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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

パイロットウルトラ

2008-09-16 | 万年筆
10数年前、初めて復刻されたこのペンを見ました。
まだ20代で、自分には縁のないペンだと思いましたが、良いペンだということはその存在感、良いものが放つオーラで分かりましたが、それほど太くはない、黒いボディの抑えた感じが自分の好みとは違っていました。
完全に市場から姿を消してしまったこともあり、それからずっとそのペンのことを忘れていました。
当店が委託販売を始めて少し経った時、私の目の前に再び姿を現しました。
持ち込まれたウルトラを書かせてもらいましたが、10数年間たくさんのペンを試してきた中でもかなり良い部類に入るペンだということが今頃裏付けられました。
硬いのに柔らかく感じる豊かなインク出、ペン先の厚さからくる落ち着いた滑らかさ。
本当に買う寸前まで心が動き、このペンを使っている自分をイメージまでしましたが、委託販売に持ち込まれたペンを店主自身が自分のものにしてしまったら、この委託品コーナーは育たないと思いましたので、他に欲しいと言われている方がおられたことを幸いに諦めることにしました。
昨日のブログに書いたように、国産旧型万年筆の中でも、プラチナプラチナ、カスタム72、ウルトラはいつまでも追い求めるペンになるような気がしました。
もちろん今のペンの方が快適に使えることでは上かもしれませんが、国産の魅力的な旧型には、安全策では勝負しないという国産メーカーの気概を感じます。
そんな時、開店1周年のお祝いということで、私の元に突然ウルトラがやってきました。
いつも来てくださる、奈良の先生が2本持っているからと言って、1本プレゼントしてくれたのでした。
金額的にも全く釣り合いがとれておらず、お恥ずかしい限りですが、10年前に新品で手に入れたプラチナプラチナ(小)をお渡ししました。
私がこの仕事をしているせいだと思いますが、お互いのペンを交換することは友情の証だと思っていて、私が使っているペンをお渡しすることで、お互いこの日を思い出に残るようにしたいと思いました。

大阪下町風情

2008-09-11 | 万年筆
阪神高速を海老江で降りることもありませんでしたし、此花区の千鳥橋という町に行くのも初めてでした。
淀川に並んで流れる正連寺川のすぐ近くの町で、道が狭く、一方通行が非常に多い、初めて来た人間はまごついてしまいますが、地元の人しか利用しないであろう商店街近くの道はトラックしか走っていませんし、ほとんどの人が自転車で行き来しています。
千鳥橋商店街は小さな商店街でしたが、行き交う人も多く、賑わっていました。
それは私の地元の垂水商店街がいつも賑わっているのと同じような感じで、生活に密着した商店街ならではの活気でした。
商店街の中は昔ながらの定食屋さん、喫茶店、時計屋さん、文房具屋さんなど一通りのお店があり、どの店も古くから営業しているようでした。
最近どの都市にもある、チェーン展開している専門店を集めたショッピングセンターはどこも同じ店が入っていて、その街らしさを感じることはできませんが、このような知らない町の商店街を歩くのはとても楽しいと思っています。
ショッピングセンターのフォーマットや、チェーン店の仕組みは、大きな売上げを上げるということで、それはそれで偉大だと思いますが、個人商店の集まった古い商店街の心が動く風情に勝るものはそう簡単にできるものではありません。
店の作りは古臭く、什器なども新しくはありませんが、味わいがあり、それを理解できる人にはひとつひとつの店が楽しい空間だと思います。
しかし、私たちの世代もそれ以上の世代の人も、どこの街に行ってもある仕組みの出来上がったチェーン店などに安心感を持ち、それに一番の価値があると思っているようなのがとても残念です。
神戸から1時間以内で行ける場所でしたが、知らない所がまだまだあるのだということを再認識しました。

