元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

久々に揃ったメンツ

2014-08-26 | 仕事について

店を始めた頃、気にしていたのは自分がやろうとしていること、やっていることが、世の中の定説のようなものから、大きく外れていて、みんなその間違いに気付いていて、遠巻きに見ているのではないだろうかということでした。

私は自分の仕事について、とてもシンプルにとらえていたけれど、何かとても大きな仕組みのようなものを自分の無知によって無視しているから、自分の前にお手本とするべき人や店がないのではないかと少し心細くなっていました。

前例がないということで、やり方が間違っているのだろうかと真剣に思ったことは、今から考えるととても可笑しくて、前例があるかないかとか、セオリー通りではないとか全く気にしなくてもいいことだと、今だったらすごくよく分かるけれど。

当時教科書に載っていなければ正解でないのではないかと心配になったりしていたけれど、本当は教科書に載っていないことが一番大切で、誰もがそれを見つけたいと思っている。

ル・ボナー松本さんが万年筆の魅力に目覚めて1本差しと3本差しのペンケースを作り、それを大和出版印刷の武部社長に伝染させて、万年筆で書きやすい紙を使った上製本ノートを作るきっかけになり、最近グラフィーロという万年筆で書くということを究極まで突詰めた紙と紙製品を発売するに至っている。

 

二人が万年筆の関連する物を作り出したのが、ちょうど当店が創業した7年前で、その時からことあるごとに連るんで何かをしてきた。

その活動や関係は教科書ではとても習えないもので、当然二人は自分たちがしていることが前例にないことだからと心配になったりはしない。

すでに大きな力を持っている松本さんと武部社長に助けられて、引っ張られてここまで来た感覚は強いけれど、きっと誰でも創業時は非力で、誰か力のある人の助けが必要でそれがないとなかなか難しかったのではないかと、今も有難い気持は持ち続けています。

 

大和出版印刷の武部社長が取材を受けて、その流れで編集者の人たちとの親睦会ということになり、生田神社前のオコゼのお店で久々に3人揃いました。

本当に、ただ好きなモノの話や、あの時はああだった、こうだったと面白、可笑しく話して、とても楽しんで、結束を改めて強くできたと思うけれど、濃いキャラクターである二人とともに、お互い影響を与え合っての共同作業が、それぞれ個別の活動にも反映されてきた経過のようなものも思い出しました。

地理的にも、関係的にも、こういう人たちが傍にいる自分は、とても恵まれていると思っています。

 


変わること、変わらないこと

2014-08-24 | 仕事について

就職したばかりの頃、仕事の連絡はFAXでした。

長いアナログの通信音を聞きながらFAXを送っていましたが、気がついたら電子メールが連絡の主な手段になっていたし、インターネットも普通のことになっていました。

特に時代についていかなければいけないと意識していなくても、それは自然に私たちの生活に定着していて、仕事の道具になっていた。

テレビやラジオが普及したのと同じように、そういった道具は移り変わっていくのかもしれません。

でもいくらスマートフォンとパソコンの連携機能が良くなったり、クラウドにデータを置けて、閲覧して共有することがやりやすくなって普及していたとして、手帳に万年筆で書くということを私は止めないし、それを勧め続けることは変わらない。

それは仕事の原点のように思うし、今もそれが楽しくて万年筆を使っているし、それが仕事や生活を楽しくする正解だと思っているので、世の中が変わって行っても当店は変えたらいけないものだと思っています。
 

商売もインターネット通販が普通になっていて、これは20年前にはなかったものだけど、そこに介在する人の心は変わらない。

店はお客様への思いやりを商品とともに送り出し、お客様がその思いやりを感じて受け取ってくれれば完成し、それが伝わらなければ、未完成という、商売の基本のようなものは変えようのないものです。

その思いやりが、会社によっては価格のこともあるし、スピードのこともあるし、その他のことでもあるという違いだけなのだと思います。


世の中の変化に対しては、逆らっても仕方ないもの、逆らうべきもの、そして変わらないものを見極めたいといつも思っています。

 


一番愛用している万年筆(原稿募集中)

2014-08-19 | 仕事について

「文集雑記から」第2弾として「一番愛用している万年筆」というタイトルの作文を募集しています。1000文字程度で、一番愛用している万年筆について、どんな使用感か、どんな思い出があるか、どんなインクを入れているかなどについて語っていただきたいと思います。
締め切りは9月末になります。手書き(手渡し、郵送など)、メール(penandmessage@goo.jp)形式は問いません。 

