元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

都市の分散

2011-03-31 | 仕事について

東京に何もかも集中しすぎていて、最早それは便利を通り過ぎて、不便にさえなっているように感じます。
そして、それは東京だけの問題ではなく、日本全体の問題になっています。

東京に行政の中心があって、関連の企業が集まり、その企業がまた関連する企業を集めてしまうというように東京はどんどん過密になっていたったのでしょうか。

でも東京が過密になっていった分、地方が空洞化しいき、そのアンバランスさが日本全体の様々なひずみになっています。

今回の電力問題を良い機会に日本の行政、産業の分散が進めば、各地方それぞれ特長をもった産業がさらに育ち、地方自治というものが形だけでなく、本質の伴ったものになるのかもしれません。

自分が生まれた町を盛り上げるための役に立ちたいと思う人が地元に残ることができて、安心して永住できる日本になれたら、さらにそれぞれの地方に活気が生まれるのだと思います。

日本の発展が、東京だけの発展であってはならなくて、日本全国が少しずつ良くなって、日本全体が良くなってければ素晴らしいことですね。


弔う

2011-03-30 | 仕事について

家族や親しい人が亡くなった時、悲しみとともに激しい後悔の念に苛まれるのは、きっと私だけではないと思います。

もっと優しくしてあげたらよかったとか、もっといろんなところに連れていってあげたらよかったとか、生前にしてあげようと思ってそのままになっていたことが心残りで仕方ないと思います。

長年一緒に暮らしてきて、そこにいることが当たり前になっていた人の死を弔うことは、そんなふうに罪の意識に苛まれることが多いようです。

そんなふうに家族をなくしてしまった人がたくさんいて、しかも火葬することさえできず、腐敗する亡骸を何とか土葬して送り出しているというニュースを見て、残された人たちの心の内を想い、辛い気持ちになりました。


原発の事故

2011-03-29 | 仕事について

仕事というのは、そのサービスを受けるお客様に喜びや満足感を提供することでお金をいただくものだと認識しています。
そこに嘘やごまかしがあれば長く続けることができません。
商品の作り手、売り手、買い手全員が嬉しくなれることが仕事だと思っています。

私たちは電気を供給してもらって、便利な生活を享受する。
電力会社はそれでお金を得る。
その物の売り買いには笑顔しかないはずなのに、私たちが電気を得た笑顔は原発周辺の住民の方々の犠牲の上に成り立っていると思うと、そこには長くは続けられないものを感じます。

今回の原発事故で明るみになったというか、見えない振りをしていた原発の危険性は想像以上で、広範囲に及ぶ周辺住民の方々への影響は重大です。

放射能汚染は目に見えないもので、政府、電力会社の発表もはっきりしないものなので、世界中が福島原発がどうなるのか分からない状況です。

でも仮にこの日本の大切な国土が放射能で汚染されそうで危険でも、私たちはこの狭い日本で生きていくしかありません。
だからこそ、これ以上国土を汚さないように考え直さないといけないことがたくさんあるような気がします。


故郷の感傷的な風景

2011-03-28 | 仕事について

小高い丘の上や高い建物に登って自分が子供の頃から住んだ町の風景を見ることはとても楽しい、でも少し感傷の伴う情感の時間です。

さすがに大人になってからわざわざ景色を見るためにそういったところに行くことはなくなってしまいましたが、でも例えば通勤の途中、日常の買物の途中などにそういった景色に出会うと心を留めて見てしまいます。

そうやって見た風景はあまり変わらないけれど、でも心の中に残り、何らかの感傷的な気分をしばらく味わわせてくれます。

そんな感傷的になれる自分の町の風景を失ってしまった人の気持ちを想うとかける言葉もありません。

子供の頃から住んだ町から遠く離れて暮していても、故郷は頻繁に帰れなくても帰ろうと思えばいつでも帰ることができると思うだけで心の支えになったり、元気になれる存在の場所です。

それを失った人たちは心の避難場所を失ったことになります。

同じ風景になることはないかもしれませんが、東北の町々がそこを故郷とする人をまた感傷的な気持ちにする風景を取り戻すように、心から願っています。


日本らしさ

2011-03-27 | 仕事について

昨日は森脇直樹さんの聞香会を開催しました。
何度も申し上げていますが、香を聞くというのは頭の中の今まで使っていた部分と違う部分を使っているような感じがします。
脳内の活性化、開拓にも効果がありそうな気がします。
夜は、近くの洋食店ゲンジに行きました。
とても美味しいゲンジのビフカツに目がなくて、しばらく行っていないと必ず行きたいと思ってしまいます。
洋食ゲンジ、皆様もぜひ行ってみてください。

