元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

良い万年筆とは

2015-06-30 | 仕事について

私たちが身に着けるものは全てファッションで、それによって他人からどう見られたいかを表す。もちろん自分の気分が良いという自分への作用もあるけれど。

中にはそういうことに無頓着で、どう見られようと気にしない人もいて、そういう人の心の強さが羨ましく思うけれど、自分には難しいと思う。

見栄え良く見られたいというのがファッションの根底にあるものだと思いますが、見栄えが良いというのはひとつの強みだと言えなくもないので、それにこだわることは人間の防衛本能なのかもしれません。

ファッションは他人から良いように見られたいという目的の他に、自分はこういう生き方をしている、あるいは目指しているといった精神性も表していると思います。

なかなか難しいけれど、私くらいの40才代後半になってくると、他人から良いように見られたいという以上に、こういう生き方をしている、あるいは目指しているという精神を表すものを身に着けたいと思ってきます。

それは本当に難しいことだけど、服装も自分の精神的支えとか、心の拠り所として考えるようになってくるのだと思います。

自分の精神性、考え方を表すものとして、ペンは服装以上にそれを物語ってくれるものだと思っています。

ペンの良し悪しによって、その人が書くことを大切にしている人なのかどうかということが伝わるし、万年筆はさらにそれを強烈に物語ると思っています。

さらにちょっとペンに詳しい人(全人口のどのくらいの割合存在するのか分からないけれど、日本に130000人くらいか?もうちょといるかな?)が見た時にこの人はすごいと思わせるペンを持っているかどうかは、勝負は斬り合う前からほぼ決まっている武士の心境にさえ近いのではないか。

そういう話をすると万年筆は実用の道具ではなく、装飾品、アクセサリーではないかと言われる方もおられるかもしれませんが、私はそれを否定したことはなくて、気持ち良く書くことは当たり前に備えていて、その上にその人の生き方を表す力があるものが、良い万年筆のひとつの条件だと思っています。

 


ご予約承るようにします

2015-06-23 | お店からのお知らせ

店では来店されたお客様の万年筆のペン先を対面で調整していて、話ながらしようとはしていますが、気が付いたらルーペの中に集中してしまっていて、前にお客様がいることを忘れてしまうこともあります。

慣れているお客様は、私の前に座ったまま本を読んだり、店の中を好きにみたりして時間を過ごしておられますが、それが理想的だと思います。

1本の万年筆の調整にかかる時間は15分くらいが目安で、それよりも長いことも短いこともありますが、字幅変更や長刀研ぎ化など特殊なものはもっとかかります。

以前は、来店順にお客様の応対(調整や販売など)をしていましたが、ご予約も承ることにしました。

皆様お忙しく、仕事や交通機関の時間などもあると思いますので、予約ができると予定が立てやすくなると思います。

電話(078-360-1933やメール(penandmessage@goo.jp)でお伝えいただきましたら、空けておくようにいたします。

 

小さなルーペで数㎜以内のペンポイントの様子を見ながら理想の形にしていく。

指先どころか、服や顔のどこかにインクの点がついている。

よく行くお店の人は私が何の仕事をしているか想像がつかないっほど一般的ではない、そして地味な仕事だと思います。

そういうことも今まで考えることもないくらい、私は自然に今の仕事に入って行きました。

自分で言うのも何だけど、ペン先調整の素質は元々あって、この作業が楽しくて仕方なかったし、技術の習得をするのに苦労したという想いはありませんでした。

もちろん練習はたくさんしたけれど、それも楽しく、時間の制約がなければ一日中でもしていられました。

ルーペの中に見えるペンポイントの形を自分の頭の中にあるたくさんの理想的な形のひとつに近づけていく。

シンプルに言うと、書きにくいペン先を書きやすくすることが、ペン先調整の全てです。

ペン先の調整は、いかにたくさんの理想的な形を覚えているかという引き出しの多さと、何となく気付く勘のようなものが大切で、全てに近いと思います。

お客様の要望を聞きだし、理想やご希望とペン先との折り合いをつけて、歩み寄っていっただくようにする。

それらすべてをひっくるめたペン先調整という仕事が今も楽しくて仕方ないのです。

私の楽しみと、唯一できることが皆様のお役に立てることだったということが、自然にこの仕事に入っていくことができた理由だったと思っています。

 


