元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

松本さんの入院

2013-06-30 | 仕事について

入院されていたル・ボナーの松本さんが退院され、ル・ボナーさんのお店も平常営業の戻りました。

全く食事を摂らず、点滴だけでほぼ1週間すごしながら、昼間は外出許可を得て店の営業をして、夜また病院に帰るという生活は本当に大変だったと思います。

そんなことをせずに、治療に専念した方がいいことはご本人が一番分っていることだと思いますが、私が病気になっても同じことをしていたと思います。

日々の売上が生活の糧になっていることもありますし、店を休むと忘れ去られるのではないかと心配もある。

個人商店にとって、予定以外で店を休むということはとても怖いことですね。

子供の頃、今日はしんどい、熱がある、と言っても絶対に学校は休ませてもらえなかった。

そんなふうにしているうちに、学校にいるうちにしんどいことなど忘れて、普段どおりにしていることがいつものことで、この小学校の時に毎日のことは休めないのだという厳しさを知ったように思い、それが両親の意図したところだったのかもしれません。

幸いオープンして6年近く、何か病気をして店を休むことなく元気でやってくることができたのは、単純な思考回路と丈夫な体に産んで、育ててくれた両親のおかげで、今一番感謝しています。

今までの6年よりも、これからの道のりの方が長く、何もないわけはないけれど、その時は松本さんのことを思い出しながら同じことをしていると思います。

 


30年前に戻る

2013-06-25 | 仕事について

中学三年生の時の恩師とクラスメイト数人が店に来てくれました。

先生が参加されている合唱団のコンサートがあり、皆で聴きに行った帰りに寄ってくれました。

誰かがいたずら心を出したようで、まず先生だけ店に入って来られましたが、すぐに分かりましたし、私のいつもの表情を変えない薄いリアクションに大いに白けたと、後で言われました。

先生に店を始めるまでの経緯など簡単に話すと、先生は万年筆を買いたいと言われました。

ただ話しているだけならいいけれど、先生を相手に仕事することに気後れしてしまいました。

小学校から大学まで、それ以降も先生と呼べる人に関わってきましたが、親しみを込めて先生と呼べて、少し頭が上らない最後の先生は、この中三の時の先生かもしれません。

親はいつまでも親、先生はいつまでも先生で、気分は30年前に戻ってしまい、ポーカーフェイスで分からなかったかもしれないけれど、店を始めて一番緊張していました。

 

同級生もいつまでも同級生で、それぞれとの関係性はあまり変わらないような気がしていました。

委員長のKくんはやっぱり今も皆をまとめる役を自然にこなしていて、ほぼクラス全員の連絡先や今何をしているかなどを把握している。

かれのおかげで私たちはこうやって集まることができていることに、やっぱりすごいヤツだと思います。

懐かしい話をしたりするけれど、当時の気持ちを持ち出したり、引きずったままでいるのはあまりにも無粋なのだろうか。

皆は見かけは変わっていないけれどそれぞれ生活をしっかりとしている風で、30年前と変わらないロマンチストでいる自分の成長のなさに恥ずかしく思いました。


夫婦の時間

2013-06-23 | 仕事について

息子が塾のアルバイトを始めてから夜いないことが多くなって、夫婦だけの時間が増えました。

観たいテレビがあれば一緒に観るし、それぞれ本を読んだり、何か書いたりと、別々のことをしていることもありますが、話している時間も結構あって、共通の話題、一番よく話しているのは息子のことになります。

今どうしているのだろう、今日学校はどうだったのだろう、から始まって、まだ小さくて可愛かった頃のことを話したりして、大きくなったなあで終わる。

子供は本当に、小さいうちまでに親がいつまでも共通の話題として話すことができるだけのものを提供してくれるものだと、子が大きくなった時に気付きます。


妻はその日あったことや、したことをなるべく詳細に話してくれるけれど、私は結婚したばかりの時から家で仕事の話をすることがなかった。

それでそういう習慣になってしまったのかもしれませんが、妻が私の仕事に関してあれこれ聞く方でなく、装っているのかもしれませんが無関心でいてくれていることはとても有り難く思っています。

それによって私は家に帰ると気持ちがリセットできて、昨日のことを引きずらずに、新しい今日を迎えることができていて、今までマイペースだったけれど淡々と仕事してくることができた。

 

齢をとってそんなことはあまりなくなったけれど、若い頃は嫌だと思うことがいろいろありました。

そんなことも家で妻に話すことはありませんでした。

私の気分を人に伝染させたくないと思っていましたし、そんな話を聞かされた方もいい気分はしない。

話したところでモヤモヤした気分が晴れるだけでなく、言葉で話すとそれが自分の中で確定した感情になってしまうような気がしていて、どんなに親しい間柄でも悪い感情を持ったことを話さないことを私は正解だと思っています。

 