たくさんある万年筆の中から1本を絞るのは非常に難しいという声が聞かれ、まだまだ投稿が少ない状況なので、ぜひご投稿いただきたいと思っています。

自分がとても良いと思って気に入って使っている万年筆の良いところを伝えて、その万年筆を使う人が増えたら、とても嬉しいと思います。

私はその快感を知っていますので、今回の作文で皆様が書かれた原稿によって、同じ万年筆の愛用者の方が増えたら楽しいと思っていただけるのではないかという想いもありました。

もちろん私も作文を書くつもりでいて、今どの万年筆にしようか思案しているとこです。

一番使用頻度が高く、ブログの下書きなど立って書く原稿のほとんどは、ペリカンM450を使っています。

アウロラ88のヌルヌルの書き味も気に入っていて、途中ボディがオプティマから88クラシックに代わっているけれど、一緒にいる期間は長く、よくぞここまで成長してくれたという感じで手紙によく使っています。

オマスパラゴンも手紙用だけど、オマスが言うように某有名万年筆を超える万年筆だというのも本当だと思い始めています。書き味がとても良く、使っていていつも嬉しくさせられる、その良さをもっと伝えたい万年筆です。

ペリカンM1000、M800は、誰もがその良さを認める、完璧な万年筆で、そして手紙としてよく使っているけれど、きっと誰かが書くと思う。

パイロットシルバーンは毎日使う日常の万年筆。店用の記録に使っているシステム手帳に、保証書に、仕事の時間中はほぼシルバーンを使っています。ペン習字にもこれを使っていて、なぜか一番きれいな文字が書ける万年筆です。
一番愛用している万年筆というテーマに合っています。

最近、ファーバカステルクラシックエボニーの出番が増えています。
日記、本を読んで感じたこと、考えたことなど、私の使用で一番華やかな勉強用に使っているシステム手帳に書く時に使っています。
けっこうな文字数を書いても楽に書けるコツのようなものが分ってきて、書くのがとても楽しくなっています。

本当に決めかねているけれど、必ずどれか選んで1000文字の作文にしたいと思っています。
でもとても楽しいことだと思っています。 


墓参

2014-08-17 | 実生活

盆中の14日が定休日だったので、墓参りに行ってきました。

何年も不義理をしていて、母が亡くなって父が墓を建ててから、あまり行っていなかった。

家から車で40分ほどの墓苑の中にあって、休みが少なく時間がないことを言い訳にしたり、そこには誰もいないとかと、焦る自分をごまかしていた。

父はことあるごとに行っているようで、気まぐれをおこして墓参りに行っても、きれいになっていて、それが私の後ろめたさを助長していた。

ここ数年ちゃんと墓参りに行くようになったのは、墓という共通の場所をそれぞれで訪れることで、亡くなった人を中心に生きている者同士の存在のようなものを意識することなのかと思うようになったからで、父とは同じ敷地に住んでいて、日頃から意識しているけれど、もっと早く習慣的に来ていたらよかったと思っています。

墓苑に行く途中で、父に電話したら同じ日に行ったばかりだというので、線香の束だけ下げて行きました。

線香の煙にいぶされながら、そこにたたずんでいると、やはり生前のことを何となく思い出され、良いものだと思う。

かなり前に、母か妹がどこかで占い師に「あなたの家族は離散する」と言われたことが、妹がタイに行った時に思い出されて気になっていました。

私一人が家族がバラバラになることに焦って、何とかしようと思っても仕方がないと思うし、それよりも一人ずつが自分の道をしっかりと生きていれば、離散しようが何だろうがいいと考え直したけれど。

いつまでも続く当たり前にあるものだと思っているものも、常に動いているので、いつかは終わりがくると思うと、全てを大切にしないといけないと、今頃になって思うようになったのでした。


勉強

2014-08-12 | 実生活

学生の頃、勉強するということが嫌で仕方なかった。あの時はそれがただやらされるものであって、知らなかったこと知った喜びとか、知識や考えが自分の頭や精神の栄養になる感覚を知らなかったかもしれませんが、学校の勉強に興味が持てませんでした。

ある本(稲盛和夫著「生き方」)によると、私たちの心は硬式野球のボールのように何層にもなっているそうです。

その中心付近(一番深奥ではないけれど)に魂があって、それを本能、感性、知性が覆っている。

皆がそうではないと思うけれど、常に何かを勉強して魂を覆っておかないとそれなりの振る舞いができなくなる。

きっと良い考えが定着していなくて、魂が下劣な私だから、常に良い考えを確認して、良い言葉を耳にして、それらで覆っておかないと皮が薄くなってきてしまうのかもしれません。

良い本を読んだり、良い話を聞いたりしたばかりの時、心がとてもきれいになったような気がして、シャンとするけれど、それらを吸収することを怠ると、もともとの自分が出てきてしまう。

