元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

お客様方からの教え

2006-10-31 | 万年筆
最初は本当に純粋にそれで書けば気持ちよく文字を書くことができて、仕事が楽しかっただけでした。
インクで書いた文字で埋められた手帳を見るのは、気分がよかったというだけでした。
そんな時あるお客様と出会いました。
その人は私と齢も近く、同じ波長を感じました。
齢は近く若かったですが、あるビジネスを成功させていてたくさんのペンを持っておられました。本当にたくさんのことをその人から教えていただき、今の私の知識のほとんどはその時に基礎ができたと思っています。
今から考えるとその人は、本当に進んだ考え方を持っていて、ペン以外にも勉強になることがたくさんありました。
その人が最初だったと思います。それから私はいろんなお客様からたくさんのことを学ぶことができるようになりました。
同じ職場の人から吸収したいと思うことは少なくても、お客様方からたくさんの大切なことを教えてもらうことができたことは本当に幸せだったと思っています。

復活の日は

2006-10-24 | 万年筆
大阪の高齢の万年筆職人さんと電話で話しました。
退院したばかりの夏にお邪魔して以来のご無沙汰でしたが、電話では相変わらずの様子でしたので、少し安心しました。
大きな手術をしましたので、今は体力が戻るのを待っているという状態で、ペン作りはしていませんが、すぐにでも再開したいという気持ちが電話の向こうから感じ取れました。
普通ならとっくに隠居していてもいい齢ですが、すぐにでも仕事に復帰したいという気力に感動しました。
「あまり無理しないでください」という言葉も失礼に感じられて、何も言えずに電話を切りました。

幸せな夫婦

2006-10-24 | 万年筆
クレヨンでの簡単な塗り絵でしたが、プロのイラストレーターの方が絵を描き上げていくところに立ち合いました。
全く違う色を自由に塗り重ねて色に深みを出していく。
才能があるというのは本当に自由なのだと描き上がっていく過程を見ながら思い、本当にいいものを見せていただいたと思いました。
その方が、ご夫妻でペンを買いに来られました。
ご主人は子供のように無邪気で話がコロコロ変わりますが、奥さんはそんなご主人を母親のように彼の言うことを優しく聞いている。
いろんな夫婦のあり方がありますが、お互いに尊敬し合えて、理解し合えている。
よそ行きの姿かもしれませんが、そんなお二人を見て、とても幸せなご夫婦だと思いました。

出会い

2006-10-22 | 万年筆
数週間前にある鞄職人さんと出会いました。
ある万年筆画伯さんから万年筆の楽しさを吹き込まれ、私のところに来られたとのことでした。
その方は職人さん特有の初対面の人間に対する気難しさもなく、とても上品で物静かですが、話上手な人でした。
セルロイドの加藤製作所の万年筆を奥様へのプレゼントにと買って行かれましたが、数日後にまた来ていただいて、今度はご自分の加藤製作所も買いに来られました。
ペンも気に入って使われていて、楽しい時間を過ごすことができたと思っていただけたようで、それからその方の紹介で来られたと言うその鞄職人さんのお客様が週1回はいろんな所から来てくださるようになりました。
その方は六甲アイランドに工房兼ショップ(http://www.kabanya.net/)を持っておられ、行こうと思えばいつでも行くことができる距離ですが、お金を貯めてから行こうと思いました。

相変わらず

2006-10-20 | 万年筆
長野の伯母から野菜が届いて、本当に久し振りに電話をかけました。
小学校に入る前、体が弱くて定期的な通院が必要で、当時東京に住んでいた伯母が私を預かって、病院に連れて行ってくれました。
伯母に手を引かれて、武蔵境の駅や吉祥寺の辺りを歩いたのをぼんやりですが覚えています。
農家の夜は短く、伯母は8時頃までには寝てしまいますので、畑から帰ってくる、夕方に電話しました。
久し振りの電話を伯母は喜んでくれて、「久し振りなのに、毎日話しているみたいだよ。」と言っていました。
伯母から近況を聞かれ、私は「相変わらず。」と言いましたが、「相変わらずが一番良いんだよ。」という伯母の言葉に遠い長野の風景を思い出しました。
伯父は今年病院で手術をしましたが、薬が合わず闘病生活が続いているようです。
そんな伯父の看病をしながら、伯母は午前1時に起きて、レタスを切りに行っている。
親でもないのに子供のとき散々世話になって、迷惑をかけたこともあった伯母に長い間電話をしていなかった自分を呪いました。

同じ日は来ない

2006-10-18 | 万年筆
子供の頃、高槻という町に住んでいました。
大阪と京都の間の町で、近くに淀川が流れ、北には天王山などの高い山のある山深い地域があって、それなりに自然に恵まれた土地でした。
そんな山や川などが子供の頃の遊び場であり、デートの場所でした。
高槻から離れないといけないと分かった時からの数ヶ月、毎日がすごく大切で少しでもこの町の風景や思い出を心に焼き付けておこうと一生懸命でした。
今の毎日がいつまでも続くものだと思ってしまいがちですが、絶対同じ日は来ない。だからその日その日を大切にしないといけないと26年前の私は知っていたはずなのに、気がついたら手を抜いて漫然と楽に過ごしてしまっている日もありました。
子供の頃の曲を聴きながら田舎道をドライブしていて、子供の頃の焦りを思い出しました。

