元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

加藤さんへのメッセージを募集します

2010-01-29 | 仕事について
先日亡くなりました、加藤製作所カンパニーの加藤清さんへのメッセージを募集します。
お使いの加藤製作所のペンにまつわる想い、加藤さんとの思い出などなんでも結構です。
フォーマットはB5サイズとしますが、書式は問いませんが万年筆書きなど手書きでお願いいたします。
お使いの加藤製作所のペンがあれば、写真(絵でも結構です)を貼り付けてください。
その場合B5からはみ出さないようにしてください。
私はB5サイズの原稿用紙に書き、万年筆の写真(5cm×10cmくらい)を貼り付けようと思っています。
原稿は2月14日(日)までに当店に郵送していただくか、ご持参ください。
2月15日(月)から2月28日(日)まで当店で展示させていただきます。
展示期間終了後原稿は加藤さんの奥様にお渡ししようとおもっておりますので、返却はできませんのでご了承ください。
たくさんのメッセージお待ちしております。

加藤清さんのお通夜

2010-01-25 | 仕事について
西宮まで迎えに来てくれた分度器ドットコムの谷本さんの車で、生野区小路を目指しました。
店を開けてすぐに、加藤製作所の加藤清さんが亡くなったと連絡が入り、今晩がお通夜だと知りました。
加藤さんのところへは谷本さんと2年ほど前に行ったり、その後も電話でお話しさせていただいていて、お元気だと思っていました。
谷本さんにすぐ連絡をとり、二人で最期のお別れに行くことにしたのでした。
とてもかっこいい、そして谷本さんにとても似合っているアルファロメオ147はナビが付いておらず、初めての場所へ行くとき、地図を入念に調べてからでないと出掛けられません。
加藤さんの所へは、電車では何度も行ったことがありますが、車で行ったことがありませんでしたので、プリントアウトした地図を片手での行程でした。
夜、それも日曜日ともなれば、さすがの大阪市内も渋滞はなく、スムーズに流れています。
でも建物の多さ、通りを行き交う人の数は神戸の比ではありません。
加藤さんが後半生本拠地としていた生野区に入ると、街の灯りは極端に少なくなり、ポツポツと街灯が、延々と続く長屋風の建物の通りをボーッと照らしていました。
お通夜の場所は、加藤さんの工場の近くにありました。
たくさんの人が駆けつけていると思っていましたが、遅くなっていましたので、皆さん引き上げられた後だったようでした。
立派な祭壇が元気で気が強かった加藤さんを偲ばせます。
脇に取り上げられた雑誌の記事と自作のセルロイド万年筆が10本ほど飾られていました。
ご親族は加藤さんの仕事のことをほとんど関知していなかったので、誰に連絡すればいいのか困ったと言われましたが、私たちにも伝わっているので、ほとんどの業界関係者がすでに知っているだろうと思いました。
加藤さんにお世話になった人は、私だけでなくものすごくたくさんおられたと思います。
何のお返しもできずに、加藤さんとのお別れの時が突然きてしまいました。