梅雨を楽しむ

2015-06-21 | 実生活


ル・ボナーディプロマトートに入った傘。靴パラブーツウイリアム。

 

降ると言われながら降らなかったり、九州と関東などでは降ると極端にたくさん降ったりして、日本列島は梅雨前線の真下にあると実感します。

神戸も梅雨でうっとおしい天気が続いているけれど、極端な降水や気温の高低がない穏やかな気候の土地なので、他所よりはすごし易く恵まれている。

それでも梅雨は毎年やってくるので何とか雨天を楽しめるようにしたいとずっと思っています。

店に入ってしまえば1日中濡れることのない、とても幸せな環境で仕事させてもらっているけれど、バス、電車通勤なので必ず外を歩くことになっていて、革靴は特に気を使います。

雨の日に履けないオールデンのコードバンを買ってから、日本は何て雨が多いのだろうと実感している。
ちゃんと手入れすればいいのかもしれませんが、やはり抵抗があって、革底だったイル・クワドリフォリオの靴も久内さんにゴツゴツしたゴム底のビブラムソールに換えてもらって、天気を気にせず履くことができるようになったのと、趣が変わったと喜んでいる。

雨の日をなるべく楽しむのは、それ用の装備を備えるしかなく、傘は気に入ったものを持ちたいと思って、透明のビニール傘を持たなくなりました。

長い傘もありますが、朝雨が降っていないけれど帰りには絶対降っているだろうと思われる時に長い傘は持ちにくく、コンパクトな折り畳み傘は非常用だと思っているので、中間のサイズの傘を大変重宝している。

一日結局使わなくて持ち歩いただけだったとしても、鞄から出る柄が愛らしいと思っている。
3年ほど前に買ったものだけど、傘を持って出ることが苦にならなくなりました。

 


当店のスター

2015-06-16 | 万年筆

当店に来られる方ならご存知の方も多いIW田様(男性)。
工房楔のスネークウッドのコンプロットといい、ル・ボナーのシャークの3本差しペンケースといい、その時しか買えないものをご自分の美意識に合えば逃さず手に入れている。
コンプロットの中に入っているこしらえの万年筆は、左から黒柿、ローズこぶ杢、花梨紅白。
この方のすごいところは、万年筆だけでなく持ち物全て、お家にあるものや車、バイクまで全てに美意識が貫かれているところ。

 

万年筆は日本中、世界中の人皆が使うものではなくなってしまったからこそ、より特別な、ただの筆記具以上の深いものになっていて、それは道と言ってもいいのではないだろうか。

もう少し使うべき人が使って、万年筆を使う人が増えればいいとは思い、それに対して努力をしていきたいと思っていますが、気付いた人は使っていて、そうでない人は使っていないし、理解できないという、今の万年筆の存在加減がちょうど良いのではないかと思っています。

その道に迷い込むきっかけはそれほど重大なものではなく、ただ何となく使ってみたかったというような他愛もないことだったかもしれないけれど、万年筆を使い出して、少しずつその道に入ってみると、それが全ての価値観を変えてしまったという人もいるのではないでしょうか。

私は万年筆のある生活とないものとでは全く違うと思っています。

万年筆で書くことはただ筆記具として選んだ(最初はそうだったかもしれないけれど)以上の何か、生き方のように思っていて、それを大袈裟だと言う人もいれば、大いに賛同してくれる人もいるかもしれない。

万年筆を使い始めてこの道に入ると、曖昧なことや思い通りにならないことを許す心と、強いこだわりを同時に持つようになると、自分の経験から思っています。

数値では表すことができない線の太さやインクの濃さ、書き味など、様々なことが非常に感覚的で曖昧で、何かを立てようとすると何かを譲らなければいけなくなる世のことわりのようなことも万年筆から教えられる。

持ち歩くもの、机に置くもの、身に着けるものへとこだわりが広がって行く中心には万年筆があって、この深まりながらも広がっていくのは、万年筆の特長で、私が茶道や香道などと同じような道と言っている理由です。

