元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

旅の風景3

2008-07-31 | 万年筆
山が海に迫っていて、平地が少ないというその地形のため家々は丘の斜面に肩を寄せ合うように建っていました。
狭い路地が張りめぐらされた場所だけに新築することは非常に難しく、必然的に古い家を直して使うようになり、古い町並みが残っていると思われます。
おそらく昭和の始め頃から、この尾道の町並みはそう変わっていないのかもしれないと思いました。
ロープウェーで千光寺山山頂に行きました。
途中、ロープウェーが急停車するハプニングがありましたが、この美しい景色を長く見ることができたので、非常に得した気分でしたが、女性たちは風にあおられて揺れる車内でかなり怯えていました。
山頂からは、足元にはこの尾道で暮らす人たちの小さな家々が見え、視線を上げると対岸の向島やその向こうに続く島々、淡路島のある明石海峡を見慣れているせいか、海を見た時に島が見えると落ち着きます。
その島々のさらに向こうには天気が良ければ四国の山々が見えるとのことです。
多くの文士たちを生んだ坂の町は今でもその雰囲気を充分に伝えてくれています。
文士たちが狭い路地を歩きながら自分の文について思考をめぐらせたでしょうし、
様々な人々の暮らしに想いを馳せることのできるこの景色もまたインスピレーションの宝庫だったと用意に想像がつきます。
尾道はその景色によって、多くの人の心を惹きつける町であり、誰もが懐かしいと思える昭和の町並みを残している所でした。

趣味の文具箱vol.11発売

2008-07-30 | 仕事について
趣味の文具箱vol.11が発売になっていて、当店でも扱っています。
今回もオリジナルインク、委託販売などの当店の記事が掲載されています。
vol.9から書かせていただいている記事は、今回は中屋万年筆についてです。
中屋万年筆は以前からとても好きなペンでしたし、コンセプト、デザインなど共感する部分が多かったので、こちらからお願いして書かせていただきました。
あのような記事を書く時にいつも心掛けているのは、何度も読むことができて、その万年筆を使いたくなるようなもの、その万年筆の数値的なデータなどではなく、精神的なものを理解していただけるものを書きたいということです。
そのペンのコンセプトや会社の考え方など、その背景などに私自身は興味がありますので、そのような理屈っぽいことに目をむけることがおもしろいと思っています。
コンセプト、ターゲットなどがはっきりしているペンは名品と言われるものが多く、万人受けを狙ったものと違って、思い入れが込められて送り出されたものだと思います。
そんなものを少しでも多く、皆様に紹介して、私の解釈によるペンインプレッションをしたいというのが、趣味の文具箱での私の記事です。
今回も楽しんでいただけたら幸いです。

旅の風景2

2008-07-30 | 万年筆
岩国を後にして、海沿いの国道2号線で広島へ向かいました。
海を挟んだ近くに宮島があり、線路と平行して走ることもあり、ここの国道2号線は朝霧、舞子、須磨あたりの2号線の景色とよく似ていました。
バイパスなどを通ってホテルに早めにチェックインできたので、家族3人とも修学旅行などで行ったことがあったので、今回のコースには入れていなかった原爆ドームへ行きました。
八丁堀の賑やかな交差点から路面電車に乗りました。
その周りでは、外国人観光客の姿を多く見かけましたが、それぞれ思い思いに過ごしているとても和やかな雰囲気と、原爆ドームの異様なグロテスクな姿がとても対照的で、この原爆ドームを残すことの意義を強く感じました。
広島の街を訪ねるたびに、私は後ろめたい気持ちになります。
この街で、まだ1歳の父は被爆者になり、医者であった祖父は救護活動をしていました。
私は20万人の人が命を奪われた原爆の被爆2世遺族の一人として、毎年この街で行われている平和記念式典に参加したことがありませんでしたし、本当はこの原爆の惨さ、戦争の無益さ、悲惨さを語り継いでいかなければいけない立場にいるはずの人間なのに、せいぜい息子にしかそれを伝えられていないことに、何か義務を果たしていないように思っています。
毎年、夏は戦争について、原爆について、そして亡くなった非常にたくさんの人たちの生活について深く考えさせられます。