神戸の繁華街の西の端の元町を見ているとあまり実感しませんが、リーマンショック以降、仕事においての世の中の仕組みのようなものが変わり始めたと思っている人が多いようです。
私もそれは肌で感じていて、今まで通用したやり方が上手くいかなかったり、今まで駄目だったことが駄目ではなくなって、仕事において長年の経験というものが通用しなくなるほど世の中の動きが変わっていると聞きます。

非常に厳しい仕事環境の中で、生き残るのは世の中の仕組みが変わってきたと理解する者だけで、その変化を認めないで今までの権益にしがみついている者は生き残ることができないと言われます。

多くの日本の企業が業績悪化して、でも不景気だから仕方ないという諦めムードあったのが震災前の私が感じていた雰囲気でした。

その中で、震災という文字通り日本をひっくり返すようなことが起きて、次にどのような展開を迎えるのか分からない状況です。

このまま日本全体が沈み込んでいくのか、それとも震災のハンディキャップをはね返して見事な復活をとげるのか、世界中が距離を置きながら日本に注目しています。

日本経済復活の要件の一つに日本らしさが挙げられると、私は勝手に思っています。
日本にある多くの企業が、世の中の流れに合わせるのではなく、日本が日本の価値観を表現した物作り、仕事の仕方をしていれば、それに魅力を感じるたくさんの人がこの国を必要としてくれるのではないかと思います。
海外の価値観、流儀に合わせるのではなく、私たち日本国民が自分たちらしさを忘れずに仕事することができれば、必ず復活できると思っています。

小店主が、日本全体のことを申し上げて恐縮ですが、店の活動である日々の仕事もそのような気持ちでしていきたいと思っています。

 


戻ってきた荷物

2011-03-26 | 仕事について

震災の日に仙台に出した荷物が翌日戻ってきました。
お送りするはずだった荷物が戻ってきてしまったことをお客様にメールで連絡していましたが、返事がありませんでした。

1週間ほどして、やっと電気が通ったのか、メールを見て下さったお客様から返事がありました。

やはり家の中は壮絶な状態になっていて、ライフラインがストップして、物がない状態で、物流も完全にストップしているので、また連絡してくださるとのことでした。

2週間経って、新聞で宅急便の集荷、配達が再開されたと読み、お客様からも荷物を送っても大丈夫とのメールをいただきました。

文字で書いてしまうと単なる1週間、2週間という日々、何事もない神戸ではあっという間に過ぎて行く日数ですが、ライフラインが止まってしまった被災地ではとても長く感じられた2週間だったと思います。

ライフラインが復旧しないと日常生活に戻ることができません。
テレビ新聞の情報を見ながら、ライフラインの復旧がご自分の住所地域に来るのを待つ日々はとても長く、まだダメかと落胆の連続だったと思います。

1日も早く、被災地の人たちが日常生活を取り戻せるよう、心から願っています。


万年筆的考え方

2011-03-25 | 仕事について

人と同じように考え、行動しなくてもいいのだということを、私は万年筆から、そしてそのお客様方から教わりました。

皆様直接的な言葉でおっしゃることはありませんが、少しお話させていただいた言葉の中にそのような考え方がお持ちだということが分かり、その考え方は私の心にスッと入ってきました。

そもそも万年筆という、あまり多くの人が顧みないものを道具として使っていること自体人とは違うことで、人と同じようにしたいと思う人は万年筆を使うということにあまりならないのかもしれません。

それまで大多数の人がとる行動、考え方が正しいものだと思っていて、自分を無理矢理そちらの考え方の方に向けていたようなところがありました。
何となく大多数に属していないと心細いような気がしていました。
多くの人がしていることの中に身を置きながら、でもそれは自分のするべきことかどうか分からなかった私にとって、他の違うことをするべきだという考え方は、心の中に持ち続けた違和感をきれいに解決していくれたような気がしました。

仕事の上での話。例えばすごく売れている商品がありますよと、メーカーなどの営業の人がおっしゃってくれたとします。
それまでそれを扱って、売れ筋を追いかけないととても不安でしたし、そうすることが普通だと思っていました。
しかし、売れると言われているものはどこででも売っています。
お客様はどこででも買うことができますので、自店に置かなくてもいいのではないか、それよりも自分の店で価値を見出し、自分の店だけで売れるものを作りたいと考えるようになりました。

皆が追いかけているものが、自分にとって必要なものなのか立ち止まって考えることができるようになったのは、万年筆を使うようになったから、万年筆を使う人たちと出会ったからだと思います。

大きな流れがあると、その流れの方向に流れていかないと不安になると思います。
でも流れの中に身を置いても、立ち止まって自分のするべきことか考えて、逆の方向に向かってもいいのではないかと思ったりします。