さすがに息子の話しだけではいかがなものかと思うので、世の中で起こっていることや芸能的な話も話題にして、それぞれの考えを言い合うと、なかなか話すことはいっぱいあることに気付きます。


夏休み 9月1日(日)~5日(木)

2013-06-18 | 仕事について

まだですが今年45歳になります。

会社でしたら定年までの時間の半分あたりということになり、残り時間の少なさにたじろいでしまいます。

私の場合、命が続く限り仕事をすることができますので、半分ということはないと思いますが、かなりの道を惰性で歩いてきてしまったと思うこともあります。

仕事をするようになって20数年が経って、まだこんなところでウロウロしていると焦る気持ちになることがあります。

今の仕事や状況に不満があるわけではなく、自らの成長によってもっと良くすることができるのに、それができていないことが嘆かわしく思います。

45歳にもなると、それなりの大人になっていて、誰か人の面倒を見たり、その人の役に立てるようなことができたりする立場になっていてもいいと思うのですが、私はいまだに自分のことで精一杯で、文具店の片隅に一日中立っていた時とあまり変わっていないのではないかと思います。

そういう気持ちである一方、自分の人生の長さなんて、地球の歴史の中ではほんの一瞬にもならない、人類の歴史もほんの数秒の長さにしか相当しないと思うと、焦っても何も変わらないことが分ります。

もちろん考え続けて、行動起こそうとしないと、何もしないまま人生が終わっていくと思いますが、できない時に焦っても仕方ない、また動く時には動くのだと考える自分もいます。

毎年夏が来て、家族とささやかな旅行に出かけたり、毎週水曜日の定休日に少し出掛けるようなことを繰り返すことができていることは、幸せなのだと思います。

今年は夏休みを9月1日(日)~5日(木)とさせていただきます。


夏の自分

2013-06-16 | 実生活

夏前の、例えば暖かくなり始めた4月頃は、今年はジャケットをいつも着て、大人の男らしい服装でいようと思っていました。

自覚は薄かったけれど、自分も齢相応に見える風貌になっているし、四捨五入したら50歳になってしまう45歳にもうすぐなろうとしているのだから、と考えていて、その時は実年齢に合った服装というのがテーマになっていました。

でも毎年ちゃんと季節が変わって、今年は特にメリハリが利いていて、いきなり30度を超える日々が始まりました。

「今年はジャケットを・・・」と思っていたことが嘘のように吹っ飛び、おそらく例年よりも早く、半袖の服を妻に出してもらい着始めています。

でもこの半袖も自分なりの誰も気にしないようなこだわりがあります。

ブルックスブラザーズのカバーオールの半袖のシャツがメイドインUSAで、なかなか丈夫で(私の服に求める機能はこれに尽きます)気に入っているので同じ色を4枚持っていて、他に暑さに負けて買ったポロシャツが数枚、すべて裾を切って短くしています。

私はシャツの丈、特にズボン入れずに着るシャツの丈に異常に神経質で、この丈が長すぎるのが気になって仕方ありません。

理想の丈は、両手を上げてお腹が出ない一番短い長さで、追加費用が掛かろうと、時間がかかろうと、お店に手間をかけてもらっています。

それが印象に残っているのか、長袖のシャツを買ってもお店の人が裾を切りましょうか?と聞いてくれるのには苦笑してしまいます。

でも季節が変わると考えることなども変わって別人のようにさえ思われることがありますので、継続したいと思ったことも根拠が薄弱だと継続しにくくなり、考えも変化していきます。

あの時の自分はこう考えていたなあと、意味もなく懐かしく思うこともありますが、昨日の自分よりも今日の自分の方が成長していたいと思いますので、古い考えをいつまでも大切に持っていたくない。

以前は言うことが変わるのは恥ずかしいことだと思っていましたが、いつまでも同じ考えを持って、同じことを言っていることの方が恥ずべきことで、昨日の自分よりも良くなると考えることも変わるのだと思うようになりました。

想いは変わらない方がいいけれど、考え方は変わるべきだと思っていますので、変化していきたといつも思うのです。


物の見方

2013-06-15 | 仕事について

私たちが扱っている商品のほとんど、特に革製品、木製品は最低限の表面加工しか施されていない、天然の素材が使われています。

それらはその素材の感触が直接手に伝わりますし、使い込むと光沢が出たり、色が変化したりというエージングをしてくれます。

美しいエージングを実現しようと思ったら、扱いを丁寧にしたり、手入れをしたりする必要がありますが、必ず新品の時よりも魅力を増したものになってくれます。

買った時が一番美しい物よりも、使い込むほどに美しさを増すものの方が良いと多くの人が思われると思いますが、そういうものは材質の状態にバラつきがあったり、作りが不揃いだったりすることがよくあります。

