たまになぜ万年筆を使うのかという問いを自分に投げかけることがあります。
たいていそういう時は、迷いがある時で、何かに悩んでいる時と決まっています。
調子の良い、波に乗れている時は自分の根源的なことに考え混んだりしないので、そういう時は何かの分かれ道に立っている時なのかもしれない。
一人の万年筆ユーザーとしてなら、私の場合とてもシンプルで、好きな「書く」ことがより楽しくなるからです。
でも万年筆がなくても書くことが好きなことに変わりなく、万年筆を使い始めるようになる前でも水性ボールペンなどで気分良く書いていた。
パイロットG-1なるゲルインクボールペンのはしりのようなボールペンを愛用して、こだわってるつもりでいました。
でも水性ボールペンよりも格段に書きやすい万年筆の存在を知ってから、今まで使っていた水性ボールペンがとてもつまらないものになってしまいました。
万年筆を使うのは、書き味が好きだったり、書いた文字が好きだったりすることが理由なのだといつも簡単に答えが出ます。
なぜ万年筆を使うのかを考えるのではなく、なぜ書くことが好きなのかを考えた方が良いのかもしれない。
私はなぜ書くことが好きなのか。
これは結構考えましたが、それは「考えたい」からだと思い当たりました。
書くという行為は「考える」をアウトプットする行為で、私は自分の仕事、生き方、家族、哲学などについて考えていたいのだ。
それは崇高なことでも何でもなくて、声を出して議論するよりもただそうすることが好きだから、考えたことを「書く」ことで表現しようとする。
好きで考えたことを整理するのが書くという行為で、それを楽しくしてくれる万年筆。
「書く」ということは、「考える」ということと同義ではなく、考えたことを整理するために万年筆を使うのだと思いました。