元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

ニコンの古いレンズ

2015-01-27 | モノについて

私にとってカメラは趣味まで行かない、おもちゃのようなもので自分の解釈でとても楽しんでいます。
カメラでは無邪気に、バカになれると思っています。

正月休み最終日に南京町にある、とてもマニアックなカメラ店を訪れニコンのレンズを手に入れました。

使っているカメラ、マウントアダプターを持って行って、これが使えて、付けると姿が可愛くなるものという、とてもいい加減な要望を伝えました。

私もいつもそうありたいと思うけれど、すぐに私の気持ちを汲み取ってくれて、楽しみたいということでしたら、こういうものはどうですか?といろいろ見せてくれました。

専門的な、真面目な講釈はいらないというふうにすぐに理解してくれたのが、助かりました。

ニコンのスクリューマウントのとても古いレンズで、全く分からないけれど、50年代か60年代のものではないかと思います。5㎝f2.0で書いてあるけれど、開放以外ではとてもくらくなってしまいますので、いつも開放で使っています。

私のカメラでは100㎜のちょっとした望遠のようになってしまうけれど、使っているうちに、S等さんにちょっと教えていただいて、何となくボヤッと分かってきました。

でも、お客様の中にはすごい人がいて、Iさんの写真を見ていると、レンズのサイズ、カメラの性能など関係なく、どこにでもある日常の中に面白い風景を見つけて、絶妙なフレーミングをすることが大事だと教えられました。

どんな写真を撮りたいかとか、何を撮るかということはこれから見つけたいと思っていて、まず何か欲しいと手に入れたレンズでした。

Iさんのとても古い戦前のツアイスイコン。フィルムが大きく、1回装填して7枚しか撮れないとのことよく考えてから、ゆっくり撮るカメラ。


仕事のバランス

2015-01-25 | 仕事について

たしかに飢えの心配は仕事の原動力になると思います。

休んでいたら自分や、家族が路頭に迷うという恐れは常にあって、そうならないために、ない知恵を絞って常に何か行動を起こそうと、止まらないようにしようとしているところが私にはあります。

きっと生活の心配がなければもっと腰は重く、動きは鈍かったけれど、ただ日々を過ごしていると、業績は下降線を描き出すことも分かる。

でも生活のために収入は必要ですが、ひたすら辛いことを耐え忍んでしているわけではなく、好きで楽しみながらしている仕事でもあります。

生きていくためにしている仕事が、好きで楽しみながらできるものだというのは、とても恵まれている幸せなことだと思います。

好きなことをインターネットなどに書いて、店に居るとお客様が何か買ってあげようと来てくれたり、インターネットを通じて買い物をしてくれる。

お店なら当然のことですが、これがとても幸せなことなのだということを、40代後半に差し掛かるといろいろ理解できてきます。

そして仕事にとって、とても大切だと思っていることが、自分の仕事で世の中を良くするという公共性のようなものです。

どんな仕事でも、世の中の役に立っていて、行きつくのは世の中を良くすることにつながると思いますが、仕事をしている人が自分の仕事が世の中を良くするための役に立つと自覚しているかどうかということが大切なのかな、と思っています。

私たちの仕事は生活への心配と好きなこと、やりたいことそして、世の中の役に立つということのバランスをとっているから共感を得られて、続いていけるのかもしれません。

お金が十分にあって、ただ道楽のため、自分の楽しみのためだけにしている仕事は、きっと魅力がなくて、きっとつまらなく感じられる。

誰もが余裕のない中で理想を掲げ、夢を持ってする仕事に人間の理性のようなものが感じられる、当店はまだまだその境地に達していませんが、美しささえ感じさせるのだと思います。


物欲

2015-01-20 | 実生活

欲がなくて、霞を食べて生きているように見えるかもしれませんが、私の中には色々な欲が渦巻いている。

欲というと人間の弱い部分、あまり良くないもののように思いがちですが、行動の原動力になっているし、元気の源だと思っています。

今まで大した病気もせず、精神的に落ち込むこともなく、一定のモチベーションを保って20数年間仕事してくることができたのは、様々なことに恵まれていたこともありますが、欲が自分を支えてくれたからだと思っています。