いつもの風景

2008-09-01 | 万年筆
閉店時間前になると、永田さん、谷本さん、松本さんの順番でバラバラと店にいつものメンバーがやってきます。
岐阜に住む永田さんが神戸に来られる時にはいつも同じメンバーが集まり、そのまま夕食に出掛けます。
今日は出発前にお客様のt先生も交えてしばらくおしゃべりをしていましたが、私は谷本さんのアイフォンに釘付けでした。
シンプルなデザインに高機能、パソコンと情報の共有ができ、たくさんのフリーウェアソフトをダウンロードすることができる。
実は新しいものが好きで、仕事にも使えそうなアイフォンは今最も興味のある物のひとつですが、エリアの関係で私にそれを止まらせています。
しばらく賑やかなおしゃべりをしていましたが、今回の夕食の店、ハンター坂のあくつへ向かいました。
あくつは創作おでんの店で、本当はお酒をチビチビやりながら、おでんを味わいながらつつくという楽しみ方をするのでしょうが、おでんメニューの最初から最後までを注文した私たちは、豪華な付き出しを食べた後、1品ずつ運ばれてくるおでんがテーブルに置かれるとすぐに平らげて、味について好き勝手言い合うということを繰り返しました。
あっという間に大人買いおでんメニューを食べ尽くし、お腹いっぱいになりました。
あくつの給仕の女性に見送られ、山手幹線を渡り、定番になっているバー バランザックヘ向かいました。
私は方向音痴なので皆について行くだけですが、東門街と北野坂の間の道はとても複雑で、何回行っても分からなくなります。
その上バランザックは目線より上に小さな看板があるだけのあっさりとした店構えのため、4人とも通り過ぎたことに気付かないほどでした。
バランザックはお酒を飲ませてくれる店で久々に好きになったお店です。
以前、鍵がないと入ることができないという加納町のバー志賀へ連れて行っていただいたことがあり、そこの雰囲気がとても好きでしたが、バランザックは志賀よりも自然体な感じのするお店だと思いました。
出会った頃は1滴もお酒を飲まなかった松本さんでしたが、今ではかなりの酒通になっていて、マスターの太田さんにこだわりのある注文をしていました。
谷本さんと私は、「薄くてシュワッとしたやつ」「それのノンアルコール」といった子供のような注文の仕方でしたが、そんな私達の拙さも太田さんは飲み込んで、とてもおいしいカクテルを作ってくれます。
お客が私たち4人だけになったので、太田さんも交えて話が大いに盛り上がりましたが、松本さんの「もうこんな時間だ。吉宗さん最終何時?」「1時です」「谷本さんは?」「あと5分です」といういつもの会話でお開きとなりました。
上がったり、下がったりする売上げに一喜一憂する、小さな店や会社を運営する私たちですが、相談したり、協力して仕事ができたりする仲間がいることが本当に恵まれていると思っています。

寂れ行く町

2008-08-28 | 万年筆
15年前振りくらいに加古川の町を訪ねました。
特に用事があったわけではなく、近所のサティなどにもとっくに行き飽きてしまいましたので、久しぶりに訪ねてみることにしました。
加古川駅前には、以前そごうがありましたが、今はヤマトヤシキという姫路に拠点を置く百貨店に代わっていて、この店と少し離れたニッケパークタウンが加古川の買物の中心になっているようでした。
ヤマトヤシキとニッケパークタウンの間に寺家町というアーケード付きの商店街がありますが、壊滅状態でした。
15年前に来たときはまだ人の往来があって、店も賑わっていましたが、ほとんどの店のシャッターが降りていて、商店街を行く人がほとんどいませんでした。
私が地方の商店街についていつも憂慮するのは、自分が小さな個人商店主だからだということもありますが、他にも理由があります。
その後、ニッケパークタウンに行きましたが、入っているお店が近所のサティとほとんど同じでした。
それは兵庫県内に限らず、広島でも同じでしたので、日本中いたる所にこんなショッピングセンターがあるのだと思っています。
どこの町でも都会と同じ店を利用することができるのは、地元の人にとっては便利なのかもしれませんし、たくさんの店を出店することができている企業の繁栄もすばらしいと思います。
しかし、10年後のこの町について考えた時、個性的な個人商店が商店街から消えてしまい、都市部と同じ店しかないこの町に人は来てくれるのでしょうか。
規格化されたショッピングセンターが日本中にありますが、10年後この店の全てが今のままの業績を保っているとは思えませんし、規格化は明らかに時代遅れになりつつあります。
商店街にある個人商店の時代が必ずやってきますので、商店街は今の人のライフスタイルに対応し、リニューアルして生き残ってもらいたいと思っています。

