元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

聞香会

2013-01-25 | 仕事について

毎月最後の土曜日に香道師森脇直樹さんに来ていただいて、聞香会を開催しています。今月は26日です。

普通聞香というのはお座敷に正座して、張り詰めた厳粛な雰囲気の中で執り行われますが、当店での聞香会は椅子に座って、リラックスした雰囲気の中で行っています。

それは本物の良質な香を作法に縛られず、皆さんに気軽に聞いていただきたいという森脇さんの想いがあるからです。

森脇さんが厳選した香を毎月聞かせていただいて、本物の香の香りを知ることができました。

それは今まで嗅いだことがある人工のものとは全く違うもので、本物のお香を知ると今までのものがとてもわざとらしいものに感じられます。

お香を聞き分けようとすることで、今まで使っていなかった頭の中の部分も使います。

私はなかなか慣れないですが、香りを頭の中で分類しようとする作業は今まで経験したことのない頭の使い方だと思いました。

森脇さんとは毎月の聞香会やペン習字教室、お茶のお稽古、WRITING LAB.での活動で一緒に行動していて、聞香会は始めてからもうすぐ4年になります。

森脇さんが理想の万年筆店を探して当店を訪れてくれたとき、今ではもう見慣れた和服姿でした。

居合わせたお客様方が森脇さんの服装に興味を持って、色々質問したり、話しかけたりして、とても暖かい、和やかな雰囲気になったことがとても嬉いかった。

でも普通和服で歩いたり、店に入ったりすると奇異に見られ、その場の雰囲気が一変することもあるようです。

そういったことも気にせず、自分のスタイルを貫いて、香道を追究したいという目標を持って生きている森脇さんを私はとても頼もしく思います。

森脇さんは私の母校に在籍していますが、私が21歳の時は全く違っていました。

私が21歳の頃、44歳の大人の人と行動を共にすることなどなかったし、当時の私が今目の前に現れても一緒に何かしようと誘うことはないだろうと思います。

でも20歳以上下の若者です。何となく息子と一緒にいるような気持ちになることもあります。

 


親の心

2013-01-22 | 仕事について

息子が大学受験で今本番を迎えています。

そんな息子に付き合ってというわけではないけれど、何か気になったりして私たち夫婦の外出も減って、家にいる時間が長くなっています。

その辺のショッピングセンターで時間を潰すように過ごすのなら、家にいる方がずっといいと思いますし、家の自分の本棚(小さな家を建てたと時の私のささやかな希望は、壁一面の本棚でした)の前で1日中ちょこちょこと本をつまみ読みしながら、ノートに何か書いて過ごすことができれば本当はとても幸せで、充実した1日をすごすことができたと思う方です。

しかし、半日家にいると外出したくなる性分もありますので、その葛藤に打ち勝つ良い理由になっています。

息子は小さな時から、塾などに行きたがらず、高校生になっても予備校に通うこともありませんでした。

私たちは大学を受験するにあたっての、戦略というか要領のようなものも教えてくれる、いつもの努力でより偏差値の高い大学に入ることができるのではないかと、親心から勧めていたけれど、自分のペースで楽しく勉強したいと言われて、納得せざるを得ませんでした。

楽しんで熱中したことが一番身についていて、それが社会に出た時に一番役に立っていることは私たち大人はよく分かっていたはずで、親になると自分が経験したことを忘れて、結果に捉われすぎていました。

実際、勉強している息子は私がノートに何か書いている時のように楽しそうだし、好きな日本史をしている時など趣味かと思えるほど念入りな独自の資料を作ったりしている。

彼は私が高校時代一度も楽しむことができなかった学校の勉強を楽しんでいました。

そんなやり方で受験競争をどこまで勝ち残ることができるか分からず、親としては心配だけど見守る他なく、自分ががんばっているわけではないのに、早くどこかに決まって欲しいと思うのでした。

神戸大学でのセンター試験に向かう息子と私の出勤時間が合ったため、一緒に電車に乗りました。

別に一人でも行くことができると息子は思っているだろうけれど。

本当はいつもあと3つくらい遅い電車でしたが、電車が大幅に遅れたりして息子がどうしていいか分からなかったり、何かあっては困るという夫婦の意見の一致で時間を合わせたのでした。

家を出る時、会場に着いたら着信だけでもいいから鳴らしてという妻に、そこまで心配しなくてもと思いましたが、電車の中で自作の資料を見る息子を見ながら、元町駅で先に電車から降りるとき、妻の心配心に共感しました。