当店で「手帳のある風景」という写真冊子を発売していて、その中心には当然万年筆があるお一人ずつの写真を見ていて、その考えが裏付けられました。

お客様が強いこだわりを持って使っておられる万年筆や手帳を皆様にも見ていただきたいと思って、当店に来られるお客様のものを「Pen and message.のスター」としてご紹介したいと思い、これからも細々と続けていきたいと思っています。

 


組み合わせ

2015-06-14 | 万年筆

店がヒマになるとガラスケースの中の陳列の場所替えを狂ったように、大掛かりに始めることがあります。

不定期だけど、ずっと以前から同僚たちの都合も考えずにその時の店の雰囲気を見て、今だと思ったら一気に入れ替える。

陳列の入替えはやらなければいけないというものではなく、何か欲求に近い感覚ですが、お店だったらやはりやらなければいけないものです。

それまで頭の中で、これの横にこれを置いて、というふうに色々イメージしていて、実際にやってみておかしければ変更したりしています。

私の若い頃のトレンドは色別のディスプレイで、最近はシーン別の陳列とかディスプレイがトレンドのようで、そういう陳列、ディスプレイの仕方を他のお店でよく目にしますが、万年筆の場合そのモノの雰囲気がどうしても合わないものというのがあって、例えるとファーバーカステルの横にアウロラは合わないとかといったことです。

こういうふうに考えると、万年筆の陳列はどうしてもメーカー別、国別になってしまいます。

古くから万年筆店はそうやって陳列してきて、面白味がないと感じるかもしれませんが、私はこの自然な組み合わせのような感覚を大切にしたいと思っています。

それは個人の持つものでも同じで、その万年筆にそのペンケースは合わないというのは必ずあって、その感覚はなかなか伝えられるものではないけれど、一言で言うならば 「趣を揃える」という感覚です。

色とか、素材が同じであればそうそう間違いではないけれど、その他にも合うものはもちろんありますので、私はいろいろ合わせて遊んでいる。

服装でも、ハズシのような突拍子もないものの組み合わせは、女性の場合は許されるけれど、男性の場合余程の力のある服でない限り残念な結果になります。

それは服以外のモノの組み合わせでも同じで、ペンケースの革の色、あるいは木の色とペンの色を相性の良い色にするとか、ペン同士の組み合わせを考えてみるということで、誰もそんなところは見ていないかもしれないけれど、そんな楽しみ、嗜みのようなものも万年筆にはあると思っています。

 


定着させるために書く

2015-06-09 | 実生活

万年筆で書くということをあれこれ言いながら、実は書くことについて考える時間が一番大切だと思っています。

このブログや、ホームページの「ペン語り」は定期的に必ず書かなければいけないので、書きたいと思うものがなくても何か書く。

何もなくて、何を書こうか考えている時間はとても苦しい、負けると分かっていても戦いに挑まざるを得ない将校のような気分でいて、何を書いてもつまらないものになるようにしか思えない。

でも書きたいと思うものがある時の考える時間は、とても楽しく、どうやって自分なりの切り口を持って書こうかとか、いろいろその作戦について考えることができます。

書くことでお金をいただいているわけではないけれど、この書くことも仕事の一部だと胸を張って言うし、ずっとそうしたいと思っていた。

そのクオリティに関してはとても胸を張れたものではないことも分かっているけれど、思っていることを素直に書けばいいと考えるようになって、自分の書いたものの文章力の稚拙さがあまり気にならなくなってきたのは、良いことなのか、悪いことなのか分からないけれど。

ブログやホームページ以外にも、これは書き残しておきたいと思った出来事があった時は、不定期のきまぐれ日記のような感じで書き残している。

嫌なことやウジウジ考えていることは書かずに、風呂に入ってお湯で流すようにしています。

それは考えれば考えるほど粘度が高くなって、お湯で流れなくなって、考えが詰まる原因になるので、その日のうちに流しておいた方がいいと思っています。

ウジウジを書いてしまうとその気持ちが確定してしまうような気がします。
書かなければお湯に流すことができるけれど。

自分の手帳に書くことは、その想いや考えを定着させるために書くあるいは書きたいと思うのだと思い当たりました。

このブログやペン語りなどを読んで下さっている人たちがいることはとても有り難くて、読んで良かったと思ってもらえるようなものを書きたいけれど、それを狙うと思った通りのことを書くことができなくなると思い、それも考えないことにしている。
申し訳ないけれど。


