元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

2007-2023

2023-09-24 | 仕事について

9月23日で当店は創業して16年が経ちました。
創業記念日の日、私と森脇は原宿で開催された趣味の文具祭に参加していて不在でした。
当店の都合よりもいつもお世話になっている趣味の文具箱が初めて開催する文具イベントを盛り上げる役に立ちたいと思った、思い切った決断でしたが、イベントも大いに盛り上がっていたので参加してよかったと思っています。
私たちが不在にしているにも関わらず、当店の開店記念日に来店して下さった方々には有難く思っています。

この16年店を続ける中で、当店らしさということを大切にしてきましたが、時代の流れみたいなものは常にあって、自分たちが許せる範囲で流されてきたと思います。
それは時代の波に乗るというものではなくて、川の中の石が激流にもまれてほんの少し動くといったものかもしれませんが、それくらい流行というものを警戒していました。
流行が怖いと思ったのは、その流れに乗りきってしまったら、その流れが変わった時に戻れなくなってしまうのではないかと思ったからです。
流行に乗って稼げるだけ稼いで、また業態を変えてちがうことをする人もいるけれど、私たちにはそんな器用なことはできない。
私たちの仕事は今良ければいいのではなくて、低空飛行でもいいからずっと継続できなければならない。
自分のできる唯一のこと、好きなことをやり続けていくことが生き残ることにつながり、継続することにつながると思っているので、なるべく流されたくないと思う。
でもそう言いながらも少しずつ時代の変化に流されていたのかもしれません。
これでいいのかどうか分かりませんが、最期までリングに立ち続けていたいと思っている。5年や10年でその仕事の結果が良かったのかは分からない。16年でも分からないと思う。

創業して16年になるということで、創業時2007年の時代の雰囲気などを思い出しながら考えてみました。
当時ブログなどで個人が自分の考えることを自由に発信できるようになっていました。
店の仕事の仕方も会社組織にいなくても個人でもできるのではないかということが一般的になってきていたように思います。
文房具は今のように華やかではなかったけれど、万年筆という文房具の中でも最も趣味性の高いものなら私たちの仕事にできると、万年筆に可能性を見出して、個人が動き始めた時代だったのではないかと思います。
その雰囲気を私は自由で開かれた明るいものだったと思っていましたが、たしかに何かが変わってきていた時代でした。

私は当時39歳でした。ある程度ステーショナリーの仕事を続けてきて、こうしたいという志のようなものも持てて、自分でやっていける自信のようなものができたから、今乗るべき自分のタイミングが来たから思い切ってやってみたと思っていました。
でもそれは自分のタイミングではなく、時代の流れだったのではないかと今は思い当ります。
野生の動物たちが、アラスカのカリブーが夏になると北に何百キロも移動するように、本能から出た行動だったのではないか。

当時当店と同じようなタイミングで創業して、今も元気にされている当店と同じような業態のお店の人たちも私と同じように時代の雰囲気を感じ続けていて、自然と行動に出ていたのではないか。

人は自分の意思で行動して、理想を追い求めて、その先に行こうとするもののように思われるけれど、やはり大きな流れのようなものに自然に流されて生きているのではないかと今は思っています。

そう考えると一人の人間の意思とか、理想などというものは大きな流れのなかではとても小さなものに思えます。
それでもいい。大きな流れに流されながらも自分の意思で少しでも流れに逆らったり、踏みとどまったりした方がやっていて面白いと思っています。


民藝展

2023-09-16 | 実生活

 

若い頃に柳宗悦氏の本を何冊も読んで、モノの良さを伝える言葉の力を知りました。

民藝というと今は何か土産物のような陳腐なイメージのある言葉になっているけれど、そのイメージが間違っている。
日本古来からその土地に根付いたモノ作りで、その土地ならではの素材を使った丹念な職人仕事によって生み出されたモノです。

その中でも用の美を持ったものを柳宗悦氏をはじめとする民藝運動の提唱者たちが見出して、後世に伝えようとしたことは日本の工芸において大きな役割を果たしたと言われています。

今モノについて書くことを柱にした仕事のやり方をしているのも、柳宗悦氏の文章を読んだからだ言うと申し訳ないけれど、私もその影響を受けている。

中之島美術館で民藝展をしていると教えてもらったので休日に妻と行ってきました。

こういう仕事をしているのでモノの在り方についてよく考えます。
良いモノというものにはいろんな在り方があって、作家さんが自己表現のために作るアートに近いものもあり、これは作品と言うのかもしれません。

それに対して民藝展で紹介されているものの多くは、無名の職人が農閑期の仕事として時間と手間をかけて作った暮しの道具であり、そこに作家の自己主張は存在しない。あるのは丹念な仕事によって生み出されたしっかりとしたモノです。

柳宗悦たちはそれを用の美と言い、美を意識せずに作られた職人仕事のモノたちに美を見出したのでした。
丹念な仕事によるモノのしっかりとした美しさは、仕事の正確さ、手間を惜しまない仕事の細やかさによって結果的に見えるものなのでしょう。

それはもしかしたらモノ作りに携わる日本人の良心のようなものが生み出すのかもしれません。
作り出すものは違っても、そういう仕事をする職人さんは現代にも確かにいる。

私たちはそういう仕事ができる人たちのモノを見出して、お客様に紹介する責任があるのではないか。
そのためには本物の用の美を見出す目を養っておかないといけないと、気持ちが引き締まる思いで民藝展を観てきました。