もう遅すぎるけれど、同じ立場に立って初めて、あの時両親はどんな気持ちだったのだろうと考え、自分はあまりにもそれに応えることをしていなかったと思いました。

 


先輩方

2013-01-18 | 仕事について

私は自分より年下の人に対して、自分の人生や経験において知り得た知識や教訓をそれを必要としている人に伝えることができればと思っています。

そしてあんな人生は送りたくないと思われないような、お手本というか、希望のようなものになれたらと思っています。

本当にそうなれるかは分からないけれど、職業や立場を超えて、そういう先輩の存在が人生のお手本となり、世の中を良くするような気がします。

もちろん私にもそういう先輩達がいて、その人たちを目標にするから自分なりにシャキッとしていられる。

昨年末12月26日の大和座狂言事務所の大阪能楽会館での公演の時に発売された、狂言師安東伸元先生の「日々新面目」を当店でも販売させていただけるようになりました。

私は年末年始休暇中に読みました。

私より34歳上の安東先生の歪んでしまった世の中で要領良く器用に生きることを拒んだ、芯の通った生き方を感じ背筋が伸びる想い抱きました。

今の自分は安東先生の生き方に憧れているけれど、あそこまで自分を貫いた生き方ができていないことを恥ずかしく思いました。

自分が78歳になっても、怒りを忘れない強い心を持っていたいと思いました。

70歳までは仕事をしていたいと今までケチな目標を何となく持っていたけれど、今の仕事をライフワークと自分で決めたからには生きている限り、それに携わり続けたいと思いました。


1月4日、京都でのWRITING LAB.の新年会の後、ル・ボナーさんを訪ねて、先日また訪ねました。

昨年は不義理をしていて、松本さんに来てもらうばかりで、一度も六甲アイランドを訪れていませんでした。

夜の六甲アイランドは本当に寂しい。

周りが居住地区で暗くなると人通りがなくなってしまうからだと思いますが、真っ暗で他のお店も閉まっている平日の夜、ル・ボナーさんの光だけ煌々と輝いていました。

会うといつもの高いテンションで新作について話してくれる。

本当に楽しかった旅行の思い出話になどに花を咲かせて、近くの中華料理屋さんで本当に楽しい晩御飯を食べました。

松本さんは私よりちょうどひと回り上だけど、いつも何かに興味を持っていて、楽しんでいる。

そして自分の仕事でも新しいアイデアをいつも追いかけている。

私が56歳になった時、松本さんのように自分の仕事にワクワクしていられるようになりたいと思いました。

安東先生と松本さん、年齢もタイプも全然違うけれど、お二人は仕事において最も偉大な条件である情熱を持っている。

変に落ち着いたり、達観したりせず、この情熱だけは持ち続けたいと思いました。


靴の趣味と実益

2013-01-14 | 仕事について

毎日でもして欲しいと思っているイル・クアドリフォリオのイベントが終わってしまいました。

イベントが終わるのはいつもとても寂しい、祭りの後の気持ちでいます。

イル・クアドリフォリオのイベントは久内さんという専門家のお話を聞きながら、お客様と靴談義ができるので本当に楽しかった。

革靴について考えるようになって、私はまだ日が浅い。

でも革靴に凝るようになって万年筆をこれから使いたいと思うお客様の気持ちがすごくよく分かるようになって、靴のおかげで仕事にもすごく大きな収穫があったと思います。

そうやって靴に遊んでいるうちに縁あって久内さんというオーダー靴職人さんと知り合うことができて、趣味と仕事が一緒になりました。

ちょうど何足かの靴を買って履いてみて、いくらいい靴を買っても、自分の足にぴったりと合っていないとその喜びは半減してしまうと思い始めていましたので、そのタイミングでオーダー靴の職人さんと出会えたことはとても幸せでした。

靴に対する知識の乏しい私が、普通は敷居が高いと思われているオーダー靴の世界に足を入れることができたのだから。

昨日、靴をオーダーしてくださったM先生が言われた「今まで靴が足に合ったことがない」ということを足が小さい私も感じていました。

自分の足の細かな寸法を測りすぎるくらい測ってもらい、仮履き靴を作ってもらって、20万円というのは、その後の楽しみも考えると決して高くないと、靴を手に入れてからさらに思うようになりました。