自分にはそんなところがあると、この20年で経験的に知っていたので、定期的に良い考えを吸収しようと、本は読み続けていました。

知識を得ることは、自分の興味の趣くままなので、その時々で違うけれど、心をきれいに覆ってくれるものは新しい考えなどではなく、古くから多くの人が言葉を変えながら言い伝えてきた考え方だと教えて下さる方がいて、いろいろなものを読まなくてもよくなりました。

それを勉強することもとても楽しく、時間があればずっとしていたいと思うけれど、限られた時間の、他にやらなければならないことの合間を縫うようにしているから、やれているのかもしれない。

それらは仕事をしてきた上で自分の中に芽生えた考えを確認する作業のように感じることもあるけれど、きっと何かの本を読んで既に吸収していて、自分の考えだと思い込んでいたのかもしれません。

まあ、そうそうオリジナルの考え方など生まれるわけではなく、皆それほど違わないことを感じて生きているのかもしれないし、正解のようなものはそんなにたくさんはないのかもしれません。

 


ミシュラン三ツ星レストランでの研修

2014-08-10 | 実生活

今朝は、玄関のドアを開けたらひるむような雨風でしたが、替えの靴と靴下を鞄に詰め込んで家を出ました。

昨日、F井さんが台風の中無理して店を開けて、仮に1本万年筆が売れたとしても、怪我などしたらつまらないのではないかと、おっしゃって下さったけれど、まだ本格的な暴風雨ではなかったので出てきました。

もしかしたら誰も来ないかもしれないけれど、11時に店を開けて、19時に閉めるということを愚直に守ることをお守りのように、身を守る信仰のように思ってきたので、店に向かわないと気が気でない。

それは貧乏性というのではなく、自営業の習性のようなものなのかもしれません。

 

ル・ボナーの松本さんは、最近週休2日にして、少しはゆっくりするようになって、とてもいいことだと思うけれど、私が店を始めた時はそんな考え方でだったように思います。

ブログではとても面白い人だけど、意外(?)とストイックなその背中からは、今だに教わることばかりだけど。

先日、松本さんと神戸唯一のミシュラン三ツ星レストランに行きました。

「カセント」というお店が当店のこんなに近くにあることを知らなかったし、山手幹線より北側がなかなか閑静な、雰囲気のある場所であることを知らなかった。

内装はシンプルで、モノトーンに木などの自然の素材を使って相当なこだわりを感じさせるし、ギリギリまで落とした照明も料理の美しさを引き立ててくれるし、他のお客の存在を気にせず、相手との親密さを増すような気がします。

お店の格式が気になって、テーブルマナーの心配をしたり、二人ともさすがにネクタイはしていなかったけれど、ジャケットを着て行って、やや気負い気味でした。

でも、お客に気を使わせない行き届いたサービスのお店でした。

最後のコーヒーまで入れると20皿、時間で3時間45分のコースだったけれど、それほど長く感じずに過ごすことができたのは、松本さんと一緒でいろんな話をすることができたからだと思います。


アウロラ オセアニア

2014-08-09 | お店からのお知らせ

アウロラの限定品大陸シリーズの第5弾“オセアニア”が年末に発売になります。

アウロラは、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカと大陸シリーズを発売してきましたが、第1作から12年の月日が経っているロングスパンの限定品なので、それぞれの万年筆を見ると思い出すシーンや人がいて、感慨深いものがあります。

第1作アフリカのインパクトはなかなか強烈で、あんなにプリミティブな印象を受けた万年筆は今までありませんでした。見事に私たちが思っているアフリカを表現していたと思います。

第2作アジアの複雑なうねりのある色合いは、やはりアジアだと思いました。この万年筆はSkyWindさんのポストカード にもなっていて、この印象も強い、味のある万年筆だと思っています。

第3作ヨーロッパは、この店を始めた間もなくに発売になり、多くのお客様が買ってくれて、思い出深い万年筆です。一言で言えばニヒル(古い?)な万年筆でした。

第4作アメリカは、北と南で印象の違う大陸をまとめたのが少し荒っぽい気がしましたが、ボディカラーは北アメリカ、リングなどの装飾で南アメリカを表現していました。アメリカ好きとしては、いかなければいけない万年筆でした。

オセアニアというのは、とてもいいと思っています。

アジアに次いで地理的にも近く、民族的にも近いものを感じます。
もう少しワイルドな感じが出てもよかったかな?と思うほど、かなり上品な色合いで、こういう色の万年筆は珍しいと思っています。

発売は年末になりますが、限定品のためご予約承っております。価格は万年筆124200円、ボールペン59400円(税込み)です。

(画像が小さくてすみません。)