旅の風景

2008-07-29 | 仕事について

日本中いろんなところを車で走っている方だと思いますが、瀬戸内海沿岸の山口県以西には行ったことがなく、初めて岩国を訪れました。
最近では長野駅前で見た、日本中の都市の駅前と基本的には同じ構造の岩国駅前から、15分ほどの国道2号線を逸れてすぐのところに観光地区がありました。
河原の駐車場に車を停めて、錦帯橋を渡る前に街の中を少し歩くことにしました。
錦帯橋の近くはおそらくそのような取り組みが街ぐるみであるのだと思いますが、他の城下町、特に小京都と呼ばれる街によくある町屋風の建物に時代を意識したお店がいくつかありました。
しかし、よそ行きの岩国はすぐに終わり、素顔の岩国の町に出会えました。
片側1車線の車道に挟んで、両側に商店がいくつかある通りで、この通りにあるお店が近辺の人の生活を支えているのだと思いますが、私が子供の頃の町の風景そのままで、昭和4,50年代から何も変わっていない、ボロくて、埃っぽい、しかし、とても懐かしく美しい風景でした。取り澄ました小京都の町並みも好きですが、その町に住む人の生活の匂いのする風景がとても好きです。

錦帯橋を渡り、ロープウェーに乗り、岩国城から町を見ました。
自然の地形を生かして、見事に街作りがされていて、これが江戸時代最初期に行われた都市計画だということに感心します。
錦川の山側は武家屋敷などエリートの住む、為政者の区域。
そして、川に半円形に囲まれた地域が人々が暮らす町でした。
その間は錦帯橋1本で結ばれています。
岩国城からは、眼下にはそのような城下町が、遠くには小さな島々などが見える絶景で、その情景はいつまでも見飽きることがありませんでした。


旅情を盛り上げるマイカー旅行

2008-07-25 | 万年筆
4日間のお休みをいただいて岩国、広島のマイカー旅行に行ってきました。
電車や飛行機での旅行は体が楽でそれなりに楽しめますが、小学校の時に幸せの黄色いハンカチを観たのが影響して、車での旅に一番旅情を感じます。
走るのはどこでもいいのですが、高速道路は全国あまり変わらないので、あまり走りたくなく、できるだけバイパスでない、下の道を走りたいと思っています。
その土地土地で垣間見る人々の生活について、どこに働きに行っているのか、暮らしは苦しくないのか、高校生たちは何歳くらいまでこの土地で暮らせるのかなど、とても大きなお世話なことを考えて、思いを馳せたりするのがとても好きで、それが車での旅の楽しみです。
田舎の国道沿いによくある打ち捨てられた閉店しているドライブインなど、マイカーで旅行する人が増えた私たちが子供だった昭和50年代に希望を持ってオープンしたと思いますが、店を捨てなければいけなくなったオーナーの心境なども想ったりします。
そんなふうに感傷的な気持ちで車を走らせるのは、洗練された大都会や渋滞の国道では叶いませんので、田舎の道を走るのがほとんど趣味だと言えますが、家族にはかなり不評ですが、近道だと言って、地図でそのような道を選んで走るようにしています。
私の旅は楽しい気持ちになるよりも、寂しい、もの悲しいものを感じるため、その土地についていろいろなことを考えるものだと思います。
今回の旅では、呉市広から東広島へ抜ける道、東広島から尾道への2号線、尾道から福山への2号線など旅情を感じることができた道があり楽しんできました。
そのような道は神戸市郊外にもあり、ちょっとしたドライブでも走ることができますが、やはりその土地らしさが感じられることが旅情を盛り上げてくれるのだと思います。

夏季休業日のお知らせ

2008-07-22 | 仕事について
7月22日(火)23日(水)24日(木)25日(金)の4日間、夏休みとさせていただきます。
ご来店予定だった方、申し訳ありませんが他の日にぜひご来店ください。
店でお客様方とお話しする毎日は非常に楽しく、勉強になることもたくさんありますが、たまには外に出て、店と距離を置くのもいいのかと思っています。
今回の夏休みは中国地方へのマイカー旅行を計画しています。