旅の風景 京都ー神戸裏道ドライブ

2008-08-25 | 万年筆
行きは高速道路で、帰りは下の道で帰ってくるということを京都へ行ったときはよくしています。
高速道路で行くと2時間弱で行くことができる道のりが、下の道なら3時間以上かかってしまいますが、ドライブの楽しさは比べものになりません。
国道9号線を西へ、桂、亀岡方面へ向かいますが、京都を出るまでに非常に時間がかかります。亀岡に入る直前にやっと快適に車が流れ出しました。
ドライブに音楽は必携で、ドライブミュージックはドライブを楽しむ重要な要素のひとつです。
私の聞きたい曲だけをかけるわけにはいかず、家族3人交代で自分のCDをかける習慣になっています。
私が今回のような田舎道などを走っている時に聞きたいのは、ジャンルで言うとニューミュージック系の物悲しい気持ちになれる曲で、最近では徳永英明などをよく聴きますが、尾崎豊、竹内まりやなどもいいかもしれません。
田舎道を走りながらその土地の暮らしを思うときに、言葉に重きを置いた日本の曲は脳の思いやり深い部分を刺激してくれて、そのドライブにどっぷりと浸ることができるような気がします。
亀岡で9号線を反れて、372号線に入ります。
この道は途中、湯の花温泉などを通る田舎道で、通行量は非常に少なく、沿道には田舎家屋の人家がまばらにある、とても好きな道です。
京都府から兵庫県に入るところにある天引峠を通りますが、今までここが最大にして唯一の山道でしたが、最近トンネルができて、少し近道ができるようになりました。
道が全体的に平坦で、とても走りやすいのも、この道がドライブに向いている理由のひとつです。
篠山を景色を楽しみながら端から端まで走って、176号線に入って南に向かいます。
途中立杭などの近くを通って三田へ向かうその道は福知山線に沿って走る道で、372号線に比べるとさすがに交通量は多く、しばらく走ると三田に入り、都市近郊の家々が見え始めます。
最近すごい勢いで開発が進んでいる藤原台方面へ向きを変えて、しばらくとても賑やかな住宅や郊外型の店が立ち並ぶ通りを走り、すぐに田園地帯に入ります。
淡河(おご)から428号線という国道に入り、山道を走ります。
クネクネと曲がる道で、途中人家など全く見られない場所を通って、箕谷に帰ってきます。
ここから山2つ越えると垂水区に入り、道もいつも走る道に入ります。
高速道路を走ると、どんな車が走っていたとか、渋滞していた程度の心の動きしかありませんが、下の道を走るといろんなことを考え、見ることができます。
そして、帰ってきてから走った道を地図で見返したり、次はこの道を走りたいと思ったりしていますので、そんな楽しみも下の道にはあります。
車での移動は早く目的地に着く以外にも楽しみがあります。

旅の風景

2008-08-22 | 万年筆
栂尾山高山寺へは若王子から周山街道を上がると早く行け、無料ですが、嵐山高雄パークウェイを通ると、通行料金は少々高いですがいくつもの展望スポットがあって、景色を楽しみながら走ることができます。
隠れ里の趣のある嵯峨野の集落、落柿舎の横を通って高雄の山を登る道を上がっていきました。
山の稜線に沿ってクネクネとした道をしばらく走ると嵯峨野の里を見下ろすことができる展望台に着きました。
建物がたくさんあり、密集している洛中方面と比べると嵯峨野はいかにも寂しげな隠棲の地という感じがしました。
車で30分という距離なので、現代ではそんなことはないでしょうが、徒歩で移動していた時は都は遠い所だったのだと思います。
そんな京都の陽と陰をひとつの景色として見ることのできる展望はなかなか心動かされるものでした。
さらに上って行くと保津峡が見下ろせる展望台に着きます。
どこまでも続く山々から吹いてくる風が涼やかで、その景色とともに夏を忘れさせてくれます。
保津川の水面が光り、黒い渓谷の中で唯一動いている部分は渡月橋をくぐり、桂川の大きな流れになって、大山崎で淀川に合流します。
南側に開ける都の風景と北東の都を囲む深い山々。
対照的な風景は、おそらく千数百年の間、文明が開けて人造物が変わっても、ほとんど変わらずにここから見えていたのだと思いました。
栄える都を遠巻きに見る展望の山々を越え、774年に開創された高山寺に着きました。
高山寺は深い谷の中に、おそらく当時は相当寂しい、人気のない、都から遠く離れた所だったと想像できます。
日本で最初に(1200年頃)お茶を栽培した所としても知られていて、この地で作られたお茶を本茶と言って他の土地で作られたお茶と区別したようです。
そんなお茶の産地栂尾山のことは気になっていましたし、高山寺へは子供の頃行っただけでしたので、もう一度行ってみたいと思っていました。
急な山の斜面に建てられていて、こじんまりとしているという印象を受けましたが、歴史の重みと雰囲気が感じられる、幽玄という言葉がしっくりくるような場所でした。