同級生

2014-08-05 | 実生活

先日の数軒のレストランの経営をしているKくんの来店もあったりして、同級生の来店が続いている。

高校で同じ学年だった女の子二人が連れ立って来てくれました。

今年46才。確かに万年筆でも使ってみようかと考える世代なのかもしれません。若い時はきっと見向きもしなかったけれど。

高校の同級生と言ってもそれほど交流があったわけではなく、顔を見知っていたくらいの間柄だったけれど、店にいてくれた間(4時間)に旧知の仲のように感じることができたのは、万年筆で書くという共通した生き方のようなものを持ったからなのかもしれません。

二人ともとても一生懸命に仕事に打ち込んでいて、Kさんは海外に日本文字のTシャツを販売する会社をしていて、Iさんは近くの貿易会社でバリバリ働くキャリアウーマン。

Kくんもそうだったけれど、二人も忙しくも、自分が情熱を注いでいる仕事を支えている手帳を気持ちよく書くために万年筆を使いたいと言っていました。

万年筆を使っていなくても、私たちの世代はやはり手書き派が多く、手帳が好きな人が多いと実感していました。手で書いた方が早いし、感覚的に仕事とはこういうものだというイメージがある。

それに電子機器は今までいろんなものが出てきては消えていったことも見てきて信じられない。

皆、実は書くことは好きだったと言っていて、手帳にはビッシリと書き込みがしてある。書くことが好きだということが、何か共通した大切なポイントのような気がするけれど、ウチのお客様で書くことが嫌いな人はいないかもしれません。
 

いきなりあまり高いものを勧めるのは、同級生のよしみで来てくれた二人に申し訳ないので、ラミーサファリくらいから始めてもらったらいいかなと思って「4000円くらいからエエ万年筆あるで」と言っていたけれど、二人は迷わず国産の金ペン先の万年筆に決めていた。

確かに万年筆を趣味やステイタスも兼ねた実用の道具ではなく、自分の仕事をより良くしてくれる使い倒すもの、そして仕事の全てを書く手帳を書きやすくしてくれるものと考えると、国産の万年筆ほど適したものはないのかもしれません。

まだまだ仕事も生活も余裕が出てきたわけではなく、まだ途上にいる、でも何よりも仕事が楽しい私たちにとって、国産の万年筆は最初に手にする何にも代え難い相棒なのだと思います。

二人は同じタイミングで来られた常連の北海道のT嶋さんに万年筆の使い分けについてお話をしてもらったり、その後で来られた常連のM.M女史のマニアックな太字論を聞きながら、お持ちの万年筆を何本も書かせてもらい、女子会とも言える盛り上がりをみせていました。

同級生二人に万年筆の話をしてくれたT嶋さんとM.M女史にはとても感謝しているし、臆することなくどんどん話しかけていく二人のコミュニケーション力がすごいなと感心しました。

長い間(卒業して28年)高校時代のさ迷っていた自分を思い出したくないと、その次代の記憶にフタをしていたけれど、その時代の友人たちとこんなに共感できるようになるとは思ってみませんでした。


祭り

2014-08-03 | 実生活

昨日、神戸の花火大会で地元でそれを知っていて、花火に行かない当店のお客様は元町、三宮に寄り付かなかったのではないでしょうか。

でも街中は浴衣の女の子やカップルなど大勢の人が出ていて賑やかだったようです。

こういうお祭りを楽しめたらと思いますが、若い頃からあまり得意ではなく、でもそれを口にすると何か根暗だと思われるのではないかと思って、公言することができなかった。

お祭りの勢いのようなものに気圧されるような感じが嫌だったのかもしれません。

根っからのお祭り好きという人もいて、とても羨ましく思います。

以前勤めていた店で、セールか何かでハッピを着るように決められた時、強硬に辞退して着なかったのは、私が天邪鬼なのではなく、お祭りが苦手で、どうしてもそれを着て仕事をする気になれなかったと、今なら説明することができるけれど。

大学生の時付き合っていた女の子が垂水の下町の娘で、お祭りがとても好きだった。

夜店の何か買った時に大きな声で「おっちゃんありがとう」と言うタイプの娘だったので、大学生の時はよくお祭りに行っていた。

大輪の花火をその時初めて見てとても感動したけれど、その辺りで起こる喧嘩や小競り合いに落ち着かない気持だった。

お祭り騒ぎと言うと、楽しいものだと世間では思われているのかもしれないけれど、私には何か心に影が差すような、実はなくてもいいと思っているものだということを告白してしまうと、自分がとても気難しい、根暗な人間に思えて嫌だけど、ただ苦手だったのを思い出しました。