私の意見を聞きながら、久内さんらしさを込めて作られた靴を愛していて、可愛がっています。

今回のイベントでつま先の方を少しネットリと光らせて欲しいとお願いしたら、本当にイメージ通りにしてくれて、さらにまた愛が深まっています。

まさに職人さんとともに作り上げるという楽しみのあるオーダー靴の世界、2足目はどんなものにしようかと早くも言い合っています。


えびす参り

2013-01-11 | 仕事について

恒例のえびす参りに行ってきました。

兵庫の柳原えびすが地元ですが、コンビニのレジで地元の人といざこざを起こしてから、それは妻にとって暗い気持ちを伴うものだったので、昨年から西宮に行くようになりました。

8時半に着きましたが、皆仕事前に来るのか、もうたくさんの人が来ていました。

こうやってえびす様にお参りすることで、仕事が良くなってくれればいいけれど、そんなはずはない。自分の仕事が神頼みではあまりにも心元ない。

私がお参りに来る気持ちは、毎年決まってきているえびす参りに今年も来ることができたと、今の自分が恵まれていることを確認するためであるし、昨年も無事仕事を続けさせてもらえたことの感謝の気持ちを笹を返して、新たにいただいてくることで表しているということになります。

自営業や会社を経営している人で、宗教に帰依する人が多いと聞いたことがあります。

もしそれが本当のなら、分かるような気がする。

きっと皆、世の中に生かしてもらっているような気持ちが強く、不安から何かに頼ったり、教えを信じたりしたくなる。

私もそういう気持ちにならなくもないけれど、私の場合怠け者だから、何かを信じることで安心してしまって、それが全てになってしまいそう。

何かに頼ろうとする自分の心が私の一番の敵だと気付きました。

でも本当に困ったことが私にはなかったのかもしれません。

もし本当に困ったら、神様に頼りたくなるでしょう。

頼ることで、そこから心強い活動して生きる力を得るために、昔の人はもしかしたらお参りしたのかな、と思ったりします。


Pen and message.の2013年

2013-01-07 | 仕事について

長い年末年始休暇をさせていただいていました。

久しぶりの長期休暇でした。

私にとってはハードに感じられた年末の日々の疲れを癒すのに十分な時間で、良かったと思っています。

いよいよ今年も始まったという想いを抱いて2013年の初営業日を迎えました。

今年はどんな年にしようかと考えた時に、いつも自分は何をしたいのか自問自答します。

時代を読んだり、流れをつかんだりという感覚も大切で、それを磨くことに今まで必死になってきたけれど、私の場合もっと大切なことは自分自身が何をしたいかということをはっきりさせて、それを表現することだと5年間で分かりました。

私がしたいことというのは、万年筆で書くことを楽しみたいとということに尽きます。

それは万年筆によって皆様の仕事をより楽しくしたい、あるいは万年筆によって皆様の毎日の生活を楽しくしたいということになり、私たちが提供する紙製品、革小物、鞄、靴も万年筆と同様に、万年筆を使う人たちの毎日を楽しくできるモノだと思っています。

もちろんそれが世の中の役に立っていなかったり、お客様の賛同を得られなかったら、ちゃんと結果として表れて軌道を修正しないといけないけれど。

でもそのモノや企画で楽しい気持ちになったり、幸せを感じてくれたりする人が自分以外にいてほしいとはいつも思っています。

自分が一番どうしたいかというのは、実は意外と難しい問いで、この仕事を20年していると、できること、できないこと、容易なこと、難しいことが行動を起こす前に判断できてしまうので、本当に自分のやりたいことが何か分からなくなってくるのです。

でもそういう時に内外に相談相手のいる私は恵まれている方だと言えます。

WRITING LAB.の存在もとても有難く、基本的に私はやりたいことをWRITING LAB.でもしていますが、それを実行する前に冷静な意見が聞けたり、後押ししてくれたりする。

駒村氏はたいてい「いいですねぇ」と言ってくれるけれど、やはり何か無理があると、やんわりと方向を変えようとしてくれるし、経理担当者はそれが算盤に合わなければ、無慈悲にブレーキをかけてくれる。