お盆

2008-08-13 | 万年筆
お盆と聞いていつも思い出せる光景があります。
毎年夏休みを過ごした、長野県川上村の母の実家での光景です。
お盆になるとご先祖様が帰ってくるとして、お盆飾りをして、ご馳走を作ったり、果物を供えたりしていました。
裏山ではドンドン火と言って、火を燃やして、子供たちが大きな声でドンドン火を盛り上げました。
それぞれの家の敷地の前では迎え火を焚きます。
家々の前に小さな炎が燃えているのはなかなか田舎らしい幽幻的な風景でした。
家の中では行灯に火を入れて、そのまわりでご飯を食べたり、大人の話を聞いたりしましたが、テレビがなくても全然退屈しませんでしたし、クリスマスと違って、ケーキもプレゼントもありませんでしたが、子供なりにお盆という、日本らしい行事を楽しんでいたのだと思います。
お盆の子供の頃の思い出として、思い出されるのは迎え火、送り火の藁の焼ける匂いと暗闇の中にポツポツと燃える炎、そして心で感じた静かな夜でした。

大人の磨く楽しみ

2008-08-11 | 万年筆
ペンは文字を書くものであり、万年筆はそれを楽しむことができる唯一の道具だと思って、書くことばかりに気を取られていて、他の楽しみを知りませんでした。
万年筆に見て楽しむことや所有する楽しみがあることは理解していましたが、書くこと以外に自分が楽しみを見出すとは思ってみませんでした。

万年筆を磨く楽しみを最近知りました。
プラチナブライヤー、カステルエボニー、楔パトリオットブライヤーなど気がつくと自分のペンケースの中に木軸のペンがいくつも入っていて、それらは自分の手の油で何年もかけて光沢や艶を出が出るくらいに思っていましたので、特に手入れなどはしていませんでした。
でも何人かのお客様が佐々木商店のつやふきんや椿油などで木軸のペンを磨いてピカピカに仕上げていることを知り、私もやってみました。
銀座の佐々木商店からつやふきんを取り寄せて、それでブライヤーの万年筆を磨き出しました。
つやふきんは説明書にありましたが、カメ虫科の昆虫が分泌するイボタロウが含まれていて、木製品はもちろん、エボナイト、金属などの艶出しにも威力を発揮するとのこと。
オイルなどと違って、すぐにはピカピカにはなりませんが表面に透明感が出て、木目が際立つといった表現がピッタリくるような効果があります。
ぼんやりしていたブライヤー万年筆の木目がとてもはっきりとしてきました。
辛抱強く磨かないとその効果が出ませんが、その木本来の美しさを引き出してくれるようでした。
ブライヤー以外のペンもつやふきんで磨きたくなって、いろいろ試してみました。
その中でも黒柿が特に変わったように思いました。
さすが神秘の素材、磨くことで、その素材の味わいの深さに感心しました。
昔から茶道具などで手に触れるものに使われてきたものだけに、手を入れるとツヤが出て、美しくなっていくことを古人は知っていたのでしょう。
本当に暇があったらいつまでも研いていたい気持ちになります。
その過程、手間を楽しむ。木を磨くのは大人の楽しみなのかと思います。