野茂投手の引退

2008-07-20 | 仕事について
先日野茂投手が引退しました。
野球選手としてはかなりベテランで、しかもピッチャーとしては限界に近い年齢でしたので、引退は近いと思っていました。
子供の頃から野球一筋に青春時代手前まですごしてきて、唯一理解するスポーツだということと、引退する選手たちの年齢がちょうど30代の後半で、自分の年齢に近いこともあって、活躍した野球選手の引退の時には必ず特別な感情を持ちます。
20代後半で体力的にはピークを迎えますが、衰える身体能力を経験と技術でカバーする30代。スピードとスタミナでは若い、後から出てきた選手には負けるけれど、ここ一番の輝きではまだまだ色あせない活躍をする。そんな30代の特にピッチャーの姿を自分に重ねることがあります。
そんな30代のピッチャーの中でも、野茂選手の存在は私にとても特別なものでした。
それは野球選手として優れているというだけではなく、日本のプロ野球選手の大リーグ行きの道筋を開拓したという、一人の男の生き様として魅力的な人だったからです。
ほとんどの人から大リーグでは通用しないと言われ反対されても、様々な力に邪魔されても、自分の信じた道を突き進んで、自分の幼い頃からの夢を実現しただけでなく、目覚しい活躍をしたことは本当に痛快に思いました。
インタビューなどでは、多くを語ることはありませんでしたが、野球選手はプレーで語ればいいという職人的な考え方があったのでしょう。
ヒジに負担のかかるトルネード投法のため、ヒジの故障に悩まされましたが、40歳になる年まで現役を通したことは本当に賞賛に値すると思います。
記録には残らないけれど、とても魅力的な野球選手が一人、またいなくなってしまいましたが、野茂氏の今後の活躍にも注目しています。

~究極の思考のペン~プラチナ90周年記念万年筆

2008-07-19 | 仕事について
軽いペンがこんなに自由に操れるものだと、このペンを書いてみて初めて気付きました。
プラチナは優美さを失わない、軽くて書きやすい万年筆をひとつの理想とするということをそのコンセプトとして、90周年記念万年筆の開発しました。
そのコンセプトを実現するために、ボディに良質なカーボンファイバーであるトレカを使用し、金属パーツもアルミ製になっています。
このボディサイズで25gという重量は本当に軽く、手の中でほとんど存在を感じないような軽やかさで、それは思考を妨げないことにもつながります。
ある程度の重さが万年筆には必要だと考えてきましたが、90周年の軽さはとても使いやすい、操る楽しさを感じることができるものでしょう。
ペン先はプラチナの特長である硬さを持ったもので、しっかりと確実にブレずにその字幅の線を引くことができる、とてもプラチナらしい書き味のものだと思っています。
普通万年筆メーカーの周年記念というと重厚で豪華なものをイメージしますが、それとは全く逆の自分たちが理想とする新しい万年筆を90周年の記念に持ってくるあたり、プラチナのチャレンジ精神を知ることができる、記念すべき万年筆だろうと思っています。
https://www.p-n-m.net/contents/products/FP0057.html

ヒゲデビュー

2008-07-17 | 万年筆
今まで一日たりともヒゲを剃らなかった日はなく、不精ヒゲさえも伸ばしたことがありませんでした。
歯を磨くと同じくらい私にとって、ヒゲを剃ることは当たり前の日課で、ヒゲを伸ばすことなど考えもしないことでした。
そんな私が最近、ヒゲにチャレンジしています。
始めたきっかけは大和出版印刷の多田さんと研修で同行していたSさんとの会話からで、私のことをよく知らないお客様にペン先調整をした時に、本当にできると驚かれたというエピソードを話したことでした。
ホームページ用の写真を撮り直しているところで、ペン先調整ができそうな演出に心掛けることも大切かもしれないという元美容師のSさんの一言で私はヒゲを伸ばすことになりました。
ペン先調整人らしくするためにヒゲを伸ばすというのは、私の感覚からはあまりにも狙いすぎに感じて恥ずかしく思いましたが、ル・ボナーの松本さん、高校の時から伸ばしていてヒゲ歴20年以上の分度器ドットコムの谷本さん、タクヤさんなどなど、組織に属さず、自分の力で生きている人は皆ヒゲを伸ばしていますので、それはある意味象徴的なものに思えてきました。
口ヒゲは似合わなさそうで、手入れも大変そうでしたので、顎ヒゲだけにしています。
見た感じがどう変わったかは怖くて皆様の反応を聞きだすことができていませんが、某大手コーヒー会社のH先生からはあまり良い反応は得られませんでした。
ヒゲにも白髪があって衝撃を受けましたが、私自身は悪くないと思っています。