元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

ゴールデンウィークの思い出

2013-04-28 | 実生活

当店はゴールデンウィーク中も水曜日以外営業しております。よろしくお願いいたします。

大学1年生のゴールデンウィーク、時間があったので阪急電車の乗り放題パスを買って、京都に通いました。

その1年は一人で行動する時間がたくさんあって、旅に出たりもしていました。

当時、一人でいることは不満に思うこと、解決したいことでしたが、今から思えばとても貴重な時間だったと思います。

今年は少し涼しいですが、ゴールデンウィークの関西は暑いくらいの日が続くことが多く、歩いていると汗ばんできます。

その時もとても暖かくて、天気がよかったのを、明るい光とともに思い出します。

嵐山、嵯峨野、龍安寺、金閣寺などの嵐電沿線や南禅寺、哲学の道、銀閣寺などの東山界隈を一人で歩きました。

まわりは家族連れかカップルばかりでしたが、歩きながら風景を楽しみました。

写真を撮る習慣もなかったし、自分や身の回り以外のことについて考えることなどまだ思いもつかなかったのは本当に残念で、その時考えて書く習慣があれば、いろんなことが書けたかもしれない。

暖かい陽光の誰もが幸せそうに見える観光地を他の人たちよりも足早に歩く、ジーパンにトレーナーを着た地方の大学生だった私は自分に何ができるのか、何が好きなのか、何がしたいのか全く分らず、それをただ探し歩いていたように思います。

若い頃のことは思い出したくないと以前は思っていましたが、最近少し変わってきました。

何も持っていなく、何も見つかっていなかった私なりに、さ迷って何かを得ようとした形跡が記憶の中にあって、その時の時間が臆病と怠惰の中にあったわけではないことに今更ながらに気付いたのでした。

パッとしない鬱屈とした時間が多かったと思っていましたが、人生の修養の時間だったのかなと、当時の自分に対して、少し優しい気持ちを持つようになったのです。


あった方がいいWRITING LAB.の時間

2013-04-23 | 仕事について

今まで読んできたビジネス書などには議題のない、定例の会議などは時間の無駄で、日本の悪しき習慣だと書かれていて、私もそう思ってきました。

最近はそういう会社もないのかもしれませんが・・・。

しかし、毎回決まって会う機会だけを設けて、時には議題を決めずに趣味や仕事の話をただ話し合っていることもあるWRITING LAB.の毎週土曜日の集まりはビジネス書的に見るとあまり効率の良いやり方ではないのかもしれません。

でもそういう時間もただ無駄だと切り捨てることのできないものだと思っています。

とりとめもない話から生まれたモノやコトもいくつもあるし、何よりも話すことを私たちが楽しんでいる。

こういったことに、たとえ深夜までかかったとしても時間をかけないといけないと教えてくれたのは駒村氏で、深夜営業のファミリーレストランで閉店まで話していた一昨年のことが始まりになっています。

私たちはカチッと決まった会社組織ではなく、いわゆる取引先という関係とも違いますので、こういう大らかなやり方ができているのかもしれないけれど、無駄だと切り捨ててきたものの中に、実は何かを生み出すためにあった方がいいものがあるのではないかと最近強く思います。

自分達のやり方が万人に合うとは思わないけれど、これからも自分達はこういう無駄を繰り返して実を成らせていこうとするのだと思っています。


オールデン990

2013-04-21 | モノについて

何か新しくモノを手に入れて、その世界に入るところは人によって違うけれど、慎重な人は万年筆で言うとラミーサファリのようなものから入り、方やイタリア製のとてもきれいなものから入る人もいます。

でも数が増えるごとに、少しでも良いものをと、少しずつ金額的に高いものになっていくことは、皆さん同じだと思います。

私は万年筆以外でも身をもってそれを経験しています。

収入が変わらなくても、それは確実に上っていて、使うお金の比率がそのものに偏ってくるのと、我慢してお金を貯めて前よりも良い物を買おうとするようになるのは、正常な成長だと思っています。

