「何日やった?」と父に聞いて大いに呆れられたけれど、この季節は結婚記念日とか誕生日やらでゴチャゴチャになってしまいます。
明日が母の命日で、あれから22年経ってしまったのは、本当に早かったと思うけれど、その当時と今ではいろんな状況が大きく違うので、やはり時代は流れたと思わずにはいられません。
母が亡くなったのは49歳で、気付いたら自分もその年齢に近付いていて、そう考えると若すぎた死だったのかもしれません。
悲しみは亡くなった日よりも、覚悟を決めた余命を宣告された日が一番強かったと記憶していて、母にどう言おうか迷っているうちに亡くなってしまった。
今から考えると母は気付いていて、私たちに気を遣ってだまされている振りをしていたのだと思いますので、とても情けなく、後悔している。余命をお互い分った上での行動もあったのにと思っています。
でも私は母の死で救われました。
抜け出せないでいた楽しくて、無責任なフリーター生活を止めて就職しようと思ったのは、母の死でさすがにマズいと感じたからでしたで、それがなければズルズルとその生活を続けていて、今きっと困っていたと思います。
若い頃は楽しくてそれでいいけれど、その結果は20年後にやってきて後悔するのだと思うと、母が自分の死と引き替えに私を人生のスタートラインに導いてくれたことに感謝している。
今もし母が生きていたら、私が書いているこのブログなどをきっと読んでくれていたと思うし、やりたいことを見つけて店を始めたことを喜んでくれていたと思うけれど、そうはならなかった。
人の生涯は本当に短くて、その人が亡くなればその人が生きた跡はなかなか残らないけれど、母が生きた跡、死によってもたらした波紋は私の人生という形で残って、動かし続けているのかもしれない。