熟年の定義は45歳から69歳(65歳)で、自分はとっくに熟年と言われてもいい齢だということを知ってショックを受けました。
ショックを受けるということは、自分はまだ若いと思っているということだけど、自分自身の認識と人が自分を見る目とそれだけギャップがあるということだと思います。
最近齢相応ということをよく考えている。
年齢よりも若く見られたいというのは多くの人の想いだけど、幼く見えることは良いことではなく、情けない。
48歳の熟年の男として相応しい物腰を身に付けているのだろうか、無駄に齢だけとったような人間になっていないか。
内面のボンクラさを隠さなくてはいけないので、せめて表面的には熟年の落ち着きを見せていたいとは思っている。
最近夜眠くなるのが早くなっているし、白髪も増えた。そういえば筋肉痛は2日後に来る。
息子が春から塾の先生として働き始める。学校の先生にはなれなかったけれど、本人がしたいと思ってできる仕事に就けたことはとても恵まれたことで、息子が大学に入った時に塾講師のアルバイトに誘ってくれたI田さんには本当に感謝しています。
好きなことがあるならそれができる仕事に就いてほしいと思っていたけれど、勉強が好きで、教えることが楽しいと言う息子が、天職だと思える仕事に就けたことがとても嬉しい。
話が反れてしまったけれど、そんな大きな息子がいるのだからそら齢もとるだろう。
48歳の熟年の男としての齢相応と言っても個人差があるし、こうあるべきだと決められるものではないけれど、私が子供の頃に見ていた48歳の妻を亡くした父はこんなに頼りなくはなかったと思うことがあって、しっかりしたいと今更ながらに思っている。
今年49歳で、母親の年齢を超えることができるかということはずっと思っていました。
自分が死ぬこともあると考え始める年齢になっている。