元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

時代は変わる

2013-07-30 | 仕事について

時代が変わったなあと思うことが時々あって、私たち昭和の人間はそろそろ適応する意識を持っておかないと、前時代の常識で物事を考えてしまいそうになります。

若い頃、夏になると近くで行われていた祭りによく出かけて行きました。

垂水も明石も神社が多く、いろんな所で祭りの夜店が出ていて、祭りに行くというか、夜店目当てで出掛けました。

食べ物ばかりではなく、射的やくじ引きもありました。

射的は高価ものは倒れないようにしてあるとか、くじ引きに当りが入っていないとかということは常識的に思っていて、もし当りを引いている人を見たらサクラだと思うのは、笑い話というか当たり前に思っていたことでした。

それは親が子に教えることだったり、仲間同士で言い合っていたことで、夜店でそういったゲームをするのは賞品を狙うのではなく、その場のノリ、祭りの気分を盛り上げるためにするものだと思っていました。

だますとか、だまされるという感覚ではなく、夜店とはそういうものだとお互い分っているという感じだったように思います。

当りがあると信じてお金をつぎ込めば、つぎ込んだ方が恥ずかしいと言われたのが前の時代でした。

それは21世紀か、平成かわからない、いつの間に変わったのか分りませんが、今は露店商であってもちゃんと当りを入れておかないと警察に通報されて逮捕される時代になっています。

それが良いとか、悪いとかではなく、時代が変わったと分りやすく感じる瞬間でした。

考えてみると、前の時代は、だます方はもっと悪いに決まっているけれど、だまされる方も恥ずかしいと考えられていた時代でした。


話が違うし、同列で語ると怒られるかもしれないけれど、子供の頃学校で先生に怒られて、大きなコンパスで頭を叩かれたというようなことがあっても、絶対に家に帰って母親に言えなかったし、皆そうだったと思います。

もしそれを母親に言ってしまったら、なぜ先生に怒られるようなことをしたのかと、さらに怒られるに決まっているから。

でも今は、自分の子供が怒られることをしたことを棚に上げて、学校にクレームを入れる親もいると聞きます。

私の感覚では怒られた方が恥ずかしいに決まっていると思うけれど。

学校の問題は、もっと複雑でいろんなことがあるのだと思いますが。

でも気付いたら時代が変わっていて、今まで自分が常識だと思っていたことが通用しなくなっていた、ということもボチボチ出てきました。

 


ニュータウンのたそがれ

2013-07-28 | 実生活

自宅のある住宅街は30数年前に造成されて、その頃私たちが引っ越してきました。

周りも同じくらいに建った家ばかりで、私たちの親世代がほとんどでした。

同級生も町内に何人もいましたが、ほとんどの子が外に出て行ってしまっていて、70歳代以上の人が住人のほとんどではないかと思っています。

先日母の墓参りに行く途中で立ち寄った商店街があるニュータウンも同様で、わが町内と似たような雰囲気を感じました。

神戸市西部や近郊の町のニュータウンは同じ頃にできた所ばかりで、それぞれの町が同じように年老いていく感じがします。

地元の大学に進んで、垂水区、西区、北区、三木市などから通ってきている子が多いことが分りました。

それらの市区にあるニュータウンは私たちの親世代がマイホーム持とうとした時に造成されたところで、皆そこから通ってきていた。

私たちが若いころ、それらの町はどこもきれいで活気があり、どこに行っても眩しかったけれど、今では古びたまま色あせてしまっている。

数年前から、神戸電鉄の西鈴蘭台から西に向かう粟生線の存続が危ぶまれているそうです。

沿線には、私が子供の頃に出来たニュータウンが点在して、住人の高齢化とともに通勤人口が減ったからだと想像できますが、沿線に住む人たちは、長年利用してきた鉄道がなくなることで、心細く感じるかもしれません。

山間に点在していたそれらのニュータウンを結んでいたのは神戸電鉄でしたので、それがなくなると、言い方は悪いかもしれませんが、陸の孤島のように感じられるのではないかと思います。