ダイアリーの話

2006-10-17 | 万年筆
皆さんもそうだと思いますし、そんな人を一人知っていますが、私は本当にたくさんのダイアリーを使ってきました。
システム手帳、綴じ手帳、ルーズリーフ式。ファイロファックス、レッツ、能率手帳、ノックス、アシュフォード、ダイゴー、コレクト、デルフォニクス、コレクトなど手帳の名前を挙げたら、きりがありません。どれも1年以上使うことはありませんでした。
どのダイアリーも決めた仕事を忘れないようにこなすということにかけては、大変役に立ちましたが、イメージを膨らませたり、考えを発展させたりすることの助けにはなりにくいようでした。
あまりにもたくさんの手帳を使いすぎて、もう手帳に夢も幻想も抱くことなく、方眼罫のモールスキンだけを使っていましたが、やはり日付など何なりの分類のカテゴリーが必要でした。
今年ある人から贈られた、クォヴァディスエグゼクティブノートを使い出しました。
革の表紙ということと、16cm×16cmというサイズとがつかっている姿がかっこいいのではないかと思って使い出しましたが、来年もリフィルを替えて使いたいと思えるものになっています。
万年筆と相性の良い紙やエレガントなフォントも気に入っていますが、中身とも相性が良いようです。
時間メモリを無視して使えば、とても自由度の高いダイアリーだということが分かりました。仕事柄ずっと同じ場所にいますので、時間単位で行動を計画することもありません。
私にとって大切なのはどんな話を聞いたか、そこから何を学びとるか、どんなものが生まれるかですが、そんな使い方にエグゼクティブノートはすごく合っているように思います。

一人の時間

2006-10-17 | 万年筆
一日のするべきことが全て終わった寝るまでの時間。
コーヒー淹れて、たばこを吸いながら、心を捉えていること、頭の中を占めていることなどを万年筆で文字にしています。
何にも急かされず、考えを巡らせたことを気ままに書く。
そんな一人だけの時間がとても好きです。
今の季節なら、窓を開けて入れる、肌寒いくらい冷たくて気持ちよい空気に夜の匂いがして、一人だけでいることを実感します。
今日お話した人や身近で大切な人のことを一番強く考えるのはやはりこの時間です。

万年筆メーカーの方へ

2006-10-10 | 万年筆
ペン先の調整、仕上げに関して最近特に気になることがあります。
ルーペでペン先を見て、正しい形を見きわめる練習をしていない方には分かりませんが、正常なペンポイントの形を知っている人ならすぐに分かる不調が、ひとつのメーカーに限らず非常に多くなってきています。
研ぎが甘いとかそんなレベルではなく、切り割が中央から大きくズレていたり、斜めに入っていたりしていて、いくら腕の良いペンドクターでも修正不可能なものもあります。
切り割りがズレているとどんな影響があるかというと、書き味が悪いだけでなく、普通の書き方ではインクが出ないこともあります。
工場の中でたくさんの同じぺんを作ると、どうしてもこういうものが出てしまうかもしれませんが、こういうものが工場か出荷されてしまったことに疑問を感じますし、海外製のものでしたら、こういうものがさらに国内のチェックを通過してしまったことが問題だと想います。
これは検査が全くされていないか、検査をしている人が万年筆のことを全く分かっていないかとさえ思われるのです。
ただでさえ使いにくいとか不便だという理由で敬遠されてしまう万年筆が、書きにくかったり、書けなかったりしてしまうと誰も相手にしてくれなくなってしまいます。
万年筆メーカーの人は、社内の基準には合っているなんて馬鹿なことを言わずに、素直に聞き入れて、より上質な万年作りを目指して、自社の万年筆がよりよくなるための努力をして欲しいと思いました。
その努力の積み重ねがないと、万年筆はいずれ本当に廃れてしまいます。

スペシャル・サンクス

2006-10-08 | 万年筆
ここ数日お客様でありながら、私にとってそれ以上の存在である人たちの訪問が続き、自分の周りにそんな人たちがいるということがとても幸運だと感じられました。
画家のSさんは私がペンの仕事に携わった時からお世話になっていて、ご自身の個展にも招待していただいています。
Sさんはとてもたくさんのデザイン関係の仕事で実績があり、知らないうちに彼からは影響を受けていることがたくさんあります。
今回もディスプレイのしかた、品揃えなどについて厳しい指摘を受け、細かく指示していただきましたが、できる範囲でもその通りしてみると見違えるように空間が引き締まりました。
横浜市のTさんは年2回の帰省の時に寄って下さいますが、私が関わっているオリジナル商品についての感想、要望を率直におっしゃっていただけるので、とても参考にさせていただいています。
岡山市のKさんとはここ2年ほど前からのお付き合いですが、お手紙をやりとりさせていただいたり、Kさんの発行する雑誌をお送りいただいたりしています。
Kさんからは文章を公表することの厳しさや責任をその活動から改めて教えられました。
今回のご訪問でも面白いネタをご披露いただきましたが、ペンに関する話を越えて人生の先輩として、とても大切な話をしていただきました。
真剣に生きておられるその方たちの言葉は時には厳しく、決して耳に心地よいものばかりではありませんが、その心の中には優しさがあって、私のことを真剣に考えてくれたことが分かります。
私が迷走している時にアドヴァイスしてくれる人がいる、そんな幸せなことはないと思っています。