店をしているという商売柄、お客様の気持ちを知ることは、自分が何かにのめり込んで買い物をすることだということに長く気付かずにいました。

でも靴をいろいろ買うようになって、その辺りの気持ちがものすごくよく分るようになったのは、ものすごく大きな収穫で、そういう言い訳もあって、私は靴を買い続ける。

靴に凝りたいと思って、清水の舞台から飛び降りるつもりで、トリッカーズを買ったのに、その価格帯のものが最早当たり前になって、トリッカーズヤパラブーツガ日常の靴になっている。

それらの靴でももちろん不満はなく、特にパラブーツなどはおそらく最も自分の足に合うものなのではないかと思えるくらい履き心地です。

でも、オーダー靴職人のイル・クアドリフォリオの久内さんと一緒に仕事をするようになって、彼が作る靴を履いてみたいと思って、何段もの段階を飛び越えてビスポーク靴を誂えてしまったのは半年前。

当然自分の足にピッタリと合って、柔らかいものでくるまれるような感じと、軽く足と一体感になる感じに、履いていてこんなに嬉しい気持ちにさせてくれる靴は他にないだろうと思っていました。

晴れの日を狙ってよく履いているので、さらに馴染んできて、他に替え難いものになっています。

歩きながら、あるいは足を組んで座って、自分の足元を見た時にいいなあと思います。

そしてオーダー靴の良いところ、自分の好みを表現できているというのは、素晴らしいものだと思っています。

 

そんな気に入っている靴があるけれど、革靴の超定番と言われている、オールデンの990というバーガンディコードバン革のプレーントゥの靴を買ってしまいました。

靴が好きだと言いながら持っていないことが何となく後ろめたかった、一度は履いてみたい靴でしたので、いずれ買うと思っていました。

雨の日に履けない靴を2足も抱えて大丈夫か?と思いますが、今はモノとして大変魅力のあるこの靴を久内さんの靴のように、靴として魅力のあるものに育てていきたいと思っています。

 

 

 


万年筆で美しい文字を書こう教室作品展開催中(4月19日~5月10日)