現在は三宮に行くバスも多くなり、実際にはそれほど不便に感じることもないのかもしれませんが、何か一時代が終わったような気持ちになります。

色あせていく町を見ながら、何が違うのだろうと思いました。

外国で見た町は、そこは観光地でも何でもないドイツの大都市近郊の町でしたが、古いけれど、何か輝きを失っていないように見えました。

永遠に輝きを持って続いていくものとは何なのだろうと考えたりします。

 

 


人生と万年筆

2013-07-23 | 仕事について

万年筆に正解はないと思っています。

完璧なバランスを持っていてこれ以上のものはないですよ、とセールストークで私が言うかもしれませんが、それが本当に全ての人にとって、正解だとは思っていません。

一番自分が好きだと思う万年筆は自分で見つけないとなかなか出会えません。

見つけるには自分の好みや、要求することが分っていないと見つけることはできないので、それを知っていることが重要なことだと思います。

自分がどんなものを求めているか分らないうちは一般的に良いとされているものを使ってみるのが良く、人が良いと思っているものにはどこか良いところがあるからです。

それに耳を傾ける素直な気持ちは持ち合わせていた方が良い姿勢だと思うので。

自分の求めるもの、好みが分っているからといって、それら全てを満たしているものが存在するかは分りません。

例えば細字で滑らかとか、ヌルヌル書けるものというのは、求めていることが矛盾しているし、強い筆圧なのに柔らかいペン先を求めることは無理がある。

すべてがバランスの上に成り立っていて、バランスを取りながら選択して、なるべく良い、自分が思うものに近いものを見つけ出す。

ここまで書いて、万年筆とは人生とよく似ているのではないかと思い当たりました。

まだ40代の青二才に人生を語る資格があるかどうか分らないけれど、人生にももちろん正解はなく、いろんな生き方があるわけです。

若い頃、人生や仕事の仕方に正解があると思っていました。

それを見つけるために本を読んだりしていました。

気付くのに少々時間がかかりましたが、そういうものがないと知ったことは人生の収穫だったかもしれないと、今では思っています。

万年筆と付き合うことで、人生において求めてもいいこと、諦めて妥協するべきことが見えてくるような気がします。

 


心が動く

2013-07-21 | 実生活

どんな近くでもいいからどこかの場所を訪れることで、いろんな連想が働いて、考えたり、イメージが膨らんだりするので、家でじっとしているよりも、昼間はなるべく出かけた方がいいと思っています。

どこかを訪れることで頭が回りだすのに対して心が動くのは、人と会うことです。

日頃会わない人と会うことで、その人のことを考えて、感心したり、心配したり。

その余韻はしばらく続き、心がその人のことを考える。

この町でどんな生活をしているのか、どんなことを楽しいと思っているのか、これからどんなふうに生きていくのかなど。

会った人について心で考えることで、なるべくなら感情を表に出さないとようにしている自分の心が動くような感じがします。

建前や表面的に聞こえて欲しくないので、親愛の情を示す言葉を口にすることを恐れているところがあって、それは私が言葉を信じていないからだと、誰かに言われたことがありましたが、心が動くことが多くなって、その言葉も少しは口に出せるようになってきたと思っています。