元気の源になるのは、物欲だと思っています。
欲しいものがあると、それについて考えるし、いろいろ調べたりする。
雑誌を見たり、ネットでいろいろ検索したりしていると時間はあっという間に経ってしまうけれど、こうしていることによって、頑張ってお金を貯めようとか、頑張って仕事しようとかと思えて、仕事のモチベーションにもつながります。

欲しい気持ちが強くて、頑張って手に入れたものは、手に入れてからも元気の源になってくれます。

いいペンを手に入れたらもっと文字を書きたいと思うし、もっと仕事しようと思う。

いい靴を手に入れたら、それに見合った態度でいたいと思うし、アッパーを傷つけないように身のこなしも慎重になるし、天気にも気を付けて、傘も忘れなくなる。

いいペンは仕事を楽しくしてくれて、いい靴は人を大人にしてくれるような気がします。

服も、毎日を張り合いのあるものにしてくれるものだと思います。

シャツ、セーター、コート、パンツ、靴下まで、気に入っているものをいつも身に着けていると、今日も一日しっかりしていたいと思う。堂々としていられるのは、店の掃除をちゃんとできているかということに似ていなくもないと思っています。

女性はバリエーションに富んだものをいろいろ持ちたいと思う人が多いようですが、私は気に入ったものをそればかり持っていたいと思います。

さすがに靴は同じものを何足も持っていられないし、季節によって良いと思うものが違うので、そういうわけにはいかないけれど、シャツ、靴下は1週間同じもので回せるようにしたいと思っています。

物についてとりとめなく書いているけれど、とにかく色々なものが欲しくて、いつも何かについて調べたり、考えたりしています。

でも、物欲に限らず、我慢することも大切で、我慢が長ければそれだけ報われる成果も大きくなるので、お金をためている時間も楽しめるようにしたいといつも思っていますし、小さな衝動買いはなるべくしないようにしたいと思っています。


愛着のある日常

2015-01-18 | 実生活

ライティング・ラボとして発売していますオリジナルの革製品は、ほとんどのものがその素材の特長を生かした作りになっていますので、その種類の革でないと作ることができません。

そういった革は、どこででも手に入るわけではなく、限られたルートでしか仕入れることができないことがほとんどです。

ライティング・ラボのオリジナル商品がいくつか完売してしまっているので、革を仕入れるために、そして一部製作をお願いするために天王寺方面にある革問屋さんを訪ねました。

サマーオイルはぶ厚く、手触りが良く、艶やかでとても魅力的な生命力に溢れた革です。私はこの革が大好きで、すべての商品をこれで作りたいと思っているくらいここでしか手に入れることができない革。

しかし、個体差が非常にある革でもありますので、実際に革1枚1枚を見て選ぶ必要もありますので、どうしても訪れたいと思っていました。

いつもより早い6時半に家を出て、真っ暗の中バス停に向かう。前の日から寝過ごさないように何か落ち着かなかったりして。

それでも休日をつぶすことなく、開店時間までに用事を済ますことができる、早くから開いている取引先の存在はとても有り難い。

いつもの仕事の前に用事をひとつこなすことができたので、とても得をした1日でもありましたが、いつもと違う一日を過ごすことで、いつもの一日、日常に愛着を持っていたのだということに気付きます。

普段同じ時間に起きて、同じ時間に店に出て、ほぼ同じ時間に家に帰る。

この普通の毎日への愛着は齢をとるごとに強くなっているのかもしれません。

理不尽にも、こういった日常を奪ってしまうもののひとつが震災などの災害で、20年前に日常の有り難さと、それが失われたことの悲しい想いをしたけれど、亡くなってしまったり、大変な想いをした方が大勢おられたので、ライフラインは止まっていても私たちはまだ恵まれていた方でした。