2013-04-20 | お店からのお知らせ

今回は特に難しいと思いました。

好きな俳句を選んで連綿で、扇面の枠の中に書きました。

連綿を流麗に書くことができずに苦労しましたが、扇面という書く方向が変わるものに書くことが初めての経験でしたので、戸惑いがあったのでした。

でも俳句選びは楽しかった。

余韻のようなものがあって、古に思いを馳せた大好きな芭蕉の句を選ぶことができて喜んでいます。

5月10日(金)まで展示していますので、ぜひ見に来てください。


夜中のドライブ

2013-04-14 | 実生活

まさかあれぐらいの地震で不通になるとは思わず、垂水駅で2時間来ない電車を待った末に、車で店に行きました。

店の様子が気になって、朝7時に家を出たのに、店に着いたら10時を回っていた。

店に変わったことはなかったですが、柱時計が地震の時間で止っていました。

車で出勤したおかげでWRITING LAB.の会議の後、いつも車で来た時は自宅まで送ってくれるH兄を家までお送りすることができる。

東京から来ていた医大生のM木さんが西明石にホテルを取っていると言うので、M木さんも送ることができる。

夜11時頃店を出ました。

神戸が田舎だと思うのは、このような深夜ビルが建って街の様相は呈しているけれど、人通りが少なくシンと静まり返っているところを見た時です。

当店の周辺はもっと早い時間に真夜中のように感じられるようになり、なかなか気に入っている。

旧神明を西に走って、須磨の料金所から第二神明に入りました。

M木さんは東京から離れた場所でのドライブを楽しんでくれている様子で嬉しくなりました。

地元の車で走れる道は大学生の時に走り尽くしているので、知らない道はほとんどないと思います。

ただ20数年前とは違ってしまった風景をいくつも見ました。

私が大学生だった頃、日本はバブル経済の真っ只中だったけれど、それは東京や大阪などの大都市で起こっている、テレビの中での出来事でした。

神戸市西部や明石、加古川ではそんな雰囲気を感じることはできませんでした。

それまで何も変わらなかった町の風景でしたが、私の人生や生活が変わっていた間に同じように変わっていました。

夜中に友達と車を走らせて朝までただウロウロしていた頃の気持ちを少し思い出しました。

懐かしいとか、あの頃に戻りたいとは全く思わないけれど、当時町の様子、雰囲気を感じ取ろうとしていた。

それが何かの役に立つとは思っていなかったけれど、それらから感じられるものによって、自分の中にある情感を刺激していたし、考えをまとめようとしていた。それらを刺激することが自分にとっては必要だと直感的に思っていて、貪欲に雰囲気を感じ取ろうとしていました。

その時の経験も今の自分の役に立っていたことに今更ながら気付いた、加古川までの夜中のドライブでした。


背中で伝えられること

2013-04-12 | 仕事について

息子が大学へ電車で通うようになって、今まであまり目にすることのなかった大人の人をたくさん目にするようになりました。

私は大学まで原付か車で通っていたので、働き始めるまで大人を見ることがあまりなかったし、大人を見るという意識もなかったかもしれません。

息子が電車の中で目にする大人たちの多くは携帯をいじっている。中にはいい大人だと思えるような人が両手の親指でゲーム機を操作しているのを見ることも珍しくないそうです。

そういう光景は私も10年以上前から見るようになっていた。

今では電車の中で本を読んでいる人を見ると、その人が何か優雅に見えてしまうほどで、少数派になりつつあるのかもしれません。

ゲームをすることが悪いと言っているのではなく、その姿を見た若者は大人に対してどう思うのかと考えます。

もちろんお手本になるような立派な大人ではないけれど、私たち大人は若者の目があることをもっと意識した方がいいと思うし、それが大人からの無言のメッセージになると思います。

教えと言うほど大袈裟なものではないけれど、自分達より若い人の道先を照らすのは大人の役目だと思うと気持ちも引き締まる。

それは先生と生徒、親子などの形に捉われない、本やテレビなどの媒体がなくてもできるものだと思います。

若者たちは大人のことをいつも見ていて、自分の将来を想像して、希望を持ったり、悲観したりしている。

ああいうふうにはなりたくない思われる大人にだけはなりたくないと、今頃になって思うようになりました。


名前の秘密

2013-04-09 | 仕事について

子供の頃から自分の名前が嫌いでした。

団地住まいの大した家でもないのに、大袈裟な名前だということも子供心に分っていたし、学校で初めて先生が名前を呼ぶ学年が変わるたびに「お、5代将軍やな」と将軍を出されることも嫌でしたし、何代目か間違える無教養な先生もいましたし、教室の雰囲気を和ませるためにダシにされたことも勘に障り、新学期早々いつも苛々していました。

最近はさすがにいい大人なのでそんなことは思わないですが。

本当にいい人たちに囲まれているからそんなことはなくなったけれど、若い頃の私は心が狭かったし、他人がいつも悪い感情を持っているのではないかと被害妄想的なところがあって、多くの人を遠ざけてしまったかもしれないと、反省しています。

そんな私に対して、息子は初めて会った人に名前を覚えられやすいからとか、単純にかっこいいと思うからと、自分の名前がそれほど嫌ではないと言うし、妻も同様なことを言い、何となく心の広さが表れているようで、負けた気がします。