クルマ

2008-08-08 | 万年筆
18歳で免許をとって、25万円の古いミニカを買ってから、時間があるとお金がなくてもいろんなところに行きました。
車は冒険の道具だという考えはそのミニカで身についたのだと思います。
ミニカを事故で失った後、真の冒険の道具ジムニーをローンでしたが新車で手に入れました。
軽自動車ですが立派なオフロード4WDでどんな道も走ることができます。何よりもその車はきれいにしておく必要がなく、洗車に追われることがなかったのが特に気に入っていました。
その頃のジムニーはオフロード専用に全てが設計されていて、ギア比に大変癖があり、1速目が異常に小さく、すぐにタコメーターを振り切ってしまいますし、ターボの効きが突発的で、急に加速しますので、慣れないうちは何度も前の車に追突しそうになりました。
でもそんなじゃじゃ馬もしばらく乗っていると何とか乗りこなせるようになりました。
オフロード4WDなので、四駆にセットして走りたいと思ったので、地図で林道を探して走るようになりました。
兵庫や京都の北部に行けば、国道から1本入れば未舗装の林道がいくらでもありました。
林道はたいてい木々が生い茂った緩やかな登り坂から始まり、そのあたりでは木を伐採していたりしていて、人の気配もありましたし、小さな集落があるところもあります。
さらに道を進んで行くと、傾斜がきつくなりカーブも急になります。
山も荒れていて、林業が営まれていなさそうなところになります。
たまにきのこ採りや魚釣りに来ている人の車がすれ違いのために広く空けられた所に停まっているくらいで、人に合うことはなくなります。
さらに登ると木や植物が少なくなり、赤土の山肌が見えるようになり、轍のようなところに、水の流れた跡ができて、大変走りにくくなり、踏み外すと横転したり、亀の子になって、走れなくなる危険性が出てきますので、手に汗を握りながらハンドルを小刻みに切りながら、小さな1速に入れたままゆっくりと進みますが、そんな緊張感がとても好きでした。
そんな道はたいてい尾根づたいになっていますので、見晴らしがよく、車を停めて、どこまでも続く山々をいつまでも見ていたりしました。
たまに土砂崩れで、道が塞がれていたり、なくなっていたりして、何百メートルもバックのまま戻ったりしたことが何度もありましたが、そんな道を通って、峠を越えて、どこかの村に抜けられた時の興奮を一度味わうと忘れられなくなります。
そんな冒険で、新車のジムニーはすぐに傷だらけになりましたが、ジムニーもそんな道もますます好きになり、地図でそんな道を見つけると、夜中のバイトまでの時間に林道を走って帰ってくるという生活を1年半くらい続けていました。
そんなフリーター生活の後、就職して林道の冒険をすることがなくなり、結婚して子供が生まれると乗り心地の悪さと座面の高さ、室内の狭さからジムニーを手放して、もっと簡単な車に代えなければいけなくなりましたが、ジムニーは私の冒険心を満足させてくれた唯一のクルマとして、今も心に残っています。

旅の風景4

2008-08-03 | 万年筆
宮島で定番の観光をした後、広島市内を通り過ぎて呉方面に向かいました。
呉道路に入った途端道は海の上を通ります。
高い所は好きですが、それが水の上になると急に足がすくんでしまう性質で、運転しながら固まってしまいましたが、広島湾に浮かぶ島々、マツダの広大な敷地などが見え、なかなか見応えのある景色の道です。
この道はペン先調整の特訓を師匠から受けていた時に、師匠が飛ばす車で通ったことがありました。
片側1車線ですが、空いているとても走りやすい道です。
万年筆工場おある天応西を通り過ぎて、長いトンネルを抜けると呉の街に出ます。天応から呉まで海岸線に沿った呉線に乗ると15分から20分くらいかかってしまいますので、このあたりではやはり車が便利です。
呉は非常にコンパクトにまとまった歩きやすい街で、港に集中した観光スポットと少し山側にある飲み屋街までそれほど時間はかかりません。
師匠に連れていかれたラーメン屋さんの横を通って、広の町を目指しました。
目的地は広にあるカントリー雑貨のお店です。
妻の趣味で、今回の旅行はこのカントリーショップ訪問が最大の目的でしたが、私は知らない下道を走ることができるので喜んでいました。
広の町にあるカントリーショップは国道375号線に入ってすぐに見つかり、1時間ほど滞在しました。
375号線を北上して、ホテルのある東広島駅前に向かいました。
車を走らせると小さな広の町はすぐに寂しくなり、田園地帯に入りました。
それほど自然の深くなく、適度に開けた町の人たちの生活を感じることのできる道でした。
田舎の国道によくある打ち捨てられたドライブインなどもありました。
黒瀬町を過ぎたあたりから、急に大学などいくつかの学校が現れはじめます。
大企業の工場や研究施設、工業団地、国立大学がこの東広島市に集まってきているようで、新幹線の東広島駅もそのような人たちに利用していただきたいという願いがあるのだと思います。
どこにでもある普通の道を楽しみながら走りました。