先日、加古川に行く用事があって、近くまで行ったので妻に誘われて姪がアルバイトしているアメリカサンダルの店を訪ねてみました。

ショッピングセンターに増築されたようなプレハブの店の中で彼女は一人で店番をしていました。

お客さんが来たらいろいろ勧めて買ってもらったりして、売上を上げようと一生懸命働いている。

カラーコンタクトを入れて、髪を染めている今風の姪との10年近く振りの再会は、彼女の今の生活や将来について想い、がんばって幸せになってもらいたいと思います。

久し振りに昼に訪ねた加古川(夜には数ヶ月前にH兄を送って行ったので)で、久し振りに姪と会ったことで、頭と心が動きました。

その後、姪に会った余韻を二人で感じながら、遠回りして加古川の田園地帯をドライブしながら帰ったことで、良い一日になったと思いました。


店という場所は誰かが毎日来てくれるので、いつも心を動かしていられる。

でも来てくれた人に対して、興味を持たないと心は動かない。

もちろん変な意味ではなく、その人に興味を持って、その人のことを知ろうとする。

知って心を動かして、相手の心が動くものやことを提供すること。

お店としての基本なのかもしれないけれど、私はいい齢になるまで気付かなかったかもしれません。


連休の最後

2013-07-16 | 仕事について

サービス業において、日曜日の夜というのは1週間のうちで最も暇な、お客様の少ない時間に、ある時からなりました。

私が働き始めたばかりの頃、土日は時間に関係なく忙しく、街は人でいっぱいだったけれど、その様子が変わりだしたのは15,6年前くらいからで、「サザエさん症候群」を感じたのはそのくらいだったと思います。

もしかしたら、それは神戸だけの現象なのかもしれませんが、例えば日曜日の帰りの電車などは人が乗っていないわけではないかれど、何かうら寂しいような、独特の雰囲気があり、この感じが私はなかなか好きなのです。

普通の週でしたらそれは日曜日ということになり、先日のような3連休になるとそれは月曜日になります。

ようするに連休の最終日にその雰囲気を感じます。

連休が長くなれば、長くなるほど店々の連休最終日の夜の暇さは増していく。

私にとっては週末でも、連休でも何でもないので、その雰囲気を楽しむことができるけれど、連休が当たり前になっている今の人にとって、日曜日は寂しい、休みの終わりを感じさせるものだと思います。

その気持ちは私も経験していて、学生の頃、休みが終わるのを認めたくなくて夜遅くまでどこかに行こうとしていて、深夜営業のファミリーレストランがお決まりの最終地点でした。

子供がまだ小さかった時も休みが終わるのを認めたくなくて、家に帰ってしまうと休日が終わってしまうような気がして、少しでも遅くまでどこかに行こうとする私に妻が呆れていた。

私のように休みを終わらせないために遅くまで外にいたいと思う人が多ければ、街は賑やかなはずだし、次の日から1週間がまた始まるから早めに家に帰ってゆっくりしようと思う人が多ければ、街の雰囲気は寂しいものになっていく。

それぞれの曜日には、その日の雰囲気があって、それらは毎週繰り返されるけれど、それぞれの曜日の雰囲気を味わいながら、楽しむお気楽な性格に気付いたら、なっていた。

ちなみに週の始まりの今日は、そこここに活気があって明るい気分になれる日で、とても好きです。


一人の時間

2013-07-14 | 実生活

春から大学生になった息子がなかなか忙しそうで、毎晩何かのレポートや発表、塾のアルバイトの準備などでいつも遅くまで起きています。

大学受験の時でも私より遅く寝ることはほとんどなかったのに、最近では必ず私の方が早く寝ることになっています。

息子が寝るのが遅いのもあるけれど、私も夜1時を過ぎてから寝ることが続くと、肩は痛くなったり、歯ぐきが腫れたりなどの異常が体に現れるので、あまり遅くまで起きなくなりました。

おかげで深夜の一人の何をするでもない時間はほとんどなくなってしまいました。

でも若いうちは疲れも残らないし、忙しい想いをしたらいい、とても良い経験をしていると思います。

こんなふうに過ごしている大学生の息子の生活を見ながら、自分の同じ頃の生活を思い出してみる。

一人で車でただ走るのが好きで、よくブラブラしていました。

夜、寝静まった町を走るのも好きだったし、目的を決めずにただ長距離を走るのも好きだった。

夏の季節に思い出すのは、長野の田舎から富山に抜けて、北陸沿岸を走って神戸に帰るという旅。

とても時間がかかって、昼前に出たのに日本海に抜ける前に夕方になった時は心細くなったけれど、沿道の様々な風景が今も思い出されます。

今、そんな旅に出ることはなくなったけれど、遅くまで起きている仕事が終わった後、グーグルのストリートビューで世界の景色を見たいと思うのは、山間を走るときの少し不安なドキドキや道がどこかに抜けた時の喜びと、期待感などの気持ちを味わいたいのかもしれないと思っています。


