります。
先日の”万年筆で美しい文字を書こう”教室に参加して下さった香道師の森脇直樹さんとお姉さんの優さんから当店を訪れたいと思っているけれど、ご病気をしていることもあってなかなか来ることができない横浜市のKさんからの差し入れをいただきました。
店に実際に来られないけれど、当店のことを思って下さっている方々がいることも、また心強いことだと思いました。ありがとうございます。
店を始めて3年が経った今年、こういったことが少しは分かるようになりましたが、それまでの自分はどれだけ人の気持ちを気付けていたのだろうと反省し、これからもこういったことに気付ける心を持ち続けていきたいと思っています。