 

大学生という若さで、早くも自分の考え、自分のとるべき行動に気が付いて、誰もがしていないことを始めた森脇直樹さんの聞香会を3月26日(土)15時から開催いたします。
大学生の時には、まだまだ私は気付いていなかったので、森脇さんのことは本当に尊敬しています。


大和座狂言事務所 千里中央A&Hホール公演

2011-03-24 | 仕事について

大和座狂言事務所A&Hホールの公演を観て、身の引き締まるような心地よい緊張感を演者の方々から感じ、日常にこんな気持ちで臨みたいと思いました。

狂言は、舞台となる中世の時代の庶民たちの、為政者や武士などの上流階級を笑いものにする反骨精神が生み出した笑いだと、私は解釈しています。
そのメッセージが直接的すぎると刑罰の対象になって、死を招くかもしれないので、神経を使ったギリギリの表現が強烈です。

生死をかけてでも、上流階級の理不尽を笑い飛ばすことで、中世の庶民たちは自分たちの誇りを守ったと思うと、狂言の笑いに美学を感じます。

当時毎日平穏無事に暮らすということが当たり前ではなく、人々は繰り返される日常に感謝して生きていたのではないかと想像しています。
日常を当たり前のものとしていないところに、狂言の緊張感があるのかもしれません。

 

生死をかけるほどではありませんが、店を始めたばかりの時、開店時間前にはかなりの緊張感を持って臨んでいました。

掃除をして、いろんな準備をして、お客様が来られるのを待つ。その日1日誰も来られなくても、次の日また掃除をして、新たな緊張感を持って、今日も特別な1日しようと臨む。

3年半ほどそれを繰り返すうちに緊張感が少しずつ薄れていってしまうのかもしれません。
本当は同じ1日などけっして来ないはずなのに。

でも明日もきっと同じ毎日が来るだろうと、その中に特別な感情が出せなくなってしまう。
それが当たり前の日常なのかもしれません。

突然、日常が訪れなくなってしまった人たちの気持ちを想うと、そんな日常がとても有り難い、愛着を持つべきものだということを思います。
今日陽が沈んでも、明日昇るということが当たり前のことではないというつもりで、日々大切に過ごしていかなければならないと思うとともに、被災地の方々に早く日常が訪れることを心より願っています。

 

 


大人の条件

2011-03-23 | 仕事について

自分だけの幸せだけでなく、まわりにいる自分と関わる人全ての幸せを考えるのが、大人の条件だとある時思うようになりました。

誰でも自分の幸せは考えますが、自分の幸せは他の人の幸せの上に成り立っていると考えられる人が本当の大人ではないかと勝手に考えています。

私もそんなに前のことではありませんが、自分に関わる全ての人に幸せになってもらいたい、幸せにしたいと思うようになり、今から思うとその時やっと大人になることができたのだと思います。

私が子供頃の父親の年に自分がなってしまいましたが、子供の頃に見ていた大人はもっとしっかりしていたように思いますので、昔の大人たちは真から大人だったのでしょう。

日本国民の多くが、被災地の復興を心から願って、皆で幸せになりたいと心から思っています。

たくさんの人が犠牲になって、たくさんの人がとても不自由な生活を強いられています。
本人の幸せは、その人たちの不幸の上に成り立ってはいけない、被災地の人たちの幸わせとともになくてはならない。

一頃、子供っぽいと言われた日本の大人ですが、震災を機に大人の国になろうとしていると、私は信じています。


復興の街で

2011-03-22 | 仕事について

神戸で雨が降ると被災地では雪になっているし、神戸で気温が5℃だと東北地方は零下になっていて、東北の厳しくて長い冬に気をもんでいます。
神戸は何て、緩い自然の中にあるのだろうと、震災後特に思うようになりました。

阪神淡路大震災で落ちたアーケードや、倒れたビルを大型パワーショベルが片付ける土埃が舞う、復興に向けて動き出したばかりの三宮センター街で、私は大切なものを拾いました。

それまで万年筆を使っていなかった私が、ペンドクターと万年筆に何の関心も払わずに横を通り過ぎていたら、私が万年筆と関わりを持つことはもっと後になっていたか、もしかしたら万年筆の仕事に就くことなく生きていたかもしれません。

1日仕事をすると体中埃だらけになって、埃だけでなく、いろんなものを吸い込んでいたかもしれない店の外の仕事場でしたが、自分の人生において、最も大切なもののひとつである万年筆とであったのですから、不思議な気がします。

ひどい状況のところにも宝物は落ちているものだと、今になって思います。