地震の年、拾ったもの

2010-01-24 | 仕事について
地震でたくさんの人が何かを失い大変な想いをしましたが、私はその年とても大きなものを拾いました。
最初それは毎日の仕事を楽しくしてくれるささやかな楽しみみたいなものでしたが、その後の人生を決定付けるものになりました。
26歳で、前の年の12月に息子が生まれていました。
家族を養うという意識もそれほど強く持っていませんでしたが、毎日仕事へ行って、決められた自分の仕事をそれほどの強い意欲もなく、黙々とこなしていました。
何か趣味のような、夢中で打ち込めるものを静かな生活の中で捜していました。
その年も働いていた店で万年筆クリニックがありました。
万年筆は毎日目にしていましたが、全く興味が湧かず、横目に通り過ぎていたという感じでした。
しかし、万年筆クリニックを見ていて、無性に万年筆を使ってみたくなりました。
たまたま家に叔母から大学の入学祝いにもらった万年筆があり、それを調整してもらいました。
インク止め式の使い方も分からなかったので、広島弁の初老の万年筆調整師にペン先を調整してもらいながら、使い方も教えてもらいました。
万年筆を使うようになって、書くことが楽しくなり、仕事がとても楽しくなりました。
今までと何も変わらない仕事なのに、万年筆1つでこんなに変わるとは驚きましたが、私の人生に万年筆が加わり全てが変わりました。
最初ただ万年筆で書くことが単純に楽しくそれだけで満足でしたが、書くことが楽しくなると仕事が楽しくなりました。
手紙も書くようになり、もっとたくさんの言葉を知りたいと思い、本も以前より読むようになりました。
自分の変化に気付き、たくさんの人に伝えたいと思い、それを仕事にしたいと思いました。
自分のように万年筆によって、毎日の仕事が楽しくなる人を増やしたいと思いました。
今私がしていることは、初老の広島弁の調整師がしていることと同じなのかもしれません。
地震の年、ひとつの物、人との出会いで私の人生は大きく違う方向へと向きを変え始めました。

いつも誰かに謝っている そして延長営業日のご案内

2010-01-14 | 仕事について
1月15日(金)は夜9時までの延長営業日になりますので、ぜひご来店ください。
久し振りの何も催し物のない延長営業です。


店という仕事の仕方はいつも誰かに謝っている仕事だと、かなり以前から思っていました。
クレームでなくても、必ず申し訳ないと思うことが何か毎日あります。
来店されたお客様全員のニーズを満たし、100%満足して帰っていただくことは不可能で、店がその要求に答えることができなかった分を気持ちで補う言葉が「すみません」という言葉になります。
余程の人でない限り、私たちは心からお客様のことを尊敬していて、愛情を持っています。
これはお店で目的をちゃんとわかって働いている人は皆思っていることで、お客様に対して優しい気持ちを持っていて、何とかお役に立ちたいと思っているのです。
以前は、コンセプトを決めて、ターゲットとするお客様の満足度を上げるということが、店のやり方で、これがない店は誰からも相手にされない中途半端な店になってしまうと考えて、店の主張ばかりを考えていました。
今までいくつかのビジネスの本を読んできて、それらを自分なりに理論的に理解していたつもりでしたが、理論は物事の理解を広く均一に深めるにはいいですが、そこに人と人との気持ちの交流というか、人間的なやり取りが著されていなかったのです。
それ以上の先の考えや心の持ち方については、やはり現場での感覚に勝るものはないと思っています。
しかし、店のコンセプトやターゲット設定などのマーケティングの考え方よりも、お客様が店に来て、お金を遣おうとしてくれる気持ちと、その気持ちに応えたいという店のお客様に対する気持ちというお互いの気持ちのあり方を大切にするということ以上の店の運営の考え方はないと考えるようになりました。

静かな生活

2010-01-13 | 仕事について
営業中の店はお客様が来られて華やかな感じになりますし、たまに松本さんたちと食事に出掛けたりして、賑やかな夜を過ごすことはありますが、私の私生活はとても静かで、そんな毎日にとても愛着を持っています。
朝7時に起きて、毎朝ほぼ同じ時間に家を出ます。
バス停や垂水駅から電車に乗る人で毎朝見掛ける人もいて、誰もが毎日の繰り返しのリズムの中で生きていることを思わせます。
繰り返しと言うと何となくネガティブに聞こえるかもしれませんが、そんな生活のリズムの中で生きていることにとても安らぎを感じるのは私だけではないと思います。
店に着くと、管理人さんといくつか言葉を交わして、すぐに掃除を始めます。
きれいにしたいところはたくさんありますが、限られた時間の中でできることをしないといけません。
一日中掃除することができたら、とても幸せな達成感と充実感があると思っています。
店の掃除を毎日するようになって、毎日の仕事を蓄積することができず、代わりにしてくれる人のいない主婦の大変さがよく分かりました。
店のように経済活動があれば報われることもありますが、主婦の場合家族への愛情と自分を律する気持ちがモチベーションを支えているのだと思います。
日頃考えていることのほとんどは掃除をしながら繰り返し考えていることが多く、自分の足元に答えがあることは多く、この私が考える程度のことにはちょうどいい思考の時間になっていて、この時間を大切に思っています。
家に帰ると家族と話しながら夕飯を食べて、夕刊に目を通して風呂に入ります。
朝が早い妻と息子は、平日は早く寝ますので、すぐに一人の時間になります。
日記代わりのリスシオダイアリーを書いて、お客様にお礼の葉書を書いたりしているとすぐに寝たほうが良さそうな時間になり、名残惜しく布団に入ります。
店を始めてから、こんな生活の繰り返しですが、心安らかな日々に満足しています。
時間や状況は流れていて、毎日のリズムは微妙にズレて、数年すると変わってしまいますが、後から思い出した時に今の静かな生活は、懐かしく感じる類いのものだと思います。
今の生活のリズムを守りたいと思う自分と、常に前に進んで行くしかないと思う自分がいます。