平均的にきれいなものが作りやすくするという選択肢も物作りにはあって、そういう素材、そういう作りをすればバラつきも出にくい。

当店と関わってくれている職人さんの目指すところはそういうところにはなくて、不揃いという危険を冒しているとも言えます。

それらはあまりたくさんの数を作らなくてもいい体制ででき得ることであって、例えば世界的な規模で仕事をしているブランドはそういう方法論を取りません。

両者はおそらくその物の楽しみ方、見方が違うのだということを今まで直感的、感覚的に分っていましたが、上手く言葉にすることができませんでしたが、あるお客様からそういう物をどう思うか?という問い合わせをいただき、初めて言葉にできました。

物の見方について理解されているお客様から教えていただいた言葉だったと思います。

その言葉を持たなかったら、私たち店は職人さんたちにきれいな製品のさらに奥にある、あえて冒険をしているものを要求しにくくなり、少量生産のものは大量生産のものに食われてしまう。

それは万年筆に関しても言えることで、大量生産を前提に作られている大メーカー、大ブランドのものはどうしても思い切ったことがやりにくく、価値の持たせ方が工房生産のものと違ってきます。

どのメーカーがどちらでということは言いたくありませんが、当店ではなるべく工房生産のものを扱いたいと思っています。

店もまた同じで、私たち小さな店は大きな店ができない冒険を冒してこそ価値があるのだと思っていて、物の楽しみ方が違うように、店に求められるものも違うのだと、全てが繋がって思い当たりました。


心の中にある規範

2013-06-04 | 仕事について

私たちが感覚的に覚える良い感情や嫌悪感を上手く言葉に表すことができないということがあります。

善悪でもないし、もちろん法律でもない。

でもその方法は感覚的に違うような気がする、という類のものです。

私は宗教というものを持ち合わせていないし、多くの日本人もきっとそれを持たずに生きている。

宗教は持たずに生きているけれど、何らかの規範になるようなものを法律以外に持っています。

私の場合、それがお茶の精神だったり、心得はないけれど遺伝子の中に未だ残っている武士道なのではないかと、何となく思い当たったりします。

お茶のお稽古で言葉や先生の態度で教えられることは、理屈ではなく、感覚的に得心できることで、今まで上手く表現できなかったことを、伝えることができる言葉として与えてくれるものがお茶の教えだと思いました。

その言葉は、相手を尊重する控えめな表現の日本的な優しさや、あまりにも感覚的でルール付けすることが難しい美醜の定義に向かっている。

武士道もその語られる言葉、潔いとされる生き方は日本人の美学として生きていると思うし、平常心と勇気という武士道が尊ぶものは現代人の我々でも持ち合わせていたいものだと思いますし、一聞いて十を推し量るような相手への情けのようなものを私は持ち合わせていたいし、刀を感情に任せてやたら抜くことは見苦しい人間のすることだと思っています。

ビジネスの世界は時として、武士道とは逆のことが求められることがあって、それが正解とされるようになってきているけれど、持ち続けていたい心の拠り所のような気がします。

本を数冊読んだだけで、全く知識がないので、あまり言及したくないけれど、茶道も武士道も禅の考え方が根底に流れていて、両者は共通の教えのもとに形作られたもののようで、矛盾することがない。

具体的に誰かを崇拝したり、定例的に行われる儀式などはなく、無宗教だと思っていた自分の中にも宗教のかけらのようなものが残っていることを見つけることがあります。

 


タイに行った妹

2013-06-01 | 実生活

タイに住んでいる妹が一時帰国しています。

特にやつれた風でもなく、苦労している感じはないようです。

同じ職場の周りの人よりも齢をとっているからなのか、仕事はなかなか覚えが悪く、なれていないようですが、生活できているのならいいのではないかと思います。だいぶ日に焼けて、タイ人からタイ人に間違われることもあるようです。

一人で3,4時間もバスに乗って、ブラリと泊りがけの旅に出たり、屋台での夕食が毎日だったり、馴染みのバイタクのおじさんがいたりと、かなりその生活には慣れてきたようで、そんな話を聞くと、妹がタイに行ったことは、日本での最後の数年の生活から考えると嘘のようで、正解だったのだと思います。

妹がタイに行くと言い出した時、父と私は多くの人がきっと考えるように反対したい気持ちになりました。

向こうに行っても順応できるか分らないし、日本でもあまり外に出掛けずにいたのに、知り合いもいない、言葉も分らない海外でやっていけるとは考えにくい。

それでも何も言わず、送り出したのはそれが妹自身の決断で、その時の生活を何とか打破したいという気持ちが分ったからです。

それでも、妹がタイに行った後、そこまで極端に行動させる前に何か力になれることはなかったのだろうかと、後悔のような、自責の念にかられていて、それは今も変わらないけれど、タイでの生活を楽しんでくれているようで、救われた気がしました。

家賃が高いマンションに住んでしまったので、安い給料では時々赤字になってしまうけれど、何とか元気にやっているようでよかった。