選択

2013-07-12 | 仕事について

保険でお世話になっているOさんと話していて、わが家の住宅ローンの利率がどうも高いことに気付きました。

高い利子で10年以上も払っていたことに落ち込みましたが、まだ20年以上の期間返していかないといけないので、なるべく金利は安くしたいと、ローンの借り換えを検討しています。

固定か、変動かだけでなく、銀行によってもいろいろ条件が違っていて、なかなか決められませんが。

でも住宅ローンという、堅実な生活を営もうとしている庶民である我々が利用するものにさえ、一種の博打的な不確定な要素があることに、何となく違和感を覚えます。

私はバクチのセンスがなく、最も苦手とすることで、栄光の記憶がありませんので。

 

でも金利とはそういうものだし、それが嫌なら安心を買うという意味で高い固定金利にしたらいいということになるのか。

それぞれメリット、デメリットがあって、自分が求めているメリットのあるもの、デメリットを自分は飲み込むことができるかで、選択しないといけないと思っています。

 


物を買うにしても以前はそれほど選択肢はなかったけれど、最近はいろいろな物の売り方があって、それらを正しい知識によって選ばなければならない。

一番決め手になるのは値段かもしれません。

定価売りか、割引して売っているか。定価売りなら、値段以外にどんなメリットがあるか。

割引したものを求めたいと思うのなら、どこが一番安いかで判断すればいいかもしれませんが、私は安いものにはそれなりのリスクというか、デメリットが付いて回ると思っています。

品揃えが良くて、アフターフォローが良くて、物以外に気分も買うことができる所は、定価で売られていることが多いし、定価で売るべきだと思います。

割引して売るということも売り手としてはそれなりの覚悟が必要で、値段で判断されるということはいつまでも続く他社との競争に巻き込まれるということで、様々なコストを削減して安く売る努力を追求していく。

自分で店をすることを視野に入れて、それに基づいていろんなものを見るようになると、売上を上げるために上司に持ち掛けていたセールをするということが、いかに自分たちの首を絞めることかということに気付きました。

お客様に不便をかけないように、それなりの体制で営業している店ではそれなりに利益をとらないと維持不可能だということ。

物を買うということになると、私はどうしても売り手の立場に立って考えてしまうので、自分が買う場合でもなかなかお客様の立場に立って考えにくい。

 

住宅ローンの件で気付いたのは、私たちには数々の選択肢があって、それはとても有り難いことだけど、自分が求めているものを選択しないと下手を打ってしまう可能性があるということでした。


道楽ではなく

2013-07-09 | 仕事について

この店に来た人が店内をグルッと見渡して「いいですね、趣味が仕事になって」と言われることが、ごくたまにあります。

それを言われると、何かモヤモヤした感じが胸の中に起こるというと、不思議に思われる方もおられるかもしれません。

確かに自分が好きで、多くの人にも万年筆を使ってもらいたいと思って始めた店で、好きなことを仕事にしているのだから、それは趣味の延長ではないかと思われても不思議ではありません。

よく言われていたのは、人の嫌がることにこそチャンスがあり、仕事とは辛く、苦しいものだということでしたので、そういうことから考えると、そうなのかもしれません。

好きで楽しくない仕事でもキッチリとこなしている人が大多数で、すごいと思っていますが、私は好きではないことはできないと思っていました。

やりたくないことはやらないというのは、とても我がままな生き方なのかもしれないけれど、40年以上は必ずある、人生の半分を占める仕事をしている時間を耐えて生きることが私にはできなかった。

そのように開き直って、仕事の仕方についての考え方が変わったのは、私にとってはとても良いことだったと思います。

子供の頃から好きな勉強はできるけれど、嫌いなことは全く努力しない性格で、それは大人になっても直らず、好きじゃないことはやりたくない、それが例えば会社において昇進に響くと言われても、迷わずやらない方を選んだと思います。

それを甘ちゃんだと言えばそうなのかもしれないけれど。

人から支持される仕事、人が集まってくれる仕事というのは、それをしている人が楽しんでいるかどうかということを、自営業やフリーランスをしている先輩達を見て、学びましたし、自分でも身を持って経験しました。