生後1か月の息子を抱えていたのでしばらくの間、火や水を求めて親戚の家などを転々としていましたが、日常を待ち焦がれていたためか一日一日がとても長く感じられました。

今もし、同じような地震が来たら、きっと万年筆を売っているどころではなくなって、その途端に今の生活は立ち行かなくなるだろう。

何をしてでも家族を養うつもりで覚悟はしているけれど、何かの理由で今の生活を奪われるのが一番怖い。震災当時、体力のある会社という組織に守られていたので、その恐怖は感じませんでした。

でも当時、今の私と同じ立場の人も大勢いて、大変な想いをしたと思うけれど20年で日常を取り返した人たちは、本当にすごいと思います。

ゼロからどころかマイナスからのスタートでも盛り返す気概が神戸に人たちにはあって、どちらかというとおっとりとしている言われる神戸人の気質だけど、しなやかな強さを持っている人が多いのかもしれません。

自分にもそれが備わっていたらいいなと思うけれど。


成人の日に

2015-01-13 | 実生活

息子が昨年12月で二十歳になりましたので成人式に行っていたようでした。

私は着て行く服も持っていなかったし、中学、高校時代の友人たちに会うのがわずらわしいと思っていた頃でしたので、アルバイト先の書店の新年会と重なったことをいいことに行かなかった。

でも、その齢にしか行くことができないものなので、行っておけばよかったのかもしれないと、今の自分なら思うけれど。

成人式に参加した息子は、彼女と一緒に帰ってきて、妻に会ってからまた二人で出かけて行ったという。

週末や祝祭日が仕事であるサービス業のつまらなさは、こういう家族の面白そうな場面に立ち会うことができないということだと前々から思っていますが、またしても悔しい想いをしたのでした。

聞香会をしてくれている(今月はお休みです)森脇直樹さんも息子と同じくらいの齢で、その象徴的な存在だと思うけれど、以前から当店は万年筆店の中では若い人が比較的来てくれる店だと思っています。

他の店の状況はあまり分からずに言うのも何ですが、確かに百貨店や文具店の万年筆売り場のガラスケースのあるコーナーは敷居が高そうに見えるし、威圧的に感じられますので、お客様の気持ちはすごくよく分かります。

当店も入りにくそうだと言われることがあって、ある意味遠ざけているのかもしれないけれど、頑張って入ってくれた人の居心地が良ければいいと、割り切っているところがあります。

いずれにしても、それに気付いているかどうかはとても大きな違いだと思っています。

店の設えでも、自分の態度、立ち居振る舞いでも、なるべく飾っていないように見えるようにしたいと思っています。

店の内装に関してはまだまだやるべきことはあって、先日やっと快適装備としてガスファンヒーターを導入しました。

今まで部屋の高いところしか暖かくならないエアコンで冬を凌いできたと思うと、7年間よくやってきたと思うけれど、こういった7年前に始めた時のまま何も手を付けていないところがいろいろあります。

もちろん良いところは残したらいいけれど、そうでないところは変えていかないといけないと思っています。

話を戻すと、若い時には自分が選んだ仕事が家族のハイライトになかなか立ち会うことができない宿命にあるということに気付いていなかったけれど、その仕事は他の人に勧められたものではなく、自分で選んでやってきたものなので後悔はないし、もし他の仕事をしていたらどうなっていたのだろうと、思うこともありません。

成人しても、まだまだ親の細いスネをかじっている状態は変わらないけれど、自分で決断することで、それに責任を持つこと。

責任と言うと大げさに聞こえるかもしれないけれど、誰のせいにもしないということが、大人の自覚だと思っている。

そんなことをわざわざ言わなくても、息子も、当店に来られる若い人たちもとっくに分かっていると思うけれど。


家族

2015-01-11 | 実生活

妹が発った。

タイから帰国して、年末年始を2週間ばかり実家で過ごしていましたが、時間はあっという間に過ぎてしまい、帰える日となりました。

あまり時間が取れず、どこかに一緒に行くこともできなかった。

早い時間の飛行機だったので、朝起きてすぐに表に見送りに出て、「気を付けて」と言っただけだったけれど、やはり寂しいような気持ちになります。

タイでは友達もたくさんいて、旅行にもよく出掛けていて、それなりに楽しそうに暮らしているようだけど、何でタイにいかなければならなかったのか考えると、それが自分の責任のような後ろめたさを感じます。