私の年末年始

2010-01-11 | 仕事について
京都にはいつも憧れがあって、特にお盆や正月などは京都へ行きたくなります。
やはり京都には日本人の心の拠り所があると私たちは直感的に思うのかもしれません。
思い付いたのが秋だったので,すでに京都中の旅館は予約がいっぱいで、インターネットで何とか見つけたホテルを取りました。
大晦日の京都と言えば清水寺のイメージがありますので、旅館に荷物を預けて清水寺方面へ出掛けました。
停留所や駅で乗り物を待つとき凍えるほど神戸は寒かったのに、京都は小雪がちらつきながらも、神戸よりも暖かいと思いました。
皆さんが通常散策するルートとは逆の高台寺側から二寧坂を歩き始めました。
最初に日本人の心の拠り所と言いましたが、歩く人は外国人の方が日本人よりも多いのではないかと思うくらい、中国系の団体やグループ、家族連れが目につきました。
私がたまに行く国内旅行でも、有名な観光地に行くと必ず外国人の方を目にします。
以前はリュックサックを担いだラフな服装の西欧系の人をたまに見ましたが、今は圧倒的に日本人と同じような服装の中国の人が多く、時代の流れというかお国の勢いを感じます。
狭い通りは人がいっぱいというほどではありませんでしたが、賑わっていました。
途中で食べ物屋さんに入ったり、土産物屋さんに入ったりして、のんびりと家族3人で歩きました。
受験生である息子は休日はほとんど出掛けることなく自分で計画を立てたプランに則って勉強していますので、これが気晴らしになればいいと思いました。
高校生や大学生になると3人で出掛ける機会も減ると思うと、その成長に複雑な思いで、少し寂しくなります。
今は母親とは仲良くしていますし、私とも言葉数は少ないけれど、全く話をしない訳ではありません。
でも子供が少しずつしっかりして、親離れしていくのを親は温かく見守っていかなければいかず、本当は親が子離れしていく方が難しいのかもしれません。
でも彼が大人になったときにこうやって3人で京都を訪れたと、懐かしく思い出して、彼に良い精神的な影響を少し与えることができたらいいなあと思います。
家にいるときの大晦日は、近所の寺多聞寺で出鱈目に突かれる除夜の鐘を聞きながら新年を迎えますが、今年は京都の寺の除夜の鐘を聞きながら、新年を迎えました。
朝からタクシーをつかまえて北野天満宮へ行きました。
3人で出掛ける時は、知らない街を行動することが多いのでよくタクシーに乗りますが、どの運転手さんも話掛ければよく話をしてくれます。
京都では最近平日のお客さんが減って、週末に集中しているようで、それは当店も同じようなことが起こっていて、興味深いと思いました。
9時くらいでしたので、それほど多くの人が来ていると思いませんでしたが、やはり学問の神様は強く、駐車場は満車になっていました。
わたしも大学入試の年の正月、両親と妹とここに来たことを思い出しました。
この場所は何も変わっていないけれど,自分は歳をとって、その子供の合格祈願に来ているのが、人の人生の短さを物語っているような気がします。
ここはきっと大茶会が開かれた400年ほど前から変わっていないのかもしれないと思いながら、北野天満宮を後にしました。