最近始めた当店のフェイスブックやメルマガも皆様に自分が好きだと思っていることを、自分が楽しいと思う方法で伝えたいと思って、心から始めたいと思って始めたことでした。

それぞれの情報発信の手段には利点も制約もあって、それらの中で情報を選んだり、伝え方を変えたりすることも、とても好きで楽しい仕事になっています。

上手に行えているかどうか分らないけれど、正解のない仕事を自分なりのやり方、自分が好きだと思うやり方を考えてすることがもともと好きでした。

もちろんそれらの仕事には店が少しでも長く続くためというシリアスな動機もあって、好きだからというだけではないですが。

自分の好きなことで多くの人に広めたいと思っていることだけど、生きていくためにもしていることで、それらは常に背中合わせにあります。

関わってくれている仲間達も皆、したいこと、伝えたいことと生きるためにしていることが背中合わせになっていて、それを趣味だと思う人はいない。

それらは生き方とも言えるもので、彼らの生き方をとても魅力的に思っていて、自分も近付きたいと思っています。


モノと天気

2013-07-06 | 仕事について

雨が気になって、ものすごく気に入っているオールデンの靴を履ける日が1週間に1日しかないと言うと多くの人が苦笑します。

履けないのは当然で、降水確率が0%で、夜遅くなる日は翌日も0%でないと履かないという厳しい基準を定めているので・・・。

最近では少し基準を緩めて降水確率30%までなら履くようになりました。

クアドリフォリオの靴もル・ボナーさんの鞄も、雨に濡れたくないものばかりが増えてどうしようかと思います。

雨の日でも気分が下がらないようにと雨用の靴や鞄をと考えることもありますが、その雨用という選択自体が妥協で、本当に気に入ったものを選んでいないような気がします。

ル・ボナーさんのブッテーロ革の鞄が教えてくれたのは、ブラシで手入れするということ。

最初のうち雨など水濡れに注意して、たまにブラシをかけたりの手入れをすると表面に光沢が出始めて、濡れても拭けば気にならなくなる。

靴も鞄も天気を気にして、仕舞いこんでおくのではなく、雨に降られたらその後のメンテナンスをちゃんとやること。

それが一番いいことが何となく分ってきました。

それでも雨の日の帰りなどはあまり歩かなくていいように、1時間に1本しかない家の前のバス停にとまるバスを待ったりしています。

 


チーム

2013-07-02 | 仕事について

以前、上司からおまえは算盤のできるやつと組めと言われたことがありました。

思いつきやアイデアは持っているけれど、勢いだけだった私を分析した言葉で、有り難いアドバイスだったと思っています。

上手くいっていた当時の相棒は、クールで目端の効く人でした。

そうやってチームを考えた時に、自分と同じタイプの人とだけ集まっても絶対に上手くいかない。

WRITING LAB.も私と駒村氏だけでは、全く機能しなかったと思います。

最も素敵だと思うチームは、ルパン三世と次元大介、石川五右エ門のチームだとずっと思って憧れていました。

ルパン三世のマンガにそれほど詳しい方ではないけれど、子供の頃から観てきたこのチームの関係は大人同士の良い関係を知る、とても勉強になるマンガでした。

あまりベタベタとした付き合いではなく、普段はバラバラに行動しているけれど、仕事となるとお互い補い合って一つの目標を達成する。

峰不二子に喜んで振り回される余裕のある大人の男であるルパンとクールで抜け目ない次元、マイペースだけど二人について行く五右エ門それぞれ自分らしさがあるのに、パズルのピースのようにガッチリとかみ合う。

タイプが違うからもちろん意見の衝突もあるけれど、方向が決まったら自然にそれぞれの役目につく。

実際の仕事のチームもこんな風だと上手くいくと思います。

ルパンタイプの人は次元と五右エ門を見つけないといけないし、次元は惚れることができる男気を持ったルパンを見つけないといけない。

自分と同じ意見、自分にいつもイエスと言ってくれる人だけを集めても上手くいくわけではないので、反対の意見を言ってくれる人は本当に有り難い。

自分たちのチームが完璧だとは思わないけれど、ある程度タイプが違うから続いていけているように思っています。