もちろん妹は自分で望んでそこに行き、そこで自分の居場所を見つけて毎日暮らしていて、日本にそのまま居たとしても、タイでの張り合いのある生活が得られたとは思えないけれど、日本にいて普通に暮らすことはできなかったのだろうか、その手伝いを自分はできたのではないだろうかと考えます。

グーグルのストリートビューで住んでいるアパートや通りの風景、職場のある高層ビルなどを見ると、改めて真冬の日本とは全く違う、南の国の大都会の喧騒の中で生きているのだと、遠い私の行ったことのない街の片隅で生活しているのだと、何か胸が痛くなるような感覚に囚われます。

タイは、特にバンコクは日本人も多く、海外の中でも住みやすいところだと聞いているけれど、やはり日本とは違うはず。そこに生きていかなければならないことを何となく不憫に思っているのかもしれません。

でも妹から見ると、育った神戸から一歩も出ずに、ずっと自分のテリトリーの中で生きている私の生き方の方が、臆病で窮屈に感じられて、気の毒に思えるのかもしれません。
そうだったらいいけれど。

父や母、妹、そして妻や息子などの家族を想うとき、いつも後ろめたいような気持ちになってしまうようになったのは、そしてその感覚を知ったのは、母が亡くなってからでした。

理想の息子になれなかったという母に対する罪悪感と、もっと面倒を見てあげることができたのではないかという気持ちを初めて覚えたのでした。

誰もがそういうものなのかもしれないけれど、その感情は齢を負ごとに強くなっていて、それを取り返そうとしているようなところがあります。


年末年始の休暇

2015-01-06 | 仕事について

あけましておめでとうございます。
昨日から当店も営業しています。今年もよろしくお願いいたします。

年末年始の休暇を例年通り1週間とりました。普段連休はありませんので、休みに入る前は1週間の休みはとても長く感じて、あれもしよう、これもしようといろいろ考えて、仕事の装備などを家に持って帰っていましたが、ほとんどできず、あっという間に1週間が過ぎてしまいました。

毎年大晦日から元旦にかけて京都で過ごしていましたが、今年は奈良に行きました。
料金が高いことに我慢できなくなったことと、何となく気ぜわしいままに過ごして、疲れて帰ってきていることにやっと気付いたからでした。

京都に比べると奈良での宿泊代の方がかなり安く、今年は31日と1日の2泊することにしましたので、時間にも余裕がありました。

大晦日なので、駅前や三条通、ならまちなどは開けているお店は少なかったけれど、ブラブラ歩いていても楽しく、奈良公園、東大寺などで幸せそうな人たちや鹿を見ていると見飽きず、とてものんびりといい気分で歩くことができました。

奈良の良いところは、人が京都ほど多くないのと、歩いて多くの場所を回ることができるところなのかもしれません。

泊まったホテルはレトロで雰囲気のたっぷりで、居るだけで楽しめましたし、町中にありましたので、移動も便利でした。

奈良はそこここにサマになる景色があって、写真を撮り歩くのにもいいと思いました。

とても暖かかった大晦日に対して、元旦は強力な寒気のせいで、風が痛いと思えるほどの寒さでしたが、ホテルから春日大社に向かって歩いているうちに体が温まってきました。

比較的早めの時間でしたので、人が少なく歩きやすく、お参りしやすかった。
春日大社は山の中腹にある、自然の中にある趣の神社でした。

春日大社から若草山、二月堂、三月堂、東大寺とお決まりのコースを歩いてきましたが、二月堂から奈良の町を見渡す眺めは時間を忘れてしまいました。

早めにホテルに戻って、部屋やラウンジでゆっくりしていましたが、夕方から雪が降り始めました。
ホテルの庭も真っ白になり、その中に2頭の鹿が迷い込んできたりして、奈良らしい雪景色を見ることができました。

2日は雪化粧が美しかった宇治平等院と、セールで大勢の人が行き来する京都の街に出ました。
昨年も思いましたが、来年もこんな年末年始をすごすことができるようにしたいと思いました。