仕事や勉強を楽しむために

2015-06-07 | 実生活

私は主に、毎日を楽しんでもらうために万年筆店をしている。

万年筆によって書くことが楽しくなって、仕事や勉強、家事などがより楽しくなればと思っています。

万年筆は気分転換の方法も教えてくれる。

万年筆が替わると気分も変わるし、万年筆まで替えなくても、インクが変わっただけで気分転換ができる。

それはもしかしたら私がとても恵まれていて、一生懸命すれば楽しくなるものだと言える仕事に就いているからかもしれないけれど、辛くて仕方ない仕事の中でも万年筆があれば癒しのような効果をもたらしてくれるのではないかと思っています。

当店で販売しているステーショナリーも同様で、それらは仕事や毎日が楽しくなるのに役立つものです。

大人でなくても、小学生くらいの子でもそれはあまり変わらないのではないかと思います。

使いたくなるようなシャープペンシルや文具があれば、それが使いたいがために勉強したり、何か書いたりするのではないだろうか。

私たちが小学生の頃は学校で使う文具も自由でしたので、みんないろんなシャーペンを使っていたけれど、何らかの理由でシャーペンが禁止されて、その楽しみがなくなってしまったのは残念です。

皆が同じものを使っていれば指導もしやすいかもしれないけれど、道具にこだわる楽しみのようなものがない。

大げさな言い方だけど、そういったものから幼心に文化のようなものを感じて、物の良し悪しを見抜く目が養われていくような気がするのに。

ドアがたくさんあって、ボタンを押すと消しゴム部屋が飛び出してくるような筆箱も面白く、ロマンがあったけれど、それも禁止しているところがあるとのこと。

男の子が黒、女の子がエンジの1枚ドアの筆箱はシンプルで良いものなのかもしれないけれど、それだけしか使うことができないというのは、子供に選ばせる機会を奪っている気がしてつまらなく思ったりしますし、大人のお仕着せのように思えて理由なく反発心を抱いてしまいます。


自分と同じものを勧める

2015-06-02 | 仕事について

以前はお客様にお勧めする万年筆が自分が使っているものと同じものだったとしても、その事実は絶対に明かさなかった。

お客様から「何でお前と同じペンを使わなあかんねん」と思われるかもしれないと思ったし、何か押しつけがましいような気がしていました。

会社のいた時は、同僚や上司がそんなふうにお客様に言っているところを見ると、「何て慎みのないヤツ」だと思っていました。

要するに自分の美学がそれを許さなかった。

齢をとってツラの皮が厚くなったのか、自分の店ということで役割が違うことを認識したのか、何となくもうそれも許されるようになってきたかな?と思うようになりました。

自分が使って良いと思ったこと、欠点などをお客様にお伝えした方がいいと思ってから、自分が使っているペンを積極的にお勧めするようになりました。

店主が個人的に使っている万年筆を片っ端から勧められたら、お客様はたまらないと思うけれど、、共感し合える仲間を増やしたくて自分が使っている万年筆をよくお勧めしている。

どの万年筆も良いところがあれば、欠点と言えるところがあって、欠点がないという万年筆は良い部分もそれなりのものだろうと思っている。

初めて使う万年筆には定番と呼ばれるスタンダードなものをお勧めするけれど、ある程度使われている方には多少使いこなしに工夫が必要だったりするクセの強いものをお勧めしたりします。

万年筆の使いこなしと言っても、相性の良いインクを見つけるということや、ペン先が乾かないような工夫のような簡単なことだけど。

同じペンを持って共感し合えたり、使いこなしなどの情報交換ができるととても嬉しく、それが超メジャーな万年筆でなければより仲間意識が強くなるような気がしているので、あまり売れていないとか、日本の輸入代理店が在庫を持っていないからあまりお店に並んでいない万年筆を知ると、それを3か月待ってでも当店に並べたいと思う。

当店は万年筆を使う人を増やすために開店して、その目的は今も変わっていないけれど、個人的な野望も芽生えてきて、同じペンを使う、共感し合える仲間を増やしたいと思うようになってきました。