価格とサービス

2010-01-07 | 仕事について
休みの日はたいてい妻と食料品の買い物に近所のスーパーマーケットへ行きます。ただくっついて店内を歩いていてもつまらないのでいろんなことをなるべく感じて取ろうとしますがあまり成功したことがありません。
私は味にはうるさいですが、自分では料理など全くしない、台所に立つことのないあまり良い夫ではありませんので、食材や台所用品などに全く興味がありません。
でもよく新聞折り込みのチラシが入っている価格の安い店と、価格を全面に出していない店とは明らかな違いがあることくらいは分かりました。
比べる対象が極端だったかもしれませんが、前者はお客様がいつも多いのに通路にも商品が置かれていて狭く、お店のスタッフの方もお客様もいつも急いでいるような感じがします。
後者はそれほど混み合うことがなく、お店のスタッフもお客様もゆったりした感じ。通路に商品が置かれていることもないですし、棚が乱れていることもなく、商品を積んだかご車がお客を押し退けることもありません。
ただこの店も週に1度特売の日があって、その日は大変な状態になるそうです。
前者と後者のどちらの店を選ぶかは人それぞれですし、上手に使い分ければいいのですが、価格とサービスとはこのようにいつもシーソーのような関係になります。
価格を安くすれば、同じ利益を出すのにたくさんの物を売らなければならない、設備や人件費などのコストも抑えなければならない、これらをせずにただ安く売ると長くは続かない。
仕入値を安くするという方法もありますが、これは量を仕入れないとできません。
今の多くの店が巻き込まれている安売り競争は、それぞれのお店の寿命を縮めているようにしか思われないですし、そこで働く人の暮らしも犠牲にしています。
価格を安くしないと売れないとそれらの店は考えていますが、そんな単純ではなく、いろんな選択肢があるような気がします。
今の状態は誰も幸せになれない潰し合いの様相を呈していて、結局体力のある大きな店しか残れなくなるような気がしますし、本当は多様なお客様の需要に気付かないまま、今の不景気から日本の経済は何も得ることなく弱ってしまうと、自分のことを他所に心配しています。


新年のご挨拶

2010-01-01 | 仕事について
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年、当店は変わらないことを目標にしたいと思います。
激動する世界の政治、経済の中、最もたくましく生き残っていくのは、柔軟に姿を変えることができる会社だと言われています。
そんな中でいつまでも変わらないことを目標に掲げるのはとても風変わりな考えに思われるかもしれません。
しかし、当店が目指すのは皆様お客様方の心の中にいつもあって、いつでも行くことができると思ってもらえる店です。
いつでも行くことができると思うことによって元気でいられる故郷のような存在です。
仕事や毎日の生活の中で、辛いと思うことがあってもそこに行くことができると思うだけで、頑張ることができる場所というのは、心を日々のストレスから避難させることができる場所なのだと思っています。
今では、伯父も伯母も亡くなってしまい、行くことができなくなってしまいましたが、母の実家があった長野県川上村は私にとってそんな場所でした。
辛くなった時、車を8時間飛ばせばそこへ行くことができる。
実際にはなかなか行くことができませんでしたが、大学生の時も、社会人になってからも、そう思うだけで救われるような心の避難場所でした。
当店も皆様にとってそんな場所でありたいと思っています。
たまに行くと、店は何も変わってなくて、新しい商品が少しだけ入っていて、髭が伸びていたりなど小さな近況報告がある。
離れていた時間がすぐにひとつになって、共通の時間を取り戻すことができる店とお客様との関係。そんなふうになりたいと思っています。
変わらないことは実はとても難しいことだと分かっていますが、当店は最大限の努力をして、変わらずにあり続けたいと思っています。