実は私は理屈っぽい印象を受ける下の名前も嫌でした。

響きも字面も気に入らなかったので、自分の息子には漢字二文字、平仮名三文字のコンセプトがはっきりした、男らしい響きの名前をつけました。

妻は自分が息子の名前をつけたと今も言っているけれど、コンセプトをはっきりさせて、文字数、響きを確立したのは私だったことを忘れている。

我ながら名作だと思っているけれど、よくある名前というところも、幼き日の教訓が生かされている。

自分の名前が嫌で両親には申し訳ないけれど、丈夫な体に産んで、育ててくれたことには自営業をするようになって、さらに感謝しています。


ペリカン1931ホワイトゴールド

2013-04-07 | 仕事について

2000年に発売された時から気になっていて、ずっと欲しいと思っていた万年筆がペリカン1931ホワイトゴールドでした。

手に入れるまでに7年ほどの月日が流れていて、1931本の限定本数とわりと人気のある万年筆だということを考えると、よく手に入ったと思いますが、縁があったということでしょうか。

開店して2年目くらいの時だったと思いますが、問屋さんの変更が大阪のある百貨店の万年筆売場であって、売場の商品を全て入れ替えるということがありました。

引き上げられた膨大な金額の在庫リストが回ってきて、その中に1931ホワイトゴールドがありました。

もちろん店で販売するために納品してもらいました。

しばらく店に並べて、もし買い手がつかなかったら仕方ないから時分で買おうと思いました。

仕入れた1931ホワイトゴールドは店に一番目立つ場所、私がいるテーブルの上に飾って、来られたお客様一人一人にお勧めしていました。

一通り話した後で、もし売れなかったら私が買おうと思っているという一言を付け加えていましたので、思慮深い当店のお客様は私に譲るに決まっていました。

私の目論見(?)通りホワイトゴールドの買い手はつかず、自腹を切って引き取りました。

最初ペン先が硬くてこのペンの良さが分りませんでしたが、1年ほど様々な用途で使っていると、非常に書き味のいい万年筆に変わりました。

ある日突然万年筆が書きやすくなっていた、ということを何度か経験していましたが、このペリカン1931ホワイトゴールドも同じ経験を味あわせてくれました。

この万年筆は駒村氏も持っていて、出張で東京に行った時に買ったとのこと。

2000年当時駒村氏はすでに会社を始めていて、私より早くこの万年筆を手に入れるタイミングを得ていたことは当然だと思いました。

この万年筆をWRITING LAB.のH兄も持っていて、これはWRITING LAB.を結びつけるようなものなのかと、不思議な縁を感じています。


足元にある

2013-04-02 | 仕事について

私は途中入社だったので桜とともに新生活が始まったわけではないけれど、この頃になると20年以上前の気持ちを思い出します。

数日間の研修の後、センター街にある店に配属されて、できることもなく一日中入口の横に立って「いらっしゃいませ」と言っていました。

こういう時間、こういう日がこれから数十年続くのだと思うととても暗い気持ちになりました。

母が亡くなって、本当にマズいと思って何の業種でもいいから就職しようと思って入社したので、やりたいことや希望など全く抱かずに始まった社会人生活でした。

入社して2年ほど経った頃に仕事が面白く感じるようになったのは、万年筆クリニックで長原先生や川口さんと出会って万年筆を使うようになっていたのと、楽しく毎日を過ごそうと思ったら一生懸命仕事をすることだと分ったからでした。

一生懸命仕事をする道具として万年筆は本当にいい道具でした。

これは何度も書いていることだけど、よく自分探しの旅に若者を誘う言葉を目にするけれど、自分はどこか遠い所や、未知の場所にあるのではなく、日常の中にあるのだと自分の経験から言える。

今の自分が縁あって携わることになった仕事を極めようとすることが、自分の社会人生活を充実させて、未来を開かせてくれる。

不器用で、引っ込み思案で何もできなかったからこそ、諦めがついてすぐに仕事を変えたりせず、その場に居続けることができてよかったと思っています。

才能があって、ヤル気に満ち溢れている人に言えることはないけれど、取り柄がないと思っていて、流されるように今の場所に来た私のような普通の人には少しは有益だと思ってもらえることが伝えられると思いました。