そんな人たちの助けもありながら、今年も愛着を持っている毎日を積み重ねていきたいと思っています。


新年会

2013-01-06 | 仕事について

外出の予定もなく、静かに過ごしていた年末年始休暇でしたが、昨年もした京都での新年会が、この休暇中に唯一のイベントとしてありました。

阪急三宮でH兄と森脇さんと待ち合わせて、四条河原町では駒村氏と永田さんと待ち合わせました。

正月明けで休みが目立った錦市場で、ハモの天ぷらや蒸しいもなどを買い食いしながらブラブラしました。

祭りの屋台をハシゴするようにこうやって食べながら歩くのはとても楽しい。

ニャンコ先生やキレネンコのガチャポンを何回もししたりする者もいて、こういう時はお金を使うほど盛り上がりますが、後に昼食が控えているので、控えめにする。

駒村さんがたまに来るという水炊きの博多華味鳥で座敷を当てがってもらってのんびり昼食としました。

あまり人前で意見を言ったり、口頭で所信を表明したりすることのない私にとっていつものメンバーのこの集まりは本当に有難い。

今年はこうしたいとか、今後こういうこともしたいというようなことも、この集まりでは話しやすい。

こういう仲間っていいものだなといつも思います。

多分、誰かが誰かに寄りかかってしまっていたら、こういう関係は成り立たなくて、それぞれが自立して、協力することがあれば協力し合うから続いていける。

何か得があるから、付き合うのではなく、何か一緒にしたいという想いが持てる相手と付き合うことの大切さは、今までも何度も思ってきました。

本当にゆっくり鍋をつついて、烏丸に来るといつも寄りたくなるサンタマリアノヴェラで駒村氏が愛用している紙の香水を私も買いました。

八坂神社までは歩いて15分以内の道のりだと思いますが、人が多くてなかなか思い通りに先に進みません。

京都の寒さに皆で野次を飛ばしながら、でもこうやってただ歩くだけで何か楽しい。

パラパラと粉雪も降って、それほど遠くないけれど、やはり京都は寒い、夏はあんなにどうしようもなく暑くなるのに、と思いました。

八坂神社をお参りしてから、高台寺方面へ歩き、リバーメールのダイアリカバーの名前になった石塀小路も歩きました。

ご飯を食べて、お店をひやかして、ただ歩くだけの新年会ですが、私はとても楽しい時間に思える。

また来年も皆揃って、あるいはメンバーが増えて、また京都に来ることができたら、と思って満員の新快速に乗り込みました。


年の初めに

2013-01-03 | 仕事について

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年末、26日に大阪能楽会館での大和座狂言事務所の公演を拝見して、29日には安東先生の千里山のご自宅で行われた忘年会に参加させていただきました。

年始からは12月26日の公演の日に発売された安東先生の著書「日々新面目」(和泉書院)を読んでいました。

狂言という観る人を育てなければ先細りになってしまう日本の伝統芸能をライフワークにして、能狂言界の古い体質や国、役所の伝統芸能の一貫性のない扱い方など様々なものに怒りを持ちながら、それらに一人で立ち向かう男の生き様について考える機会が多くありました。

正月から窓際の陽の当たるところに立ったままで2時間も3時間も、本を読み耽る私を妻も息子も奇異に思ったと思いますが、安東先生の本だけでなく、世阿弥の「風姿花伝」も読み、安東先生の言う能狂言は人生の滋養になるということも考えました。

「日々新面目」は安東先生が大和座狂言事務所の機関紙「大和座通信」に2003年から書き続けてきたものをまとめたもので、それはエッセイというものになるのかもしれませんが、私たちがエッセイに抱いているイメージとはかけ離れた、怒りに満ちた、パワフルで重い内容です。

テレビを点けると正月特番と称して、中身のない馬鹿騒ぎを収録した番組ばかりが流れている。正月だけでなく、テレビにおいてその傾向は以前よりも強くなっていると思います。

そういったことに私たちはこれでいいのかと思わなければいけない。

先生の本は、当店でも扱う予定にしています。私はこんなエッセイが読みたかったと思いました。皆様もぜひお読みください。

文章の間から先生の日常も垣間見ることもできて、安東先生をより知る手掛かりにもなります。



本当は私の世代が若い人を導く役目を引き受けないといけないでしょうが、恥ずかしながら世間をそれほど知っているわけでもなく、思慮分別が確立できているわけでもない。

安東先生のような、何が問題かを教えてくれる人生の先生と言える人がいてくれて、恵まれていると思っています。

当り障りのない意見に終始する人よりも、常に問題意識を持って、それについて発言する大人の存在は、社会に必要に決まっている。

私も安東先生のような大人になれたらと思っています。